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実話 ― それは何を物語っているか目ざめよ! 1979 | 8月8日
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グロリアのあごから鎖骨にかけての見るも無惨な傷跡は,この24歳のニューヨークに住む婦人に会ってまず最初に目に付く事柄です。この婦人は六人きょうだいの一人として育ちました。父親は酒に酔うと,よく妻や娘たちを殴りました。その暴行から逃れるために,グロリアの母親は幾度も家を出ましたが,その度に戻ってきました。
グロリアはヘロインに逃避の場を求めます。そして,次には家を離れ,やはり麻薬中毒者であるロバートと結婚するという挙に出ました。ロバートはグロリアを殴りましたが,幼いころの経験のせいで,グロリアにはそれが家庭生活のごくありふれた事柄にしか思えませんでした。妊娠すると,グロリアはヘロイン中毒を克服するための治療を求めます。その後,男の子が生まれますが,その子の泣き声は生活を一層難しくしました。グロリアは深酒をするようになったのです。結婚生活と育児から来るストレスの下に置かれて,グロリアは赤ん坊を虐待するようになります。子供を平手で打ったり,殴ったり,熱いアイロンで子供の足にやけどを負わせたりしました。一度などは,息子の両腕の骨を折ってしまったほどです。その子は,一歳になったばかりで,里子に出されました。
ロバートの反応はと言えば,グロリアをもっと殴り,やがてはその下を去ることでした。その後間もなく,グロリアはアルバートと親しくなり,今度こそ本当の変化を期待していました。しかしアルバートは短気で,激怒するとグロリアを激しく打ちすえました。あるときけんかをして,アルバートがひどく殴りすぎたために,グロリアは肋骨を折って病院にかつぎ込まれる結果になりました。それに懲りて,二人は変化しましたか。とてもそうとは言えません。アルバートはグロリアを病院から連れて帰る際にまた腹を立て,どぶから一本のびんを拾い上げ,それを割り,それでグロリアののどを突き,先に述べたひどい傷跡を残したのです。
この家族は,ソーシャルワーカーの援助を受けるようになり,グロリアは飲酒をやめ,家族のためにもっとバランスの取れた食事を供するよう努めています。アルバートは怒りを抑えるよう努めており,最近では妻を打たない日が幾週間も続くことがあります。
自問してください: アルコールは問題のどれほどの部分を占めていただろうか。グロリアの子供のころの経験は,どんな影響を及ぼしただろうか。
サラの結婚生活は,決して年とともに穏やかなものにはなりませんでした。夫の手による暴行は,そのひん度を増してゆきました。常用している精神安定剤を別にしても,最近サラの身に起きた事柄 ― 肋骨が二本折れたこと,歯が一本抜けたこと,打撲傷,裂傷,そして三度の入院 ― は,夫が以前にも増して簡単に腹を立てるようになっていることを物語っています。十代になる二人の息子たちもそのことに気付いています。
ある日,サラの夫は,出勤前に,16歳の息子にガレージを掃除するよう言い付けました。昼食時になっても掃除はされておらず,その子は友だちと泳ぎに行くと言いました。サラはそれを聞いてぞっとしました。夫が自分に当たり散らすことが目に見えていたからです。「今日中にガレージを掃除しなくちゃだめよ」と息子に言ったとき,台所のいすの背に掛けたその指の先は青ざめていました。「放してくれよ」と息子は叫んで,自分の部屋へ向かって階段をかけ上がります。サラは息子の後を追ってかけ上がり,その腕をつかんで,「どこへも行かせませんよ,終わるまでは……」と言いかけますが,言い終わらないうちに息子は振り向き,母親の胸を勢いよく突きました。サラは手すりにつかまろうとしましたが,つかめずに,階段を下まで転がり落ちてしまいました。
