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  • 「彼らは一致の中に伝道する」
    ものみの塔 1961 | 11月1日
    • これはすぐれた記録です。雑誌のこの広範囲な配布によって,真理の探求に多くの人々の関心をよび起こしたことは間違いないでしょう。

      クリスチャンのなすべき真の崇拝をさがし求めている人々は,つぎの経験が証明しているように「良い羊飼」の声を認めて,ただちにエホバの制度に従います。「私は自分の職業がら,おとくいさきの家でいつも聖書を見つけ出しては,どうにかしてその内容について少しでも話すようにしています。昨年のこと,やはりそのことをしていた時,真理を求めている青年を知るようになりました。彼は軍隊付牧師になることを考えていましたが,戦争を鼓吹するのは正しくないような気がしました。メソジストの牧師になることも考えましたが聖書を調べてみて彼らの教えが聖書と一致していないことを発見しました。仏教や瑜伽にさえ頭を突っ込んでみましたが,どちらも彼が求めていた真理のひびきをもっていませんでした。

  • 前にあるわざについての正しい見解
    ものみの塔 1961 | 11月1日
    • 前にあるわざについての正しい見解

      「わたしはこう祈る。……あなたがたが,何が重要であるかを判別することができ……」。―ピリピ 1:9,10,新口。

      1 (イ)世界の指導者は,将来についてどんな見解を持っていますか。彼らはどんなわざに参加していますか。(ロ)将来についてのエホバの民の確信にみちた期待は何ですか。そしてなぜ?

      人類の将来は何ですか。平和を希望する世界の指導者たちは,世界的な戦争に直面するのではないかと恐れています。彼らは国民を破産させても,核兵器を貯蔵する猛烈な競争に勝利を得ようと努力しています。彼らは,地上に到来することがらをこころに描いて,その恐ろしさにおののいています。しかし,エホバを自分たちの神とする民は,彼らとちがいます。その民は確信をもって将来に面し,神の御言葉の知識にもとづく希望で心をかたくしています。彼らの神は「終りの事を初めから告げ,まだなされない事を昔から告げて言う」(イザヤ 46:10,新口)彼は将来はどうなるかをご存じです。彼はすでに新しい天の政府,彼の御国をつくられました。また,彼はご自分の証者たちの新しい世の社会の中に,新しい地の基礎を置かれました。(イザヤ 51:16; 65:17)悪い世界は,終りの時にはいっています。神はこう言われています,「主が国々と争い,すべての肉なる者をさばき,悪人をつるぎに渡す」。悪はもはや栄えないでしょう。「正しい人は地にながらえ,誠実な人は地にとどまる」。(エレミヤ 25:31。箴言 2:21,新口)人類の中の忠実な残れる者である正しい人はとどまります。彼らは数年間とか幾千年間でなく永遠にわたり,神から与えられた相続を楽しむでしょう。なぜなら,「神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」からです。(ヨハネ第一書 2:17,新口)地上の国家が,政治的な話し合いにたよろうと,あるいは軍事力を示そうと,彼らは将来に来る神のさばきを避けることができません。また,この地球を神の御国の支配をうける全地にわたる楽園に変えるという全能の神の目的をざ折させることができません。

      真実に重要なわざ

      2 私たちの参加する活動を選ぶ際に,なぜこの古い世の前にあるものに留意することは大切ですか。

      2 エホバ神はそれほどの肝要な知らせを私たちに与えておられます。それで,私たちは献身できるわざを賢明に選ぶことができるのです。エホバ神の保護により,私たちは努力と生命を浪費してしまうような惨事に面しなくてすみます。人間の目に良いと見えるものを追い求めても,ハルマゲドンの宇宙的な戦争で滅びを受けることになるでしょう。(箴言 14:12)明白に述べられている神の目的を考えるとき,この古い世を存続させるために生命をささげることはなんと愚かなことでしょう! もし私たちが古い世の一部であるなら,私たちは神の新しい世に仕えていません。キリストは神の新しい世の王です。(ヨハネ 15:19; 17:16)サタンはこの世の見えざる神です。もし私たちがこの世の友であるなら,私たちは宇宙最高の支配者なるエホバ神への忠誠を拠棄して,彼の敵共に組することになります。(ヤコブ 4:4。コリント後 4:4。ヨハネ第一書 5:19)私たちが神との平和を求めて,神の新しい世のために奉仕することは,はるかに賢明でしょう!

      3 (イ)人類の大多数の人がする仕事の主要な目的は何ですか。(ロ)それは実際的ですか。

      3 たくさんのことに努力を傾けることができます。大多数の人類は,経済的な安定を得ることを主要な目的として働いています。しかし,これは生涯中もっとも大切な事柄ではありません。人間の将来についての正しい見解は,自分の所有物でもって業績をはかる物質的な見解ではありません。イエス・キリストは,たとえ話によってこのことを強調しました。彼はひとりの人について語っています。この人は農夫で大成功をおさめたので,施設を拡大して将来に備えようとしました。彼は物持ちの隠居になり,長いあいだ安楽に生活したかったのです。彼は次のように言える時を待ちのぞみました,「たましいよ。おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ,食え,飲め,楽しめ」。しかし,そのような生活は,その目標としている物質主義的な目的からもすっかりはずれてしまいます。イエスの言葉によると,神は次のように言われました,「愚かな者よ,あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら,あなたが用意した物は,だれのものになるのか」。「自分のために宝を積んで神に対して富まない者は,これと同じである」。(ルカ 12:16-21,新口)イエス・キリストの足跡に従う者たちは,自分たちの生命を愚かに捨てません。彼らは自分に属する者たちを扶養する義務を果たしています。そして,そうする際に実際的な知恵を用いるよう励まされています。しかし,神に対して富んでいて,神の御国を第一に求めるとき,何を食べようか,何を飲もうか,あるいは何を着るかを思いわずらいません。なぜなら,「これらのものは,すべて添えて与えられる」からです。―マタイ 6:25-34,新口。

