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  • ウーマン・リブは何を主張しているか
    目ざめよ! 1972 | 8月8日
    • ウーマン・リブは何を主張しているか

      「今日のアメリカ女性の意識の底流をなすものは,葛藤であり,欲求不満であり,深い分裂であり,変化である」。

      これは,男女両方を対象に行なわれた意識調査から出た結論で,世界各地の,とりわけアメリカの女性の間に広く見られるムードをよく表わしています。

      ということは,昔はすべての女性が自分の境遇に満足していた,という意味でしょうか。そうではありません。なぜなら,苦情を申し立てる女性は,いく世紀にもわたって多数いたからです。では今日の状態はそれとどこがちがうのでしょうか。

      比較的に新しい傾向は,女性が不満をいだく生活分野が著しく広くなったことや,その叫びが根気強くなってきたことです。また多くの女性は,1960年代の後半ごろから組織をつくり始め,かつてないほど具体的な行動を取り始めました。現在では,女性が多くの面で受けている不公平な扱いと彼女らが主張するものを是正するための変革を要求しています。女が男に黙従する時代はすぎ去った,と彼女たちは言います。

      この運動は一般に「ウィメンズ・リベレーション」(婦人解放運動)という名で呼ばれてきました。ある辞典は,「リベレーション」という語を,束縛から自由にされる,自由な身分または状態,市民としての法的,政治的権利を有すること,と定義しています。この婦人解放運動支持者たちは,「男女同権論者」と呼ばれることもあります。

      この運動に加わっている人たちは,どんな種類の自由を望んでいるのでしょうか。こまかい点になればそれはグループによって異なりますが,いくつかの主要な傾向は,同運動支持グループの大部分に共通しています。その一つは,女性が人として扱われずに,男性の性的欲望を満足させる相手としてのみ扱われるということへの憤りです。女をそのように考える男は,「セクシスト」と呼ばれています。またそれらの女性は,男性優位への過信や盲信に反対し,それを「男性狂信主義」と呼びます。

      もう一つの彼女らが強く抗議している点は,女が就職する場合はたいてい,同じ仕事をしても男と同じ給料がもらえないということです。また多くの職業や地位が男性だけによって占められ,女性がそれから占め出されているのは不公平だ,とも考えています。

      家庭内での男女同権を要求する女性たちもいます。妻も職業が持てるように,夫に家事を分担させたいというわけです。そういう女性たちは,家事を『つまらない仕事』と考え,職業を持って外で働くことを望んでいます。そのほうがずっとおもしろく,挑戦的で,『魅力的』だと考えます。

      妊娠中絶を希望する場合に堕胎できる合法的権利を要求する女性も少なくありません。この権利があれば,別の人間,つまり自分が望んだのでもない子どもの奴隷にならずにすむ,と彼女らは考えます。

      もう一つの要求は,政府機関が育児センターを設置することです。家族の大黒柱として働く母親は,子どもをだれかにみてもらわなければなりません。生活扶助を受けて細々と生きていくよりは,むしろ働いて相当の給料を得るほうがいいとその人たちは考えます。しかし小さい子どもたちを見てくれる施設がほしいわけです。

      何万という女性がすでに自分たちの要求をかかげて街頭行進を行ないました。ニューヨークでは60人ばかりの女性が自由の女神像を“占拠”し,「世界婦人連盟」と書かれた字幕を女神像にまとわせました。この行動に加わった女性のひとりが話したところによると,「女性が自由の抽象的観念の象徴にされていながら,現実には女性は自由でないというのは矛盾している」ということから,自由の女神像が選ばれたということです。

      オランダでは女性の一グループが,有名なオランダ婦人参政権運動家の銅像の前でコルセットを焼き,女子用公衆便所などないという彼女たちの不満を劇的に表現するために男子用公衆便所を急襲しました。また街頭で男たちを口笛で呼びとめ,男の長所や短所について大声で討論しました。オランダの女性は,女性にも男性と同じ給料を払うこと,家事は夫と妻が均等に分担すること,妊娠中絶手術の合法化,学校における性教育,十代の子どもたちに経口避妊薬を与えることなどを要求しました。

      ノルウェーの女性たちは,地方選挙の時,自分たちの女性候補者に多数投票して,国の有力者たちにショックを与えました。ウーマン・リブの候補者が当選して,市議会が彼女たちの勢力下に置かれた都市は少なくありません。ノルウェー最大の都市の中の二つの都市の市議会もそのような状態にあります。

      意見の相違

      しかしわたしたちは,婦人解放運動を,中央統制力のもとにある,一致した国際運動と考えるべきではありません。この運動を行なっているのは多数のグループと個人で,その意見も千差万別です。国や人種的背景の異なる女性の間では,意見の相違が見られます。一国内,あるいは同じ人種のグループの中においてさえ,さまざまな意見があります。

      たとえば,ある人々は,「既成体制」に協力することによって,女性を今日の社会の権力ある地位につけることを望んでいます。しかし他の人々は,既存の社会を完全にくつがえして,その代りに新しい秩序を立てることを望んでいます。また,より平等な結婚生活を希望する人たちがいるかと思えば,結婚というものが完全になくなることを望む人たちがいます。男女の同性愛を容認することをも含めて,性の完全な自由化を望む人たちもいます。しかしその種の性の自由には反対の人たちもいます。

      同運動に携わる女性たちは,政治的にはどちらの方向に進むべきか,はっきりした信念を持っていません。ナショナル・オブザーバー誌は,女性解放運動の集会について,次のように評しました。「研究会では活発な論議がくりひろげられた。一つの研究会では,若い女性の一グループが……年長の代表たちと,政治行動および戦略について,大声を張りあげて言い合いをはじめた」。ひとりの婦人は,『私はこんな論争をするために1,000キロもドライブしてきたのではない』と言いました。

      このように,意見の相違はどこでも見られる現象ですが,それと同時に,ウーマン・リブの女性たちは,彼女らの感情の深さ広さを過小評価してはならない,と警告します。他の人々もそれを認めています。ナショナル・オブザーバー誌は,「ウーマン・リブをまだ真剣に考えたことのない人は,今こそこれを真剣に取り上げるべきときである」と述べています。