自問してください: 待つことが解決策になっただろうか。父親と息子の性分と行動にはどんな関係があるように思えるか。
[カウンセラーあての手紙]「私は13歳で,自分のためだけでなく,四人の弟たちや妹たちのためにもこの手紙を書いています。弟や妹は,11歳,10歳,9歳,それに6歳です。お父さんとお母さんは毎晩欠かさずけんかをします。どなり声や叫び声や悪口やドアをバタンと閉める音,それに皿の投げ合いはもうたくさんです。お父さんは一生けんめい働いてくれる,りっぱな人です。お父さんがドアを開けて部屋に入ろうとするとすぐお母さんは不平不満をぶつけます。すると,お父さんが黙れ,と言って,戦いが始まります。けんかが終わると,お母さんは泣いて,お父さんは自分を愛していないと言います。でもそれは間違っています。お父さんはお母さんを大変愛しています。たとえ,愛していなかったとしても,それはお父さんのせいでしょうか。いつもがみがみ言われていたいと思う人がいるでしょうか。お父さんとお母さんの間がうまくゆくよう助けてください。私たちは家族が分かれることを望みませんが,こんな生活はあんまりです」。
自問してください: 激しいけんかの責任はだれにあっただろうか。そのような激昂した騒ぎを未然に防ぐにはどうしたらよいだろうか。このような手紙を書くだけの理由を持つ子供たちを知っているだろうか。
コニーは永年連れ添ってきた夫から,意識を失いそうになるまで殴打されてきました。必要な治療を受けるために病院へ行くのが余りにもきまり悪く思えたので,コニーは近くのテキサス州サンアントニオに開設された,殴られる婦人のための避難所へかけ込みました。争いを爆発させた相互の緊張や欲求不満には触れないで,コニーは自分が殴られた際の様子を話しました。
夫が家へ帰って来ましたが,正体を失っていました。ぐでんぐでんに酔っ払って,ビールの臭いを漂わせていました。そのあと,感情的に対立した際,コニーは夫を平手打ちにしました。そんなことをしたのは,結婚以来初めてのことでした。コニーはその時のことをこう述懐しています。「それから,あの人は報復に出ました。そして,私が男性であるかのように私を殴り出し,おなかや首をぶったんです。そして,私が倒れると,今度は私を蹴飛ばしました」。それは残酷な暴行でした。
自問してください: この場合,暴力行為の責めを負うべきなのはだれだっただろうか。どうしたらそのようなけんかを避けられただろうか。もし自分がコニーの立場にあったら,どうしていただろう。
これらの例は,家庭内暴力の全貌を網羅するものではありませんが,問題の比較的よく見られる面の幾つかを示しています。また,各々の例の後に提起した質問は,家庭内暴力の内情を知るのにすでに役立ったかもしれません。続く記事の中で,これらの実話の中に含まれる幾つかの要素が取り上げられます。また,夫や妻や子供たちにかかわる暴行の原因と結果に,明確に焦点をしぼってみることにします。そうすれば,今日,非常に多くの人々の生活や家庭を破壊しているこの問題を解決したり,この広範に及ぶ悩みの種を未然に防いだりするのに役立つ助言を一層よく認識できるでしょう。
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たたかれる妻/たたかれる夫 ― その背後にあるのは何か目ざめよ! 1979 | 8月8日
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たたかれる妻/たたかれる夫 ― その背後にあるのは何か
家庭内暴力は日常茶飯事となっているため,その傷跡はわたしたちの目に触れるほどです。近所の人や職場の同僚を見回せば,色の濃い眼鏡やハイネックのセーターや厚化粧をもってしても隠しきれないあざやつめ跡など,夫婦げんかの結果に気付くかもしれません。そうすると,『あの人はどんな結婚生活をしているのだろう。結婚したときには愛し合っていたはずなのに,一体どうしたのだろう』と小首をかしげてしまいます。
