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神との平和を妨げる敵に対する最後の災いものみの塔 1970 | 3月1日
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してきました。いわゆる「異教世界」が宗教的な深い暗やみに閉ざされていないというのではありません。キリスト教世界はその主張からすれば,そうした暗やみに閉ざされていなかったはずです。むしろ逆に,昼も夜も神の真理と恵みの光に浴してきたはずです。ところがキリスト教世界の実情は今やイエス・キリストの次のことばどおりです。「もし汝の内の光,闇ならば,その闇いかばかりぞや」。(マタイ 6:23)キリスト教世界が得ていると唱える宗教的啓発は単なる仮想にすぎず,実際には宗教的暗やみにありますから,キリスト教世界は自らを大いに欺いているわけです。エホバのクリスチャン証人が,「キリスト教世界それともキリスト教 ― どちらが『世の光』ですか」という挑戦的な質問を提起してきたのはもっともなことです。彼らは,この質問に対して,「それはキリスト教世界ではなくて,キリスト教です」と率直に答えてきました。キリスト教世界はその名にふさわしくないことを明らかにしました。キリスト教世界に聖書の真理がないことは,神の恵みと祝福の光を受けていないことの証拠です。神からの光は昼も夜も断たれており,キリスト教世界の前途は人類の世の他の部分のそれと同様,暗やみに閉ざされています。
さらに多くの災い
24,25 (イ)エホバの証人は明らかにどんな導きを受けて行動してきましたか。キリスト教世界は,これら四つのラッパに関連して証人たちの演じた役割からどんな影響を受けましたか。(ロ)さてヨハネはここで何を見,何を聞きましたか。
24 神の天使の最初の4人の者が吹いたラッパに続いて前述の預言的な光景が示された時,成就した諸事実を地の住民に指摘するため神が用いてこられた人々は確かに天使の導きを受けてきました。(ヘブル 1:14。マタイ 24:31)エホバのクリスチャン証人があたかもラッパを遠く広く鳴り響かせるかのように,これら四つの預言的な驚くべき光景の現代における成就を公に知らせてきたことは,人々,なかんずくキリスト教世界にとってすでに十分の苦しみをもたらしました。しかしキリスト教世界が,「もう十分だ!」と叫んでも,なんの役にもたちません。人々がいやおうなく見させられ,そうです,身をもって感じさせられねばならない預言的な驚くべき光景がほかにまだ三つもあるからです。これら最後の驚嘆すべき光景の成就は地に住む人々にとって著しい災いとなるのです。第4のラッパが吹かれたのちに生じたできごとの意味が解き明かされたため,わしの目のような鋭い先見をもってこの特別の災いに関する警告を広く伝えることができました。第5のラッパが吹かれる前のことを使徒ヨハネはこう書いています。
25 「また見しに,一つの鷲の中空を飛び,大なる声して言ふを聞けり。いはく『地に住める者どもは禍害なるかな,わざはひなるかな,わざはひなるかな,なほほかに三人の御使の吹かんとするラッパの声あるによりてなり』」― 黙示 8:13。
26 それら別の災いはどこから来ますか。それらの災いを恐れる必要がないのはだれですか。
26 それは天の御使に対する災いではなく,「地に住める者ども」つまり人間に対する災いです。それらの災いは,注意を喚起するラッパを吹くことを命じ,その務めを天使たちに与えた神からもたらされました。神との平和な関係にある人々はこれらの災いを恐れる必要は少しもありません。それを恐れるのは,神との平和を妨げる敵だけです。
苦しみを与えるいなごの災い
27 第一次世界大戦中,御国の証人に関し,キリスト教世界の僧職者は何を望み,どんな努力を払いましたか。僧職者は自分たちの目的をどの程度達成できましたか。
