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幸福な家庭を築くものみの塔 1963 | 1月15日
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彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない」。使徒パウロも「結婚してもさしつかえないが,それは主にある者とに限る」と述べました。(コリント前 7:39,新口)この命令を無視してエホバから喜ばれることはできません。親は,ほまれあり,聖書的に正しい結婚をするように子供を正しい道に導く重い責任を持っています。
21 なぜクリスチャン会衆は,クリスチャンの父親から良い手本を期待できますか。
21 監督または補佐の僕の資格を持つクリスチャンの父親について,パウロは次のことをテモテに書き送りました,「監督は……自分の家をよく治め,謹厳であって,子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得ていない人が,どうして神の教会を預かることができようか」。(テモテ前 3:1-7,新口)ゆえにクリスチャン会衆は,監督と補佐の僕の家庭を見てそこに正しい手本を見ることができます。このような手本を示していないクリスチャンの父親が監督の地位に留まることは,まず期待できません。
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幸福な家庭における妻と子供の役割ものみの塔 1963 | 1月15日
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幸福な家庭における妻と子供の役割
1 クリスチャンの妻は,どのように家族の幸福に寄与しますか。
家族のかしらと密接に協力して幸福な家庭を築くのはだれですか。この責任と特権にあずかるのはだれですか。「妻を得る者は,良き物を得る」(箴言 18:22,新口)と述べたのはソロモンでした。この言葉は全く真実ではありませんか! きわめて多くの場合,家族のかしらとして成功をおさめている夫のかげには,たとえ目立たない存在であっても,夫の力となり支えとなる良い妻がいます。幸福な家庭において妻はどんな役割をはたしていますか。両親の役割についてはすでにあるていど論じましたが,ここでは妻の立場から考慮すべき点をいくらか加えてみることにしましょう。まず夫と妻は一体となって働き,考え,密接不離の関係を保たねばなりません。それは神のとりきめられたことです。(マタイ 19:5)良い妻は夫の助け手であり,夫の決定に従います。他方,夫は家族の事柄を妻に相談するでしょう。そのようにして平和と一致が得られます。
2 家庭を一致と調和のあるものにしておくには,何が肝要ですか。
2 家族の柱である夫と妻に対するこのすばらしいとりきめを,使徒パウロは次のように説明しています,「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって,自らは,からだなる教会の救主であられるように,夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように,妻もすべてのことにおいて,夫に仕えるべきである」。(エペソ 5:22-25,新口)これは平衡のとれたとりきめです。円満な家庭にひびがはいるのは,この平衡が失われたときです。たとえば夫は妻のかしらであるゆえに妻は主に仕えるように夫に仕えるという22節の言葉に注目して下さい。こと家族の問題に関しては,妻はこの原則に従って夫を見なければなりません。
3 家庭における夫の立場は,どんな場合に著しく弱められますか。
3 だれが物事を決め,だれが指図するかを夫と妻が子供の前で言い争うならば,家庭の根底からしてゆらいでしまいます。夫の権威は地におちてしまい,子供は父親を母親に対抗させることができるようにさえなります。二人の不一致を見て,子供は父親と母親の両方を尊敬しなくなるでしょう。それにひきかえ,家族の方針に関して両親が一致しているならば,それを強力に推し進めることができ,子供は親を尊敬します。―コロサイ 3:18,19。
4 婦人の役割について,ある権威者はどんな観察をしていますか。
4 そのうえ妻の役目が補助的なものであり,夫を助けるのが妻の本分であることは,多くの権威者によっても認められています。最近,ある女流心理学者は,次のことを述べていました,「私は女であり,従って男の人におもに関心を持っています。また私は心理学者でもあるため,普通一般の人よりも男性に対して深い関心を持っています。最近ナショナル・マネジメント協会に依頼されて男女の心理的な要素を研究しました。男女が同じ職場で働くときに生ずる圧迫を軽減するのに私の研究が役立てば幸いです。私は次の二つの事実を知りました。1,女の人はすべて権威の下で働くこと,一口に言えば監督されることを好む。2,女の人は自分が役に立っていることを感じなければならない。根本的に言えばこれらの事実は,男は考えるのに反して女は感ずるということから生まれてきます。知的な能力においては男と同等あるいは男にまさる女の人も,情緒の重荷がハンディキャップになっています。男の人は実際的な考えを持ち,判断し,組織し,指図することができます。このようにして,女の人が如何に男に代ろうと努めても,男が女を監督するのは自然のプランなのです」。この権威が自然のプランと呼ぶものを,私たちは神の目的と認めます。これは実に健全な定めであり,家庭を幸福にするものです。
5 箴言 31章は,よい妻をどのようにほめていますか。
5 神の言葉は良い妻を次のようにほめています,「彼女は口を開いて知恵を語る,その舌にはいつくしみの教がある。彼女は家の事をよくかえりみ,怠りのかてを食べることをしない。その子らは立ち上がって彼女を視し,その夫もまた彼女をほめたたえて言う,『りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども,あなたはそのすべてにまさっている』と。あでやかさは偽りであり,美しさはつかのまである,しかし主〔エホバ〕を恐れる女はほめたたえられる。その手の働きの実を彼女に与え,その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ」。(箴言 31:26-31,新口)たしかに良い妻は,家族の幸福をすすめるうえに大きな働きをします。―箴言 12:4。
6 敬虔な両親の手で訓練された従順な子供の前途にはどんな祝福がありますか。
6 さて家族の第3番目の要素は子供たちです。聖書の原則を実行する敬虔な親から訓練を受ける子供の前途には,すばらしい将来があります。このような子供は,将来がどうなるかを知り,新しい世の希望に胸をふくらませています。(黙示 21:1-5)その利発な心は現在の世界情勢の意味をつかんでいます。そして新しい世の間近いことも知っています。しかし私たちはまだ新しい世にはいったわけではなく,悪と悲しみのつきることがない古い世にいます。しかし敬虔な両親の手で聖書の原則に従って育てられた子供たちは,その行い,教えと伝道によって両親から教えられた原則の正しさを示すことができます。子供たちが幸福な家族の一員となるためには,まず何が必要ですか。第一の要求は,主にある両親に従うことです。(エペソ 6:1-4)クリスチャンの両親は子供にとって何がいちばん良いかを知っています。その教えは理論だけのものではなく,実際に即したものですばらしい成果をおさめます。
7 どんな経験は,クリスチャンの子供の示す良い手本の価値を物語っていますか。
7 敬虔な両親に教えられた子供が時おりする経験は,その事を示しています。たとえば二人の子供の奉仕者は,どのようにして勉強の合間に宣教に参加しているかを尋ねられました。その一人は伝道のやり方を説明するように求められましたが,先生は子供が個人的な聖書研究や会衆の集会で学んだ有益な事柄を分け与えるように訓練されているのを見て驚きました。それは受持の生徒の大半とくらべて全く異なっていたのです。感銘を受けたこの先生は聖書教育の
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