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聖霊と力をもって油そそがれた最初の者聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力
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と主権,また称えられるあらゆる名のはるか上にであり,単にこの事物の体制においてだけでなく,きたるべき体制においてもです」― エフェソス 1:19-21。フィリピ 2:5-11。ペテロ第一 3:21,22。
48 創世記 3章15節が言う「女」とはだれのことでしたか。イエスを復活させることにより,神はどんな傷をいやしましたか。
48 イエス・キリストのこのすばらしい復活を成し遂げることによって,天の医師なるエホバは,大いなる蛇悪魔サタンが自分の邪悪な地上の組織を用いて「女」の「胤」の「かかと」に加えた傷をいやしました。(創世 3:15)神のこの秘義における「女」とは,罪人となったエバでも,ユダヤ人の処女マリアでもありません。それは,聖なる霊の被造物から成る,神の妻のような天の組織です。その組織が,この地上における約束のメシアとしての奉仕のために神の独り子を備えたのです。―ガラテア 4:25,26と比較。
49,50 神の「女」の「胤」の主要な者は今やどんな事を行なう立場にありますか。その者を通して来るどんなものにわたしたちは歓呼しますか。
49 神の「女」の「胤」の主要な者たるイエスは,今や大いなる蛇悪魔サタンの頭を砕き,彼とその「胤」なるすべての者を打ち砕く立場にいます。もはやわたしたちは,ユダヤ人であれ異邦人であれ,真のメシアが肉体でこの地上に来るのを待つ必要はありません。彼は確かに来て,西暦第一世紀にその地上での役割を全うしました。(ヨハネ第一 4:2。ヨハネ第二 7)今彼は天での栄光をもってその報いを受けています。彼は今,霊的なメシアまたキリストとなっています。地上の人間のメシアまたキリストであった時よりはるかに多くの事をなし得る立場にあります。
50 すべての栄光はエホバ神,そのみ子イエスに「聖霊と力をもって」油をそそぎ,貴いメシアとならせた方に帰せられます。一切の歓呼は,栄光を受けた霊的メシア,神のキリストを通して全人類に及ぶことが約束された壮大なる永遠の祝福に向けられますように。―使徒 10:38。創世 22:18。
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王国宣明のために油をそそがれた会衆聖霊 ― 来たるべき新秩序の背後にある力
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第6章
王国宣明のために油をそそがれた会衆
1 二千年前,世界の救いに関してどんな問いがありましたか。
今日のわたしたちの前には世界的に重要な意味を持つ数々の問いがあります。それらは,二千年ほど前に中東に住んでいたなら恐らくわたしたちが直面したであろう問題と関係のある問いです。その当時,それは世界的な重要性を持つ問題となっていました。それは,世界の救い手,メシアをめぐる問題であったからです。今や彼が初めて登場すべき時が到来していました。ゆえに,関心を持つ人々は彼の現われを待ち設けていました。彼が登場する時,人類の全世界から歓呼をもって迎えられるでしょうか。あるいは,その時代に定められた使命を遂行する時,人々はむしろそれに失望するのでしょうか。その者こそメシア,聖書が予告したそのとおりを行なう者であることをはっきり認め,自分の指導者としてそれに従うのはだれでしょうか。彼につまずくことなく,正しく近づいて行くのはだれでしょうか。そして今日,世を救うメシアのもとに引き寄せられているのはだれでしょうか。どのようにそうしていますか。
2 (イ)神の「女」の「胤」の主要な者はどんな役割を果たすことになっていましたか。(ロ)女の「胤」を構成する他の者たちとはだれですか。その者たちはだれによって教えを受けますか。
2 今日の安全な導きのために幾つかの点を銘記しておきましょう。すなわち,真のメシアとは,予告された神の「女」の「胤」の主要な者となるべき者です。そして,大いなる蛇である悪魔サタンによって『そのかかとを砕かれる』者です。「女」すなわちその「胤」の母となるのは,聖なる霊の被造物すなわち「真の神の子ら」なるみ使いたちで成る天の組織で,神の妻のような地位にあります。その女の約束された「胤」とは,すなわちその女の子たちで成っており,そのうちの主要な者がメシアで,他の者たちはメシアの霊的な追随者たちです。これら女の「胤」の残りの構成員たちについてはイザヤ 54章13節の次の言葉があります。それはその象徴的な「女」にあてて語られたものです。『なんぢの子らはみなエホバに教へをうけなんぢの子らのやすきは大いならん』。(文語)その「子ら」が女の天の夫なるエホバ,「胤」の父にあたる方から教えを受けるというのはいかにも適切です。―イザヤ 54:5。
3 イエスはイザヤ 54章13節の「子ら」という言葉をだれに当てはめましたか。今それらの者たちは見えない教え手によってどのように教えられていますか。
3 女の「胤」の主要な者であるイエス・キリストは,その女にあてられたイザヤ 54章13節の言葉を自分の時代の物事に当てはめました。どのようにですか。メシアとしてのイエスに近づかず,そのゆえに彼に対してつぶやきを抱いていたユダヤ人に対してイエスはこう語りました。「わたしを遣わしたかたである父が引き寄せてくださらないかぎり,だれもわたしのもとに来ることはできません。そしてわたしは,終わりの日にその者を復活させるのです。預言者たちの中に,『そして彼らはみなエホバに教えられるであろう』と書いてあります。父から聞いて学んだ者はみなわたしのもとに来ます」。(ヨハネ 6:44,45)もちろんエホバは,わたしたちのだれに対しても,見える形で教え手となってはおられません。それでも,霊感による教科書というべきものを備えてくださいました。それで,その教科書により,またご自分の聖霊の働きによって,メシアなる「胤」およびそれを産み出す「女」に関する事をわたしたちに教えておられます。こうしてエホバは,「胤」の主要な者なるメシアのもとに,それを構成する他の者たちを引き寄せて,一つの会衆とされました。
4 イエスの宣教活動の第三年目までに,イエスの使徒たちは,イエスがどのような者であるかについて一般の民とは異なるどんな見解を持つようになっていましたか。
4 イエスの公の活動の第三年目に入っていたその時までに,ユダヤ人は,奇跡を行なうこの人物が神の目的の中でどのような地位を占める者かについて,ある程度の判断に至っているべきでした。そのうちどれほどの人が,メシアに関し『エホバによって教えられ』ていることを示していたでしょうか。イエスがこの点について使徒たちに尋ねたのは適切なことでした。
「イエスは彼らに質問して,こう言われた。『群衆はわたしのことをだれだと言っていますか』。彼らは答えて言った,『バプテストのヨハネ,しかしほかの者はエリヤ,さらにほかの者は,古代の預言者のひとりがよみがえったのだと言っています。するとイエスは彼らに言われた,『だが,あなたがたは,わたしのことをだれだと言いますか』。ペテロは答えて言った,『神のキリストです』。するとイエスは彼らにきびしいことばで語り,このことをだれにも話さないようにと指示され,またこう言われた。『人の子は必ず多くの苦しみを経,年長者・祭司長・書士たちに退けられ,かつ殺され,三日目によみがえらされるのです』」― ルカ 9:18-22。マルコ 8:27-32と比較。
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