27 早くも第一次世界大戦当時(1914年-1918年),キリスト教世界の僧職者は政治また軍事上の同盟者とともに,エホバ神またキリストの治める神の国を支持するクリスチャン証人の手で宗教上の苦しみを十分に感じ,戦時下の事態と当時の法律を利用して,それら証人たちの公の活動をとどめました。しかし「異邦人の時」は1914年に終わり,キリストの治める神の国が異邦人諸国家を地上から排除する権威を受けてきた天で完全に支配権を執ると,幾年も前から指摘してきた証人たちの正しさは世界のできごとによって立証されました。このことが伝えられるのを好まなかった牧師たちは,「証人たちを殺せ!」と叫びました。それはとりもなおさず,これら国際的な聖書研究生に,メシヤすなわちキリストの治める神の国を公に証するわざをやめさせることでした。政治また軍事勢力の助けを得た僧職者は,1918年のなかば,つまり第一次世界大戦の終わる数か月前までに,『証人を殺す』ことに事実上成功したのです。
28 このことは「証人」たちの活動と組織にどんな影響を与えましたか。象徴的に言って,彼らはどんな低い立場に陥りましたか。
28 こうして,大規模な公の証言の仕事は終わり,この証のわざを進めたおもだった人々は長期の服役刑を受けて投獄され,また証のわざを進めるその組織は大いに砕かれ,その働きは阻害されました。「証人」たちはあたかも「底なき坑」に陥ったかのようでした。象徴的に言ってこうした卑しめられた立場に置かれた彼らは,メシヤの治める建てられた神の国の証をする,よく整えられ,よく組織された勇敢な証人という点からすれば,死んで姿を消した状態にありました。しかしそれも長い期間ではありません。ではだれが彼らを解放したのですか。
29 第5のラッパが鳴ったのち,ヨハネの見た象徴的な「星」は,その使命また名前から見て,だれであると言えますか。
29 第5の天使はラッパを大きく鳴り響かせるとともに,底知れぬ穴に入れられた「証人」たちの解放と,その後に行なうわざを発表しました。これは「地に住める者ども」にとって「禍害」となるものでしたか。使徒ヨハネは預言的な幻を見守っていました。するとどうでしょう,一つの「星」が海や河川にではなく,天から地に落ちたのです。しかしそのために地が災いを受けることはありませんでした。むしろこの「星」は自由を与える者また解放者として到来したのです。「この星は底なき坑の鍵を与へられたり」とあるからです。またこの者は王です。彼は「底なき所の使」であり,その穴から解放した者たちの王だからです。このことと一致してヨハネは,この王によって解放された者たちに「金に似たるかんむりのごときもの」があるのを見ました。この象徴的な「星」にはこの事態にかかわる名前があります。ギリシア語でその名前はアポリオンといい,ヘブル語ではアバドンといいます。前者は破壊者を意味し,後者は破壊を意味します。象徴的なこの「星」に関するこうした事柄すべては,それが栄光を受けたイエス・キリストであることを明らかに示しています。19世紀前,地上の人間であったイエスは神の国のために殉教の死を遂げて,底なき穴にはいりました。その後三日目に神はイエスを解放し,ご自分の右につかせられました。
30 この象徴的な「星」にはどんな鍵が与えられましたか。彼はだれを,いつ解放しますか。
30 よみがえって栄光を受けられたこのイエス・キリストに神は「死と〔ヘーデース〕との鍵」を与えられたのです。イエスがそれを用いて解放者として行動するためです。1914年,「異邦人の時」が終わり,天で王位についたイエスは,「底なき坑」に似た束縛された状態からある者たちを解放するためにやって来ます。それはだれですか。天でイエスとともに王となる召しを受けた,イエスの追随者の,地上にいる残れる者たちです。(黙示 1:6,17,18,〔新〕; 20:4-6)1919年,イエスは「底なき坑の鍵」を用いてその坑を開き,御国の共同相続者で悔い改めた忠実な残れる者を出させました。
31 解放されたこの残れる者は,ヨハネの描写にしたがえば,どんな姿をしていますか。
