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広告はどのように人をあやつるか目ざめよ! 1974 | 6月8日
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ほんのわずかの違いを見つけ出してそれを利用するのが広告業者の仕事である」とタイム誌は指摘しています。
この点を例証するものとして,ニューヨーク市の消費者問題委員会の委員長は,全国広告主協会に対し,『広告は何百万という消費者に,[ある銘柄の漂白剤は]ほかのびんにはいっている同じ漂白剤よりもいくぶん上等のもののように思い込ませた』と言いました。その銘柄には競争相手の商品よりもかなり高い値段がついていますが,それでも売れ行きははるかによいのです。同委員長が指摘したように,漂白剤は「どんな銘柄のものでも質は同じはずの製品のひとつである」ことをご存じですか。「それは化学的に明らかにされている」のです。
それにしても,広告によるこの種の心理操作が大きな成功を収めるのはなぜでしょうか。
心理操作が成功する理由
あなたもお気づきと思いますが,ほとんどの広告理論は,人びとを行動せしめるものの科学的分析に基づいています。これは「動機調査」と呼ばれています。子どもたちでさえ分析の対象になります。その目標は,親に影響をおよぼすよう彼らを動かし,同時に子どもたち自身の後年の購買習慣をつくりあげることです。したがって広告は,愛,家族,成功,快楽,安全その他の,根底となる動機に働きかけます。一般にはそうした働きかけを芸術的に表現することが広告を成功させるひけつです。
購買者が用心しなければならないのはこの点です。箴言のなかには非常によい助言があります。
『つたなき者はすべてのことばを信ず 賢者はその行を慎しむ』。a
ほとんどの広告は,『すべてのことば』のみならず場面も,製品に有利となるように周到に「計算」されています。広告のなかには,人びとに半分偽りの,もしかしたら全く偽りの心象を与えるものがあります。それでも,言っていることは何もうそではないかもしれません。うその広告は法律に反するからです。ではどういうやりかたをするのでしょうか。広告主が使ういくつかの手を調べてみるなら,それに乗らないようにするのに役だちます。
「計算された」ことば
広告に使われることばは,最大の効果を発揮する,しかし証明がない場合には最小限の事実を含む,ものであるように,一語一語注意深く選ばれます。広告業者自身がそのようなことばを,「ウィーズル・ワーズ」と呼んでいます。「ウエブスター第7新大学生用辞書」は「ウィーズル・ワーズ」を,「あからさまな,あるいは率直な表現や主張を避ける,あるいはそうしたものから逃げるために用いる」ことばと定義しています。次のせっけんのテレビ・コマーシャルにそのようなことばが見つかるかどうかためしてみてください。
魅力的な女性が,わたしの愛用しているこのせっけんは,「健康そうな肌を保つのに役だちます」と言います。あなたはこのことばから,その特別のせっけんは,「肌を健康に保つのだ」という心像を得ませんか。しかし計算されたことばに気づきましたか。(1)「役だつ」は,製品が実際にこれこれの働きをすると言うのを避けるためにしばしば使われることばです。(2)「そうな」は,「健康」ということばを事実から意見,つまりせっけん製造業者の意見に変えます。ほとんどどのせっけんでも同様のことを主張できるわけですが,広告主は,あなたが買物をするとき自分の製品を思い浮かべてくれることを期待するのです。
では次の宣伝文句にあざむきがあるかどうか見てください。ある高価な頭痛薬は,医師たちがいちばんよく推薦する『鎮痛剤が2倍の量含まれている』とうたってあります。この錠剤の中には,医師が処方したすぐれた鎮痛剤が2倍の量含まれているように思わされます。しかし買う前に2,3の質問をしてみてください。医師たちがいちばんよく勧める非処方鎮痛剤とは何でしょうか。それは店頭で合法的に売られているただひとつの薬 ― どんなブランドにせよただのアスピリンのことではありませんか。何の『2倍』ですか。非常にに暗示的ですが,実際には何の情報も提供されていません。この主張の表現は全体としてまどわすように考案されています。
導入する,異なる,特製,他の追随を許さない,というようなことばは強力に聞こえませんか。ところがたいていそれらのことばは,基本的には同じ製品の間のきわめてわずかな違いを宣伝したり,レモンの香りを加えたといったような,機能とは全く関係のない相違点を強調しています。その製品がすぐれている理由を示す事実をさがしてごらんなさい。そういう事実はほとんどの場合見当たりません。
「当社のテレビだけが持つスプレンドカラー」とある広告は宣伝するかもしれません。それはあたりまえのことです。法律上ほかの者はだれも登録商標を使うことはできないからです。しかしほとんどのカラー・テレビは,別の名称を用いる同様の装置を持っています。この神秘的な感じと,他の異なるというところが売れ行きを上げるわけですが,神秘的な付加物とエキゾチックな名称は,小さな子どもに,空にH2Oが含まれているから雨が降るのだ,と教えるよりももっと非教育的です。もし意味のある定義が示されていなければそれらを無視することです。
