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  • 求人市場に殺到する女性
    目ざめよ! 1977 | 12月22日
    • 求人市場に殺到する女性

      一世代ほど前,小さな女の子に,大きくなったら何になりたい,と尋ねたら,「お母さんになりたい」と答えたでしょう。今日,アメリカで同じ質問をするなら,おそらく「大統領」とか,「宇宙飛行士そしてお母さん」というような答えが返ってくるでしょう。

      以前は,幼い子供を抱えた母親が職場に出て働けば,気の毒がられるか批判されるかのどちらかでした。しかし女性の態度に大きな変化が生じ,今では,「単なる主婦」であればそのことを弁解する女性がますます増えています。

      アメリカでは現在,成人の女子全体の47%以上が家庭の外で働いており,その数は急速に増加しています。アメリカの総労働力の約40%は女性です。1976年だけでも,150万という新しい女性グループが職場に進出しました。

      この求人市場への女性の殺到に,経済学者たちや労働省の予報官たちは驚いてしまい,それを「異常なこと」,「今世紀における最も顕著な現象」と呼びました。少なくとも1985年くらいまでは,総労働力の40%以上を女性が占めることなどない,と考えられていたのです。

      ほかの国々でも同様です。ベルギーでは,保健省のある役人が,シラミ,ノミ,ゴキブリなどが増えていると言われるのは,主婦が家庭をよそにして働いているせいだとし,「近ごろは夫婦そろって朝仕事に出かける家が多くなった。そして夕方帰宅したときには,たいてい家の掃除を始めることができないほどに疲れている」と言いました。

      イスラエルでは,女性が軍事教練の教官になります。ある教官は,「私が小隊の先頭になって三キロの距離を走り抜くと,落伍者は一人も出ない」と説明しました。「部下はやる気を出す」というわけです。

      アメリカの観察者たちを驚かせているのは,働くことを急に希望するようになった女性の数だけでなく彼女らの年齢です。特に過去二年間に最も著しい増加をみせたのは,25歳から44歳までの年齢の女性,普通なら家庭にいて育児に携わる年齢層です。それらの女性の中に職業を持つことを選ぶ人が多いのです。養ってくれる夫がいないのではなく,「単なる主婦」であることよりも,家庭の外で働くほうが好きなのです。

      揺れ動く振り子

      近年の求人市場における女性のパターンは,揺れ動く振り子のようでした。第一次世界大戦前は,女性が家庭の外で働くことはまれなことで,働いたとしても,女性向きと考えられる仕事だけをするのが普通でした。タイプを打つことや秘書の仕事でさえも,1880年代の末ごろまでは,絶対に男の仕事と考えられていました。しかし第一次世界大戦で労働力が必要となり,女性が大挙して労働市場に進出しました。それから1929年に経済恐慌が臨み,全国を襲った失業の波の中で真っ先に解雇されたのは女性でした。

      第二次世界大戦は,女性をして一層劇的に国の総労働力に加わらせ,その数は記録的なものになりました。男子にしか向かないと以前考えられていたあらゆる種類の仕事を行ない,戦争物資を大量に生産しました。「リベット工のロージー」は時の国民的ヒロインになりました。しかし平時になると,軍需工場は閉鎖され,幾百万もの帰還兵に職を与えるため女性は解雇されたので,多数の女性がまた家庭に戻りました。

      家庭に戻ることを喜んだ女性は少なくありませんでした。国の精神も大きく変わり,職業に就くことを女性に勧めなくなりました。戦時中の働く女性の記録的数字 ― 女性全体の約37% ― は,20世紀最高の結婚および出産率に取って代わられました。しかし,働く女性の数は1950年ごろからまた増えはじめ,1962年までには,第二次大戦中の記録的水準に少し足りない36%にまで戻りました。そして今では47%を上回り,上昇の一途をたどっています。

      そのために次のような疑問が生じ,激しい議論が戦わされています。女性はどこに属するか。家庭か職業か。それともその両方か。しかしこの点を考えてみる前に,多数の女性が求人市場に進出している理由を調べることにしましょう。