31 それにしても預言的な幻の中でヨハネの見た彼らはなんという姿をしているのでしょう。底なき所から立ち上り,太陽と空気とを暗くした大いなる煙の中から出てきた彼らは,世にも不思議ないなごの姿をしていたのです。ヨハネはこう語ります。「かのいなごの形は戦争のためにそなへたる馬のごとく,頭には金に似たるかんむりのごときものあり,顔は人の顔のごとく,これに女の頭髪のごときかみのけあり,歯は獅子の歯のごとし。また鉄の胸当のごとき胸当あり,その翼の音は軍車の轟くごとく,多くの馬の戦闘にはせゆくがごとし。またさそりのごとき尾ありて,これに刺あり,この尾に五月のあひだ人を害ふ力あり。このいなごに王あり。[彼は]底なき所の使(なり)」― 黙示 9:1-11。
32 この象徴的ないなごは,青草を食べるのでないとすれば,何を求めて出てゆきますか。これらのいなごはその攻撃目標とはどのように対照的な者ですか。
32 エホバの油そそがれた証人の残れる者は,天の王イエス・キリストの命令の下,1919年,燃える炉から出るかのように敬虔な熱意をいだいて,束縛された底なき穴のような状態から群れをなして飛び立ちました。これら象徴的ないなごは地の青草を食いつくそうとはしませんでした。彼らの攻撃の的は人間だったからです。どんな人間がその的になりましたか。「額に神の印なき人」だけでした。しかしそれら特定の人々を殺す権威が与えられたのではありません。いなごが生きて活動する夏の期間つまり,5か月のあいだ彼らを苦しめることだけが許されたのです。これら象徴的ないなごは確かに「額に神の印」を受けた者たちです。彼らは黙示録 7章1-8節に描かれているとおり,その印をしるされるのをヨハネが見た14万4,000人の霊的なイスラエル人の残れる者だからです。そしてこれら象徴的ないなごは,夫に柔順に従う,長い髪をもつ女のように,自分たちの王また花婿であるイエス・キリストに柔順に服従しています。
33 神の印のしるされていない「人」は今日だれを表わしていますか。
33 では,「額に神の印なき人」とはだれですか。それは神の宮にあるさまを使徒ヨハネが目撃して,黙示録 7章9-17節に描写した「大なる群衆」を含め,印を受けていない人々すべてのことですか。そうではありません。キリスト教世界で占めている僧職からすれば「額に神の印」を受けていると当然に考えられる者たちだけです。それはまずキリスト教世界の僧職者であり,彼らは仲介者キリストを通して神との新しい契約を結んだ霊的なイスラエル人であるとあからさまに唱えています。またその中には,教会の会員で牧師から最大の名誉と敬意とを受けている政治家,利をむさぼる実業家また主要な軍人などもともに含まれています。これら「額に神の印なき人」の行ないは,彼らが神の霊の実を生み出していないことを実証しています。神に所有されるものであることを示すその印は神の霊の働きによって,いわば額に,つまりだれにでも見えるようにつけられるものです。―ガラテヤ 5:19-23。コリント後 1:22。
34 (イ)神の印のしるされていないこれらの人々は特にどんな点で,象徴的ないなごに苦しめられますか。(ロ)それらの人はどれほどの期間その苦しみを耐えねばなりませんか。
34 象徴的ないなごは神の霊感のみことば聖書からのさばきの音信をもって彼らを突き刺しつつ苦しめています。それは毒をもつさそりの尾で刺されたときのような激しい苦痛を与えるものです。このさばきの音信は特に,世界の平和と安全のための国際的な機関にかかわるものです。僧職者はこの機関を「神の国の地上における政治的な表現」と唱えていますが,それら象徴的ないなごはその機関を,メシヤの治める神の国の単なる人間製の代用物とし,それゆえにその機関は失敗し,神の真の御国によって滅ぼされるものであることを宣明して,苦しみを与えています。キリスト教世界の,これら神の印のない人々は,象徴的ないなごのもたらすこうした宗教上の苦しみからのがれたいと願っています。彼らは苦しみを長く耐えるよりも死を望んでいます。しかしそれら「いなご」には神の印のないこれらの人を「殺す」権威は与えられていないので,それらの人は依然として生きています。また,象徴的ないなごも生き続け,苦しみを与え続けています。それは,苦しみを与えるこの仕事を『五か月』のあいだ行なうことが許されているからです,実際のいなごの一世代にあたるこの期間は,ハルマゲドンの戦いに至るまでの象徴的ないなごの生存期間全体を表わしています。