そうです,殴打の背後には何があるのでしょうか。自分の配偶者を殴るという罪を犯しているのはどちらの側ですか。それは主に夫のほうですか。家族内の暴力を引き起こす家庭環境はどのようなものですか。一般に,特定の外部からの影響が見られるでしょうか。具体的に,それについてどんな措置を取ることができますか。こうした問題を検討してみましょう。
妻を殴るのはどんな種類の人か
家庭内暴力というと,多くの人の脳裏にはある種の典型的なイメージが浮かびます。人々は大抵,“ブルーカラーの労働者”― 例えばトラックの運転手や土方や清掃員など ― で,近くの酒場に立ち寄り,ビールを“しこたま飲み”,夫婦げんかを覚悟で千鳥足で帰宅するような人を脳裏に描きます。前出のコニーとグロリアの場合に見られるように,そのような人は少なくありません。
しかし,家族内の暴力がそのような人に限られているとお考えでしたら,それは誤りです。「知的報告」というコラムはこう述べています。「家庭内の暴力は,人種,階級,そして背景の別なくその影響を及ぼしている。それは広く行き渡っており,中流階級の上層部でも,下層階級と同じほどのひん度で起きている」。(パレード誌,1977年10月16日号,18ページ)「殴られる妻: 静かな危機」という本は次の点を指摘しています。
「たたかれた婦人たちの同僚の話によると,その被害者の中には,医師,弁護士,大学教授,果ては僧職者などの夫人もいる。配偶者虐待に関するゲレス博士の調査によると,暴力行為の最も多い家族は,収入の最も多い家族である」― 7ページ。
家族内の暴力があらゆる種類の家族をそこない得るのは,そして実際にそこなっているのはなぜでしょうか。ほとんどの社会学者の見過ごしている,根本的な理由があります。それを知っていれば,ご自分の家族について考えていようと,親しい友人や親族の家族について考えていようと,問題の根源を識別するのに役立ちます。
家族生活を扱った最古の記録である聖書は,最初の人間の結婚生活が完全なものだったことを示しています。結婚当初,アダムとエバには罪がありませんでした。二人の考え,行動,そして感情は,正しく釣り合いの取れた状態にありました。そのような状態にあれば,二人は家庭内暴力の苦しみを味わわなかったはずです。そうではありませんか。ところが,時たつうちに二人は神にそむき,不完全になりました。その不従順の結果の一つとして,神は先を見通して,女にこう語られました。「あなたは夫を慕い求めるが,彼はあなたを支配するだろう」。(創世 3:16,新)そうです,ほとんどの女性は夫に対してそのような願望を抱くあまり,横柄で粗暴な男性をも進んで大目に見るほどです。また,エホバ神は,夫たちの多くが不完全さによって平衡を欠き,自分の頭の権を極端な仕方で行使し,妻を殴る暴君になることを予知されました。では,家族内の暴力のすべての事例に共通する要素は何ですか。それは人間の不完全さです。
わたしたちすべては最初の夫婦の子孫であり,不完全な人間の性向を受け継いでいる,という点を認めるのは肝要なことです。(ローマ 5:12)ですから,家庭で暴力を振るうようになる邪悪な種は,貧富の差や学問のあるなしにかかわらず,わたしたちすべてのうちにあるのです。しかし,その種の発芽と開花を促すものは何ですか。欲求不満,アルコール,意思の疎通の欠如,嫉妬,疎外感,あるいは不安などは,暴力の種の発芽を促す水の中の養分のようなものです。こうした要素に関してどんな手を打てるか検討する前に,そのうちの幾つかの要素が今日,多くの家族内でどのように問題を引き起こしているかを見ることにしましょう。
欲求不満の男性 ― 暴力を振るう男性?