  • 女性が職を求める理由
    目ざめよ! 1977 | 12月22日
    • 女性が職を求める理由

      社会学者たちは,女性が家庭の外に職を求める理由を幾つか挙げます。特に現代の女性は,ひいおばあさんのころに比べて家事が少なくなりました。平均寿命は長く,子供の数は少なくなり,労力の省ける器械や新しい便利な食品が登場したので,現代の女性は,一番下の子が学校に上がる35歳くらいになるともう一日の時間をもてあますようになります。

      子供がみな学校に上がったあとや,みな大きくなったあと家庭の外で働くことは,多くの女性にとって一つの解決策になりました。その結果,アメリカでは働く女性の平均年齢が,1900年の26歳,1950年の37歳に比べ,1962年までには41歳になっていました。

      急上昇する離婚率 ― アメリカだけでも毎年100万人以上の女性が離婚する ― も,女性を職業市場に駆り出しています。多くの場合彼女らは生活のためにどうしても働かねばなりません。最近のある調査によると,裁判所の定める養育費は,きちんと支払われても,当の子供たちを育ててゆくのにかかる費用の半分以下というのが普通です。現在,労働者総数に含まれる女性三人につき二人近くが,離婚したか別居した女性ですが,その理由はこれで説明がつきます。

      さらに,友達や近所の人,そして自分の親までが離婚するのを見ているので,現代の女性の多くは,自分もいつか自活しなければならなくなるかもしれないので,その可能性を考えて計画を立てるほうが,慎重なやり方ではなかろうか,と考えます。夫が生涯養ってくれることを当てにするのは現実的だろうか,と彼女たちは言うでしょう。ですからある女性は,結婚後も続けて働くことを一種の保険とみなしています。40歳くらいになって離婚し,養わねばならない子供たちを抱えながら頼りになる職業技術も職歴もないといった有様にならないためです。

      多くの既婚女性が職を求める別の理由は,夫の給料を補うことにあります。ひどいインフレのため,必需品を買うのに余分のお金を必要とする家庭もあります。またぜいたく品を買いたいだけの人もいます。主婦が働かなければそれは買えないわけです。あるいは,夫だけでは維持できないレベルに生活水準を上げたくて働く人もいます。

      もし夫の仕事が季節的なもの,あるいは時々一時解雇になるものであれば,妻の収入は安定性のある経済的ささえとなり,家族は苦境を乗り切ることができます。ほとんどの女性は,建築や製造業など昔から男性が支配してきた分野ほどに速く失業による打撃を受けることの少ない,サービス関係の職業に就きますから,特にそういうことが言えます。

      一つの支配的影響力

      以上の事柄が多数の女性の就職を促す原因となっていることは事実ですが,この傾向を生んだ主な原因は女性解放運動にあるようです。この運動が前面に持ち出した概念が原因となって多くの女性が,そして同運動と直接には関係を持たない女性までが,家政を行なうことへの不満を表わし,自己の主体性と独立を求めました。彼女たちは自分の家族の外の世界とかかわりを持つことを望みます。

      一部の女性にとっては,婚姻自体が,新しい道徳を有する現代の世界においてはもはや実行しにくい制度として消滅しかかっているように思えるのです。また,子供の養育という女性の伝統的役目を拒否する人の数も増えています。アメリカにおける出生率はこれまでの最低で,1957年には一家族当たり子供3.7人だったのが1975年には1.8人にまで低下し,1976年にも急激な下降の傾向をたどりつづけました。

      1950年代には母親たちは,新生児や就学前の子供がいる間は家庭にとどまり,子供が学校に上がってから職につく傾向がありましたが,今では,それまで待とうとしない女性が多くなっています。幾分孤立した,そして他の者に仕えることに重点が置かれる妻また母親の生活は,今日,多くの女性にとって時代遅れで,退屈で,限られたものに思えるようです。

      「最初の娘が生まれたとき私は,この娘を産んで私自身は死んだのだ,と思いました。外の世界とのつながりを持つ独立した人間としての私はそこで終わったのです」と,二人の子供を持つ,働くことに慣れていた大学卒のある若い母親は言いました。

      この人は,全時間を妻また母親として過ごす生活への適応を,つまらない憂うつなものと思いました。「自分で物を作ってお金を節約する方法を説明した記事を婦人雑誌で読んでから,私はまた働きに出る気になりました。仕事を持っているほうが収入が多いことに気づいたからです」とその人は言いました。そして,一人は生後数か月しかたっていない幼い娘二人の世話を家政婦にまかせて,仕事に戻りました。