      というのは,ウーマン・リブ支持者たちの間に,意見の相違が多々あるとはいえ,意見の一致する分野のほうが強力だからです。たとえば,ヨーロッパにおける叫びは,女は二級市民で,結婚,教育,職業訓練,職業などにおいて差別されているといったふうに,アメリカにおける女性たちの叫びと同じひびきを持っています。彼女たちもまた,男性と同じ仕事をする場合の同じ給料,堕胎問題の改革,保育学校や昼間託児所の設置などを要求しています。

      では婦人解放運動支持者の主張はどうでしょうか。それは道理にかなっていますか。その言うところには真理があるでしょうか。

  • ウーマン・リブの主張には真実性があるか
    目ざめよ! 1972 | 8月8日
    • ウーマン・リブの主張には真実性があるか

      ウーマン・リブを,ぐちっぽい女性たちが考え出したもの,として一蹴するのはたやすいことです。多くの男性はウーマン・リブをその程度に見ています。

      しかし,ある賢者は言いました。「いまだ事をきかざるさきに応ふる者は愚にして辱をかうぶる」― 箴 18:13。

      からだのどこかが痛むときに,不平を言っているだけだ,として診察してくれない医師にあなたは感謝しますか。それとも,問題を分析して,その原因および治療法のあるなしを教えてほしいと思いますか。

      聖書にはもう一つ次のような原則があります。「耳を掩ひて貧者の呼ぶ声をきかざる者はおのれ自ら呼ぶときもまた聴かれざるべし」― 箴 21:13。

      ですから賢明な人は,人の言うことに耳を傾けます。その苦情が正当なものかどうかを見分けるために,事実をよく検討し,しかるのち,事情に応じて適宜に行動します。

      不満の原因は何か

      もし偏見をもたずに歴史を見るならば,女性が不満をいだく原因がたくさんあったことを認めないわけにはいかないでしょう。

      歴史はじまって以来,政治・経済・宗教上の権力はおもに男の手中にあります。しかしその結果は,胸の悪くなるような残虐行為のくりかえしでした。第二次大戦の時だけでも,「一般市民と軍人の死亡者数は合計5,500万と推定されており…一般市民は…空爆,大量殺りく,強制移民,流行病,飢餓などで大きな損害をこうむった」と,ワールド・ブック百科事典は述べています。

      もちろん,女がすべてを決定していたら,少しはましだったろう,というようなことはだれにも言えません。いくつかの国で,女性が実際に統治したときがありましたが,状態はさして変わりませんでした。エジプトのクレオパトラ,パルミラのゼービア,英国のメリー1世(「流血のメリー」),あるいはスコットランド女王メリーなどの歴史を読んでごらんなさい。彼女たちの支配によっても,事態は改善されなかったことがわかります。

      とはいえ,戦争をはじめた責任がおもに男にある事実は変わりません。兵器も大部分が男の発明です。女は,自分の家庭が破壊され,愛する者たちが殺され,不具にされるのを見てきました。そして軍隊が広い地域を通過する時には残虐な扱いを受け,強姦された者は数知れません。

      しかしその反面,戦時中,両側の女たちはどれほど戦争に抗議したでしょうか。たとえば,どちらの世界大戦においても,ドイツの女性は自国の戦争努力を勤勉に支援し,英国やアメリカの女性は,英国やアメリカの戦争努力を支援しなかったでしょうか。大多数の女性が,国の戦争への協力を拒否した,という話を聞いたことがありますか。ある戦争努力の最強の支持者は一部女性たちでした。

      しかしながら,いろいろな国で,多くの女性が,歴史はじまって以来,動物や奴隷とほとんどかわらない扱いを受けてきたことは事実です。彼女らは,夫が死んだら自殺するものと教えられ,てん足によって奇形にされ,男と同じ食卓で食事をすることを禁じられ,あるいは最高入札者に本人の感情とは無関係に売り渡される,といっために会わされてきました。そして平時においてさえ,毎年何千という女が強姦されます。こうして,女に対する抑圧行為を列挙すれば限りがなく,それを否定することはできません。

      今日の『開けた』社会においてすら,女性はある種の差別を経験します。ニューヨーク・タイムスは次のように伝えています。「女は家財,と考えられていた中世に起源を有し,代々の男の立法者や裁判官たちによって潤色されてきたアメリカの法律には,女に法の平等な保護を与えているとは言い切れない点が多分にある」。

      ニューヨーク州では,「監督が必要」と見なされる少女は,18歳まで刑務所に入れておくことができます。少年の場合には,その年齢は16歳までです。消費者業務局職員の弁護士サリー・ゴールドは,「16歳の少女が非行を行なう場合は…4年まで感化院に入れることがある」「少年に対してはそういう考え方はされない」と述べています。16歳の少年は,同じほど素行がわるくても罰せられないのです。

      家族生活はどうか

      多くの女性は,家族生活における自分の役割に不満をいだいています。彼女たちの主張には真理があるでしょうか。コーネル大学の心理学者ユリー・ブロンフェンブレナーは次のように述べています。

      「私は婦人解放運動に反映される憤りと欲求不満に大いに同情する者である。女性たちは,いわゆる男の世界の中で差別されているだけでなく,女性としての役割においても威信をはく奪されている。

      「昔は母親は,子どもたちを立派に育てたことを,隣り近所の人々から認められたものだ。現在でも子どもに対する母親の責任は変わってはいないが,それを支持する,または認めることは,十分には行なわれていない。夫はほとんどの時間家にいないし,隣人は多くの場合ほんとうの友だちではない。

      「われわれは,女性が両方の世界で欲求不満に陥るような事態をつくり出しているのだ」。

      父親の多くは,子どもを訓練する責任を母親に転嫁しています。その結果母親は,本来なら父親がすべき決定を下したり,問題を処理したりしなければなりません。このことにかんしてルック誌は次のように述べています。

      「アメリカの女性は,夫を押しのけて自分が家族のかしらになっていると非難されている。この耳なれた非難に対して彼女は心中,母親が父親に,子どもの生活にかんする重要な決定をさせ,懲らしめを与えさせ,むすこたちに男らしさの手本を示させようとして空しい努力をしない家庭はひとつもない,と反撃する……」

