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  • 結婚の譽を支持する
    ものみの塔 1961 | 3月15日
    • パウロはあなたに向かって次のように言います,「あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを,知らないのか。それだのに,キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。それとも,遊女につく者はそれと(遊女)一つのからだになることを,知らないのか。『ふたりの者は一体となるべきである』と(創世記 2章24節の創造の記録)あるからである。しかし主につく者は,主と一つの霊になるのである。不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は,からだの外にある。しかし不品行をする者は,自分のからだに対して罪を犯すのである」。―コリント前 6:15-18,新口。

      31 キリストは,彼の霊的なからだの肢体と何をすることを同意しませんか。自分自身の肉に対して不道徳的な罪を犯すことは,どんな致命的な結果をもたらしますか。

      31 それで,キリストの霊的な体の一員が,男にせよ,女にせよ,異性の者と不道徳なことを行なうならその者はキリストの体の肢体をとって,不道徳な者と淫行や姦淫を行ない,その者とひとつの肉になります。キリスト・イエスは,遊女あるいは姦淫をする者とひとつになることに同意すると,あなたは思いますか。そのようなことは,一瞬といえども考えられません。道徳的に汚れた者とひとつの肉になっていながら,同時に主なるイエス・キリストと「ひとつの霊」であることはできません。道徳的に汚れた者と性的にひとつの肉になることにより,人は自分自身の肉に対して罪を犯しています。汚い,不正な肉的な結合によって,おそろしい病気がうつされると共に,肉体に致命的な他の影響をおよぼすでしょう。それで,クリスチャン会衆はその不道徳な者をサタンに引き渡して,「彼の肉が滅ぼされて」清い会衆の霊が主の日に救われるようにします。パウロは,当時のコリント会衆にいた近親相姦の者に対して,そうしました。「その悪人を,あなたがたの中から除いてしまいなさい」と使徒は権威をもって命じました。―コリント前 5:4,13,新口。

      32 同様に,献身しているがキリストの「体」の者でない人は,不道徳をする前に何を考えるべきですか。不道徳な者に対して,新しい世の社会は何をしなければなりませんか。

      32 たとえあなたが霊的な「キリストの体」の成員でなくても,神に献身している者で正義の新しい世に希望を持っているなら,不道徳をする前に自分がどんな者であるかを考えなさい。エホバの証者の新しい世の社会に属しているあなたの肉を,不道徳な者と「ひとつの肉」にすることを考えなさい! 新しい社会は,あなたが淫行者または姦淫をする者と「ひとつの肉」になる,つまり一体になることを許しますか。ぜったいにありません! もしあなたが新しい世の社会とその良い名前を尊重しないなら,神の御霊は,それをして不道徳を行なうあなたを尊重させないでしょう。それはあなたをその一部にかぞえることができません。なぜなら,あなたはそれと,それのになう神の御名に非難をもたらすからです。それで,あなたは他の者たちに対してつまずきの石になります。

      33 誰がこのことを真剣に考えるべきですか。どんな道で不道徳の結果を学ぶことをのぞんではなりませんか。

      33 このことは,外国の任命地に派遣されている宣教者の姉妹たちが真剣に考えねばならぬ事がらです。なぜなら,その外国の地の如才のない青年や男たちは,それらの姉妹たちを熱心に追い求め,宣教者たちがもたらした聖書の音信に興味を持つ振を示しますが,それから不道徳な提案を申し出て,宣教者の姉妹たちを軟化させようとつとめるからです。このことは,結婚適齢期に達し,ハルマゲドンの戦いの前か後に,神の祝福のもとに幸福で円満な結婚を夢みている献身したクリスチャン青年男女たちが,真剣に考えねばなりません。このことは,献身した新しい世の社会の成員全部が,誘惑にみちるこの堕落した不道徳な世界において,考えねばならぬ事がらです。このような世界にいて,私たちは神に道徳的な忠実を保たねばなりません。「つらい道」を学ぶことなどに努力してはなりません。