      地位に関するかぎり主婦は「最低」という見方も,多くの女性が職を求める原因になっています。「もし家庭にとどまると,頭が悪くて職に就けないからだ,と人に思われるのです」とある若い妻は説明しました。また,職業を持つことを妻に勧める夫も増えています。ある夫は,最初の子供が生まれるとすぐに,気の進まない妻に仕事に戻ることを促しました。なぜでしょうか。

      「一部は私のわがままが関係しています。家に帰ったとき,ニンジンの値段が倍になった,というようなことを聞きたくないんです」と彼は言いました。妻が家庭にとどまると,最後には退屈でうんざりさせられるような女になってしまうことをその人は恐れているのです。そしてこう説明します。「私は妻の母親のことをよく考えるんです。義母は以前は理知的な女性だったんですが,最近は彼女が少しでも気のきいたことを言うのを聞いたことがありません。義母は家事以外のことは何もしてこなかったので,頭がだめになってしまったんです。私は妻にそういうふうになってもらいたくないんです。食べ物を煮るとか,つぶすとかいった,妻が赤ん坊のためにする仕事のほとんどは全く機械的な仕事です。その仕事を上手にすることに少しの誇りは持てるかもしれないけれども,私はそれを非常におもしろい,あるいは興味の持てる仕事とは思いません」。

      女性の伝統的な役割に対するそのような態度が及ぼす影響は,次の二つの調査を比較してみると分かります。女性解放運動が一般の女性に大きな衝撃を与えていなかった1960年代の調査では,調査の対象になった女性の72%までが,主婦としての自分の仕事が本当に好きだ,と言っています。掃除のように骨折り仕事とされている仕事でも,楽しい,または気にならない,と言う人がほとんどでした。しかし最近行なわれた調査では,家事をするのも「たまには楽しい」と言った女性は,調査の対象になった女性の約半分にすぎませんでした。

      しかし,仕事の責任と家を整える責任とを持っている妻また母親はどう感じているのでしょうか。それは彼女らに満足と幸福をもたらしているでしょうか。

  • 働く女性が遭遇する問題
    目ざめよ! 1977 | 12月22日
    • 働く女性が遭遇する問題

      新聞の見出しは,女性が,以前ならほとんど男性だけによって占められていた魅惑的で高給の職に就いていることをしばしば報道します。一国の大統領,政府の閣僚,テレビ中央局のアナウンサー,株式仲買人などになる女性もいます。しかし大多数の女性が,昇進の機会のまずない,給料の少ない,地位の低い職業に就いていることは事実です。

      法的闘争で勝利を収め,雇用面で女性を差別することは連邦の法律で違法とされているにもかかわらず,雇用状況は女性にとって悪化しており,良くなってはいないのが実状です。昨年のこと,全アメリカ女性連盟は,「進歩? 何が進歩か。わたしたちは後退している。現状維持さえできていない」と述べました。

      最近の政府の統計によると,一般の男子と女子の間の収入のギャップは,過去20年間開く一方で狭まってはいません。アメリカでは,年間収入一万ドル以下の女性が,働く婦人全体の80%を超えています。これに対し男子は全体の38%にすぎません。米国勢調査局によると,大学卒の女性の中にも,大学卒の男子の収入のわずか60%しか得ていない人たちがいます。さらに,ニューヨーク市の一調査機関の報告によると,今から1985年までの間に増加する女性の職場の三分の二は,ちょっとした事務の仕事で,給料も依然として男子のそれをかなり下回るだろう,ということです。

      このすべてが意味するところは,経済的に独立できるだけの高給が得られるおもしろい職を見つけることを望んでいる女性は,失望するかもしれないということです。手仕事や召し使いがするような仕事しか見つからないかもしれないうえに,自分が働いている間の子供の世話を人に頼めば,赤字にならないまでもかろうじて収支がつぐのえるだけの状態で終わるかもしれません。というのは普通ほかにもいろいろと出費があるからです。交通費,外での昼食,通勤着,値段の高い便利な食品,クリーニング代,美容院に通う費用なども,給料に大きく食い込みます。