      4 他の人々は,賞賛をうけるにふさわしいどんな仕事に献身しますか。しかし,彼らはさらに重要な責任を見分けるのに,どのように失敗しますか。

      4 他の人々は,しばしば「人道主義的」な活動と言われるものに献身し,仲間の人間の身体的な悲しみや苦しみを取りのぞくかもしれません。他のものを援助したいというそのような欲望は,賞賛に値するものです。イエス自身も,たとえ話の中で,つらい目にあっていた隣人を助けたサマリヤ人をほめました。(ルカ 10:30-37)使徒パウロといっしょに旅行したルカは,医者であって,他の人々の肉体的な苦しみを取りのぞくことができました。(コロサイ 4:14)しかし,仲間の人間に奉仕するために一生をささげても,神に第一の献身をしないなら,その人は真実に大切なものをぼかしていることになります。パウロはピリピ人に宛てた手紙の中で次のように述べました,「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が,深い知識において,するどい感覚において,いよいよ増し加わり,それによって,あなたがたが,何が重要であるかを判別することができ,キリストの日に備えて,純真で責められるところのないのとなり,イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光とほまれとをあらわすに至るように」。―ピリピ 1:9-11,新口。

      5 人の従事することのできる最重要の仕事とは何ですか。そしてなぜ?

      5 私たちの行なう最も重要なわざは,神から私たちに与えられているわざです。それは疑いのないことです。それを行なうことは,私たちの存在の目的そのものを果たすことです。「ヱホバ宣給はく,なんぢらはわが証人……」。(イザヤ 43:10)それは私たちに次の責任を課します,すなわち私たちは神と神の目的について語り,他の者に真の神がだれであるか,彼の目的が何であるか,そして神の御国がいま支配していて,永遠の祝福は神の御国によって従順な人類に来るという良いたよりを他の人に知らせることです。その音信が感謝の心をもって受け取られても,受け取られなくても,それを宣べ伝えることは神の御心です。神の「名が全世界に言いひろめられる」ことは,神の目的です。そして,そのわざに参加することは,私たちの幸福な特権です。(ロマ 9:17)信仰をもってこの伝道に答え応じ,神を賛美することに参加する者たちは幸福です。なぜなら,「だれでもエホバの御名を呼ぶ者は救われる」からです。―使行 2:21,新世。

      6 使徒パウロは,彼に開かれていた機会を選ぶとき,どのように分別を示しましたか。

      6 イエス・キリストの使徒パウロは,彼に開かれた機会を選ぶときするどい識別力を示しました。彼は次のように述べています,「わたしにとって益であったこれらのものを,キリストのゆえに損と思うようになった。わたしは,更に進んで,わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに,いっさいのものを損と思っている」。彼は以前の社会的な立場,職業,あるいは宗教界における顕著な地位などに影響されませんでした。この世的な見地から『益であったもの』も,彼は主からゆだねられた宣教を中心に生活するため,損と見なしてよろこんで捨てることができました。彼の心は宣教にありました。パウロは次のように述べています,「わたしは,自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。主はわたしを忠実な者と見て,この務に任じて下さったのである」。―ピリピ 3:7,8。テモテ前 1:12,新口。

      わざを徹底的に行なう

      7,8 (イ)パウロは宣教の行なわれる仕方についてどんな見地を持ちましたか。(ロ)彼はエペソにおける宣教中,それをどのように示しましたか。

      7 パウロは模範的な仕方で宣教を行なうことにより,献身を証明しました。パウロは,エペソ会衆の監督たちと共に,彼の従った道を回顧しました。彼は直面した反対のことを述べましたが,反対のために彼がしりごむようにはならなかったと示しました。彼は徹底的な仕方で宣教を行ないました。「わたしが,アジアの地に足を踏み入れた最初の日以来,いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか,よくご存じである。すなわち謙遜の限りをつくし,涙をながし,ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって,主に仕えてきた。あなたがたの益になることは,公衆の前でも,また家々でも,すべてあますところなく話して聞かせ,また教え,ユダヤ人にもギリシャ人にも神に対する悔改めと,わたしたちの主イエスに対する信仰とを強くすすめてきたのである」。彼は自分が彼らの中にいただけで十分であったとか,もし彼らが良いたよりをのぞんだのであったなら,彼のところに来て聞くべきであったというような態度を取りませんでした。彼らと接するため,彼は家から家へ行きました。彼らはたしかに音信を聞き,信じても信じなくても,ともかく彼らはその音信が何であるかを知っているとパウロは確信していました。彼の心中の質問は,私は宣教にいくらかあずかったであろうか,ということではなく,むしろ私は宣教を徹底的にしたであろうか,ということでした。パウロはその重要性を認めていました。彼はそれを強調して,次のように述べています,「わたしは自分の行程を走り終え,主イエスから賜わった,神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら,このいのちは自分にとって,少しも惜しいとは思わない」。―使行 20:18-24,新口。

      8 彼はエペソの任命地で仕事をしたとき,最初は会堂で一連の公開聖書集会を開きました。それは約3ヵ月つづいたのです。彼の話は明白で力づよいものでした。同時に聴衆の考えをも考慮に入れて,彼らが容易に理解できる言葉で音信を伝えたのです。(コリント前 9:20-23)彼が教えたものは,耳をくすぐるようなエペソの牧師たちの教理と同じでなかったことは間違いありません。程なくして心かたくなな者と,学びたいと思った者とのあいだの分裂は明白に表われてきました。それで,パウロは学びたいと思った者たち,すなわち弟子たちを別の集会所に連れて行きました。そして,ツラノの学校の講堂で彼は2年間毎日彼らと会いました。(使行 19:8-10)同時に彼は家から家の奉仕を行ない,彼らをそのわざに訓練したのです。愛の心から彼らに関心を抱いていたパウロは,彼らに良いたよりを与えただけでなく,彼らのために身を粉にして働きました。彼は宣教を徹底的に行ないました。