35 「鷲」がこのいなごの災いについて述べたことはおおげさな事柄ですか。
35 このことがこうしたいなごの災いから直接影響をこうむる人々にとって「禍害」であると発表した,なか空を飛ぶ「鷲」のことばは決しておおげさなものではありませんでした。では,第2の「禍害」とはなんですか。
「第二の禍害」
36 この一連の災いの次のものはどんな意味で「第二の禍害」ですか。
36 「第二の禍害」は必ずしも第1の災いが終わってから始まるのではありません。実際のところそれは別の災い,付け加えられる災い,すなわち第1の災いと時を同じくして生ずる災いなのです。それは第1の災いをいっそう苦しいものにし,より広範囲に及ばせるものとなります。
37 第6の天使の発表した「第二の禍害」はどんな解放のわざに続いて生じますか。その解放はだれのためですか。
37 「第二の禍害」は神の第6の天使がラッパを吹いて大声で告げ知らせました。この「禍害」もまた,解放のわざに続いて生ずるものとして描かれています。この解放とは,大いなるバビロン,すなわちバビロン的な偽りの宗教の世界帝国からの解放を意味しています。この大いなるバビロンを予表したのは,ユーフラテス河畔にあった古代の帝都バビロンです。紀元前7世紀,生来のイスラエル民族はこの古代都市バビロンにとらわれの身となりました。同様に,霊的なイスラエル人の油そそがれた残れる者は第一次世界大戦中,大いなるバビロンにとらわれの身となったのです。香の煙のようにささげられた誠実な祈りに答えたエホバ神は,古代バビロンの倒壊後,イスラエル民族をそのとらわれから解放されました。同様に,この同じ神は祈りに答えて第一次大戦終結の翌年つまり1919年,油そそがれた残れる者を現代の大いなるバビロンから解放されました。このことを幻で見た使徒ヨハネはそれを描写してこう言いました。
38 ヨハネはこの解放のわざの幻をどのように描写していますか。
38 「第六の御使ラッパを吹きしに,前なる金の香壇の四つの角より声ありて,ラッパを持てる第六の御使に『大なるユウフラテ川のほとりにつながれをる四人の御使を解き放て』と言ふを聞けり。かくてその時,その日,その月,その年に至りて,人の三分の一を殺さんために備へられたる四人の御使は,解き放たれたり」― 黙示 9:13-15。
39 (イ)「四人の御使」はだれに相当しますか。「御使」という名称はなぜ適切ですか。(ロ)彼らはいつ仕えたいと感じていますか。
39 1919年,バビロン的な束縛から解放された油そそがれたクリスチャン証人の残れる者はいわゆるこれら「四人の御使」に相当します。この「御使」という名称は文字どおりには「使者」という意味ですから,必ずしも天の霊者を意味するものではありません。使者,そうです,解放された残れる者は神の使者となり,異邦人の時の終結後,また第一次世界大戦中のキリスト教世界の誤った行為のなされたのちに,神からの特別な音信を携えようとしていたのです。神の使者として再び仕える自由を取り戻して喜びにあふれた油そそがれた残れる者は,神の定められた「その時,その日,その月,その年」がいつであっても,神の命ずるままに奉仕したいと感じました。彼らはいつなんどきでも,神の国の奉仕のあらゆる面に直ちに携わり得るよう自らを整えました。彼らが解放された4人の「御使」つまり使者として「備へ」ねばならなかった使命とはなんでしたか。それは『人の三分の一を殺す』ことでした。しかしどんな装備を用いるのですか。
40,41 (イ)その使命はなんですか。この仕事は災いとなりますか。場所はどのように変わって次の光景が展開されますか。(ロ)ヨハネはその騎兵隊をどのように描写していますか。
