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  • あなたは自分の仕事に満足していますか
    目ざめよ! 1973 | 12月8日
    • た。どうしてそう言えますか。彼らは,経営者が何をしても,その動機を本能的に疑います。それに労働組合の幹部は,もし労使間の関係が改善されれば,自分たちの仕事と力はなくなる,という恐れをいだいているかもしれません。それは幾度もあったことです。そうした改善が行なわれて,経営者が従業員に対し心からの関心を示した会社では,従業員は彼らを組織しようとする組合の役員の努力を拒否しました。

      よく「肉体労働者のゆううつ」と呼ばれる仕事への不満の原因のすべてが経営者にあるわけではありません。「労働倫理」と名づけられているものの着実な低下もあります。ウォール・ストリート・ジャーナルはこう述べています。「個人の領域においても公共の領域においても,労働倫理 ― 正直に働くことを尊いと思い,価値あるものの生産に助力して一つのことを成し遂げたと考えること ― ははなはだしく低下した。正直に働くことは,働ける人すべての義務であるという聖書の原則に対する認識がしだいに薄れてきています。「働こうとしない者は食べてはならない」と聖書は述べています。実際に聖書は,とくに箴言の中で,なまけ者,無精者,怠惰な者,ものぐさな者を責めています。その代表的なのはよく知られている次の箴言です。「なまけ者よ,ありのところへ行き,そのすることを見て,知恵を得よ」。―テサロニケ後 3:10,新。箴 6:6,口語。

      この労働意欲の欠如をよく表わしているのは,フォート・ディアボーン自動車組立工場の近くの酒場の壁にはられている,「私はここで週に40時間すごす ― 私は仕事をすることにもなっているのか」という文句の標語です。またある従業員は,新しい仕事の性質について尋ねられたとき,「よく聞いときな,君。おれはね,夜家に帰って疲れが出るような職場で働く気なんか毛頭ないよ」と言いました。古参の精力的な従業員は,若い従業員たちの仕事に対する態度についてしばしば不満を訴えます。

      たしかに人びとは,骨折って働くことをしだいにしなくなってきています。仕事がおもしろくなければなおのこと働こうとしません。聖書に預言されていた,今わたしたちの上にのぞんでいる状態 ― 不法の増加と,対処しにくい危機 ― が,これとなんらかの関係を持つことは疑えません。(マタイ 24:12。テモテ後 3:1-5)こうした状態を助長しているのは,ふたつの傾向です。一方では,神への信仰がしだいに薄くなって,神のみまえに申し開きをする責任があるという考えがしだいになくなっており,他方では,経済状態が非常によくなって,働く意欲のあるなしにかかわらず,失業保険や福祉給付金が受けられるようです。

      仕事への不満にどのように対処するか

      自分の仕事に満足を見いだすためには,どうするとよいでしょうか。まず最初に,就職したなら果たすべき責任がある,ということに気づくことです。そのほかのことをするのは正直なことではありません。それから,自分にできる範囲において,与えられた仕事をりっぱに行なうことに誇りを持つことです。流れ作業列内の各人の仕事がよく行なわれるときにはじめて,完成品は検査に合格するのです。会社によっては,従業員の仕事への不満からくる無関心が原因で,不合格品の出る率は高いものがあります。それは,従業員自身にとって問題を悪化させるだけのものです。

      もとより,職を変えることができるなら,それにこしたことはないでしょう。あるいは,満足できる仕事が見つかるかもしれません。近ごろはそうする人が少なくありません。またそうする人は,流れ作業に従事する従業員だけに限られてもいません。たとえばオハイオ州のあるセールスマンは,セールスの仕事をやめてアラスカに移住し,そこで野外の仕事に従事し満足を得ています。また株式仲買人だったある人は,自然と常に接触することになるある科学関係の職につくべく,目下勉強中です。ニューヨーク市のある保険勧誘員は仕事をやめ,現在ではメイン州で買い入れた宿屋を経営しています。ある元獣医は,肉体労働をすると満足が得られるので,1時間に2.50㌦しかもらえないのに,トラックの荷物の積み降ろしをしています。事実その人は,事務の仕事に関心がないので3度も昇進を断わりました。また,仕事に伴うざせつ感から自分が意地の悪い人間になりつつあることに気づき,その仕事をやめて絵を描くことをはじめ,現在画家として生計を立てている元警部もいます。