      「夫は自ら選んで,また妻の抗議をもはばからず,子どもの生活 ― 学校教育,性教育,宗教的,道徳的訓練 ― にかんする重要な決定を妻にまかせる。『こういうことについては自分よりも妻のほうがよく知っている』と夫は言う。しかしそう言いながらも,妻は自分から,家庭における権威を奪っていると信じ込んでいるのである」。

      あまりにも多くの男が,家族に対する責任を投げうっているので,ウーマン・リブの女性の中には,家庭は時代おくれで廃止すべきだという人たちがいます。しかしそれで問題は改善されるでしょうか。アメリカ家族関係研究所のポール・ポペノー博士は言います。「家族生活が崩壊したのち生き残った社会はひとつもない」。ハーバード大学のエメリタス・カール・ジママン教授は,古代ギリシアとローマの家族生活の崩壊について,「いずれの場合にも,家族制度への信仰と信念の変化が……文明そのものの重大な危機と結びついていた」と述べました。

      家族という仕組みを放棄するのは,『赤ん坊を洗濯水といっしょに放り捨てる』ようなものです。多くの家族が幸福で,問題に対処していっている事実は,問題が家族という仕組みにあるのでないことを示しています。問題はむしろ,ひどく利己主義で,自分の分を果たそうとしない人々にあります。

      「平等」についてはどうか

      ほとんどすべての分野で,女性は,自分と同じ仕事をする男性と同じ給料をもらうことはありません。これは一家の大黒柱として働く母親にとってはとりわけつらいことです。

      この不平等のために,一部の女性は現在,人間活動のあらゆる分野における完全な男女平等を要求しています。しかし,もし全面的に平等が実施されるとしたら,どんな結果が生ずるでしょうか。

      もしも女が男と完全に平等であるなら,戦争のときに政府は女性を徴兵に取り,野原や,ジャングルや,ざんごうの中で戦わせるでしょう。ニューヨーク・タイムズの記者グローリア・エマーソンが,南ベトナムのケサンにいたとき,同地域は北ベトナム軍の爆撃を受け,彼女はアメリカ軍の掩蔽壕に逃げ込みました。彼女はあとでこのように語りました。「その孤独のしゅんかんに私は,自分がかねがね望んでいた以上に男と同等になった。私はその恐怖を,いまはやりのウーマン・リブの強烈な支持者たちと喜んで分かちあったことだろう」。

      あらゆる意味での平等は,女に依頼し得る仕事の型を支配する健全な法律を排除してしまうでしょう。もしあなたが女性であるなら,そして夫が家事を平等に分担するなら,あなたはほんとうに男と平等に,地下何百メートルもの炭坑で石炭採掘作業をしたいと思いますか。もし夫が,料理やそうじを手伝うことを承諾するなら,あなたはほんとうに農夫の夫と同じ時間,畑を耕し,堆肥をシャベルですくい出す仕事をしたいと思いますか。あなたはそうするほうが好きですか。

      ある女性たちは,“退くつな”家事ばかりさせられるのは不公平だ,と主張します。しかし他の女性たちは,家庭を管理し,献立てを作り,家具を整え,装飾を施し,子どもたちの思いを正しく養い育てていくことに挑戦を感じます。これを退くつだと考える女性に対して,多くの男性は,“ホワイトカラー”の仕事にせよ,“ブルーカラー”の仕事にせよ,男の仕事に“はなばなしい”,あるいは“おもしろくてしかたがない”ような仕事がいったいどのくらいあるのかと尋ねます。ほとんどが単調で,欲求不満を感じさせる,満足の得られない仕事です。男は普通,厳しいスケジュールにしばられていて,もしそれから離れるなら,くびが危くなります。多くの男性は,家庭の主婦たちの,もっと融通のきくスケジュールをうらやましく思っています。

      あなたがご存じの,仕事を持つ妻や母親のうち,もしその収入が必要ないとしたら,どれだけの人が職にとどまるでしょうか。家庭の管理よりも,単調でしかも厳しいスケジュールの仕事のほうを好む女性はほとんどいません。働かなければならない女性や妻や母親に聞いてごらんなさい。

      最近,女性を対象に,このことについての意見調査が行なわれました。それによると,71対16%の票で,女性たちは,「仕事をもつよりも家庭を管理,子どもの世話をするほうが報いが大きい」と認めていることを示しました。

      性の象徴

      男は女を単なる性の象徴として扱っているでしょうか。不幸にしてそれは,非常に多くの男性について言えることです。そういう男性が女性に対してもつ唯一の関心は,性的欲望を満たせるかもしれないということです。

      この関心に迎合して,映画や雑誌や広告は,扇情的なポーズの女性で満たされています。これはだれの責任でしょうか。ほとんどの場合,そうしたものの製作を指揮する男の責任です。

      しかしだれが女性を強制してそのような役を演じさせたり,ポーズを取らせたりするのでしょうか。ほとんど全部の女性が自分から進んでそれをするのです。

      最近のことアメリカで,ウェイン州立大学の女子学生たちが,男の客に裸体写真を撮らせていたことが明るみに出ました。料金は30分15ドルで,学生たちはこれを,『自分で働きながら大学を出る』手段としていました。しかし他の多くの学生は,からだを売るようなことをせずに,働いて大学を出ることができたのです。

      このように,女性もたしかに,自分から『セクシスト』に使われています。自分の意志で売春婦になる女性もいます。不道徳な目的のためにポーズを取る女性もいます。また,ミニスカートをも含めて,性を刺激するような服装をする女性も少なくありません。ですから大部分の女性は,男性を『セクシスト』にしていると非難されてもしかたがありません。

      これと関連のあるのは,ほとんどの場所で堕胎が合法化されていないために,女性が不手ぎわな堕胎手術でけがをしたり,死亡したりしている事実です。多数の女性が今,人工妊娠中絶手術の合法化を要求しているのはそのためです。しかし問題はどこにあるでしょうか。法律が,まだ生まれていない子どもに生きる機会を与えようとするのは,ほんとうにまちがっているでしょうか。わたしたちもかつては母親の胎内にいたのです。もし母親がわたしたちをおろす合法的な権利をもっていたなら,どうなっていたでしょうか。