      職場での問題

      さらに労働環境も,女性の神経をすり減らすことが少なくありません。陰口,事務所内の政治運動,また骨肉相はむ商業界の競争と不正などは,多くの女性にとってはいやなものです。風紀も良いとは限りません。職場の男子従業員や上司から性的いやがらせの経験を持つ女性は少なくありません。

      コーネル・ヒューマン・アフェア・プログラムはこの問題に関して調査を行ない,調査の対象となった女性の92%が,職場での性的いやがらせを深刻な問題としているのを知りました。また完全に70%がそれを個人的に経験したと言いました。調査の示すところによると,彼女らの言う性的いやがらせ,すなわち絶えず気味悪い横目や流し目を使う,抱き締めたりつねったりする,体をすりつける,言いなりにならねばくびにされるという恐怖を利用してみだらな誘いをかける,それどころか強制的に性行為をさせるといったことまで,職種,年齢,既婚未婚,給料の多寡を問わず,あらゆるところで生じています。

      家庭はどうなるか

      働く母親の多くが抱えている別の問題は,職場で働いたあとの疲労です。家に帰れば,まだしなければならない事がたくさんあります。多くの場合,外で働いて余分の責任を担うようになっても,その分だけ夫が家事を助けてくれるわけではなく,妻が職についていなかったときと変わりません。

      一例として,1976年にミシガン州,デトロイト地方の女医を対象に行なわれた調査を考えてみましょう。それによると,女医四人のうち三人は,全時間医師として働くほかに,家族のための食事の準備,買い物,子供の世話,家計の管理などを全部行なっています。そのうちの三分の二は,週に一日か二日せんたくと掃除をしてもらうためにお手伝いさんを雇っていますが,あとの三分の一は自分で家事一切を行なっています。

      人力では担えそうもないそういう重い荷を長期間担おうとするなら,その人は精力の消耗という深刻な問題を抱え込む可能性があります。それを試みた人たちは,どうしても家事が犠牲になることを率直に認めています。仕事を持つある母親は,乾燥機から出したタオルを今ではたたむ時間を節約して,シーツ類を入れる戸だなに文字通り放り込むのです,と言いました。また,以前はハンカチにアイロンをかけないと不平を言っていた夫が,今は私が働いているので,乾燥機から取り出して自分の引き出しに入れてくれるだけでも喜んでいます,と言った女性もいます。

      子供たちはどうなるか

      多くの夫は,以前妻に期待していた事を今はかなり見逃してくれるかもしれませんが,働く母親にはもう一つ,見て見ぬふりをするのがむずかしい問題があります。それは子供たちが必要としているものです。大切なのは子供と過ごす時間の量ではなくて質だ,とお母さんたちは主張するかもしれません。それにも真理があります。しかし,仕事を持つ母親は,子供と共に過ごす時間の質と量が両方とも犠牲になるほど疲れきってしまわないとは言えないのです。

      主婦に働くことを勧めるある本の筆者たちは,仕事を持つ母親にこの問題があることを認め,子供たちが帰宅した母親を迎えに出てその日のことを話したがるとき,次のようにすることを提案しています。「ママが一人でおへやに入って気分を変え,しゃんとし,服を着替え,そしてたぶん急いでマルチニカクテルを一杯飲むでしょうから,それまで15分ほど,お口をつぐんでいてちょうだい,とかわいいえくぼの顔に言いましょう。必要ならドアにかぎをかけます。わたしたちに関する限り,これは仕事を持つ母親すべての予定表の非常に重要な部分です」。

      しかしこの助言は次のような問題を含んでいます。つまり仕事を持つ母親が子供の相手をしようと思うときには,子供は親から離れているということです。一部の親はすでにそのことを経験しています。自分にとって大切なことを母親と話し合いたいというその貴重な真剣さは失われて,沈黙の垣がそれに取って代わります。

      職業婦人の精神的かっとうを専門に研究している一精神病医は,子供たちは母親が働きに出るのをいやがると述べています。「父親が家にいないことについて不平を言う子供はめったにいないが,母親が家にいないとおおっぴらに怒りを表わす。母親は自分たちだけのものであって欲しい,と子供たちは考えている」と言っています。