      9 (イ)パウロは,宣教に対するどんな態度をテモテにすいせんしましたか。そして,なぜ?(ロ)『耳を傾けて聞く人』をどのように救うことができますか。

      9 パウロは宣教を徹底的に行なう重要性を認めていました。そして,そのことを彼の共働者テモテ,および今日テモテの持った信仰と同様な信仰を持つ人々にもすすめました,「あらゆることに平衡を保ち,悪に耐えて宣教のわざをなし,あなたの奉仕を全うしなさい」。(テモテ後 4:5,新世,欄外)彼は,宣教にいくらか参加するだけのことをテモテにすすめませんでした。すこしでも参加するなら,その月に良いたよりを伝道したと,テモテは統治体に毎月報告することができたことでしょう。しかし,パウロの助言は,それよりもはるかに強いものでした。「あなたの奉仕を全うしなさい」。なぜですか。なぜなら,生命が関係していたからです。テモテはこのことを良く知っていました。これよりすこし前パウロは次の言葉を書いて,彼をさとしました,「自分のことと教のこととに気をつけ,それらを常に努めなさい。そうすれば,あなたは,自分自身とあなたの教を聞く者たちとを,救うことになる」。(テモテ前 4:16,新口)彼は,自分の救い以上のものに関心を持つべきでした。宣教に参加すれば,救いが得られるという考えだけで,彼は宣教に参加しませんでした。彼が熱心にはたらき,奉仕を十分に行なうなら,他の者たちも救いが得られるでしょう。彼らは良いたよりを聞きます。しかし,彼が熱心でなかったなら,個人的な注意は彼らに与えられません。すると,彼らは良いたよりの重要性を認識することができず,それに従う行動をしないでしょう。

      10 いまからハルマゲドンまでのわざについて,私たちはどんな見解をもつべきですか。

      10 テモテに与えられた助言は,今日の私たちにとっても,なんと適当なのでしょう! いまからハルマゲドンまで,私たちの前にあるわざが,くっきりと浮き出しに示されます。月の野外奉仕の報告を出しさえすれば,「自分の分は済んだ」などという考えは避けられるはずです。単に奉仕時間を記録して,定期的なことを示すために報告を提出し,自分の救いだけをはかるのは,神の過分の親切の目的をそこなうものです! 私たちは,自分たちだけでなく,他の者たちのために「主の寛容は救のためであると思」わねばなりません。(コリント後 6:1。ペテロ後 3:15,新口)さて,ハルマゲドンの戦いで終わるこの「大いなる患難」のいまこそ,エホバ神が「あらゆる国民,部族,民族,国語」の中から大いなる群衆を召すために定めた時です。彼らは,だれもその数をかぞえることができない大いなる群衆であって,神と小羊に救いを公に帰すわざに参加します。―黙示 7:9,14。

      11 エホバ神に注意を向けることは,先の日の私たちの奉仕に,どう影響しますか。

      11 神が私たちに与えたわざについて円熟した見解を持つとき,私たちは真心こめてそのわざをします。神を愛し,他の者を神の崇拝にみちびきたいとのぞむなら,私たちは熱心に燃えるでしょう。私たちが反対にぶつかるとき,エホバの御名を知らせる私たちの宣教は,戸口で受ける返答次第で左右されません。大多数の人が良いたよりを捨てても,私たちは失意を感ぜず,調子を落しません。むしろ,私たちの奉仕の動機は,エホバ神にささげる献身であります。悪魔とその不敬虔な世界は,エホバの御名を冒とくしました。私たちはその冒とくに深いいきどおりを感ずるので,いっそう宣教にはげみます。私たちは正義を愛する故に耐え忍びます。そして,神の救いの手段に感謝の念を持つ人々を探しつづけます。私たちは,おざなりに奉仕するということに満足しません。むしろ,私たちの前にある一切の機会に注意を払い,これらの奉仕の特権を十分に活用するようにつとめます。

      12 (イ)家から家の奉仕がどの程度徹底的であるかをしらべるため,私たちはめいめいどう調べるべきですか。(ロ)反対する者たちに対しても,私たちは柔和な心をもってどのように教えることができますか。おそらく,どんな結果が生じますか。

      12 あなたは,ご自分の区域の割当について,パウロのごとく,『私は良いたよりについて十分のあかしを立てた』と言えますか。あなたは記録を注意ぶかくつけて,再訪問し,すべての家の人に会うことができましたか。あなたは十分しばしば訪問して,時たつ中にあらゆる家の人々に接しましたか。さらに,あなたは神の御国について徹底的な証言をすることができましたか。人が自分のしていることを止めてあなたの話に耳を傾けるまでには,あなたは多く忍耐し,たくさん訪問することが必要です。一方,注意深い準備をして巧みに話し,また,そして,言葉づかいが良いなら,それぞれの訪問のときに聖書の話の一つの点を述べることができるでしょう。家の人が事態の緊急性を認めても認めなくても,奉仕者であるあなたはそれを認めます。その理由で,あなたは「反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は,彼らに悔改めの心を与えて,真理を知らせ……」。(テモテ後 2:25,新口)まかれた種は,幾ヵ月か,幾ヵ年かたって後に成長するかも知れません。人の生涯において,その人の社会において,あるいはその人の教会においてなにかが生じ,彼は目撃した憎むべきことに『なげき悲しみ』始めるでしょう。(エゼキエル 9:4)すると,彼は御国の音信をうけいれるようになり,あなたが次に訪問するとき耳を傾けて聞きます。区域内の人々にするどい興味を持つとき,私たちは耐え忍んで教えます。そして,人の生活環境が変るとその態度も変り,私たちは彼を助けて救いの道を歩かせることができます。また,再訪問して聖書の真理に対するいっそうの認識をはげます機会に注意を払います。

