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混乱した世界 ― それを変革することは可能ですか目ざめよ! 1976 | 10月22日
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混乱した世界 ― それを変革することは可能ですか
多くの人々は,世界情勢が極めて危険であると考えています。より良いものへと変革できるのはだれですか。若い人々にそれができますか
世界は多くの点で正常ではありません。このことに異論を唱える人はいないでしょう。若い人々の多くは,現在の事態が非常に危機的なものとなっているため,人類が存続してゆくには変革が必要であると考えています。実際,世界的な災害を回避するために行動を起こすにはすでに遅すぎると考える人もいます。そうした人々は,世界のたどっている道を,鉄橋が流失している谷間に向かって,下り坂を猛スピードで突っ走る暴走列車の進路になぞらえています。
しかし,年長の人々の大半は,そうした考えに同意しないことでしょう。この混乱した世界がなんとか回復し,万事が順調にゆくようになると思う傾向があります。そうした人々はこう言うかもしれません。「世界大恐慌や第二次世界大戦中のことを考えてご覧なさい。情勢が絶望的に思えたことはしばしばありましたが,それでもよくなりました。世界はどうにか存続して来ました。今回もやはり同じようになるでしょう」。
「しかし,事態は同じではありません。今日の事態は全く異なっています」と若者の多くは,すぐに言葉を返すことでしょう。そして,率直に言って,若者たちの言うことには一理があります。
というのは,非常に異なった社会が築き上げられてきたからです。アルビン・トフラーは,自著「将来の衝撃」の中に,こう書いています。「我々は,青年革命,性革命,人種革命,植民地革命,経済革命,そして史上最も急激で根本的な技術革命などを同時に経験している」。
もし自分たちの住む,現在の混乱した世界に敢然と立ち向かうとすれば,過去の世代に起きた出来事が今日の事態にそのまま当てはまりそうにないという点を認めねばなりません。社会における衝撃的な革命が,若い人々に与えた影響について理解しようと努めねばなりません。
例えば,技術革命の影響について考えてみましょう。それは主に,毎日幾億ガロンもの割合で地球から掘り出される石油を燃料としています。若い人々は,資源のずさんな管理にしばしばあきれています。資源は前後見境のないほどの勢いで消耗され,その結果,資源が枯渇するだけではなく,空気や水や大地までが汚染されているのです。若い人々は,よくこう言います。「親たちの世代は,よくも地球の資源を枯渇させ,環境を汚染し,地球を我々やこれから生まれる子供たちの住めないような場所にしてしまったものだ」。
そのような意見に共鳴することはできないでしょうか。公園に行ってみて,以前は美しかった花やかん木が踏み荒され,立派な樹木が焼かれ,一面にごみが散らかっているのを見たらどう思われますか。それこそ,年長の人々の世代が事実上してきたことであり,事態がさらに悪化する可能性もある,と考える若者は少なくありません。そして,心配するだけの理由があるのではないでしょうか。
この点について考えてみてください。文明社会全体を何度も全滅させるに足る核兵器がある,ということを知りつつ成長した若い人々の世代は,これまでにありません。英国の評論家ジェフ・ナットルは,これまでの世代との違いを述べ,こう指摘しました。原子力時代が到来する前に思春期に入った若者たちは,「将来のない生活など考えることができなかった」のに対して,原子力時代に入ってから成長した若者たちは「将来のある生活など考えることができなかった」。ナットルはこう強調しています。「彼らは将来という観念を知らない」。人間自身が文明を破壊し,放射能性物質の破片に変えてしまう恐れは,彼らにとって現実的で,もっともな見込みなのです。
実際,若者たちが権力者に対してどんな印象を持つと期待できるでしょうか。17歳になる若者が,1975年11月22日付のニューヨーク・タイムズ紙に次のように投書したとき,彼は他の大勢の人々がその問題に対して持っている見解を代弁していたにすぎません。「人々は政治家を,泥棒,追いはぎ,そして詐欺師と同列に置いている。多くの人は,この国の指導者たちが自分のことしか考えていないと思っている」。
子供たちが十代になると,犯罪や暴力という有害な精神の糧を自分たちに与えてきたのは,金銭的な利得を追求する実業家であったことに気付くようになります。米国の一有力雑誌は,その1975年9月号の中でこう報じています。「ごく普通の子供であれば,15歳になるまでに,テレビで1万3,000人が死ぬのを見る。今年,テレビのゴールデン・アワーに放映される番組すべてを見るとすれば,その子は一時間に八回の割で,殺人,殴打,強姦,追いはぎ,そして盗みなどを目撃することになる。四つの番組のうち,三つまでは暴力を呼び物にしている」。
さらに若者たちが成長するにつれ,汚染物質によって地上の生命を危地に陥れているのは貪欲な商業主義者であり,核兵器貯蔵庫を建てて文明を危険にさらしているのは権力に飢えた指導者たちであることを悟るようになります。幸福で安全な将来の見込みを無惨にも台なしにしてきた体制を若者たちが憎むようになったからといって,彼らを責めることができますか。ノーベル賞を受けた科学者セントジェルジは若者たちがどう感じているかを理解し,こう説明しています。