      この精神病医の主張によると,職業婦人は,女性解放運動の影響で,どんな形でも人に頼ることががまんできなくなりました。「子供を持つ職業婦人にとってはそれは,子供が生まれるが早いかおとなのようであることを子供に期待することを意味する。子供にも自分のように才覚と自主性のある者であることを望むのである。しかし子供たちはそれにはついて行けない」。

      主婦である一人の母親が指摘した通り,注意を必要とするのは小さな子供だけではありません。この母親には,大きくなった二人の子供と,まだ家にいる16歳の息子がいます。「親は子供をつっついて,子供やまたその日に子供たちにあったことに本当に関心のあることを示さねばなりません。子供は自分からは言いません。そしてもし親が家にいてそうした事柄を子供と話し合わないなら,子供はだれかほかの人を探してそれを打ち明けるでしょう。子供が,不道徳なまたは未熟な人を選んでそれを打ち明けないとだれが言えるでしょうか」。

      その母親はさらにこうつけ加えました。「この近所に二人の娘さんがいますが,その人たちのお母さんは働いています。学校が終わるとよく私の家に遊びに来て,家の人がだれか帰って来るまでここにいます。その娘さんたちはお母さんには言わないことをいろいろわたしに話します。それをお母さんに話したら,と言うと,うちのお母さんはとても忙しく話なんか聞いてくれない,と言います」。

      成功した女性の持つ問題

      ある女性は実業界で非常な成功を収めます。多くの収入を得,相当の影響力を持ち,仕事仲間から尊敬されます。しかしそういう仕事を持つ場合は往々にして時間外勤務はおろか出張までしなければなりません。母親であればこれは子供だけでなく夫をも後に残して行くことを意味します。それでも残業や出張を断われば職を失いかねません。

      つい最近まで伝統的に“男子だけ”の職とされていた米国株式取引所取締役となったある女性は,時間の30%以上を出張に費やさねばなりません。この人には双子の娘がいてまだ赤ちゃんです。どういう方法をとっているのでしょうか。昼間は家政婦を頼み,出張旅行中は夫が仕事から帰って来て子供の守りをします。旅行中の一日の平均労働時間は,午前6時から午後11時まで ― これは身体的に子供たちの近くにいたとしても,母親としての仕事をする時間を含まないスケジュールです。

      そういうわけで,本当の「職業婦人」になると,家庭と家族はどうしても二の次になってしまいます。その理由を人類学者のマーガレット・ミードは次のように指摘しています。「幼い子供や夫の世話また家事を怠らないことと,職業に心を打ち込むこととは両立しない。良妻賢母の生き方と,優秀な科学者,芸術家,または管理職のそれは極めて対照的である」。

      家庭の外における職業と家族の世話とを両立させようとする試みは,しばしば悲惨な結果に終わっています。結婚に破たんをきたしたある女性はこう説明しました。「私の場合,仕事が恋人のようになってしまったのです。職業が私の生活の中で重要な位置を占めているというのは,それが私の生活のすべてだからです」。

      しかし,働く女性で,一つの職業に没頭してはいない人でも,仕事が夫婦の関係にどんなに深い影響を及ぼすかを認める必要があります。結婚してから20年後に仕事に戻ったある婦人は,「リュウは私が家にいないので,とても淋しい思いをしているようです。……私も今は,『かばんに必要な物を入れてくれ』と言われると,『自分のかばんくらい自分でつめればいいのに』と思うようになりました。以前はそういうふうに考えたことはありませんでした。これが自分の役目だと思っていたので,いつも喜んで手伝っていました」と語りました。

      そこで再び次の問いに戻ることになります。女性はどこに属するか。家庭か。職場か。女性の正しい役割は何か。

  • 女性の就職は是か非か
    目ざめよ! 1977 | 12月22日
    • 女性の就職は是か非か

      伝統的に言って,女性は外で職に就くのではなく,家庭を守るものとされてきました。「男は日の出から日没まで働けばよいが,女の仕事にはきりがない」と言われるとおり,昔は,家庭内に女性のする仕事がたくさんありました。

      女性は今でも家庭にとどまるべきだと論じる人もいますが,多くの場所で,事態は著しく変わりました。例えば,米国の夫婦の47%は共働きです。

      子供を持つ主婦でさえ多くの場合勤めに出ています。事実米国では,18歳未満の子供のいる主婦のほとんど半分が職に就いています。そして,学齢期に達していない子供を持つ女性の三分の一も,家庭外の職場で働いています。子供たちの世話は託児所任せというのが,現在一般的になっています。