      伝道をうける者に対する関心

      13 人は,彼の奉仕する人々に対する関心を,どのように示すことができますか。

      13 伝道をうける者にするどい関心を持つ奉仕者は,奉仕について機械的な見方を取りません。それらの奉仕者は,奉仕に出かけるとき,2時間か3時間を奉仕に費すことだけを考えません。また,戻ってくるとき,配布した文書の数だけを語りません。彼らは人々に関心を持っており,神に善意を持つ人々を探しています。彼らは救命のわざに従事していると認めます。彼らは家の人が誠実であると知るなら,たとえ悪魔が恐怖の障害を設けようと,御霊の剣を巧みに用いてその障害を切りはらい,「捕われ人に放免を告げ,縛られている者に解放を告げ……」ます。(イザヤ 61:1,新口)彼らは,敬虔なことに関心を示さぬ者たちと議論して,時間を浪費するようなことをしません。しかし,反対の言葉を言う者が,みな反対者であるとも考えません。主イエスの教える方法を巧みに用い,悪い環境下でも自分を抑制し,柔和な心で教えることのできる多くの機会を見出します。最初話を良く聞かない人にでも,教えることができます。時たつ中にこれらの人々は本心に帰り,真理の正確な知識を得るでしょう。―ヨハネ 1:46-49。使行 9:1-22,新口。

      14 イエスとパウロは,伝道した人々に対してどんな態度を示しましたか。

      14 イエスは,彼が奉仕した人々に愛の心から関心を示しました。彼はその点において際立っていました。彼は子供たちが小さ過ぎて聞くことはできないと言って,子供たちを押しのけることをしませんでした。また,金持ちは誇り高ぶっているから,彼の時間をさくに値しないと言って押しのけませんでした。また,貧乏人,盲人,そして不具者も押しのけませんでした。彼の心は人々に注がれました。彼は「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて,倒れているのをごらんになって,彼らを深くあわれまれた」。(マタイ 9:36,新口)彼は,疲れてすこしの休息を必要としたときでも探し求めた人々を追い払わなかったのです。パウロも,彼の伝道した者たちを「愛し」ました。(テサロニケ前 2:8,新口)私たちも,同じ見解を持たねばなりません。

      15 どんな経験は,宣教について円熟したクリスチャンの見方を示しますか。

      15 ひとりの開拓者の姉妹は,その感情を良く示しました。彼女は別の会衆にいる友人を訪問したとき朝の野外奉仕に参加して,ひとりの若い婦人に会いました。この人は興味をいくらか示して,提供された聖書の文書を受け取りました。この姉妹の訪問期間は非常に短かったため,彼女には再訪問する機会がなかったのですが,姉妹の心はその善意者に注がれ,家に戻ってから手紙を書いて,その人に研究を励ましたのです。郵便によって聖書研究が司会されました。その人の興味は急速に増したので,姉妹は程なくしてその若い婦人に会うため,わざわざその地まで旅行し,彼女をその地の会衆に紹介しました。いま彼女は奉仕に参加しています! その開拓者の姉妹は,伝道に費した時間を報告するためにだけ奉仕に参加したのではありません。彼女の願いは,エホバに対して羊のような気持ちを抱く人々を見出して養うことによりエホバをあがめることでした。それこそ円熟した各奉仕者が奉仕に対して抱く見解であります。

      献身についての正しい見解

      16 人は野外奉仕に定期的に参加するかも知れませんが,神はさらにどんな段階を要求しておられますか。そしてなぜ?

      16 私たちは,これらの羊のような人々を見出して,御国の良いたよりの伝道者になるように援助します。しかし,それで私たちの仕事が終わったわけではありません。新しい世の社会と交わることだけで神の是認が保証されるとか,御国の音信の伝道に参加することだけが,ハルマゲドンを生き残るための神の要求全部であるなどと感じてはなりません。ぜったいにそうではないのです! 神にむかって,『あなたに仕えることは,私の生涯の目的です。私はあなたの御心を行なうのをよろこびます。私の生命はあなたの奉仕 ― それがどんなものであろうと ― にささげられています』と言わないなら,その人の奉仕は,真心こめたものではありません。多分,その人は神への献身にともなう責任を取りたくないのかも知れません。しかし,献身を避けるなら,その人は恵まれた立場にはいりません。できる立場にいながら,イエス・キリストの模範に従わず,神に奉仕するための献身もせず,それを水の浸礼で象徴しないなら,その人はまだ生命に通ずる狭い道を歩いていません。ある意味において,その人はキリスト教国の宗教制度の成員独特の考え方をいまでも持っています。彼らも生活の指針として聖書の原則をいくらかうけいれています。しかし,彼らは決定をくだす権利を保留します。彼らは神をさばき,神の御言葉の中で彼らに都合の良いものを自分勝手にとりあげます。エホバの要求が何であるかを知っても,その全部に従うことは必要でないと心で決めるなら,その人はエホバを神として受けいれていません。それでは,神が彼をうけいれて,新しい世の生命を与えることなどどうして期待することができますか。神の要求を知っていながら,それを行なわない者たちについて,主の弟であるヤコブは,次のように述べています,「人が,なすべき善を知りながら行わなければ,それは彼にとって罪である」。(ヤコブ 4:17,新口)そのような人は,神への奉仕についての正しい見解を得るため,円熟した人の援助を必要とします。それらの人は,神の御言葉の知識を必要とするだけでなく,神の要求を認識することが必要です。