      1971年12月18日のサイエンス・ニュースは,「だれが人工妊娠中絶手術を受けているか,今でははっきりわかるようになった。…一番多い患者は,初めて妊娠した,若い独身の白人女性である」と述べています。それらの女性は,淫行を禁ずる神の律法を無視して妊娠したのです。わるいのはだれですか ― 胎児ですか。なぜ罪のない者を罰し,罰するために殺害し,そのうえにそうした殺人の合法化を要求するのでしょうか。

      神が“男”であることに反対

      平等は神の呼称にまでおよばねばならない,という反対の声まであがっています。ボストン大学神学部の教授メリー・ダリーは,「神が男性としてのみ表わされる限り,われわれ女性にとって神は死んだ者である」と述べました。

      しかし,アメリカの有名な人類学者マーガレット・ミード博士はそれには共鳴していません。ニューヨーク・タイムズは次のように伝えています。

      「マーガレット・ミード博士は昨日,私はいままで女性の平等のために働いてきたが,女性解放運動の一部のメンバーが言うような『はなはだしいナンセンスには一学者として共鳴』しかねる,と述べた。……

      「『神は男である』を『神は女であるに変えたところで,人々のひんしゅくを買う以外にいったい何が得られるというのか』と彼女は問いかける。『そんなことをしたところでなんにもならない。そのように変えたところで,また正反対のものを得るにすぎない』」。

      不合理な要求は嘲笑を招くだけで,ほんとうに不公平な事柄から人々の注意をそらさせてしまいます。また,不合理なことを要求すると,傍観者たちは,他の主張もおそらくばかげたものだろうと考えるようになります。ある女性が,マイアミ・ヘラルドの編集者あてに書いた次の手紙をごらんください。

      「最近まで私は女であること,女が演ずること,そして社会における女の役割に誇りをもっていました。しかし今,同性である多数のおとなの女性が,2セントの棒つきあめをほしがる子どものように,ぴょんぴょん飛びはねながら,金切り声をあげ,ある種の権利を要求するのを見ていて,たいへん迷惑し,また恥ずかしく思っています。彼女らはそれらの権利の多くを得ていませんし,またそのうちのいくつかの権利は有効に用いられはしないでしょう。

      「婦人解放運動の背後にいる『レディ』たちは,わたしたち満足している女性のことは少しも考えずに,曲馬団の芝居よろしく,女性全体のために弁じようとしているように思われます。

      「自分が女性としてなっていないために男性の身分を得ようとする,過度に感情的で不平だらだらの女性たちによって格下げされることに対し,私も他の多数の女性と同じく抗議します。ブラジャーを銃に変え,女性の肉体的,感情的力では持ちこたえられない権利や責任を要求することは,将来決してよいさまにはならないことを多くの人は予見しています」。

      とはいえ,女性が不公平な扱いを受けてきたこと,また現に受けている事実は変わりません。そこで,わたしたちが知らなければならない事柄は,男は女をどう扱うべきか,ということです。男が女を正しく扱うなら,どんな結果が生まれるでしょうか。

      これらの質問の答えを出す前に,男と女はどのようにつくられているかを検討してみるのがよいでしょう。両者にはどんな役割がいちばん自然でしょうか。

  • それぞれの役割にふさわしくつくられている
    目ざめよ! 1972 | 8月8日
    • それぞれの役割にふさわしくつくられている

      人類に男女二つの性が存在するという基本的事実は,何ものも変えることができません。子どもも男か女に生まれます。

      しかし両性の相違はどれほど基本的なものでしょうか。それらの相違は何を意味するでしょうか。おのおのに,より適した生き方があるでしょうか。

      生物をよく調べてみますと,たいていの場合,それぞれに最も適した生き方があります。たとえば,ヤシの木やサボテン類は,寒い北部地方でよく育ちますか。いいえ,それらの植物には暑い気候が向いています。しかしドーグラス・モミは,北方の寒い気候の中でいちばんよく繁茂します。北極グマは寒いところにいるほうが調子がよく,キリンは暑いところにいるほうが元気です。

      生物が状況の変化にある程度順応できるのは事実です。しかし,自分に最も適した状態から遠く離れれば離れるほど,問題が多くなります。

      男と女の間の関係にも“最適”の状態というものがあります。これから遠く逸脱すればするほど,いろんな問題を経験することになります。

      基本的な相違

      それで認められねばならないのは,男と女の間には,いかに論じても変わることのない基本的な相違がある,ということです。明確な相違はからだの外観や生殖器に見られます。また,人類の遺伝の法則は,男のほうが無骨なつくりをもっていて強いという事実を,その中にしっかりと閉じ込めています。

      たとえば,オリンピックの時の記録を比較してみると,100㍍競争の男子の記録は9.9秒でしたが,女子の場合は11秒でした。この短距離では男子は女子よりも9㍍から10㍍先に決勝点にはいることができます。オリンピックの走り高とびの記録は,男子は2.2㍍以上,女子は1.9㍍以下でした。比較しうるどの競技においても,男のほうが女よりも速く走り,高く飛び,砲丸を遠くへ投げます。

      なぜ男は女よりも体力が強いのでしょうか。それは生活していくうえにおいて,女とは違う役割を果たすようにつくられたからです。男は女よりも重い仕事をし,家族を養うことにおいて率先し,また家族を保護しなければならないからです。

      ではそのために女は男よりも“劣ったもの”になるのでしょうか。均整のとれた女のからだは,均整のとれた男のからだよりも“劣って”いるでしょうか。女のからだは男のからだよりも価値が低い,あるいは役立たないものでしょうか。カシノキとバラとどちらが「すぐれている」でしょうか。両者ともそれなりの価値があり,望ましい点があります。

      からだの構造や体力の相違に加えて,女には月経とか更年期などの生理的周期があります。したがって,男と女の間には肉体的に根本的な違いがあるという真理からのがれることはできません。事実,科学者には,前もって性を知っていなくても,ある体細胞が男のものかあるいは女のものかがわかります。ある専門家は,「男のからだの細胞はみな,女のからだの細胞と異なる」と述べています。

      他の相違

      男と女の間のそのような変更不可能な相違が遺伝の法則の中に閉じ込められている以上,感情的あるいは心理的な相違があっても不思議ではないわけです。ルトガーズ大学の人類学者ライオネル・タイガーは次のように述べています。