      34 それで,私たちは詩篇記者のどんな祈りをささげたいと感じますか。

      34 この事がらの重大性を深く考えてみるとき,なげかわしい道徳的なまちがいを犯した後に詩篇記者が述べた祈を,私たちもささげたいと感じます,「神よ,わたしのために清い心をつくり,わたしのうちに新しい正しい霊を与えてください」。―詩 51:10,新口。

  • 譽の中に結婚する
    ものみの塔 1961 | 3月15日
    • 譽の中に結婚する

      1 結婚の取極めについて,最近どんな質問が起きましたか。そしてどんな結婚の事実が考慮されますか。

      最近つぎのような質問が起きています。すなわち今日のインドとか昔のイスラエルの場合のように,両親が子供たちの結婚を取りきめる方が,息子や娘が自分の結婚配偶者を自分勝手に選ぶよりも,良い結果がえられるでしょうかという質問です。たとえばインドでは離婚はほとんど知られていせん。アメリカ合衆国では,ビーナスの息子,少年「キューピッド」が結婚を取りきめると言われています。しかし,全部の結婚の4分の1は合法的な離婚に終っているのです。合法的な別居,非合法でない別居はもちろん行なわれています。

      2 一つの国の結婚の取極めを他の国のクリスチャンたちに課すということについては,聖書的な例から判断して何と言えますか。

      2 献身したクリスチャン達について私たちは何と言えますか。アメリカ合衆国や欧州で行なわれている結婚の取極めの標準を,それとちがう結婚の習慣が行なわれている別の国の献身したクリスチャンたちに課さねばならない,と私たちは言うことができません。クリスチャン・ギリシャ語聖書中に書かれているものは,ユダヤ人の習慣を破っておらず,また禁じていません。イエス・キリストと最初のクリスチャンたちは,このユダヤ人たちから来たのです。ユダヤ人たちの習慣は,両親が子供たちの結婚を取り極めました。イサクの父アブラハム ― イサクは彼といっしょに生活してきました ― が,イサクのために神を恐れかしこむ花嫁を得たのは,イサクが実に40歳のときでした。イサクの息子ヤコブは,めくらの父親から彼に行先を教えられ,妻を得よと告げられたとき,77歳でした。しかし,ヤコブと双子の兄エサウは,40歳のとき自分勝手な結婚の取極めをもうけて,異教の妻たちと重婚をしました。しかし,従順なヤコブは,イサクからアブラハムの祝福をいただきました。

      3 両親についてパウロは子供たちに何を助言しませんでしたか。結婚についてパウロはクリスチャンの両親たちのどんな権利を否定しませんでしたか。

      3 結婚の助言を与えた使徒パウロは,両親を無視せよと子供たちに告げていません。彼は次のように述べました,「次に,未婚者たちとやもめたちとに言うが,わたしのように,ひとりでおれば,それがいちばんよい。しかし,もし,自制することができないなら,結婚するがよい」。(コリント前 7:8,9,新口)忘れてはなりません,やもめたちは結婚の取りきめを独立してつくることができる人々でした。彼らのためにパウロには次の言葉をつけ加えました,「情の燃え」て,淫行をするよりは「結婚する方が,よいからである」。それで,クリスチャン会衆内の「若いやもめ」たちについて,彼は次のように語りました,「彼女たちがキリストにそむいて気ままになると,結婚をしたがるようになり,初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである。〔性の衝動に支配され,それを彼らとキリストの間に入れたため〕その上,彼女たちはなまけていて,家々を遊び歩くことをおぼえ,なまけるばかりか,むだごとをしゃべって,いたずらに動きまわり,口にしてはならないことを言う。そういうわけだから,若いやもめは結婚して子を産み,家をおさめ,そして,反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。彼女たちのうちには,サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある」。(テモテ前 5:11-15,新口)両親の律法下にいないやもめの場合はのぞいてクリスチャンであるユダヤ人やギリシャ人の両親が子供たちのために結婚の選択と取りきめを設ける権利をもはや持たないなどとパウロは論じているのではありません。