      17 (イ)献身して洗礼をうけるなら新しい世に生き残れますか。(ロ)神は,彼に仕える者たちに何を求められますか。

      17 もちろん,献身と洗礼そのものは,新しい世における生命を保証するものではありません。献身した人は,神に向かって約束した通りに生命を用いなければなりません。いわば「自分勝手の取りきめで」新しい世にはいれると期待することはできません。できるだけすこしの奉仕ですませようと努力する者は,最大のいましめをすでに破りました。そのことについて質問をうけたイエスは,永遠の生命を得るために次のことが必要であると言われました,「心をつくし魂をつくし,力をつくし,思いをつくして,あなたの神であるエホバを愛しなさい。また自分を愛するように,あなたの隣り人を愛しなさい」。(ルカ 10:25-27,新世)私たちの裁き主なるエホバ神は,人間の見るもの以上を見ます,「ヱホバはすべての心をさぐりすべての思想をさとりたまふなり」。(歴代志略上 28:9)エホバは私たちの行いを知るだけでなく,私たちの動機をもご存知です。私たちがエホバの奉仕に真心こめて努力しているか,また隣人に対する私たちの愛,隣人に救いを得させたいという私たちの欲求が,私たち自身に対するのと同じくらい大きいかどうかをもご存じです。神が最終的なさばきをくだす前の今こそ,私たちの心をしらべ,私たちの奉仕をしらべ,そして神が私たちに与えた肝要なわざについての正しい見解を持っているかどうかを調べる時です。

  • あなたの奉仕の特権を拡大する
    ものみの塔 1961 | 11月1日
    • あなたの奉仕の特権を拡大する

      1 (イ)ミナのたとえ話の中で,イエスは何を強く示しましたか。そして,どのように?(ロ)王権をいただいた者はだれですか。彼は御自分の僕たちに何をゆだねましたか。

      主にささげる私たちの奉仕は産出の多いものでなければなりません。イエスはその必要を,たとえ話の中ではっきり示しました。彼は身分の高いひとりの人について語りました。この人は王の力を得るために外国へ旅行するに際し,僕たちを呼んで,めいめいに1ミナを与えてから,それで商売をするようにと命じました。「さて,彼が王位を受けて帰ってきたとき,だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして,金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。最初の者が進み出て言った,『ご主人様,あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。主人は言った,『よい僕よ,うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから十の町を支配させる』。次の者がきて言った,『ご主人様,あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。そこでこの者にも,『では,あなたは五つの町のかしらになれ』と言った」。別の僕は彼のミナをなくしたのではありませんが,すこしもふやしませんでした。彼は不忠実な者とさばかれ,彼の持っていたものは,彼から取られました。(ルカ 19:12-26,新口)エホバはキリスト・イエスに王権を与えました。キリストは,御国の証者として奉仕に参加する特権を御自分の追随者全部に与えました。彼は次のように言われたのです,「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」。―マタイ 28:19-20,新口。

      2 各人が増加を示すことは,なぜ大切ですか。

      2 このたとえ話により彼は次のことを示しています。すなわち私たちにゆだねられているものを保持するだけでは是認は得られず,むしろ増加を示せるように,働くことによって是認は得られるのです。なぜそうですか。なぜなら,これは正しい,良い心の状態を示すからです。イエスは種まき人についてのたとえ話の中で次のように説明しました,「良い地にまかれたものとは,御言を聞いて悟る人のことであって,そういう人が実を結び,百倍,あるいは六十倍,あるいは三十倍にもなるのである」。(マタイ 13:23,新口)その心が良い地のようであると証明する者は,神の御言葉を受けいれて,神の制度の指示に答え応じます。その結果,神は彼の手のわざを祝福して,増加を与えられます。

      3 私たちが増加を示すためには,何が必要ですか。

      3 増加を示すために,私たちは努力しなければなりません。そしてさらに多くの知識と技術を増すように努力します。私たちは進歩して,神の奉仕における責任をよろこんで引きうけねばなりません。各人は聖書の真理の知識を増しつづけ,生活の中でクリスチャンの性質の実をむすび,そして信仰を公に宣べ伝えることにより良いたよりをひろめることが必要です。(テモテ前 2:3,4。ヨハネ 15:8。ロマ 10:10,新口)どんなことがあっても,満足し切ってしまい,必要なことはみなしてしまったというような態度を取ってはなりません。むしろ私たちは努力する必要があります。「目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく,強くあってほしい。いっさいのことを,愛をもって行いなさい」。「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実,はいろうとしても,はいれない人が多いのだから」。―コリント前 16:13,14。ルカ 13:24,新口。

      野外奉仕に進歩

      4 神の御言葉をいくらか知って,それを受けいれた者には,どんな特権が開かれていますか。彼らはこの機会をどのように見なすべきですか。

      4 多分あなたはエホバの証者の援助をうけながら,数ヵ月のあいだ聖書を研究してこられた方かも知れません。あなたの努力は,たしかに豊かに報われました。あなたは長年のあいだあなたをなやました質問に対する聖書の答えを見出して満足を感じます。また,たくさんの個人的な問題に対する解答も得られました。あなたは,神の新しい世に対する信頼すべき希望を見出して,よろこびでみちています。古い世の終りの時についてのイエスの大預言と,私たちの時代の出来事とを比較して,私たちが1914年以来その終りのときに生活しているとあなたは知ります。また,その預言から奉仕に参加できることも,あなたは学びました。なぜなら,イエスは次のように言われたからです,「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14,新口)神の御言葉は,各人がクリスチャン円熟に進むように励ましています。今こそその大きなわざに参加して,神への奉仕を拡大するため明確な取りきめをつくる時です。(ヘブル 5:12–6:1)幾百万という人々は,あなたの学んだことをまだ知りません。イエスはこう言われました,「収穫は多いが,働き人が少ない」。(マタイ 9:37,新口)口頭であなたを教えた者とともに,あなたはよろこびにみちた収穫のわざに参加しますか。あなたは奉仕の特権を拡大して,神があなたに与えた真理は,良い心の『正しい地』にはいり,あなたは真理をさとって,神の奉仕に産出的であることを示しますか。―ガラテヤ 6:6。