      「簡単にいって,男性と女性の違いは男性の陰謀だけによる結果でないことを示すかなりの証拠がある…その相違は,きわめて多くの異なる状況と文化の中で生ずるため,女権拡張論者の説明はそれ自体不適当で,われわれをして彼女らを理解させる助けにはならない。しかも,抑圧的な男性とは関係がなく,むしろ社会の安全と,子どもたちの健康な成長を確保することと関係のある性の相違には,生物学的な基礎があるのである。……

      「現在ではわれわれは次のことを知っている。すなわち精巧なDNAの遺伝法則は,各人が,大きさとか,形,化学的構成などの簡単な肉体的特徴のみならず,特定の生理学に沿って特定の社会行為をする性質もそのまま受け継ぐことを可能にするということである」。

      ですから,両性を異なるものにする身体的な特徴よりも,遺伝の法則のほうが多くを決定するわけです。遺伝の法則はまた両性に,異なる反応を起こさせる,異なる感情的要素を与えます。一般的に,女は男よりも優しい性質をしています。また男よりも社交的で,敏感で,思いやりがあり,多くの場合男よりも忍耐力があります。

      ではなぜ女性は,肉体的,感情的に異なる特徴を持つ者につくられたのでしょうか。なぜなら女は男と異なる役割をもっているからです。

      女のほうがすぐれている点

      母親としての女の役割ほどこれをよく示すものはありません。女は,子どもを生み,赤ん坊に授乳できるようにからだが備わっているだけでなく,そういうことを好む感情的特色をもっています。

      歴史はじまって以来,全世界の人々が,母親に赤ん坊の世話をさせる必要と賢明さを見てきたという事実は,単なる男性の陰謀よりもずっと多くのものを暗示します。それがはっきり示しているのは,女は男とはちがう役割を果たすためにつくられた,ということです。その役割があるので女は人間社会の中で重要な存在です。どのくらい重要ですか。自問してみてください。母親たちがいなかったら,あなたをも含めて,人類はどこにいるでしょうか。人類というものは全く存在しないでしょう。聖書は述べています。「女の男より出でしごとく,男は女によりて出づ」― コリント前 11:12。

      また,赤ちゃんの正常な発育に,母親の愛は父親の愛にまして絶対に必要なものです。孤児院で育てられた赤ちゃんたちの詳細な調査が示すところによると,母親の愛のこもった世話を受けられなかった赤ちゃんたちは損害をこうむり,ほとんどがそれから完全には回復しなかったということです。そういう子どもたちは,感情的,知的,そしてときには肉体的な問題さえかかえて成長する恐れがあります。

      ニューヨークの児童発育センター所長ピーター・ニューバー博士はこう言っています。

      「母親または母親に似た者から[子どもが]受ける愛と愛情 ― 最も重要な時期は誕生時から3歳まで ― は,一生変わらない感情的発達の進路を決定する…

      「わたしたちは以前,母親は授乳の時赤ん坊をだいてやらねばならないと言っていただけであった。しかし今では,赤ん坊にきわめて必要なのは,『ペッティング』(触れること),『明るい顔』(見ること),『愛情のこもったことば』(音),そしてにおいと味であることがわかっている。

      「『愛と愛情』を成すものは,意味のないことを赤ん坊と話したり,歌ったり,ほほえみかけたり,ほほえみかえしたり,抱きしめたり,ゆすってやったり,放り上げたり,笑ったりすることである。

      「もし何かがうまくいかなかったら,3歳をすぎるとなおすのが次第にむずかしくなる」。

      あなたは愛情深い母親が赤ちゃんの世話をするのを見たことがありますか。幼い赤ん坊が必要とするものを与えることにおいて,母親のほうがすぐれているのはいうまでもなく明らかです。父親の役割が重要でないというのではありませんが,子どもがごく幼いときは,母親の役割のほうが重要だということです。

      役割を果たすことに満足する

      家庭における自分の役割と戦うのではなく,それを理解し,それを果たすなら,女はそれから大きな満足を得ることができます。ある女性は「レディス・ホーム・ジャーナル」に次のような一文を寄せました。「わたしたち女性は,男とは違う性質のものにつくられましたが,男より価値の低いものにつくられたわけではありません。私のいちばんの望みは女らしくあること,これは生活の中において私の当然の役割です。そして夫がその本質どおりにより男性的になるように励ますことです」。

      またある母親は次のように述べています。「個人的なことになりますが,夫とともに時間をすごし,いっしょに物事をするときが,私にとっていちばん満足できるときです。しかしそれには,子どもたちが周囲にいて,成長していくのを見守り,子どもたちに誇りをもつことも含まれます」。

      別の母親は,女性には「アイデンティティの問題」がある,という主張に対して感想を述べ,私にはそんな問題はない。反対に,主人と二人の子どもから,深い愛と好意と尊敬とをもって見られていると語り,「女性たちよ,わたしをこうしたものから解放しないでほしい」と頼んでいます。

      マッコール誌のある記事は次のことを指摘しています。「どんな男[または女]がなんと言おうと,自分の世界を家族に住みごこちのよい場所にする普通の女性のほうが,スチーム・ボイラーの組み立てとか,自動ベーコン・スライサーの生産などに献身する工業界の1ダースのキャプテンよりも多くのことを成し遂げる」。

      しかし女性が,自分の役割や必要を理解してくれない,また自分を正しく扱ってくれない夫,父親,または兄弟を持っている場合は,たしかに不幸です。多くの場合,解放を求める女性はそういう立場にある女性です。

      それにしても,男はどのように女を扱うべきなのでしょうか。とくに夫はどのように妻を扱うべきでしょうか。また,子どもを生むことが女の主要な役割でしょうか。

      [11ページの図版]

      生まれたばかりの赤ちゃんに必要なものを与える点で女のほうがすぐれていることは明らかである。しかしそれが女性の主要な役割だろうか

  • 男は女をどう扱うべきか
    目ざめよ! 1972 | 8月8日
    • 男は女をどう扱うべきか

      男が女を扱う最善の方法とは何でしょうか。とりわけ夫は妻をどのように扱えば二人のためになるでしょうか。

      こうした質問に答え得るのは,最高の資格を備えている者だけです。それはだれでしょうか。それは,男と女の思いと肉体を設計し,つくった者でなければなりません。創造者であられるエホバ神は,ご自分の創造物がどのように行動すれば最善の結果が得られるかをたしかにご存じです。