家庭内暴力のありふれたきっかけに注意を向けて,一人の医師はこう論評しています。「我々は妻を殴るという行為を,多大の欲求不満と緊張の見られる社会という背景に照らし合わせて見なければならないと思う。我々は,経済上の緊張と失業が深刻化する,異常な時代に住んでいる。こうした種類の圧力は,必然的に,家族にもいつの間にか影響を及ぼす」。
これを日常の言葉に置き換えてみましょう。神経の張り詰めた主人が仕事から帰って来る場面を思い浮かべることができます。その主人は朝,出勤するときすでに疲れていたかもしれず,交通渋滞や地下鉄の騒音にうんざりしていたかもしれません。職場では,再三再四顧客や上司に責められました。しかし,そのうっぷんを内に秘めておかねばなりません。そして,やっと家へたどり着いたと思うと,子供は泣きわめいているし,妻は待ってましたとばかりにもっともらしい不平を並べ立てるといった具合です。さて,どんなことが起きるでしょうか。時には,欲求不満と緊張が高じて,暴力の形で爆発する場合もあります。職を失う恐れがあるので上司を殴り付けることはできませんし,交通渋滞をたたくわけにもゆきません。しかし,その妻子こそいい迷惑です。ある結婚問題相談家はこう述べています。「男は怒っても泣くべきではない。握りこぶしで壁をぶち抜くほうが男らしい。ただ,その壁が自分の妻になってしまうことがあるのだ」。
夫の立場にある人であれば,そのような仕方で欲求不満をぶちまける自分の姿を思い浮かべることができますか。妻の立場にある人であれば,夫が極めて暴力的な反応を示す様を想像できますか。何か大きな争いがあって初めて暴力沙汰になるのですか。
実際のところ,暴力沙汰を引き起こすきっかけそのものは,ごくささいな事柄かもしれません。例えば,夕食が時間通りに準備されていなかったり,妻が大学の課程を受けたいと言い出したり,性の営みを持ちたくないと言ったりすることです。緊張して,欲求不満の高じた夫は,そのような要素を自分の権威に対する挑戦とみなすかもしれません。そこで,怒りを爆発させて,暴力を振るうのです。
箴言 14章29節(新)はこう述べています。「怒ることに遅い者は識別力に富む。しかし短気な者は愚かさを高めている」。自分の妻をたたいた男性の多くは,後になって,この格言の真実さを恥ずかしい思いをしながら悟りました。怒りにまかせて自分の妻子をたたき,積り積ったうっぷんを晴らしてしまうと,大抵,その後にもっと多くの問題が生じるものです。一度殴打してしまうと,大抵,それは二度目の殴打へつながります。それはダムの亀裂のようなもので,結婚生活を水浸しにしてしまう,粗暴行為という奔流にまで,容易に広がってゆきます。
二人の法律学者は,虐待された妻やそうした問題を扱う役人をインタビューしました。その結論はどのようなものだったでしょうか。
「妻をたたくことには,一度だけの不幸な怒りの爆発ではなく,慢性的様相を呈する傾向がある。二人が話し合った婦人の[95%]は,結婚して一年以内にもう殴られ,その暴行は年を経るにつれてひん度を増し,一層暴力的になる傾向が見られる。抑制されなければ,最終的には死という結果を招いたかもしれない。……多くの場合,怒りを燃え上がらせたのは,比較的にささいな問題だった。それは明らかに,より根深い憤りや以前からのうっぷんを爆発させるきっかけにすぎなかった」。
結婚一年目は,新たな圧力がうっ積しやすいので,特に危険な時期です。夫婦双方が互いに相手に合わせようとすることに加え,夫のほうは今や経済上の負担が重くなるのを感じます。そして妻が妊娠すれば,それは夫への圧力を増大させますし,妻がある事柄に感動を覚え,それに掛かりきりになって夫にあまり注意を向けなくなると夫の怒りやねたみを引き起こすことになるのです。
アルコール ― 原因?