      5 (イ)新しい世の社会に交わっている人は,みな宣教について何に留意すべきですか。(ロ)各人が参加して,増加を示し得るいくらかの活動は何ですか。

      5 エホバの証者の新しい世の社会と交わっている人はみな,新しく興味を持った者でも,あるいは経験を積んだ奉仕者でも,奉仕の特権を拡大することに留意するべきです。進歩的な各人は,奉仕においてひとつの目標を持ち,その目標を目ざして働くべきです。その目標は,適当な期間中に達成されるもので,将来の進歩の踏石になるものです。私たちはたくさんの奉仕の部門に参加し,定期の活動計画にそれらの全部をふくめるよう順次努力するべきです。どこの会衆でも,これらについて改善をはかる余地はたくさんあります。すると,個人的な改善の必要があるという意味になります。イエスや彼の使徒たちの行なったごとく,あなたは家から家の宣教に定期的に参加していますか。(使行 20:20。コリント前 11:1)あなたは今週家から家のわざをしましたか。いまは神の設立した御国のたよりを伝道する時です。それでは,あなたはその御国を宣明している「ものみの塔」誌を「目ざめよ!」といっしょに定期的に配布していますか。これらの雑誌を定期的に配布することにより,多くの善がなされます。そして,各伝道者がそれに参加することは特権です。あなたはその特権を認識されますか。それでは,ひじょうに大切な再訪問と聖書研究の活動があります。そのような奉仕活動があったからこそ,あなたは真理を知ることができたにちがいありません。それで,あなたはこの奉仕のわざに毎週1度,定期的に参加して,他の者を生命の道に歩かせる重要性を認識するはずです。あなたの奉仕を拡大してこれらの活動全部をふくめなさい。すでにそれらの活動に定期的に参加しておられるなら,効果をあげる仕方について考え,野外奉仕に費す時間内で多くのことを達成するようにしなさい。あなたが奉仕を拡大するにつれて,同じことをするのに援助を必要とする会衆内の人を探しなさい。そして,愛の心から援助し激励しなさい。あなた自身の奉仕を増し加えると共に,他の者たちを助けて同じことをさせて産出を多くすることにより,よろこびを感ずるでしょう。―マタイ 25:23。

      6 (イ)神権宣教学校は,どのように人を援助して進歩させますか。(ロ)各研究生が進歩しようと努力することは,学校に出席する者全部にとって,どのように祝福の源になりますか。

      6 パウロがテモテに与えた宣教についての助言は,今日の私たち全部にとっても適当なものです。彼は次のように述べました,「すべての事にあなたの進歩があらわれるため,これらの事を実行し,それを励みなさい。自分のことと教のこととに気をつけ,それらを常に努めなさい」。(テモテ前 4:15,16,新口)エホバの証者の全会衆にある神権宣教学校は,そのためのすばらしい機会を提出します。そして,会衆に交わるすべての者は,この準備を利用すべきです。あなたはテモテのようであると証明し,『あなたの進歩をすべての人に示し』なさい。学校で与えられる助言に留意し,まじめに努力しなさい。次の話の割当のときにそうするのではなく,むしろ毎日のあなたの会話で,そしてあなたの野外奉仕で定期的に努力して,進歩を示しなさい。話の各割当は,あなたの奉仕の進歩をしるしづけるものにしなさい。そのとき,あなたは提出する資料を十分に理解し,話すことと教えることの良い特質を発達させることができます。あなたが進歩するとき,聴衆も益を受けます。たしかに聴衆の大部分は,あなたの提出する資料をだいたい知っています。しかし,その考えを明白に述べるためにあなたが特別の努力を払うなら,聴衆はいろいろの点をしっかり理解することができます。野外奉仕で善意者に提供するように,資料を提出するなら,聴衆はあなたの手本からその点についての考え方,また聖書の真理をほとんど知らない人に理解させる仕方を学ぶことができます。あなたが暖かい気持ちで,心をこめて話すなら,あなたの話を聞くすべての者は真理に対する認識を深めます。十分に準備して真面目に提供すること自体,新しく来た人の認識を十分に深めるでしょう。その人は,今後の集会にも出席して,生命を与える真理の水を飲みつづけるでしょう。かくして,あなたの進歩は,あなた自身およびあなたを見守るすべての者両方にとって祝福の源であります。

      さらに大きな特権をのぞみ求める

      7 野外奉仕に関して,円熟した者たちには会衆内の拡大された奉仕に対するどんな機会が開かれていますか。すべての人は,この活動をどう見るべきですか。

      7 円熟した奉仕者たちは,いっしょうけんめいに努力する結果,その進歩がすべての人に明白に示され,その人は大きな責任を進んでうけます。そのような円熟した奉仕者はたいへん必要です。あなたの会衆内には,未熟のために,毎月の奉仕に数時間しか費やさず,ほとんど増加を示さないような人がいく人いますか。それらの人は,円熟した人の援助を必要とします。円熟した人は,よろこんで彼らといっしょに座って研究し,聖書の話の準備を助け,家から家のわざで直面する問題の取扱い方を改善するように援助し,彼らといっしょに再訪問に出かけて家庭聖書研究を設立するよう援助します。それらの人は個人的な教訓と励ましが必要です。「わたしたち強い者は,強くない者たちの弱さをになうべきであって,自分だけを喜ばせることをしてはならない。わたしたちひとりびとりは,隣り人の徳を高めるために,その益をはかって彼らを喜ばすべきである」。(ロマ 15:1,2,新口)あなたは,この奉仕の特権をうけいれるために,奉仕を拡大する方法を講じていますか。

      8 奉仕会の割当をうけるとき,それについての正しい見解は何ですか。

      8 進歩するにつれて,あなたは会衆の奉仕会のプログラムの一部を監督する特権にあずかるでしょう。多くの人は,このことを定期的に要求されています。これを,どのように見なすべきですか。パウロはこう答えています,「指導する者は熱心に指導し……」(ロマ 12:8,新口)この特権が毎週与えられるような場合でも,最後の瞬間まで準備を延ばして,それから割りあてられた時間をふさぐためにいそいで考えを集めるというようなことをしてはなりません。あなたには神の民の会衆に,神の食卓から霊的な食物と助言を給するというわざをゆだねられました。それを普通一般のもののように取り扱ってはなりません。(マラキ 1:12)あなたの割当を十分前もって注意深く研究しなさい。会衆内の者の状況に直接適用するような仕方で資料を提出することを考えなさい。あなたの割当は,知らせを提供するだけでなく,すべての人がその価値を認識し,それを記憶し,そして使用するような仕方で,提供することです。あなたが効果的であるかどうかは,野外奉仕において彼らが効果的かどうかに反映されます。そして,次には,彼らの奉仕する人々の生活に反映されるでしょう。