40 「人の三分の一」を殺すなら,それは確かに災いとなります。このことがキリスト教世界に対していかに行なわれるかを示し,ユーフラテス河畔の光景は直ちに一変して,騎兵隊の大規模な突撃の情景が展開されてゆきます。ヨハネはその突撃の模様を描いてこう語ります。
41 「騎兵の数は二億なり,我その数を聞けり。われまぼろしにてその馬とこれに乗る者とを見しに,彼らは火・煙・硫黄の色したる胸当をつく。馬の頭は獅子の頭のごとくにて,その口よりは火と煙と硫黄といづ。この三つの苦痛,すなはちその口よりいづる火と煙と硫黄とによりて人の三分の一殺されたり。馬の力はその口とその尾とにあり,その尾はへびのごとくにして頭あり,これをもて人をそこなふなり」― 黙示 9:16-19。
42 どんな事柄がより詳しく描写されていますか。「馬」は何を象徴していますか。
42 それらの騎手については,焼きつくすような滅びをもたらし得る火と煙また硫黄を暗示する胸あてを着けていること以外には何も述べられていません。他の説明はほとんどそれら騎手の乗った馬に関するものです。そして,口から出る災いと,へびのような尾をもって人を殺すのはこれらの馬です。したがってこれら「二億」もの「馬」は,解放された4人の「御使」が「人の三分の一」,つまりキリスト教世界の成員を殺すのに用いる道具です。これらの馬には騎手が乗っているのですから,その馬は人間に操縦されていることがわかります。
43 (イ)これら不思議な「馬」はさらに何を象徴していますか。(ロ)これらの乗り物はどのようにして備えられましたか。だれがそれを操縦しますか。
43 では,これら2億もの馬は何を象徴していますか。それは油そそがれた残れる者が「われらの神の刑罰の日」を宣明するために用いる道具,もしくは乗り物を象徴しています。これら乗り物とはなんですか。それは,神の報復の日に偽善的なキリスト教世界に臨む火のような徹底的滅びを告げ,また,へびにかまれた時のような痛みを「人」に与え,彼らの宗教感情を傷つけ,彼らが霊的に死んだものであることを示す聖書また聖書研究用の書籍,小冊子,雑誌,パンフレットなどを表わしています。(イザヤ 61:1,2)最新の聖書文書が大量に発行されはじめたのです。世の一般の出版社とは別個にこれら象徴的な「馬」を生産するため,ものみの塔聖書冊子協会は独自の印刷工場を設置し,時の経過とともにその印刷施設を拡張しました。またすべての文書の頒布は営利目的の一般書店にではなく,残れる者の手にゆだねました。
44 象徴的な2億の「馬」は備えられてきましたか。これらの馬を動かすどんな騎手が備えられてきましたか。
44 1920年,初めて小規模な印刷工場を設置したものみの塔協会は,以来絶えず印刷施設を拡張し,2億をはるかに上回る象徴的な「馬」を生産し,これを世に放ちました。油そそがれた残れる者はこれらの「馬」にかかわる責任を引き受ける,つまり戸別訪問を行なって幾千幾百冊もの聖書文書を配布しました。こうしてこれら象徴的な「馬」はそれぞれ人手と理知をもって御され,かつ進められました。特に1935年以来,献身してバプテスマを受けた「大なる群衆」は,油そそがれた残れる者に加わって聖書を頒布するわざを行なってきました。そしてこのわざは「人の三分の一」すなわちキリスト教世界の信徒一般にとってはなはだしい「禍害」となりました。
「第三の禍害」
45 「第二の禍害」に対する世の人々のどんな反応からすれば,ヨハネが「第三の禍害」について述べるのは適切ですか。
45 19世紀前,使徒ヨハネは,「第二の禍害」にもかかわらず「残の人々」が自分たちの罪深い世俗的な生き方を改めようとしない事態を見ました。同様に現代においても,キリスト教世界はもとより,人類の他の部分も「第二の禍害」に苦しめられながら,神の報復の日における滅びに至る歩みを変えようとはしません。彼らは神との平和な関係にはいることを拒んでいます。(黙示 9:20)使徒ヨハネは,悔い改めようとしないそれらの人々すべてに対し第3の災いを下す必要のあることを知りました。ここでヨハネはいみじくもこう報告しています。「第二の禍害すぎ去れり,みよ,第三の禍害すみやかに来るなり」。(黙示 11:14)この第3の災いとはなんですか。それは第7の天使が告げ知らせたのちに生ずることになっていました。