      忘れてならないのは,結婚というものは,歳月のたつうちになんとなく発達した,偶然のできごとではないということです。最初の結婚は神によって定められたものです。はじめに神は男を,ついで女をつくられ,二人をいっしょにして夫とし妻とされました。二人はそれぞれいくぶん異なる特質と責任を与えられました。そのことについては,創世記 2章18節に次のように述べられています。「人独なるは善らず 我彼に適ふ助者を彼のために造らんと」。

      助者はいわば片割れで,それが加わってはじめて全体ができ上がります。助者は欠けているものや必要なものを補います。男と女の場合,どちらも,互いによって補われねばならないところのあるものにつくられています。男女の特質は非常によくバランスが取れている,つまり補足しあっているので,夫婦である男と女は「一体」と考えられました。(創世 2:24)これが二人の最善の益になったことは,聖書がさらに,「神その造りたる諸の物を見たまひけるに甚だ善りき」と述べていることからわかります。―創世 1:31。

      女が創造されたとき,女の働きは子どもを生むことだけである,と言われなかったことにも注意してください。強調されているのは,補足する者,またはパートナーとしての妻の夫に対する関係です。子どもを生むことにおいても,妻はいうまでもなく夫を補足する者です。なぜなら,どちらも一人では子どもをもうけることはできないからです。しかし妻は,他にも多くの方法で夫を補うことができます。

      女に対する神の見方

      また,女の創造者なるエホバ神に対する関係は,夫や子どもに対する関係よりも重要なものでした。これはいくつかの面から知ることができます。ひとつは,男のほうが重い責任を与えられましたが,女もまた神の属性を反映する特質を与えられ,それらを男と同様にもっている,ということでした。

      たとえば女は,愛という特質において,どちらから見ても男より劣ってはいません。しかもこれは神の属性の重要な特質です。聖書は次のように述べています。「愛なき者は神を知らず,神は愛なればなり…神は愛なり愛におる者は神におり,神もまたかれにい給ふ」。(ヨハネ第一 4:8,16)これは男と同様,女についても言えることです。

      そしてまた使徒パウロは,男の信者だけでなく,女の弟子たちをも含めて,次のように述べました。「そしてわたしたちはみな,ベールをしない顔で鏡のようにエホバの栄光を反映しつつ,また霊なるエホバによってなされるままに,栄光から栄光へと同じ像に変えられてゆくのです」。(コリント後 3:18,新)事実,神が女を高く見ておられることを示す決定的な証拠は,女に,み子の天の政府を構成する人々に加わる特権を与えられたということです。だからこそ聖書はこのことについて,「男も女もなし,汝らはみなキリスト・イエスに在りて一体なり」と述べているのです。(ガラテヤ 3:28)そういうわけで神は女を重んじ,愛をもって見,人として交渉されます。女の神に対する関係は,男の神に対する関係と同じく重要なものです。

      責めはだれにあったか

      しかし,そのうちに最初の男と女は,彼らのものにはなり得ないものを欲しがりはじめました。彼らは,神の律法を導きとするよりも,自分で善悪を決める権利と能力を持って神のようになることを望んだのです。女が先に反逆し,ついで男が反逆しました。―ガラテヤ 3:1-6。

      このことからある人たちは,『もし女がいなければ,わたしたちはエデンの園にいるだろう』と言います。しかしそれは正しいとは言えません。男は先につくられ,より重い責任をもつ家族のかしらにされました。船長である男は,海が荒れても,船をまっすぐに進めるべきでした。ところが最初の人間アダムは,家族のかしらとして失敗しました。彼はより重い責任をもっていましたから罪もより重いものでした。したがってロマ書 5章12節は,「それ一人の人によりて罪は世に入り,また罪によりて死は世に入り」と述べています。

      神の導きから離れた結果,人類は自分自身の行動の規則をつくりはじめました。このことにおいて,女は多くの場合敗者になりました。というのは,男のほうが体力が強く,また積極的であるため,女を支配し,またしばしば女を虐待することができたからです。それは神の目的に反することでした。

      神のよりすぐれた道が明らかにされる

      しかし神は,人間の愚行を許すことに時の限りを設けられました。世紀を経るにつれて神は,人間が落ち込んだ悪い状態を正すためにご自分がしようとされていることを徐々に啓示していかれました。

      イエス・キリストが生まれる約15世紀前に,神は古代イスラエル民族との交渉によってさらに多くの目的を明らかにされました。神はモーセを通してイスラエルに律法をお与えになりました。その中には女性の益になる定めも組み込まれていました。これらの定めによってイスラエルの女は,周囲の異邦諸国の女よりもはるかに恵まれた境遇におかれていました。

      それからいく世紀かたってイエス・キリストがキリスト教を創始され,神の目的をさらに詳しく解明されました。キリスト教の体制のもとでは,女は,古代イスラエルの女よりもさらにすぐれた位置に置かれました。真のキリスト教は,どんな男や女が考え出した,どんな道よりもはるかにすぐれた生きる道でした。そして神の目的どおりにそれが実行されたなら,女はそれから益を得ることができました。

      キリスト教のもとにおいても,家族の『船長』としての男の役割は変わりませんでした。神が男と女をどのようにつくられたかを考えれば,それは最もよい取り決めでした。ですからエペソ書 5章23節にあるとおり,「キリストは自ら…〔会衆〕の首なるごとくに,夫は妻の首」です。それにもし家族にかしらがなければ,どんなことになるでしょうか。口論がはてしなくつづいて合意に達することがなく,最後的な決定を下す者はいないことでしょう。しかし家族の福祉のためには,だれかが最後の決定を下す権威を持っていなければなりません。神はその役割を夫にお与えになったのです。

      たとえば,ある人が車を運転していて,方向とスピードを即刻変える必要のある交通状態が生じつつあるのに気づくとします。そのときもし妻が自分の意見を出して,自分の考えどおりにするよう言い張るとすれば,ことはめんどうになるだけです。だれかが最後の決定をくださねばなりません。それを夫が愛のこもった,思いやりのある方法で行なうなら,ほんとうに家族の益になります。

      どんな種類のかしらの権?