「彼らはすべてが虚偽であることに気付いている。大政党は利益や権力を求め,若者たちの体によって自らを肥やした軍隊は支配権を得ようとする……若者たちは,宗教が常に権力の側についているのを見ている。また,世界の子供たちの半数は,健全な精神と身体を築き上げるのに必要な食べ物も得られず,腹をすかせて床に就いているというのに,我々が核爆弾やミサイルを備積するために,幾千億㌦も費やしていることを知っている。そして,政治家の大半が本当に気遣っているのは自分たちの再選,つまり権力を保持することだけであり,そのために政治家が人々に提出する論法はごく簡単な論理によっても打ち砕かれるような代物であることも知っている」。
そうです,今の世を腐敗した,残虐な世界と見る若者は少なくありません。そして,わたしたちはそれに同意せざるを得ないのではないでしょうか。しかし,こう言う人もいるかもしれません。『より良い世界を作ることは不可能ではない。それには政府の中から腐敗した,不道徳分子を粛清しなければならない。それは可能である』。しかし若者たちは,この混乱した世界を変革し,より良い新世界を作ることができますか。そうしようと努力することは,時間のむだですか。
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世界を変革することは可能か目ざめよ! 1976 | 10月22日
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世界を変革することは可能か
より良い世界を築くことができると考えた人は少なくありません。そして,過去において若者たちがそのために熱心に努力したこともありました。例えば,1960年代には,体制を改革しようとする若い人々の努力がしばしば新聞紙上をにぎわしました。人種差別を行なう,不法で残虐な社会とみなしたものに対し,幾千幾万もの若者は一致結束して抗議しました。ところが,最近になって,体制を変革しようとするそうした努力は,事実上すべて影をひそめてしまいました。
二年ほど前,世界で最も権力のある人々の不正行為が明るみに出ましたが,若者たちは憤りの声をほとんど上げませんでした。そのわずか数年前まで,改革をもたらすために若者たちの払っていた努力を思えば,その沈黙は驚くべきものでした。なぜそうなってしまったのですか。
教師であるポール・ラウターとフローレンス・ハウは,その著書「若者たちの陰謀」の中で,若者の態度を最近になって変化させたものについて,こう論評しています。「[数年前までは]制度を再建できるという根本的な信念,つまり中流階級の楽観主義とでもいうべきものがあった……しかし,[ベトナム]戦争がそのすべてを変えてしまった」。
1960年代に体制を改革しようと一生懸命努力した若者たちは,冷厳な現実に直面しました。彼らはそれまでに気付かなかった事柄,そして年長の人々の多くが見て見ぬふりをしてきた事柄に気付いたのです。それは,世界は基本的に,根本的に腐敗しており,これまでずっとそうであった,ということです。1960年代の一青年活動家は,この点に気付いたことを指摘し,ニューヨーク・タイムズ・マガジン誌の中に,最近こう書いています。「自分たちの住んでいる体制は,腐敗し,堕落し,道徳的に破たんをきたしており,情け容赦なく搾取を行なうものである,という我々の結論は間違っていなかった。ただそれが世の通常の営みであることを理解していなかっただけである」。
それで,若者たちの多くはどんな結論に達しましたか。それは,自分たちが現在の腐敗した体制を変革するためにできることは何もない,という結論です。この体制は,政治,商業,そして宗教を含め,全く腐り切っています。この体制をより良い世界に作り変えることはできません。1960年代の別の若い活動家は,世界を改善しようとした自分の努力について,こう書いています。「こうした経験を通して,わたしはこの体制を変革することはできないと考えるようになった。わたしは体制を変革しようとすることをあきらめ,『飲んで,食べて,愉快にやろう』という哲学に従うようになった」。そしてわたしたちの見るところから判断すれば,他の幾百万もの若者たちもこれと同じ態度を取っているようです。
「それが今の若い者のいけないところだ。消極的で,悲観的になりすぎている」とこぼす年長の人々も中にはいることでしょう。しかし,若い人々はこう答えるかもしれません。「我々は消極的になっているのではなく,現実を直視しているだけだ」。そして,証拠を検討した人で,それに同意する人の数は確かに増えています。例えば,広く流布された,「岐路に立つ人類」と題する,ローマ・クラブへの第二次報告書の要旨の中で,次のような結論が出されています。「我々は破滅に至る道を歩んでいる……人間には勝ち目がないようである」。
また,デニス・C・ピラージスとポール・R・アーリック両教授は世界的な災害を予見し,その著書「第二の箱船」の結びでこう述べています。「米国および世界各地で,これまでに起きてきた事柄,そして現に起きている事柄は,工業社会の大規模な崩壊が間近に迫っている兆候である。我々は今や,庶民の大悲劇ともいうべきものに巻き込まれている。体制全体が崩壊の瀬戸際にある一方,各人,各家族,そして各国は何とかして先頭に立とうと躍起になっている」。
しかし,年長の人々は大抵,世界の状態が悪いことを認めつつも,この世界はかけがえのないものであると論じます。ですからそうした人々は,あきらめて世界が崩壊するときに備えるよりも,世を救い,改革するために,できる限りのことをすべきだと言います。しかし,そのようにして改革
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