自然,レモンのように新鮮,澄んだ,純粋のといったことばやこれに類似したことばが,「自然」に帰ろうとする最近の傾向に便乗しています。ほとんどあらゆる物の宣伝に盛んに使われています。皮肉なことに,ある雑誌は,『……自然に気分をそうかいにする! 豊かな自然のたばこの味』という文句でたばこを宣伝しています。煙を吸い込むことが少しでも自然と言える事がらをあなたは何か思い出せますか。消防士は煙を避けるためにマスクをつけます。たばこを吸わない人は,喫煙者のそばにいるとき,そのような保護がほしいと思うことが少なくありません。
著名な広告担当重役,デイビッド・オギルビーは,そのような広告に人をあざむくところがあることを認め,テレビで次のように述べました。
『ハンサムな若い運動選手が,たばこの煙を口いっぱいに吸い,それを肺にまで吸入するのを見るが,自分も,このような悪事を犯しかねない職業に携わっているのかと思うとぞっとする。ほかにも,われわれ業者間で「ずるい商人」と呼ばれる人たちがつくったたばこのコマーシャルがある。それらのコマーシャルはよく考えられたあざむきである。それを作った者も,作らせた者もそれは承知のうえである』。
事実を伝える広告
以上の例は,ことばで欺く広告をつくるさいに用いられる手段のほんの一部を示すにすぎません。それらは,事実と意見もしくは感情的訴えとを区別するために,隠された面をよく見る必要がいかに大きいかを物語るものです。とはいっても,広告という広告がみな人を欺くものであるというわけではありません。事実を伝える広告は対照的です。そのちがいに注目してください。
ある自動車製造業者の広告は,人びとの誤解を少なくするために,ジーゼルエンジンの長所と短所の両方を指摘しています。それによると,ジーゼルエンジンは,「特別排出装置を装着しなくても,ガソリンエンジンより大気を汚染する度合がはるかに低く」,しかもガソリンエンジンよりも少量の,また安い燃料でまに合います。一方,ジーゼルエンジンは「製作費が少し高くつきます。整備が悪いと荷重のあるときに煙を出します。臭気と騒音を気にする人もあります」。
最近の自動車の広告はキロ当たりのガソリン所要量を示していますが,これは燃料不足の折から大きな助けになります。
事実が広告を率直な性質のものにすることにお気づきですか。感情的な表現や「大げさにほめたてる」形容詞はほとんど使われていません。大部分が製品にかんする情報です。この広告はそれほど人を興奮させるものではありませんが,それこそ購買者が望むものではありませんか。広告業者のスチーブンズはこう言っています。「それは広告を判断するかぎである。形容詞の数と事実の数は全く反比例の関係にある。簡単に言えば,形容詞をたくさん使うほど言うべきことは少なくなる」。
彼の提案によると,広告にあやつられないようにするためには,「暗示的な表現をすべてはぎ取り,少しでも事実があるとすればそれを確かめるようにし……どのように,なぜ,いくつ,どれほど多く,といった質問をする」ことです。また,自分ははたしてこれを必要としているだろうか。これは,もっと安い,これほど宣伝されていない競争製品よりも実際に質が良いだろうか,といったことを考えてみるのも適切です。
しかし広告業の兵器庫にはもうひとつの武器があります。
「計算された」場面
ラッシュアワーにハイウェーへ向かって車を走らせている自分を想像してください。速度を出そうとするとあなたの車はがくがくします。この場面は最近テレビで放映されているガソリンのコマーシャルです。あなたに影響を及ぼすように計算されているのがおわかりですか。この場面にはふたつの要素があります。あなたと恐怖です。この問題にはどれほどの真実性がありますか。もし場面のことを忘れ,計算されたことばについて学んだことを応用するなら,宣伝文句そのものがそれを示すでしょう。彼らはこの問題を「息つぎ」と呼びます。『ガソリンが全部のシリンダーに正しく行き渡らないときに[「起こる」のではなくて]起こる可能性があります』。彼らのガソリンは『その種の息つぎを直すのに役だちます』。
しかし,わたしの車は息をつぐだろうかと自問してみてください。もしそうだとすれば,それはその種の息つぎですか。それとも,燃料ポンプの調子が悪い,キャブレターが汚れている,整備が必要,といったもっとありふれた事がらが問題の原因になっているでしょうか。そう言う代わりに,宣伝文句は,ある不思議な添加物が,『その種の息つぎ』だけを直すことをうたっています。『ガソリンがもっと平均に流れるのを助ける』ためにそれは加えられるのです。計算された場面は多数の視聴者に,広告主よりも強い確信を製品に対して持たせます。