      4 しかし,クリスチャンの両親は自分たちの権利を行使する際に,何を守るためにどんな原則に従って制御されねばなりませんか。

      4 しかし,キリストを通して神に献身している両親は息子や娘の結婚配偶者を選ぶという地方的な習慣や律法に従う権利を行使する際に,クリスチャン原則によって支配されねばなりません。アブラハムのように神の規則に服従しなさい。アブラハムは,エホバ神の崇拝者をイサクの妻にえらんで,アブラハムの約束の相続者である自分の息子の福利を守りました。そのようにして,彼は釣りあわぬくびきという重荷をイサクに負わせませんでした。

      5 (イ)サムソンは,ペリシテ人との結婚を取極めるよう父親に願いましたが,それはなぜ神の結婚の規則を破るものではありませんでしたか。(ロ)クリスチャンの父親は,自分の権利を不適当に行使するため,会衆の監督になる資格を持たない者とどのように証明しますか。

      5 今度は,イサクは神を恐れたヤコブが不信者の異教の女と結婚することを禁じ,彼を祖父ベトエルの家に行かせて花嫁を得させました。強い人サムソンは,不服の父親マノアに,異教のペリシテ人の女と彼との結婚をゆるすようにと主張しました。それはサムソンがペリシテ人の制度にはいって,これらの圧迫者たちに神からの報復を執行するためでした。それで,「それはエホバのはかられたものであった」。(シシ 14:1-4,新世)サムソンを支配したものは性でなく神が述べたもうた目的でした。すなわち,「彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。(シシ記 13:5,新口)それで,結婚をとりきめる地方的な権利にしたがうクリスチャンの両親たちは,エホバの神権制度内にいる献身したクリスチャンたちだけに自分の子供を結婚させねばなりません。かくして,これらの者たちを平等のくびき,神権的な夫婦のくびきの下に入れます。それ以外の他のどんな仕方のうちに,父親は子供たちを怒らせるのを避け,「ヱホバのこらしめと権威ある助言に従って子供を育て」つづけることができますか。(エペソ 6:4,新世)信者である息子や娘を献身していない不信者に結婚させて,不釣合なくびきを負わせるクリスチャンの父親は,クリスチャン原則についてはたいへん未熟であって,利己的な,物質的な収益を求めている人です。そして自分の家を良く治めることができず,クリスチャン会衆を監督するのにふさわしくない人です。―テモテ前 3:2-5。コリント後 6:14-16; 7:1。

      6 この両親の権利は,献身した子供に,重大な問題をどのように課すことがありますか。このことに関連して献身した子供は,分裂した家族からの迫害をどのように受けることができますか。

      6 結婚を取りきめる両親の権利が行使されることは,ある子供たちにとって重大な問題をひきおこすかも知れません。これは,父や合法の後見人がエホバの献身した証者でなく,息子か娘がエホバに献身している場合です。父か後見人が,エホバにささげた子供の献身を尊重せず,子供をエホバの証者の新しい世の社会の献身した成員以外の者と結婚させようとするとき,献身した息子または娘は反対を申し出ることができます。エホバの献身した証者が献身していない不信者と結婚することはエホバ神の律法と御こころに反する,と説明することができます。すくなくとも,親孝行な子供は,エホバの証者の新しい世の社会のなかから結婚配偶者を見出してもらいたいと,誠心誠意をこめて両親に願うことができます。良心にしたがう子供が献身していない不信者との結婚を拒絶するなら,家族からの迫害があるかも知れません。しかし,忠実なクリスチャンは,分裂した家族からそのような迫害をうけても,自分の良心を守るために耐え忍びます。―マタイ 10:34-37。ペテロ前 2:19。