大抵の場合,アルコールがかかわりを持ってきます。一調査は次のような結論を出しています。「例えば,襲った者たちの六割は,その際に必ずといってよいほどアルコールを飲んでいた」。ワシントン特別区の緊急センターの所長によると,妻がたたかれる事件の八割にはアルコールがからんでいます。
しかし,アルコールが本当に原因なのでしょうか。そうでない場合もありますが,多くの場合に,その答えは然りです。飲酒と妻をたたくこととの関連について,心理学者のレノール・ウォーカー博士はこう語っています。「それは言い訳として用いられるかもしれないが,直接の原因や影響力ではないようである」。しかし,聖書は鋭い洞察力をもってこう述べています。「ぶどう酒はあざけるもの,人を酔わせる飲料は荒々しく,それにより迷い行く者はだれも賢くない」。(箴 20:1,新)アルコールには自制心を失わせるきらいがあり,その結果,人がばか騒ぎをしたり,抑制力を失ったりするのを見てこられたのではありませんか。ですから,欲求不満を持つ夫や,妻に対して怒りを覚えた夫が酒を飲むようになると,その人は乱暴になりやすくなります。この問題を調査した後,リチャード・J・ゲレス博士はこう報告しています。
「酒飲みは,酔っている期間を,自分の行動に対して責任を負わなくてもよい,“空白の時間”とみなしている。また,アルコールは言い訳になることもある。……家族内に問題はないが,悪いのは“魔の酒”である」。
アルコール飲料の用い方に関して,ここに教訓が見いだされるでしょうか。
意思の疎通か,げんこつか
お分かりのとおり,肉体面の虐待に訴える配偶者は,大抵,意思の疎通に関して重大な弱点を持っているものです。そうした人々は,嫉妬心,孤独感,不安,そして恐れなどの強い感情をも含め,自分の感情を表わすのが苦手です。社会学者のシェロッド・ミラーは,「高度に話し言葉の発達した社会に住んでいるにもかかわらず,微妙な問題を互いに話し合う方法を学んだ者はほとんどいない」と述べています。
これは特に男性の側の問題です。近隣婦人全米会議のジャン・ピーターソンはこう述べています。「家庭内暴力の主な原因は,身体的な手段による以外に,女性と意思の疎通を図れない男性の無能さにある」。
しかし,男性が自分の感情を ― 怒りを爆発させたり,不敬な言葉を出したりせずに ― 制御された言葉で表現する方法を学べば,その家族に見られる実は,その人が暴力に訴えた場合よりもはるかによいものとなります。古代のソロモン王はこう語りました。「人は自分の口の実によって良いものを食べる。しかし不信行為をする者たちの魂は暴虐である」― 箴 13:2,新。
一般に女性は自分の感情を言葉で言い表わす傾向が強く,それにたけていると考えられていますが,証拠の示すところによれば,妻たちの多くは意思の疎通の問題に一役買っています。家族問題カウンセラーのパウル・シェーナーによると,打ちたたかれる妻は,夫に「沈黙療法」を与え,「力の駆引きをしている」場合があります。その沈黙は下手な事を言ってはいけないという恐れから来ていると主張する妻たちもいますが,「それでも,男性はそれを力の戦術とみなす」とシェーナーは説明しています。シェーナーの結論はこうです。「この二人の人間は,非常に長い間,話し合っておらず,本当に意思を通わせていない」。結婚している人々は,自分の結婚生活において,意思の疎通は正常なものだろうか,と自問してみると良いでしょう。
暴力を振るう女性?
妻を殴る夫について聞くのは珍しくありませんが,妻にたたかれる夫は多いと思われますか。暴力に訴えて,家庭内暴力の問題を大きくしている妻は大勢いるのでしょうか。その通りなのです。
社会学者のスーザン・ステインメッツはこう語っています。「報道されることの一番少ない犯罪は妻を殴ることではない。それは夫を殴ることである。……平手打ちをしたり,たたいたり,押したりするなど,ちょっとした実力行使をするという段になると,男女間の実質的な相異はないようである。たたかれる妻という現象の見られるのは,男性のほうが攻撃的だからではなく,ただ男性のほうが身体的にもっと力があるようであり,より大きな害を加えることができるからである」。