      9 会衆の数が増加した結果,どんな奉仕の機会が開かれましたか。

      9 産出的な野外奉仕の結果,会衆の数は驚くほど増加しました。このことはまた拡大された奉仕に対して機会が開かれることになります。ちょっと考えてごらんなさい。過去2年間にエホバの民の新しい会衆は,全世界で3130も設立されました。すると,その期間中,3130人の新しい会衆の監督が必要となり,2万1000名以上の奉仕の僕が必要でした。また160名以上の巡回の僕と地域の僕が,定期的に訪問することが必要になりました。しかし,これが全部ではありません。ほとんどどの会衆でも円熟した兄弟たちが僕の責任をになってその特権を拡大する機会はあるのです。なぜなら,いま任命されている多くの者たちは,二つか三つの立場を占めているからです。

      10 (イ)人はどのように監督の職を願い求めますか。(ロ)なぜこのことを追い求めるのは正しいことですか。

      10 パウロはそのような奉仕をのぞみ求める人々をほめて,次のように言っています,「もし人が監督の職を望むなら,それは良い仕事を願うことである」。(テモテ前 3:1,新口)彼らが求めているものは,名誉ではありません。彼らは正しい種類の仕事をのぞんでいるのです。彼らはエホバの奉仕のためにさらに多くのことをしたいとのぞみ,クリスチャンの兄弟たちのためにいっそう奉仕したいとのぞんでいるのです。ミナのたとえ話ですでに学んだごとく,監督の職を願う人は忠実なることを立証し,自分の管理にゆだねられたものを増加させて,さらに大きな責任をゆだねられるにふさわしいことを示します。もし彼が熱心で,家から家の奉仕のわざに上達し,再訪問を行ない,進歩的な家庭聖書研究を司会し,奉仕のあらゆる部門に定期的であり,会衆の集会を取りあつかうときに会衆を建ておこし,そして彼の行動全部に神の御霊の実が示されるなら,その人は忠実な行いにより,監督として用いられる資格を持つことを示します。監督はそのような者です。彼らは顕著な兄弟の注意をひいたからではなく,神の是認をうけたから監督になれたのです。彼らが小さなことに忠実なことを証明したので,神は彼らを祝福して大きな責任をもたせました。(詩 75:5-7。ルカ 16:10)あなたはそのような忠実の道を追い求めて,自分にゆだねられた御国の関心事を世話していますか。

      11 人が開拓奉仕する動機は何ですか。どんなとりきめにより,大ぜいの人はこの奉仕に参加することができますか。

      11 将来を見つめる幾千人という新しい世の社会の奉仕者たちは,この古い世のものは,その価値において神の奉仕とすこしも比較にならないことを知っています。彼らはめいめいの生活を組織して,全時間開拓奉仕者となり,もっと多くの時間を伝道の仕事と教える仕事にささげることにしました。さらに幾十万という人々は,いろいろの責任があるため,正規の開拓者になることができません。しかし,彼らは拡大された奉仕の特権に目をつけています。彼らは計画を注意深く立てることにより,毎年2週間か1ヵ月あるいはそれ以上の長い期間を休暇開拓するように適当な時間をやりくりします。彼らの心はエホバの奉仕にあります。そして,いっそうエホバの奉仕に参加できる機会をたえず求めています。彼らは真の信仰の道を追い求めているかどうかたえずしらべます。そして,多くの努力をはらい,その奉仕の拡大をはかるための機会をつくります。―エペソ 5:15,16。コリント後 13:5。

      12 なぜ人々や家族は,御国の証者に対する必要の大きなところで奉仕するために出かけて行きますか。

      12 強い心を持つ他の人々や家族の群れは,自分の住家をはなれ,御国証者の必要が大きい新しい場所や外国の地に行きました。なぜですか。彼らには家族の責任や他の責任がないというわけではありません。また,お金がありすぎて,使い道を知らないというわけでもありません。むしろ,彼らは私たちの時代に対する神の御心を良く知っています。彼らは神を信じており,いま行なわれているこの証言のわざは私たちの時代に最も重要であると知っています。他の場所から奉仕の援助を求める言葉を聞いて,彼らはパウロと彼の仲間が感じたことを経験します。パウロは,幻の中でひとりのマケドニヤ人を見ましたが,この人はパウロに懇願して,次のように言いました,「マケドニヤに渡ってきて,わたしたちを助けて下さい」。記録は次のように言葉をつづけています,「パウロがこの幻を見た時,これは彼らに福音を伝えるために,神がわたしたちをお招きになったのだと確信して,わたしたちは,ただちにマケドニヤに渡って行くことにした」。(使行 16:9,10,新口)それで,今日その召に答え応じた人々は,彼らを召したのは神であると感じます。神は彼らに奉仕の戸を開きました。彼らはイザヤのごとく,「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」と答え応じます。(イザヤ 6:8)彼らは正義に飢えかわく人々を援助して,共々に真の神への奉仕をするとき,彼らの信仰は豊かに報われます。