46 第7のラッパが吹き鳴らされた直後のことをヨハネはどのように描写していますか。
46 ヨハネはこうしるしています。「第七の御使ラッパを吹きしに,天に数多の大なる声ありて『この世の国は我らの主およびそのキリストの国となれり,彼は世々限りなく王たらん』と言ふ。かくて神の前にて座位に坐する二十四人の長老ひれふし神を拝して言ふ,『今いまし昔います主たる全能の神〔エホバ〕よ,なんぢの大なる能力を執りて王となり給ひしことを感謝す。諸国の民,怒をいだけり,なんぢの怒もまたいたれり,死にたる者をさばき,なんぢのしもべなる預言者および聖徒,また小なるも大なるも汝の名をおそるる者に報賞をあたへ,地をほろぼす者をほろぼしたまふ時いたれり』」― 黙示 11:15-18,〔新〕。
47 (イ)したがって「第三の禍害」とはなんですか。(ロ)主なる神はいつご自分の支配権を執って統治を開始されましたか。このことをどのように行なわれましたか。
47 ここにどんな「第三の禍害」を見ることができますか。それは「我らの主およびそのキリストの国」のことです。それは主エホバ神とそのメシヤつまりキリストとの共同統治を意味しています。すなわちそれは全人類を統治する,メシヤの治める神の国です。全能の神エホバがご自分の強大な支配権を執り,統治を開始されたのです。またそれは正当なことでした。なぜなら,全地はエホバのものであり,地とその上に住む人間はエホバによって造られたものだからです。エホバは,ユダヤ人以外の国民すなわち異邦諸国民に貸与した支配権の行使期間が西暦1914年に満了するのを待っておられました。その年の到来に際して異邦諸国民は「異邦人の時」の終わったことを認めず,また,エホバのメシヤすなわちキリストが自分たちの王として位につくことに反対しました。エホバ神はこの地に関する事柄の決定を異邦諸国民の手にまかせましたか。そうではありません。エホバは全能の力をもってご自分の強大な支配権を執り,それを行使されました。どのようにしてですか。ご自身の御子イエスをメシヤつまりキリストとして天で即位させることによってです。エホバはこうした統治上の措置を講じて,メシヤの治める御国を樹立されました。―ルカ 21:24。
48 (イ)メシヤの治めるこの御国が「禍害」であるかどうかに関してどんな疑問が生じますか。(ロ)地上の諸国民は自らが神との平和を妨げる敵であることをどのように示しましたか。
48 しかし,メシヤの治める神の国がどうして「禍害」,しかも最も著しい災いとなるのですか。この御国が建てられたのは人類世界全体に祝福をもたらすためではないのですか。キリストの追随者は,キリストの教えた次の祈りをささげているのではありませんか。「天にいます我らの父よ,願くは,御名の崇められんことを。御国のきたらんことを。御心の天のごとく,地にも行はれんことを」。(マタイ 6:9,10)そうです,まったくそのとおりです。しかし1914年,異邦人の時の終わりに際して世の諸国民の支配者たちが,「神の前にて座位に坐する二十四人の長老」の行なったことを見習うのを一般国民が目撃したわけではありません。諸国民の王たちは自分たちの王座をおりてひれ伏し,「今いまし昔います主たる全能の神〔エホバ〕よ,なんぢの大なる能力を執りて王となり給ひしことを感謝す」と言って神を崇拝したわけでもありません。(黙示 11:16,17,〔新〕)それとは正反対に,『諸国の民は怒をいだき』,メシヤの治める神の御国の良いたよりを伝道していた当時の油そそがれた「キリストの使者」を迫害して自分たちの怒りを表わしました。メシヤの治める神の国に対して怒りをいだいたこれら諸国民は,自らが神の平和を妨げる敵であることを示したのです。