夫がたたかれたという話をあまり耳にしない理由はここにあります。警察署へ行って(あるいは電話をかけ),がっちりした巡査部長に,「家内に殴られた」などと口に出せる夫はどれほどいるでしょうか。しかし,多くの妻たちはまさにそうした暴力を振るっているのです。夫は妻よりも小柄だったり,年を取っていたり,虚弱だったり,病気でさえあったりするかもしれません。また,たとえ自分を守るだけの力があったとしても,騎士道精神から,あるいは本気になってしまうと妻をひどく傷付けかねないという恐れから,自分を守ろうとしないのかもしれません。
夫の暴力を声高に非難する妻の中には,自分の落ち度を見過ごしている人もいます。例えば,妻は夫が夫婦名儀の口座ではなく,夫名儀の口座に入金したことを知ります。その結果生じた言い争いの際に,妻は夫を平手打ちにします。数週間後,夫をののしったり,性関係を拒んだりして,今度は妻のほうが悪いように思え,夫は怒りにまかせて妻を殴ります。確かに,体にあざが残っているのは妻のほうかもしれません。しかし,双方とも暴力を振るったという罪があるのではありませんか。6ページに掲げられたコニーの例を思い起こすとよいでしょう。妻の暴力は,爆発を引き起こす火花のようなものとなることがあります。
自分よりも力のある夫が,自分を虐待した場合に,妻はどのような反応を示すでしょうか。多くの場合に,深なべ,花びん,ナイフ,あるいはアイスピックなど,手近にある武器をつかんで,それを使いますが,それは悲劇的なことです。身長157㌢,体重50㌔のロクサン・ゲイの身に起きた事を考えてみましょう。1977年の新聞各紙によると,この婦人は夫が自分を荒々しくたたくと言っては,幾度も警察に電話を掛けました。その夫は,フィラデルフィア・イーグルズというフットボールのチームの守備側エンドを務める,身長195㌢,体重120㌔のブレンダ・ゲイでした。とうとう,けんかの最中に,この小柄な妻はナイフをつかみ,夫の首筋を刺してしまいました。警察はその夫が血の海の中で死んでいるのを見付けました。
何ができるか
たたかれる妻やたたかれる夫という問題の背後にある幾つかの点を今まで考慮してきました。不和の根源は人間の不完全さにあり,それは,暴力を振るうようになる傾向はだれにでもあるということを意味します。現代の生活でわたしたちの直面する数々の欲求不満のために,その可能性はまぎれもないものになります。嫉妬や憤りなど自分の感情を制御する能力に欠けることも,暴力行為へと人を走らせます。家庭内暴力は大抵,アルコールの影響の下で起こります。また,配偶者虐待の罪は,男女双方にあるということも見てきました。
家庭内暴力の原因に関するそのような洞察も大切ですが,さらに多くの事柄が必要とされます。この問題は広く行き渡っているので,わたしたちは断固として,この問題を未然に防ぐか,解決するよう努めねばなりません。次のような質問を考えてはいかがでしょうか。腹が立ったときどのように行動したらよいだろうか。アルコール,金銭,あるいは自分の職業に対する自分の見方が関係しているだろうか。すでに家庭内に暴力が君臨している場合,離婚するのが最善の策だろうか。人の人格や反応を本当に変化させるのに,聖書は役立つだろうか。続く幾つかの記事は,そのような質問を扱っています。
[10ページの囲み記事]
「夫と妻にかかわる殺人事件のうち,52%は妻が被害者であり,残りの48%は夫が被害者であった」― FBI犯罪統計。
[11ページの囲み記事]
「夫を挑発する妻も確かにいる。必ずしもそうだとは言えないが,大抵の場合がそうであると思う。妻が繰り返し夫を殴り,夫がたまりかねて殴り返すというような夫婦を私は数多く見ている」― マーガリート・フォーゲル博士。
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暴力的風潮の中に置かれている子供たち目ざめよ! 1979 | 8月8日
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暴力的風潮の中に置かれている子供たち
「毎年,650万人にも上る子供たちが,両親や家族の他の成員に傷付けられている。……毎年,幾千幾万もの子供たちは,医師の手当を必要とするほど,親にひどく打ちたたかれる。さらに70万人は衣食住を奪われ,6万ないし10万人は性的な暴行を受けている」―「US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート」誌,1979年1月15日号。