      7 クリスチャンの子供に配偶者を選ぶ自由が許されているところでは,その自由はどの程度までのものですか。それは,どのように安全な自由になりますか。

      7 息子や娘が,自分たちの配偶者を選んでも良いと,両親にゆるされているなら,献身しているクリスチャンの息子か娘は,自分ののぞむ者,しかし「主にある者」のみと結婚せよ,という使徒の指示,すなわち自分と同じく,主にある者と,結婚せよという使徒の指示に服します。(コリント前 7:39)それで,エホバの献身した証者が配偶者を選ぶ自由は,比較的な自由です。これは安全な自由です。それは平和と幸福をもたらし,また結婚生活をしている夫婦間に宗教的な平等をもたらします。

      8 子供は,「主にある者とのみ」結婚することによりクリスチャンの両親に何を示しますか。それで,彼は何を起こさせるのを避けますか。

      8 もし両親が献身したクリスチャンであるなら,子供たちが主にある者とだけ,すなわち主によって是認されているものと結婚してほしいという両親の神権的な願いを尊重することにより,子供たちは父母を敬えという使徒の指示に従うことになります。(エペソ 6:1-3)このように,主にあって結婚する子供は,家族にとって「心の痛み」にならず,「嫌悪」な気持を起こさせないでしょう。しかし,エサウは,不敬にも『聖なる事がらを認識し』なかったので,両親のイサクとリベカの「心の痛み」になり,「嫌悪」を感じさせました。―創世 26:34,35; 27:46; 28:1。ヘブル 12:16,17。

      9 結婚がクリスチャンのあいだで重んぜられるなら,結婚している者はどんな内心の反応を持ってはなりませんか。そして結婚の記録は正しくどこの綴りに入れられるべきですか。

      9 使徒パウロは,ヘブル人のクリスチャンたちに手紙を書きおくり次のように語りました,「すべての人は,結婚を重んずべきである」。(ヘブル 13:4,新口)もしヘブル人のクリスチャンのあいだ,および献身した他のエホバの証者全部のあいだで結婚が重んじられるなら,結婚することに恥ずかしいことはひとつもないはずです。そのようなことはないはずであり,またあってはなりません。その結婚は記入され,その記録は結婚している者が交わっている会衆の正式の綴りに保たれねばなりません。

      10 (イ)合意結婚とは何ですか。それが広く行われている国々では,それは合法的な生活として会衆の綴りの中に入れることができますか。(ロ)聖書はそれを何と述べていますか。

      10 合法的な夫婦のごとく,いっしょに生活しているすべての夫婦は,会衆の綴りの内に結婚している者と記録されますか。もし彼らが合法のクリスチャンの結婚をしていないなら,彼らは記録されません。ある国々では,男と女はいっしょに生活して夫婦同様の最も密接な関係をむすぶことに同意しますが,合法の認可も登録も持っていません。これは,いわゆる「合意結婚」と呼ばれています。これはある場所では許されており,近所の人に認められるかも知れません。しかし,神の御言葉は,それが淫行であり,もしこのような生活をしている片方がすでに結婚しており,正しい理由にしたがって離婚されていないなら姦淫であると,明白に述べています。

      11 なぜ不文法結婚と言われるものは,クリスチャンの持つべき正しい立場でありませんか。

      11 他の国々では,「不文法結婚」と呼ばれるものが行なわれています。それは,権威をもつ国の役人による正式の結婚式なしで,男女が同意によって成立する結婚です。この結婚は,書きもの,書類あるいは男女2人の周知の行動によって証明可能のものです。国内のある州またはある郡では,そのような不文法の結婚は合法です。しかし,同じ国内の別の州では,そのような不文法の結婚は,合法ではありません。もし,この男女ふたりが,不文法結婚を合法にしている州からそれを合法にしていない州に移る場合,あるいは大会に一時だけ出席するというような場合でも,その州のある人々は彼らを淫行あるいは姦淫の罪を持つ者たちと見なすかもしれません。それで,同じ国内のすべての場所において,両人は同じ尊敬と承認をうけません。不文法結婚では子供たちに資産を遺言によって残すということについて法的な問題がおこります。またその他の問題もあるのです。これは,クリスチャンの持つべき非の打ちどころのない立場でないことはたしかです。

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