49 (イ)ゆえにメシヤの治める神の国は諸国民にとってどんなものになったと言えますか。(ロ)どんな行動だけを考えてもこれら諸国民は滅びに値していますか。
49 こうした根拠からすれば,「我らの主およびそのキリストの国」は諸国民にとって重大な災いとなるに違いありません。神の怒りが敵意を示す諸国民に臨むのは不可避です。これら諸国民はほかならぬ「地をほろぼす者」なのです。彼らはきわめて現実的な意味で,すなわち地上の資源をむさぼり,また,地上を人間の居住にふさわしくない場所にして,文字どおり地をほろぼしています。しかも核兵器はもとより,細菌兵器また放射線兵器を用いる第三次世界大戦をもって地を破壊する脅威をさえもたらしているのです。メシヤの治める神の国の油そそがれた大使たちに怒りをいだいた諸国民の加えた迫害を,全能の神がたとえ度外視されたとしても,こうした破壊的なしわざだけで諸国民は滅びに値しています。
50 諸国民に対するこの「第三の禍害」はどんな最高潮を迎えますか。
50 荒廃をもたらす諸国民は思い違いをしてはなりません。「この世の国」の支配権を執られた全能の神エホバに対して怒りをいだいた諸国民は,そのエホバ神の御前で申し開きをする羽目に立たされるでしょう。そしてエホバは史上最大の戦い,すなわちハルマゲドンにおける「全能の神の大なる日の戦闘」で諸国民に滅びをもたらされるでしょう。(黙示 16:14-16)これはこの第3の最後の災いの最高潮となります。神はご自分のメシヤの治める御国を用いて,怒り狂う諸国民にこの災いを臨ませるのです。そののちに他の災いをもたらす必要はありません。
51 (イ)メシヤの治めるその御国はだれにとって喜びとなりますか。(ロ)神は事前に通知し,人々に警告すべきだったとして,諸国民が神を非難することはできません。なぜですか。
51 異邦人の時の終わった1914年,全能の神エホバは大いなる支配権を執り,このとき即位したメシヤを用いて王として永遠の統治を開始されました。このことでエホバ神に感謝をささげる,天と地のすべての者にとって,世の諸国民および,その見えない支配者また神である悪魔サタンに災いとなっている事柄は限りない喜びとなるでしょう。イエス・キリストは,「天にいます我らの父よ,願くは,御名の崇められんことを。御国の来らんことを」と祈るように教えました。これら感謝の心を持つ者たちがこの祈りをささげて願い求めているのは,その御国がそれら怒り狂い荒廃をもたらす諸国民に対し,ハルマゲドンにおいて,大いなる災いとなって現われることなのです。(マタイ 6:9,10)諸国民に対する通告は行なわれてきました。神は事前に通告を行ない,人々に警告すべきだったとして,神の公正を非難することはできません。神の7人の天使はこの「終わりの時」の現代,ラッパを吹き鳴らしてきました。それらラッパの音とともに発表され,紹介された幾つかのできごとは,およそ19世紀前の使徒ヨハネが幻の中で目撃した事柄の成就となって現実に生じてきました。これらの事柄はまもなく,神との平和を妨げる敵すべてに臨む「われらの神の刑罰の日」にその最高潮を迎えるでしょう。
52 (イ)『なんぢの怒りもまたいたれり』という預言が神に関して成就する予定の時とはいつですか。(ロ)したがって神はどのようにして地に平和をもたらし,どんな人々の心からの願いに答えられますか。
52 その日が始まるとき,諸国民は彼らの怒りをことごとく表わすでしょう。その時こそ多年忍耐してこられたエホバ神が諸国民を罰する絶好の時期となるでしょう。黙示録 11章18節に,「なんぢの怒もまたいたれり」とあるとおりです。神は永遠にご自分の怒りを押えておられるのではありません。神はこの世界を統治するご自分の権利に挑戦する諸国民に対し,ご予定の時に怒りを表わされるでしょう。1914年,異邦人の時が終わって以来,これら諸国民はこの地の無断居住者と化しました。その時以来,真正の王であられるエホバ神はそれら諸国民を放逐する正当な権利を持っておられます。そして今や神がこのことを行なわれる時が到来しようとしています。神が怒りをもってそのことを行なわれるとき,それは諸国民の滅びをもたらすものとなるでしょう。神との平和を妨げるこれらの敵をこうして滅ぼしたのちはじめて,神はこの地に平和をもたらされるのです。それは神と和解した人々が心から願い求めている永続する平和です。神のメシヤすなわちキリストを通して神と和解したこのような平和愛好者だけが,怒り狂う諸国民に臨む空前の災いの時を生き残るでしょう。