      しかし夫のかしらの権とは何を意味するのでしょうか。それはすでに述べたように,家庭の中において最終的な決定を,とりわけ重大な問題に関する最終的な決定を下す権利をもつことを意味します。しかし夫はそのかしらの権をどのように行使すべきでしょうか。かしらの権は夫にボス,または独裁者になる権利を与えるものでしょうか。

      それは決して神が意図されたことではありません。というのは,エペソ書 5章28,29節で,「夫はその妻を己のからだのごとく愛すべし,妻を愛するは己を愛するなり。己の身を憎む者はかつてあることなし」とはっきり述べられているからです。夫は,自分のことを考えるのと同じように妻に思いやりを示す責任があります。夫と妻は一体だからです。

      しかしこれにはさらに多くの事柄が含まれています。神は夫に次のことをも命じておられます。「夫たる者よ,汝らその妻を己より弱き器の如くし,知識にしたがひてともに棲み…これを貴べ」― ペテロ前 3:7。

      人を貴ぶとはどうすることでしょうか。その人を敬意をもって遇することです。その人の意見や好ききらいに考慮を払います。問題がなければ,その人の好むほうを行なわせます。そしてコロサイ書 3章12,13節に述べられていることを実行します。「慈悲の心・仁慈・謙遜・柔和・寛容を著よ。また互に忍びあひ,もし人に責むべきことあらば互は恕せ」。

      これは,妻が夫を愛し尊敬しやすくする特質です。実際に,幸福な結婚生活を送っているある婦人は,ご主人のどういうところが一番いいと思うかと聞かれたとき,『私に対してやさしく思いやりがあるところです』と答えています。それこそ夫が妻に示すべき態度である,と神は述べておられます。

      また,子どもの生活の中で最初のうち母親の役割は重要なものですが,時がたつにつれ父親の役割のほうが重要になってきます。ですから神の律法は,道徳,宗教,鍛練など,生活の中の重要な事柄において成長期の子どもを訓練するさいに父親が指導することを命じています。母親もこうしたことにおいて重要な役割を果たしますが,それを指導しなければならないのは父親です。―エペソ 6:4。

      良い手本を示すこと,また『言ったことを実行する』ことは,指導の一部です。ここで父親にできる一つのすばらしいことは,子どもたちの母親を愛することです。それは未来の母親や父親に対するりっぱな模範です。

      まだあります。エペソ書 5章25節〔新〕には,「夫たる者よ,キリストの〔会衆〕を愛し,これがために己を捨て給ひしごとく汝らも妻を愛せよ」としるされています。そうです,夫は妻のために命を捨てることをも辞さないほど,妻への思いやりがなければなりません。イエスは愛する者たちのためにそれをされたのです。

      そう明な女性であればだれが,妻をそのように貴び,妻に対してそのような敬意と,思いやりと,やさしさを示し,しかも忠実である夫から解放されたいと思うでしょうか。もちろん妻にも果たすべき役割があり,聖書はそれについて多くの良い助言を与えていますが,ここではおもに夫の責任を検討しています。

      他の女性をどう扱うか

      では男は妻以外の女性をどう扱うべきでしょうか。若者であったテモテは,神の霊感による次の助言を与えられました。「老人を譴責すな,反ってこれを父のごとく勧め,若き人を兄弟のごとくに,老いたる女を母の如くに勧め,若き女を姉妹のごとくに全き貞潔をもて勧めよ」― テモテ前 5:1,2。

      男性は年老いた女性を母親のように敬わねばなりません。また若い女性に対しては,自分の姉妹に対するように貞潔をもって接し,性の対象と見るのでなく一人の人として扱わなければなりません。

      女の役割を正しく見る

      イエスは女を高く見ておられました。イエスは女を『下位者』,『性の対象』または子どもを生むだけの者とは考えておられませんでした。あるときイエスはマリヤとマルタを訪問されました。マルタはいろんな準備に忙しくしていましたが,マリヤは『イエスの足下にすわってみことばを聞いて』いました。マルタがマリヤは手伝ってくれないとこぼしたとき,イエスはかえってマリヤをほめ,マリヤは『善いほうを選んだ。これは彼女から取り去ってはいけないものだ』と言われました。(ルカ 10:38-42)イエスは家事を軽視されたのではなく,女性にはそれよりもっと重要なものがあることを示されたのです。

      別のときある女がイエスに向かって,「幸福なるかな,汝を宿しし胎,なんぢの哺ひし乳房は」と言いました。しかしイエスはその女に言われました。「さらに幸福なるかな,神のことばをききてこれを守る人は」。(ルカ 11:27,28)女の神に対する関係は,母親としての役割よりも重要であることをイエスは示されたのです。結局,子どもを生んで養育するのは,女性の生涯の一部にすぎません。そしてもし男が,それも夫が神の律法を破るように言うならどうですか。聖書の原則は,「人に従はんよりは神に従ふべきなり」です。―使行 5:29。

      ですから,男は女をどう扱うべきかについて聖書が述べていることをほんとうに調べてみるなら,神が女を威厳のある,恵まれた地位に置かれたことがわかります。この世の大部分の男性は,神の高い標準を守っていません。しかしそのために神の標準がまちがっていることにはなりません。かえってその標準はそういう男性の態度がまちがっていることを暴露します。彼らはいつかそのことについて神に申し開きをしなければならないでしょう。

      真のクリスチャンの男性は神の標準を受入れます。もしあなたがエホバの証人を調べてごらんになるなら,彼らがほんとうにそうしているのを発見されるでしょう。彼らはその標準をどのように生活に適用するかを絶えず学んでおり,彼ら自身,および彼らが接する女性たちの受ける益は増しつづけています。そして彼らの妻,母親,姉妹たちがまた神のすぐれた標準を尊重して彼女らの役割を正しく果たすとき,そこにはすばらしい調和と幸福が生まれます。それからの解放を望む女性はいません。そういう取り決めの中にとどまることが強制されているからではありません。その取り決めが他のどんな方法よりも女を幸福にするはるかにすぐれた道であることを知っているので,彼女ら自身がとどまることを望むのです。

