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ビヘモスとレビヤタン ― 創造の驚異ものみの塔 1963 | 5月1日
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測り難い事を述べました」。―ヨブ 42:2,3,新口。
神はすべての事をすることができる,とヨブは述べています。いまやヨブは,神がなさることは何事によらず賢明で,愛に満ち,正しいということを認識しました。彼は,創造の驚異についてのエホバの一連の質問の最初の質問をくりかえしています。それによって示唆された非難の正しさと,『私は人間でした! 』と認めるためにヨブはそれをくりかえしているのです。
ヨブは,彼が口にすべきでないことを言ったのです。しかしいまは,理解なくして彼の事件を論じた,と告白しました。「それでわたしはみずから恨み,ちり灰の中で悔います」と彼は言いました。ヨブと同じように,私たちもこの教訓を心に留めねばなりません。私たちは神と論争することがないように,自分の状況のうわべだけにまどわされて自分の苦しみは神に直接責任があると見なすまえに,よくよく考えなければなりません。ビヘモスとレビヤタンを見てください。彼らとほかの創造の驚異は,神の偉大な知恵と力を私たちに感じさせ,霊感された御言葉に一層の力をそえます。「全能者は ― われわれはこれを見いだすことができない。彼は力と公義とにすぐれ,正義に満ちて,これを曲げることはない。それゆえに人々は彼を恐れる」。―ヨブ 42:6; 37:2,24,新口。
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魂を得るに至る信仰を行いにあらわすものみの塔 1963 | 5月1日
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魂を得るに至る信仰を行いにあらわす
ブラジル
遠くにいる親類や友人に手紙を書くことにはしばしばよい報いがあります。バヒア州に住むひとりの証者は,リオデジャネイロの肉親の妹に手紙を書いて,エホバの証者とその活動について知らせました。そして別の手紙を証者たちに出して,妹を訪ねてくれるように頼みました。その妹さんを訪問した伝道者は次のように書いてきました。「最初に訪問したときその婦人は,すでに用意を整えて,勉強がしたくてたまらないという様子でした。バヒアの姉妹からの手紙で,聖書に対する興味を刺激され,私が来るのを待ちかまえていたのです。早速研究が始まりました。勉強がつづくにつれ,ご主人がその婦人にものすごい迫害を加えはじめました。そして暴力に訴えてまで聖書研究をやめさせようとしましたが,彼女はつづけました。そして4ヵ月後には,野外奉仕を行なっていました。彼女のクリスチャンにふさわしい忍耐は,多くの実を結びました。夫は以前より寛容になり,いまでは証者たちに対して友好的になりました。勉強を始めてから1年後に,その人は浸礼によって献身を表わし,いまでは自分自身はかの人と聖書を研究しており,宣教学校では割当てを果たし,新しい世の交わりを満喫しています。二,三の手紙を書いたばかりに,なんというすばらしい報いがその人の肉親の姉妹に与えられたのでしょう!」。
アマゾン地方はアマパのある夫妻が,治療のためにベレムへ行ったとき,ひとりの開拓者の姉妹に会いました。夫妻は,世の終りとか新しい世について多くの新しいことを聞いて大いに喜び,雑誌を予約し,2,3回集会に出席しました。そして,だれかぜひ訪ねてきて下さいと頼んでおいて,ジャングルの家に帰っていきました。少したって,巡回の僕と二人の宣教者が,トラックで158キロ,それからモーターボートでアマゾンの支流を8時間さかのぼる旅をして,その二人の善意者を訪ねました。翌日はカヌーで近所の人々を訪問することに費やし,夕方の聖書研究には15人の人が出席しました。ある学校教師は,受持ちの生徒たちを通して,特別の訪問者のきたことを両親に知らせ,あす学校に来るようにと彼らを招待しました。つぎの朝,川の両岸から,カヌーがぞくぞくやってくるのがみえました。授業は一時中止され,51人の人が,聖書の説明を熱心に聞き,3時間にわたる集会で多くの質問と答えがやりとりされました。人々は,こんなにも多くのよい事柄を聖書から説明してもらったことはいままでになかったのです。