      米国労働省は,この著しい変化を指摘して,「夫がただ独りの稼ぎ手で,妻は労働力とはみなされない主婦で,それに加え多くの説明的な目的に役立つ子供たちがいるという家族の概念は,1970年代半ばの典型的なアメリカ人家族を表わすものではない」と伝えています。

      こうした事態は望ましいものですか。女性が職を持つのは最善のことと言えますか。その人が結婚していて子供を持っている場合はどうですか。

      就職するのが必要と思われる場合

      今日,家庭の外に出て働く必要に迫られる女性は少なくありません。例えば,夫と離婚したり,別居したりしている女性は幾百万人もおり,その中には扶養すべき子供のいる女性もいます。職に就くことが生計を立ててゆく唯一の道である場合もあるでしょう。他の多くの女性は独身で,結婚することを期待していますが,そうした女性は生活してゆくために職に就かねばならないのが普通です。しかし,夫がおり,子供までいるような女性の場合はどうですか。

      物価の急騰する昨今,そうした人々の多くも就職する必要があるかもしれません。夫は家族を扶養してゆくのに十分な賃金を得られない場合があります。(ヤコブ 5:4)ですから,そのような人の妻は,家庭の外で職に就くよう求められることでしょう。しかし,今日の家族の多くは,本当に二人の稼ぎ手を必要としているでしょうか。

      そのように考える人もいます。米国公務局の一パンフレットによると,1970年に,「約2,100万人の女性は,自分および自分の家族が生計を立ててゆく上で,食費,被服費,および住宅費に当てるお金を必要としていたので,働いてい」ました。筆者はさらにこう述べています。「この数字は,依然としてある人々の信じている神話を打ち砕いて然るべきである。この国の女性の大多数は,仕事が好きだから,あるいは余分なお金が欲しいからという理由だけで働きに出るというのがその神話である」。

      子供を持つ母親の中には,たとえ夫がいる場合でも,生計を立てるのを助けるために働かねばならない人もいるに違いありません。そのような既婚婦人の行なっている事は,妻が夫の「助け手」になるという神の目的と調和しています。(創世 2:18,新)しかし,夫と妻が,中でも子供のいる夫婦が,共に考慮しなければならない重大な問題は,妻がどうしても家庭の外で働かねばならないかどうかという問題です。

      母親が本当に働く必要があるか

      これは確かに重要な質問です。子供は,多くの人が想像するよりもはるかに母親を必要としているからです。創造者は,子供を産めるように女性をお造りになりましたが,さらにそれ以上のことも行なわれました。創造者は結婚と家族の取り決めを創始し,母親が子供に乳を飲ませ,子供の真に必要としている優しい世話を与えられるような備えをされたのです。(マタイ 19:4-6。テサロニケ第一 2:7)夫婦がこの事実を十分に認識すれば,二人は母親が家庭で子供と共に過ごせるよう生活様式を調整することでしょう。

      一人の若い女性は自分の生い立ちを思い浮べ,母親のより身近かな導きと交わりがあったら,物質的にずっと乏しくても満足できたであろうと強く感じました。その女性はこう説明しています。

      「家を離れてから,私よりもずっと貧しい家庭で育った女性と少しの間一緒に生活しました。その女性は,必要だと思える物と本当に必要な物との違いを本当によく教えてくれました。彼女は豆料理とトーチラスそして古着で満足していました。私はそうした物に慣れていませんでした。お陰で,以前よりも倹約することを学び,自分の家族が本当に必要とする以上にお金を使っていたことに気づきました。

      「物質面でもっとわずかな物で満足していたら,母は家庭内にとどまっていたかもしれません。私の姉妹のうち二人は大きな問題を起こしてしまいました。一人は麻薬に走ったのです。それでこんなことを考え続けました。もしだれかが家にいて,妹が何をしているかよく把握していたらどうだっただろうか。子供たちは一日中,学校で世にさらされているのです。親が家におらず,お菓子を焼くなど,物事を一緒にしながら自然な仕方で子供と話し合えないなら,どうやって親は世の影響すべてを相殺できるというのでしょうか」。