      もし満足できる仕事を見つけることができれば,それは言うまでもなく仕事への不満を解消する最も簡単な方法です。しかし,そのように急激に職を変えられる人は比較的にわずかです。また,計画がうまくいかないかもしれないという不安もあるでしょう。では,仕事により大きな興味を持つための努力として,次にどんなことができるでしょうか。

      よりよい人生観を培うよう努力することはだれにでもできます。ある産業心理学者は,「退屈度は人の人生観に左右される」と言っています。たとえ挑戦や責任の極めて少ない仕事を持っていても,ひどい単調さに苦しむ必要はありません。仕事を目的のための手段と見ればよいわけです。事実,仕事は手段です。仕事は,自分の身を処し,また家族を養うのに必要なものを備えて,ある程度の安定を与えないでしょうか。働くときのこうした理由を見失ってはなりません。

      また,もし自分の仕事をよりおもしろく,満足のできる,そして実り多いものにしようにも,何もすることができないなら,自分個人の生活,あるいは家族生活をよりおもしろく,より豊かに,そしてより充実したものにするよう努めることができます。もしそのことに努力するなら,あなたは,あなたの魂が熱望する愛と尊敬と協力でもって報いられるにちがいありません。あなたは自分の愛する者たちの幸福に寄与し,そして彼らはあなたの幸福に寄与するので,単調な仕事もそれほど苦痛に感じなくなるでしょう。

      この点エホバの証人は非常に恵まれた立場にあると言えるでしょう。なぜですか。彼らは,物質の富を熱望してはいけないというイエス・キリストの助言に従うよう努力するからです。その代わりに彼らは,『神の王国と神の義を第一に求め』ます。(マタイ 6:19-33)もちろん彼らも,自分の行なう世俗の仕事が満足のいくものであればありがたいと思います。しかし彼らの生活においては,世俗の仕事は大きな問題ではないのです。目的のための手段としか見ないからです。仕事は,神への奉仕にできるだけ十分に自分をささげることができるよう,必要な物質を供給します。彼らの真の喜びは,神の新秩序,すなわち仲間の人間を搾取することによって汚されるようなことのない新しい体制について,他の人びとが学ぶのを助けることにあります。その新しい秩序においては,神への愛,隣人への愛,正義そして真理が,生活全体に浸透するでしょう。そのような状態のもとでは,仕事も心から満足できるものになるでしょう。そしてこの希望の実現は,自己本位な人びとの交渉に依存するものではなく,生ける神の約束,天地の創造主の確かなことばに基づいています。そのようなすばらしい前途を堅く信じているなら,現在においてさえ,生活に大きな満足を得ることができます。―ペテロ後 3:13。テモテ前 6:6-12。

  • バオバブ ― アフリカの驚くべき木
    目ざめよ! 1973 | 12月8日
    • バオバブ ― アフリカの驚くべき木

      ● アフリカ原産のバオバブ樹は世界で最も奇妙で太い樹木のひとつである。その姿はまるで逆さに植えた巨大なニンジンのようだ。幹の直径が15㍍以上に達するものもある。それゆえ,アフリカ人の家族は時々大きな穴のあいた幹の中に移り住んだり,生きている木をくり抜いて小屋を作ったりする。人間が居住していてもバオバブ樹は生き続け,ほとんど枯れることがない。

      なわ状の茎の端に,つりちょうちんのように木からぶら下がっているバオバブ樹の実は,「モンキー・ブレッド」(サルのパン)と呼ばれている。これらのおいしい実はヒヒの大好物である。果肉にはとても良い風味があり,大勢の人がそれを食べたり風味を加えるために冷い飲み物に入れたりする。種子は非常に堅く,容易に発芽しないが,ヒヒの消化管を通っているうちに胃液で柔らかくされ,その後はすぐにこの驚くべき大木へと簡単に成長する。

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