      しかし,そのように互いに一致した男女でも,やはり解放を必要としています。何からの解放ですか。憎しみ,犯罪,戦争,貧困,病気,死などの満ちた世界,女性のみならず男性や子どもたちに対しても不公平なことを行なう世界からの解放です。そのような解放がはたして実現するでしょうか。

      [15ページの図版]

      ある女がイエスに,「幸福なるかな,汝を宿しし胎は」と言ったとき,イエスはお答えになった。「さらに幸福なるかな,神のことばを聞きてこれを守る人は」

  • 真の解放は近い
    目ざめよ! 1972 | 8月8日
    • 真の解放は近い

      女性は確かに多くの面で解放を必要としています。しかし男性も解放を必要としているのです。インドの首相ミセス・インディラ・ガンジーは,「男性も女性同様解放されてはいない」と言いました。

      全人類が解放を必要としているのが実状です。トロントのデーリー・スター紙は次のように述べています。

      「わなにかけられているような,満たされない感情は女性だけに限られたものではない。われわれは,多くの人が孤独で,不安定で,満たされない気持ちをもち,満足のいくアイデンティティや,自分の能力を十分に活用する機会を持たない,工業化された大衆社会に住んでいるのである。

      「人々は男性と女性である。女性の不幸の原因を結婚および男性の支配とするのは,20世紀における生活の現実を盲目的にゆがめ無視することである」。

      工業文明は,多くの人の予想に反して,人類の祝福とはなりませんでした。その大部分はのろいとなっています。工業文明は,何百万という人々が押しあいへしあいする大都会をつくり出しています。空と太陽を壁でさえぎり,樹木や草や丘を見えなくしてしまうそれらの『コンクリート・ジャングル』によって生活は改善されたでしょうか。人々が夜間,ところによっては昼間でさえ,道を歩くのを恐れるようでは,生活が向上したとは言えないのではないでしょうか。汚染や,窒息しそうな交通状態はどうですか。

      いわゆる『高い生活水準』も,ほんとうに楽しむことができなければ何の役に立つでしょうか。仕事が単調で骨が折れ,個人は,巨大な大量生産企業の中の取るに足りない歯車と化すのであれば,働くことにどんな喜びがあるでしょうか。

      どちらを見ても,男も,女も,子どもも大きな問題をかかえており,それからの解放を必要としています。たとえば,世界一富める国アメリカでは,65歳以上の年齢層の約4分の1が,労働省が貧困とみなすレベルの収入で生活することを余儀なくされています。さらに多くの人は,それよりもわずかに多い収入だけで生きてゆくことを強いられています。物価は絶え間なく上昇し,多くの主婦は,夫の収入だけではやってゆけなくて,家庭をよそに働くことを余儀なくされています。

      またタイム誌が報じているような問題もあります。「世界の約3億の人々は重症の不具者で,そのことは本人のみならず,彼らの周囲の社会にも感情的な問題を起こす原因となっている」。そして精神病はどうでしょうか。また人類の大半を占める,貧困と飢えにあえぐ人々はどうですか。みな解放を必要としてはいませんか。

      女は言うにおよばず男も,政治・経済・宗教の抑圧的な支配体制の犠牲になってきたことはもはや疑問の余地がありません。その体制は,神から独立することを欲した男と女の最終結果です。神を無視した人間の支配はなんという大失敗だったのでしょう。―エレミヤ 10:23。

      この地球に今必要なのは,神が現体制を取り除いて,その代わりにご自分の義の体制を置かれることです。わたしたちは神の完全な知恵と公正と愛および,人間の種々の事柄に関する神の導きを必要としています。しかしそのような望みは夢にすぎないのでしょうか。

      いいえ,それは単なる夢ではありません。なぜそう言えるのですか。なぜなら,神が人間の悪を許している期間は急速に終わりに近づいているからです。記録されている神ご自身の預言が成就していることは,この抑圧的な事物の体制が終わりに近づいていることの証拠です。

      その許されていた時が満ちると,神はその全能の力を用いて,この地から,人間の支配の悪影響を完全に拭い去られます。ダニエル書 2章44節には次のように預言されています。「この王等の日に天の神一の国を建たまはん これは何時までも滅ぶることなからん この国は他の民に帰せずかへってこの諸の国を打ち破りてこれを滅せん これは立ちて永遠にいたらん」。

      イエス・キリストが弟子たちに祈り求めるよう教えたのはその天の政府です。(マタイ 6:10)地の支配権はすべて人間ではなくてその天の政府に属し,天の政府は義の律法を全地に施行するでしょう。そして最も望ましい方法で真の解放を行なうでしょう。

      その解放には,人間の圧制と不公正からの自由が含まれます。また,女性に正常な役割を果たさせる,経済上の問題からの自由も含まれるでしょう。また天の政府は人類の大敵である病気,老齢,死からも人類を自由にするでしょう。神は,「かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく,悲歎も,さけびも,苦痛もなかるべし」と約束しておられます。―黙示 21:4。

      そのことを考えてごらんなさい。男と女が創造者の目的どおりにそれぞれの役割を果たし,そのために互いの関係に,争いも,苦しみも,悲しみも,涙もなくなるときを想像してごらんなさい。そのうえに病気も,年を取ることも,死もなくなるのですから,それはどんなに幸福な生活でしょう。その解放の時について聖書は次のように約束しています。「謙だるものは国をつぎ,また平安のゆたかなるを楽しまん。ただしき者は国をつぎ,その中にすまひてとこしへにおよばん」― 詩 37:11,29。

      真の解放はまもなく実現します。しかしそれはあくまでも神の方法によります。ですから,この滅びに定められた体制のどの部分にでも解放を求めるのは愚かなことなのです。またそれは聖書が,「世と世の欲とは過ぎ往く,されど神の〔意志〕をおこなふ者は永遠に存るなり」と述べているからでもあります。(ヨハネ第一 2:17)真の,そして永久の解放に関心をもつ人々は,神の意志が何であるかを早急に知る必要があります。エホバの証人は喜んで,無償で,聖書を用いながらそういう人たちのお手伝いをしています。

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