彼らは,近いうちにぜひまた来て下さいと頼みました。そこから宣教者たちは,モーターボートでさらに4時間旅行して,真理を聞いたことのあるもう一つの家族を訪ねました。これらの謙虚なジャングルの人々にとって,その訪問は大へんうれしい驚きでした! 午後の2時から11時まで,質問がつづき,翌日の朝早くからまた質問を始めました。この時は15人の人たちが集まって霊的な渇きをいやしました。10時までにはそれが30人になり,公開講演が行なわれました。大部分の人が夜までい残り,27人の出席者に対してもう一つの公開講演が行なわれて,11時に終りました。聞きあきるとか,無関心とか,感情を害するとか,がっかりした様子はさらになく,人々は証者がふみとどまって,一緒に勉強することを望みました。真理に対する人々の飢えが満たされたのを見るのは全く心のおどる思いでした。彼らを訪問するには多くの不便があり,骨の折れることでしたが,それだけの価値は十分にありました。
パラグアイ
人口: 1,660,000人
最高伝道者: 419人
比率: 3,938人に1人
過去12ヵ月間,パラグアイではすばらしい証言が行なわれ,御国の音信は新しい区域に広く宣べ伝えられました。これはみなエホバの御力によります。そして,兄弟たちは,コリント後書 9章10節の使徒パウロの次の言葉をいつも心に留めています。「種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは,あなたがたにも種を備え,それをふやし,そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである」。真の認識を示し,いま行なわれている霊的な種まきと刈り入れのわざの増大に努力をかたむけている人々は,パラグアイの野外で多くのよい経験を楽しんでいます。支部の僕はその経験のいくつかをつぎのように報告しています。
もっと多くの人が開拓者になるようにとの協会のすすめに積極的に応じたために,アスンシヨン会衆にはよい結果が生じました。「デスペルタッド!」(目ざめよ!)の特別注文が行なわれました。いつもの数の3倍です。40人の伝道者のある会衆は,巡回の僕の訪問を機に,10人が休暇開拓をする目標を立てました。はたして25パーセントがそれに応ずるでしょうか。ところが応じたのはそれ以上でした。計12人がその月に休暇開拓を楽しみ,平均121冊の雑誌を配布しました。ある家族は,家事が多すぎるので,家族全部が休暇開拓をしたくてもできないと考えていたので,宣教者の家のようなぐあいにしたらどうかという提案が出ました。その土地の宣教者から兄弟は料理を習い,家族全員が当番で料理をするようにして,その月に家族全部が開拓奉仕に参加しました。この熱意の結果何千という雑誌が配布され,50の新しい聖書研究が始まりました。まったくのところ,楽観的であることと,前もって準備することは,よい結果を生み出します。
私たちは,広大なチャコ地域に,良いたよりを浸透させ得たことを報告するのを喜びとします。家畜と,インディアンと,わずかの丈夫なパラグアイ人の労働者と兵隊の住むこのだだっぴろいかん木地帯は,現在にいたるまで御国の音信に接したことがないといっていいくらいでした。その恐れられている地方のある行商人が,アスンシヨンに仕入れに来たとき,ある姉妹の宣教者の司会する聖書研究に偶然出席したのが事の始まりです。彼の受けたプロテスタントの訓練は,その宣教者の用いた聖句や教える方法に対抗することができず,彼はエホバの証者と他のすべての宗教団体の間にほんとうに違いがあることを悟りました。熱意に燃えた彼は,多数の本をたずさえてチャコに帰り,ロバに車をひかせて商売に回る時,恐れなくその本を配布しました。チャコの数少ない遠い所にある郵便局の一つにくるたびに ― だいたい3ヵ月毎に ― 彼は,いろいろな経験を書き送り,文書を注文しました。おどしや,むずかしい生活環境にもこの善意者は少しもひるみません。そして正規の御国伝道者として報告したいという希望を告げてきました。献身と浸礼にも関心をもっています。ですから,支部の大きなパラグアイの地図の上に留めてある黄色いピンは,現在チャコで御国活動が行なわれていることを示しています。そのさばくが,霊的に「よろこびて
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