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  • 「御心が地に成るように」(その30)
    ものみの塔 1960 | 3月15日
    • エチオピアの皇帝であると宣言しました。1937年の12月,ムッソリーニ首領は,ファシスト・イタリアを国際連盟から脱退させました。

      「聖所」と「憎むべきもの」

      23 このところで,ヱホバの御使は北の王に関連して聖所級のことを,どのように言及していますか。

      23 しかし,北の王と和を求めず,ヱホバの統治する御子による御国の聖なる契約に忠実をかたく保つた者たちについてはどうでしようか。御使は,その質問について答えています。御使は,第二次世界大戦の詳細なことを多く論ずるようなことをせず,むしろ忠実な聖所級について言葉を述べています。御使は,その言葉の中に,北の王の個性と国籍のいちじるしい変化を指摘して,次のように述べています,「彼から軍勢が起つて,神殿と城郭を汚し,常供の燔祭を取りのぞき,荒す憎むべきものを立てるでしよう」。―ダニエル 11:31,新口。

      24 共産主義者たちは,1917年にカイゼル・ウイルヘルムの援助を受けて,ロシアで何を行ないましたか。そして,新しいロシアは何に加入しましたか。

      24 「彼から軍勢が起つて」と述べられているこの軍勢は,北の王の支持者たちを指しています。北の王は,この軍勢を用いて第二次世界大戦には南の民主主義的な王と戦います。しかし,世界支配を狙つたこの第二次世界大戦前とその最中およびその後には,おどろくべき出来ごとが生じました。北の王は1917年に世界共産主義をすでに援助していました。そのとき,革命家のレーニンはカイゼル・ウイリヘム政府の保護援助をうけて亡命地スイスから,ロシアにもどりました。そのとき以来,共産主義者はロシア政府を奪取し,全体主義的な政府と独裁主義を持つソビエット社会主義者共和国連邦を設立しました。このソビエット社会主義者共和国連邦は,1937年9月17日に国際連盟に加入しました。それは西洋の民主主義と交渉を行ないました。

      25 「西欧民主主義の裏切り」は,共産主義ソビエット政府により,どのように生じましたか。そして,なぜそれは国際連盟から除名されましたか。

      25 1939年の8月,英国とフランスは共産主義政府と交渉を行なつていました。そのとき,「西洋民主主義の裏切り」と言われるのが突然に生じました。北の王の立場にいたナチは,第二次世界大戦を始めようとしていた矢先であり,東の側面の保護を必要としました。この目的のために,北の王はロシアと協同条約をむすびました。それで,8月19日,ロシアの首都はナチと1年間の通商条約をむすんだと発表しました。さらに不思議なことが起りました。8月24日,モスコーはドイツと10年間の不可侵条約を署名することにより,西洋をたいへんびつくりさせました。この両者のあいだには密契がありましたか。時はそのことを示しました。9月1日,ナチの「軍隊」はポーランドに侵入して,第二次世界大戦を点火しました。c 彼らは電撃作戦<ブリツツクリーグ>で前進しました。9月17日,共産主義者の政府は別の側からポーランドにロシヤ軍隊を侵入させたのです。それから5日の後,ナチ・ドイツと共産主義者ソビエット連邦は,ポーランドを分割し,それぞれ手に入れた土地を占拠するという同意宣言文を発表しました。それから2カ月の後,ソビエット・ロシアはフインランドを攻撃し,ロシアは国際連盟から除名される最初の国になりました。

      26 第3番目のドイツ帝国は,どのように北の王の立場を失いましたか。

      26 約2年のあいだ共産主義者ロシアは,北の王ナチの同盟国でした。それは独裁主義で,その同盟国とおなじく世界支配を狙つていました。1941年,6月22日,ヒットラーがロシアに巧かつな攻撃を加えたので,ロシアは己むを得ず南の民主主義的な王の側に立ちました。しかし,ロシアが西の民主主義の側に立つたため,ナチ・ドイツは敗北し,ロシアは全体主義的,独裁主義的な北の王の立場をにぎるようになりました。1945年,共産主義者ロシアは,ナチ-ファシストの敵に対する同盟国の勝利に参加しました。引きつづいて,フランス,英国,アメリカ,そしてロシアの四大強国によつて,征服されたドイツの分割が行なわれました。ヤルタ条約にしたがい,ロシアは東部ドイツを取りました。第七次世界強国である英米両国の世界強国の敵対者,すなわち北の王ドイツは,もはや存在しなくなつたのです。その代りに政治的に強くて新しい強国が立つにちがいありません。それは,世界支配を狙うふたりの王のあいだの敵対が,最終的な決定にまでつづいて行くか,または後退して足踏み状態になるためです。

  • 発表
    ものみの塔 1960 | 3月15日
    • 発表

      1960年の記念式発表

      残れる者も他の羊もヱホバの民が会衆として集まり,あらゆる記念式の中でも最も意味深い記念式を守る時は近づいています。それは主イエス・キリストの死を年に一度祝う記念式です。今年は4月10日の日曜日に行なわれます。どの会衆も記念式の取り極めを設けるべきです。そして,ヱホバ神と御子イエス・キリストに善意を持つすべての人々は,出席する明白な取り極めを設けたいと思われるでしよう。4月7日-10日の東京大会に出席するすべての人は,日曜日午後6時半から世田谷区民会館で記念式に出席することができます。

      『ものみの塔』の研究

      4月24日: 人間を自由にする真理を見出す 1-21節 103頁

      5月1日: 人間を自由にする真理を見出す 22-43節 108頁

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