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  • あなたは,自分の宗教が正しいことを確信できますか
    ものみの塔 1973 | 10月1日
    • あなたは,自分の宗教が正しいことを確信できますか

      宗教は人びとの生活に対して非常に大きな影響力を持ち,しばしばその人の行状や人生観全体を左右します。では,自分の宗教は正しいという確信を持たねばならないことには十分の理由があるわけです。

      しかし今日では,ますます多くの人びとが,自分たちの教会のしている事がらに疑念をいだくようになっています。それどころか,公然と反対の声をあげる人もいます。たとえば,ザ・アメリカン・チャーチ・ニューズ誌の編集主幹は,英国聖公会がいわゆる経済上の理由で,「イエスがご自分の教会に課された唯一の務め」― 福音伝道を十分に行なえないでいるという事実を非難しました。同主幹は聖公会の資金によって行なわれている幾つかの企画を上げ,それから次のようにことばを加えました。「しかし,福音伝道のための資金はない。……われわれは第一のものを第一にしていない。われわれはそれを度外視しているのである」。

      他の人びとはそのように公然と不満を言い表わさないまでも,教会の中で行なわれている事がらに非常に当惑しています。最近号のジェズイット・ウィークリー誌は,今日多くのカトリック教徒は,教会内で生じている変化に「まごついている」と述べています。

      あなたも,長い間たいせつにして来た信条を教会が捨ててしまったために,不安を感じていますか。婚前交渉や姦淫や同性愛行為を是認する僧職者がふえているのを不快に思っていますか。

      教会内で見た事がらに心を乱された多くの人は教会を離れました。しかし,そのうちのかなりの人びとは依然神を信じています。彼らにとっては,神の存在を示す強力な証拠があるのです。しかし彼らは,キリスト教世界の諸教会が神をふさわしく代表しているとは考えていないのです。また,教会に全面的に同調してはいなくても,引き続き教会を支持している人びともいます。

      こうしたことを考えるとき,神はこれら諸教会の教理や慣行を是認されるのだろうか,という疑問が生まれるかもしれません。

      入手できる証拠を注意深く調べた後,多くの誠実な人びとは,宗教の是否を判断する確実な根拠は聖書であるという結論に達しました。―テモテ後 3:16,17。

      わたしたちはあなたにも聖書に記されている事がらとキリスト教世界の諸教会が教えている事がらとを比較してごらんになるようお勧めします。すでに両者を比較してみた多くの人びとは,キリスト教世界の教会で不快な思いをさせられた事がらが聖書では教えられていないということを知って驚きました。神のことば聖書を真剣に考慮し学んだ結果,それらの人びとは真の宗教を見きわめることができました。

  • 正しい宗教を見分ける
    ものみの塔 1973 | 10月1日
    • 正しい宗教を見分ける

      正しいことは,真理の標準と完全に一致していなければなりません。キリスト教世界の教会に属している人びとのほとんどは,自分の宗教は聖書と一致していると信じています。ですからわたしたちは当然,正しい宗教を知るための根拠として聖書を用いることができるわけです。―ヨハネ 17:17。

      ご自分の聖書を持ってきて,そこにしるされている基本的な真理をいくつか調べてごらんになるのはいかがですか。翻訳によって表現はちがうかもしれませんが,伝えられている意味は,この記事の中で引用されている聖書の翻訳と同じであることがおわかりになるでしょう。

      真の神

      宗教の焦点は,崇拝の対象となるもの,すなわち神です。あなたは神についてどんなことを教えられてきましたか。神の名前に注意を促がされたことがありますか。神が偶像をどう見ておられるかを教わったことがありますか。聖書が詩篇 83篇18節でなんと述べているかにご注意ください。『さらばかれらはエホバてふ名をもちたまう汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし』。またイザヤ書 42章8節には,『われはエホバなり これわが名なり 我はわが栄光をほかの者にあたえずわがほまれを偶像にあたえざるなり』とあります。

      では,神の名前を用いることのたいせつさを軽視する宗教は正しい宗教といえるでしょうか。栄光や誉れを偶像に与えない神が,単なる相対的崇拝と称して偶像を拝し偶像に口づけすることを称揚する宗教を是認できるでしょうか。

      神のみ子イエス・キリスト

      正しい宗教なら,神にかんする真理を教えると同時に,崇拝において神に近づく正しい方法をも教示するはずです。このことについてイエス・キリストは,「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」と言われました。(ヨハネ 14:6,新)したがって,正しい宗教であれば,イエス・キリストにかんする真理を教えていなければなりません。

      確かに,イエス以上に,イエスの地位についてよく説明できる者はいませんでした。イエスは弟子たちに言われました。「もしわたしを愛するなら,わたしが父のもとに行こうとしていることを喜ぶはずです。父はわたしより偉大なかただからです」。(ヨハネ 14:28,新)復活後イエスはマグダラのマリヤに言われました。「わたしにすがりつくのはやめなさい。わたしはまだ父のもとへ上っていないからです。でも,わたしの兄弟たちのところに行き,『わたしは,わたしの父またあなたがたの父のもとへ,わたしの神またあなたがたの神のもとへ上る』と言いなさい」― ヨハネ 20:17,新。

      これらのことばは,イエスと神は同等であるとする宗教教理と一致していますか。むしろイエスが神を自分の父と認めていたことを示してはいないでしょうか。

      それでもなかには,イエスを神と同等の者として述べている聖句があるではないか,と言う人があるかもしれません。

      その証拠として指摘されるのは,ヨハネ伝 14章

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