      これは親が真剣に考えてみるべき事柄です。今日,問題に巻き込まれる子供は増えており,その大きな要因は,確かに母親が働きに出ていて家にいないことにあります。ジャーナリストというやりがいのある仕事を持っていた一女性は,「私は戦闘的な女権論者ではありませんでしたが,子供の世話をするよりも仕事の方が大切だ,という女性運動の考えを受け入れていました。子供の世話は骨折り仕事と思えたのです」と語りました。しかし,この女性は自分の息子の世話をするため退職し,少しの調整期間を経た後の現在,むしろ主婦であることに喜びを見いだしています。

      すべての母親が仕事を全くやめてしまうことはできないかもしれませんが,少し譲って,パートタイムの仕事に就けるかもしれません。そうすれば,子供が学校へ行っている間だけ家を空けるようにできるでしょう。女性がパートタイムの仕事を捜す場合,小さな会社,非営利団体,銀行,商店,税理士事務所,一時代理店,その他多くの女性を雇っている会社を当たってみると良いでしょう。

      どうするか決める

      これは,子供がいなければ,妻が望む場合,女性は家庭外の仕事を持つべきだという意味ですか。必ずしもそうではありません。それは夫婦が考えて決定しなければならない問題です。中には妻が職に就くのを不快に思い,自分が家族のただ独りの稼ぎ手であることを好む主人もいます。そのような人にとっては,妻が家庭を十分に世話することの方が重要なのかもしれません。妻が家庭を十分世話するなら,大抵の場合,全時間の職に就くことはできません。

      子供が成長してから働きに出た一人の女性の夫は,そのような人でした。彼女はこう説明しています。「私は夫がその事態にいらだっているのに気づきました。私たちは結婚して何年もたっていたので,そのぐらいのことはすぐ分かりました。そこで,私たちは問題を話し合い,私はすべてを取捨選択せねばなりませんでした。この職に就いたのは,単に自己満足に浸るためだったのでしょうか。私は自分の稼いだ額と同じほどのお金を家政婦に支払っていましたから,この仕事は経済的には何の役にも立っていませんでした。……私は自分の職を断念することを不快には思いませんでした。ハルが負っている重荷を考えれば,ハルには内助の功が必要とされているのです。それを必要としていない人がいるでしょうか」。

      しかし,多くの女性が,職に就かねば満たされない,と感じているのはなぜですか。その主な責任は現代になって広められた情報にあります。前述のとおり,世間の目から見て,家事は地位あるいは威信を失いました。家庭だけにとどまる主婦は,大抵の場合,どこか足りない所があって,仕事にも就けないのだ,とみなされます。しかし,そうした見解は誤りです。家事を上手に成し遂げるには,本当に技術が必要です。

      ちょっと考えてもごらんなさい。主婦は,インテリア・デザイナー,教師,秘書,看護婦,メイド,洗濯屋,そしてコックとしての才能を兼ね備えていなければならないのです。ある権威者は,「家事の複雑さ」について語り,「家事は,一人の人が処理するよう求められる業の中で,最も複雑で多くの面を持つ活動に相違ない」と述べました。非常の場合に家事を行なう必要に迫られたことのある夫は,家事をりっぱに果たすのは決してやさしい仕事でないことを認識しています。

      しかし,妻は,家庭内での自分の働きが本当に感謝されており,重要であることについて絶えず激励されねばなりません。ある女性の語っているとおりです。「家にいるときはいつも,『自分は役に立つ人間なのだ』とつぶやいています。しかし,『本当にそうだとも』と言ってくれる人はいません」。ですから,特に現代において,良い夫は,帰宅したときに家が清潔で気持ちの良い所となっていることで妻をほめます。それは賢明なことです。その上,良い妻の業に関して聖書が長々と描写していることからも分かるとおり,家事を取りしきってゆくのは容易なことではないのです。―箴 31:10-31。

      確かに時代は変わりました。事態は昔と幾らか異なってきており,より多くの女性が家庭の外で職に就かねばならなくなっています。しかし,女性に「家事にいそし(む)」よう勧める聖書の言葉に従うなら,より安定した,より幸福な家庭生活を享受できるでしょう。―テトス 2:3-5。

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