子供に対する虐待は実に悲痛な問題です。場合によっては,子供の犠牲者たちは親が欲求不満や嫉妬や怒りを発散させる,ただの弱くて,手近な対象となっていることがあります。しかし,他の多くの場合,それは子供が確かに必要としているもの,つまり懲らしめを親が害になるほど極端に与えるという問題です。賢明で,愛のある,家庭生活の創始者はこう述べておられます。「望みのあるうちにあなたの子を打ち懲らしなさい」。「細棒と戒めが知恵を与える。放任された少年は自分の母に恥を来たらす」― 箴 19:18; 29:15,新。
子供に対する虐待の問題を研究した際,心理学者のD・J・マデンは,「懲らしめを与え過ぎると子供は抑圧されていると感じ,寛大過ぎれば見捨てられたと感じやすい」ことを見いだしました。マデンはこう説明しています。「子供は親が決定を下すことを期待している。親が決定を下さないと,子供は親に依り頼んでもよいかどうか疑問に思う。そして,その子が大人になるとしつけの厳格な人になりかねない」。
1976年11月8日号の「目ざめよ!」誌は,子供に必要な懲らしめを与えても,子供を強く殴打することがないようにするため親にできる事柄を含め,子供に対する虐待の問題を広範にわたって扱っていました。
しかし,ここでは,夫や妻の暴力という風土で生活することから子供がどんな影響を受けるかに焦点を当てることにしましょう。そのような虐待行為を目にする子供たちはそれから重要な教訓を学び,その結果,大人になったときに妻や夫をたたかないようになるでしょうか。
母親や父親が虐待されるのを子供が目にすると,その場面は記憶の中にしまい込まれます。後日,その子が大人になって腹を立てたとき,幼いころ目にした型に逆戻りするのは容易なことです。端的に言えば,暴力は暴力を生むのです。26歳になる,妻帯者のジョンの例を考えてみましょう。ジョンは,自分がその七年に及ぶ結婚生活の間に,妻をひんぱんに殴ったことをカウンセラーに打ち明けました。ジョンが子供のころ,家族内の暴力は日常茶飯事でした。父親は酒を飲んで,しばしばジョンの母親を襲い,ナイフを使うこともありました。自分の父親のことを思い起こしながら,ジョンはむせび泣いて,こう語りました。「私が中に入ると,父は私を壁にたたきつけたものです。私は自分の家ではそのようなことを決して起こすまいと言いました。おかしいと思われるでしょう」。また,5ページに掲げられたサラの夫と息子の事例を思い起こすとよいでしょう。
そうです,研究の示すところによると,家庭内の暴力的風潮の中で育てられた子供たちは,大抵の場合,自らも暴力を振るうようになります。これは,聖書中の次の自明の言葉を,否定的な見地から裏書きしています。「少年をその道に従って訓練しなさい。年老いても,彼はそれからそれて行くことがないであろう」― 箴 22:6,新。
「ザ・カナディアン」誌,1978年4月1日号の誌上に,エイリー・カス博士は次のように書いています。「家庭生活が不幸で,暴力的な場合,子供は自分が親になったとき,家族の成員として学んだ暴力の型を用いて問題を解決するようになる」。英国ロンドンに,たたかれる妻のための避難所を開設した人はこう述べています。「これらの男たちの生い立ちを見ると,子供のころ打ちたたかれたか,それを実際に見たことがあるかのいずれかである。……それで,暴力は一つの世代から次の世代へと伝えられて行く。それが普通になってしまう」。
子供のころに家庭内暴力を見て,後日妻や夫や子供を虐待するようにならなかったとしても,それは悲劇的な代償を求めます。「身体的な虐待は受けなくても,暴力を振るう親の[いる]家庭で生活する子供を対象にしてノースカロライナ州で行なわれた調査によると,「その子供たちの37%に慢性的なうつ病が見られた。……別の40%は不安感にさいなまれており,25%は精神障害の治療を受けたことがあった」。
それで,子供のいる家庭では,暴力の問題を解決するために,あるいはそれが家庭で起きないようにするために,はっきりした措置を取る十分の理由があることは明らかです。親がこの必要を無視して,子供たちが家庭内の暴力的風潮の中で生活することを余儀なくされるなら,その若者が情緒面での障害を受け,この恐ろしい苦難の種を次の世代に伝える可能性は極めて強いと言わねばなりません。
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