      13 私たちの奉仕を増加させるための現在の機会について,私たちはどんな見解を持つべきですか。そして将来についてどんな見解を持つべきですか。

      13 エホバの制度内のどこで奉仕しようとも,私たちにはイエスのたとえ話に述べられている忠実な奴隷が行なったと同じことをする機会があり,私たちにゆだねられている御国奉仕というミナをいやす機会があります。神への強い信仰,および,創造者に善意を示す者に対しての愛,この悪い世に対するエホバのさし迫った滅びを「しっかり心にとめ」ること,そして新しい世の祝福を熱心に待ち望むことは,私たちを奮い立たせてそのような忠実な行いをさせます。(ペテロ後 3:11-13)私たちは主の奉仕から解雇される時を待ち望んでいません。ハルマゲドンで神に対する私たちの奉仕が終わることを予期しません。割当が忠実に行なわれるとき,神はその者を奉仕から解雇するようなことをせず,また活動的な奉仕から彼を引退させません。活発にエホバに奉仕することは私たちのよろこびです。いま忠実を証明する人々には,新しい世で創造主に仕える機会が拡大されて彼らは祝福をうけるでしょう。タラントの譬話の中でイエスが示したように,その信用に忠実であると証明する者に対し,主はこう言われます,「良い忠実な僕よ,よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから,多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。―マタイ 25:23,新口。

      新しい世の奉仕の目標を追い求める

      14,15 いま忠実を証明するキリストの油注がれたからだの成員に対しては,どんな拡大された奉仕の見込みがありますか。

      14 いま信仰を証明する者たちの前に置かれているすばらしいわざを考えてごらんなさい! 神の御霊で油そそがれ,その召と選びをたしかなものにする者たちは,キリストと共に天の御国で奉仕の役割を持つでしょう。栄光に輝く活動の新しい分野は,彼らに開かれます。彼らは神の全宇宙の首都制度である新しいエルサレムの一員として,「神とキリストとの祭司となり,キリストと共に千年の間,支配する」。(黙示 20:6,新口)真心こめて神に仕え,神と御子およびクリスチャンの兄弟たちと和をむすぶ道を追い求め,そしてはげしい迫害にもかかわらずきぜんと立った油注がれた者たちに,次の約束は適用します,「心の清い人たちは,さいわいである,彼らは神を見るであろう。平和をつくり出す人たちは,さいわいである,彼らは神の子と呼ばれるであろう。義のために迫害されてきた人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである」。―マタイ 5:8-10,新口。

      15 エホバは彼らの将来にあるよろこばしい見込みのいくらかが何であるかを御自分の霊感された御言葉を通して知らせました。使徒パウロはこのことについて次のように述べています,「わたしの祈のたびごとにあなたがたを覚えて,絶えずあなたがたのために感謝している。どうかわたしたちの主イエス・キリストの神,栄光の父が,知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ,あなたがたの心の目をあきらかにして下さるように,そして,あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか,聖徒たちがつくべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか,また神の力強い活動によって働く力が,わたしたち信じる者にとっていかに絶大なるものであるかを,あなたがたが知るに至るように,と祈っている。神はその力をキリストのうちに働かせて,彼を死人の中からよみがえらせ,天上においてご自分の右に座せしめ,彼を,すべての支配,権威,権力,権勢の上におき,また,この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる,あらゆる名の上におかれたのである。そして,万物をキリストの足の下に従わせ,彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって,すべてのものを,すべてのもののうちに満たしているかたが,満ちみちているものに,ほかならない」。(エペソ 1:16-23,新口)そのようにすばらしい天的な奉仕の希望は,「魂のいかり」であって,彼らは神がいま彼らに与えた奉仕を忠実に行ない彼らの前に置かれている希望を保つことができます。―ヘブル 6:19,新口。

      16,17 御国の地的な領域における生命の祝福をうける者たちには,どんな奉仕の特権が将来にありますか。

      16 王の油注がれた兄弟たちと共々にいま奉仕している大いなる群衆の他の者たちがいます。神の祝福の御霊は,彼らの上にものぞんでいます。キリストは,彼らにこう言われます,「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい」。(マタイ 25:34,新口)彼らは御国の地的領域における奉仕を待ちのぞんでおります。彼らはなんとすばらしい見込みを持っているのでしょう!

      17 いま新しい世の社会内で忠実な監督であることを証明する者たちが,ハルマゲドンの後でも,君としての奉仕の地位を楽しみつづけることは疑いありません。たくさんの仕事があるでしょう。仕事は秩序正しい仕方で行なわれます。(イザヤ 32:1,2。コリント前 14:33)ハルマゲドンの戦争で神が悪い者に対するさばきを執行して後,王の地的な住民は,この地上でかってないほどの大きぼな世界的な清掃をするでしょう。数え切れぬほど多くの死体を埋めなければなりません。(エゼキエル 39:11-16)家を建てねばなりません。楽園の状態は地の隅々まで拡大されるでしょう。それは,不定期的な働き人とか,ただ必要と感ずることだけをしようとする者だけの時ではありません。その奉仕に参加したいとのぞむ人々は,心をこめ,すべての力をこめて神を愛する人たちです。彼らはいま自分の割当に忠実なことを証明する者たちです。そのときにはさらに多くの仕事をするという祝福をうけるでしょう。ハルマゲドン生存者に子供が生まれ,神の記憶にある人々が死人の中からよみがえされるとき,大きぼな教育が行なわれるでしょう。(黙示 20:12)いま得た教える能力は,そのときでも良く使用されます。そして,新しくそこで生活する人々を援助して,神の御心の正確な知識を得させ,深い認識を得させます。天の御国の管理の下に,この地球は楽園の美を回復し,従順な人類は完全になります。そのような住民は,みな真心こめてエホバを崇拝するでしょう。

      18 神から私たちに与えられる現在の奉仕および将来に対して,私たちはどんな正しい見解を持つべきですか。

      18 これは神の御こころです。そして,すべてのクリスチャンは,神の御こころの行なわれることを祈ります,「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」。(マタイ 6:9,10,新口)彼らはその時を誠実な気持ちで待ちのぞみながら,いま神に仕えます。彼らは心をみたす奉仕の役割に参加する祝福をうけるでしょう。エホバはそのときおよび永遠にわたって彼らに奉仕の役割を与えます。彼らにとって,神の奉仕は厄介な重荷ではありません。彼らはさらに大きな責任をもつことを不快な将来とは見なしません。彼らは神の御心を行なうことを最大のよろこび,および最大の満足と見なします。そして,熱心な期待をもってさらに参加しようとつとめます。

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