53 (イ)ゆえに神の治める平和な新しい事物の体制はだれとともに始まりますか。(ロ)平和の最大の妨害者はどのように処置されますか。その時,地上の全創造物は何をしますか。
53 平和のうちに神との和解を求めるこれらの人々に神の怒りは差し向けられません。買い戻された人々すべてのための,神の治める平和な新しい事物の体制は,神と和解したこれら地上の住民とともに出発するでしょう。平和の最大の妨害者である悪魔サタンとその悪霊は,完全に閉ざされた底なき穴に束縛され隔離されてその働きは押えられ,邪悪な「天」として人類の世界を支配することはもはやなくなります。地上の全創造物は,もはや滅ぼされたり汚染されたりする恐れなしに,平和と兄弟の愛とを喜び,賛美と感謝を神にささげるでしょう。
[1969年のエホバの証人の「地に平和」国際大会で,「神との平和を妨げる敵に対する最後の災い」と題する前記の内容の講演の終了後,下記の宣言が聴衆に提出され採択されました]
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宣言ものみの塔 1970 | 3月1日
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宣言
1 「地に平和」大会に参集したエホバの証人は,この良い機会をとらえてどんなことを公に行ないましたか。
日本の東京において地に平和大会に集まったわたしたちエホバのクリスチャン証人は,1969年10月18日のきょう,この良い機会をとらえ,人類史上最も不穏かつ危険なこの時代におけるわたしたちの立場と態度を表明します。
2 (イ)人類に恒久平和をもたらす鍵はなんですか。神の子たちとなるためには,何が要求されますか。(ロ)わたしたちは何との結びつきを完全に否認しますか。なぜですか。
2 遠い昔から約束されたメシヤによる神の国によって実現する,天と地の創造者との平和,これこそ,人類世界全体の恒久平和の鍵として,わたしたちが奉ずるものです。神との平和を守るとき,わたしたちは,ともに神の創造物であるわたしたちの隣人に対して戦うことは決してできません。神との平和および仲間の人間との平和は切り離すことができないのです。神の子たち,またメシヤによる神の国の忠誠な民となるため,わたしたちは平和を作り出す者とならねばなりません。(マタイ 5:9)それゆえわたしたちは,クリスチャンと自称する人々の世界つまりキリスト教世界との結びつきを完全に否認します。その歴史が示すとおり,キリスト教世界は仲間の信徒のあいだにさえ肉の戦いを助長し,その衣のすそを血で汚してきたからです。キリスト教世界は,宗教上の良心を異にした人々を迫害し,拷問と残酷な死とにあわせてきました。キリスト教世界はメシヤによる神の国の事柄を推進してきませんでした。そのことは1914年の第一次世界大戦ぼっ発以来とくに顕著です。わたしたちはキリスト教世界と何をもともにできません。聖書に表わされた神のさばきがキリスト教世界を非としており,その刑罰がまもなく執行されることは,今や明白だからです。
3 (イ)第一次世界大戦以来,何を求める世界革命が企てられてきましたか。(ロ)わたしたちはどんな立場を今後も堅く守りますか。同時に聖書から何を示しますか。
3 1914年から1918年にかけての世界
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