別のテレビ・コマーシャルは,アナウンサーが,この車の性能は『抜群』で,『あなただけの車です』と言う間に,かわいい子ネコが新車のモデルの回りを歩き回ったり,屋根にのぼったり,車の中を通り抜けたりするところを見せます。このコマーシャルの場面がよく計算されているのにお気づきですか。(1)明らかに人の誇りに訴えています。(2)それにネコが車とどんな関係があるでしょうか。その点では,よく知られている『あなたのタンクの中のタイガー』も,ガソリンとなんの関係があるでしょうか。製品はそれらの動物の自然の魅力を「借用」しているだけのことです。
性は,そのような魅力の「借用」にいちばんよく利用されるものです。ニューズ・ウィーク誌の1973年4月16日号は,「近ごろは性を利用して売り込もうとする厚顔で低俗な広告が次々に登場する」と述べています。人をつり込むような姿を見せる場面が,キャンデーからコンクリートにいたるまでのあらゆる品物の宣伝に使われます。その代わりに有名な運動選手や映画俳優を用いても同様の目的 ― 製品と場面を楽しむこととを結びつける ― が達成されます。
この種の心理操作を避けるには,製品と直接関係がないかぎり場面を無視することです。ネコ,コアラグマ,美男美女,母親と赤ちゃんなどはみな,あなたの注意を引き,あなたの感情をかきたてるために使われることをおぼえていましょう。誇り,愛国心,家族に対する誠意などの訴えもみな,同じ目的を果たすために「借りてきたもの」です。
広告にあやつられなければ倹約できる
多くの人は広告にあやつられて,宣伝されていない競争者の製品は品質が劣っていると思い込んでいます。これは,前にも述べたように,いつも真実であるとは限りません。
宣伝されている「メーカー品」は,良い品物であることを表わし,消費者の保護となるかもしれません。しかし,そのような製品の高い値段は,宣伝費の高いことを反映している場合が少なくないのです。そのわけで,宣伝されていない店あるいは「会社」の商標の製品の中には,値段がずっと安く,品質も同等のものがあります。このことを発見した,ペンシルバニア州フィラデルフィア市の一主婦は次のように書いています。
「わたしたちはほんとうに驚きました。宣伝されている商品を買うのになれてしまっていたからです。……わたしたちはたくさんのお金を節約しました。宣伝されていない商品でも十分まに合います」。
もうひとつ倹約に役だつことがあります。子どもが好む物を買ってやるのは自然の情ですが,それは他のすべての考えに代わるものではありません。子どもにあやつられて広告業者の思うつぼにはまらないようにしなければなりません。たとえば,盛んに宣伝される砂糖菓子,穀物食,清涼飲料などは高価なばかりでなく,栄養のある必要な食物に取って代わるかもしれません。
ですから,広告があなたをどのようにあやつろうとするかを知っているのはむだではないといえます。製品のちがいを誇張したり,あなたの浪費となる不必要な品物への購買欲をかきたてたりする種類の情報と率直な情報とのちがいを識別するのに役だちます。
そうです,広告はあなたを支配することも,あるいは奉仕することもできます。それはあなた次第です。
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電力の供給が絶たれた場合目ざめよ! 1974 | 6月8日
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電力の供給が絶たれた場合
「国じゅうに停電の危機!」 エネルギー危機が深刻化するにつれ,こうした新聞見出しもまともな問題として感じられるようになりました。ニューヨーク,ロンドン,パリ,ローマ,東京などの大都市に長時間の停電が起きたとすればどうなるでしょうか。想像するだけでも恐ろしいものがあります。しかし,電力の供給不足という事態は日ごとに現実味を帯びた問題となっています。
ほんの数日にせよ電気の供給が絶たれると,その社会にどのようなことが起きるでしょうか。1973年12月19日付ニューヨーク・タイムズ紙は,「熱と光と電話を失った三つの州の多くの人々」という見出しでその点を伝えました。これは,ニューヨーク州,ニュージャージー州,コネチカット州において,ふぶきと凍りつくような雨が降ったさいに起きたものです。
みぞれが幾千本の樹木と電線に大きな被害を与えました。結果として,合計45万世帯が,数時間から数日にわたって電力を絶たれました。タイムズ紙の報道によると,二日たった時にも,電気のない家が七万世帯,電話のない家が三千世帯ありました。コネチカット州の一“被災地域”では,電灯の光がどこにも全く見られなかったとのことです。暖炉のある家は暖房の取れない隣人たちに家庭を開放し,ろうそくをともし,あらしの残した木材をまきにして湯をわかしたり調理をしたりしました。町の公会堂,消防署,教会なども避難センターに変わりました。
以前の大停電
1965年11月9日,米国北東部と,カナダのそれに隣接する地区の住民は,大規模の全体的な停電が何を意味するかを多少なりとも味わいました。
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