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  • たたかれる妻/たたかれる夫 ― その背後にあるのは何か
    目ざめよ! 1979 | 8月8日
    • カウンセラーのパウル・シェーナーによると,打ちたたかれる妻は,夫に「沈黙療法」を与え,「力の駆引きをしている」場合があります。その沈黙は下手な事を言ってはいけないという恐れから来ていると主張する妻たちもいますが,「それでも,男性はそれを力の戦術とみなす」とシェーナーは説明しています。シェーナーの結論はこうです。「この二人の人間は,非常に長い間,話し合っておらず,本当に意思を通わせていない」。結婚している人々は,自分の結婚生活において,意思の疎通は正常なものだろうか,と自問してみると良いでしょう。

      暴力を振るう女性?

      妻を殴る夫について聞くのは珍しくありませんが,妻にたたかれる夫は多いと思われますか。暴力に訴えて,家庭内暴力の問題を大きくしている妻は大勢いるのでしょうか。その通りなのです。

      社会学者のスーザン・ステインメッツはこう語っています。「報道されることの一番少ない犯罪は妻を殴ることではない。それは夫を殴ることである。……平手打ちをしたり,たたいたり,押したりするなど,ちょっとした実力行使をするという段になると,男女間の実質的な相異はないようである。たたかれる妻という現象の見られるのは,男性のほうが攻撃的だからではなく,ただ男性のほうが身体的にもっと力があるようであり,より大きな害を加えることができるからである」。

      夫がたたかれたという話をあまり耳にしない理由はここにあります。警察署へ行って(あるいは電話をかけ),がっちりした巡査部長に,「家内に殴られた」などと口に出せる夫はどれほどいるでしょうか。しかし,多くの妻たちはまさにそうした暴力を振るっているのです。夫は妻よりも小柄だったり,年を取っていたり,虚弱だったり,病気でさえあったりするかもしれません。また,たとえ自分を守るだけの力があったとしても,騎士道精神から,あるいは本気になってしまうと妻をひどく傷付けかねないという恐れから,自分を守ろうとしないのかもしれません。

      夫の暴力を声高に非難する妻の中には,自分の落ち度を見過ごしている人もいます。例えば,妻は夫が夫婦名儀の口座ではなく,夫名儀の口座に入金したことを知ります。その結果生じた言い争いの際に,妻は夫を平手打ちにします。数週間後,夫をののしったり,性関係を拒んだりして,今度は妻のほうが悪いように思え,夫は怒りにまかせて妻を殴ります。確かに,体にあざが残っているのは妻のほうかもしれません。しかし,双方とも暴力を振るったという罪があるのではありませんか。6ページに掲げられたコニーの例を思い起こすとよいでしょう。妻の暴力は,爆発を引き起こす火花のようなものとなることがあります。

      自分よりも力のある夫が,自分を虐待した場合に,妻はどのような反応を示すでしょうか。多くの場合に,深なべ,花びん,ナイフ,あるいはアイスピックなど,手近にある武器をつかんで,それを使いますが,それは悲劇的なことです。身長157㌢,体重50㌔のロクサン・ゲイの身に起きた事を考えてみましょう。1977年の新聞各紙によると,この婦人は夫が自分を荒々しくたたくと言っては,幾度も警察に電話を掛けました。その夫は,フィラデルフィア・イーグルズというフットボールのチームの守備側エンドを務める,身長195㌢,体重120㌔のブレンダ・ゲイでした。とうとう,けんかの最中に,この小柄な妻はナイフをつかみ,夫の首筋を刺してしまいました。警察はその夫が血の海の中で死んでいるのを見付けました。

      何ができるか

      たたかれる妻やたたかれる夫という問題の背後にある幾つかの点を今まで考慮してきました。不和の根源は人間の不完全さにあり,それは,暴力を振るうようになる傾向はだれにでもあるということを意味します。現代の生活でわたしたちの直面する数々の欲求不満のために,その可能性はまぎれもないものになります。嫉妬や憤りなど自分の感情を制御する能力に欠けることも,暴力行為へと人を走らせます。家庭内暴力は大抵,アルコールの影響の下で起こります。また,配偶者虐待の罪は,男女双方にあるということも見てきました。

      家庭内暴力の原因に関するそのような洞察も大切ですが,さらに多くの事柄が必要とされます。この問題は広く行き渡っているので,わたしたちは断固として,この問題を未然に防ぐか,解決するよう努めねばなりません。次のような質問を考えてはいかがでしょうか。腹が立ったときどのように行動したらよいだろうか。アルコール,金銭,あるいは自分の職業に対する自分の見方が関係しているだろうか。すでに家庭内に暴力が君臨している場合,離婚するのが最善の策だろうか。人の人格や反応を本当に変化させるのに,聖書は役立つだろうか。続く幾つかの記事は,そのような質問を扱っています。

  • 警察や裁判所は解決策となるか
    目ざめよ! 1979 | 8月8日
    • 警察や裁判所は解決策となるか

      家庭内暴力が広く見られるのを知っていることと,それに巻き込まれないようにすることとは別問題です。その背後にある原因の幾つかを知ることと,家庭内暴力に対処したり,自分の家庭でそれを未然に防いだりする方法を知っていることも,やはり別問題です。

      暴力沙汰とは縁のない家庭で暮らしている人は,警察を呼べば解決するだろうとか,もし必要なら離婚すればよいと簡単に言うかもしれません。しかしそれほど簡単な問題なのでしょうか。

      虐待された妻(や夫)の多くは,それと知りつつ,配偶者の残虐行為に目をつぶって一緒に居ることを選びます。なぜでしょうか。ある人にとって,それは子供たちのためです。暴力沙汰はあっても,崩壊した家庭よりはましだと考えるのです。性のパートナー,つまり相手を失い,一人で生きてゆかねばならなくなるのを恐れる人もいます。次に起きるであろう報復に対する恐れにしばられている人も少なくありません。残忍な仕打ちを受けた妻たちの中には,夫に対する愛を捨てかね,夫は変化するだろうとの希望に力付けられている人もいます。また,自分で生計を立ててはゆけないという心配にとりつかれている人も大勢います。

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