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    ものみの塔 1961 | 2月1日
    • 分裂した世界において一致を示すもの

      「牧場の中の群れのように,おりの中の群れのように,私は彼らを一致させよう。彼らは人のゆえにさわがしくなる。」ミカ 2:12,新世。

      1,2 (イ)地上で真の一致が示されるものは,どんな目的を果たすべきですか。(ロ)大きな制度についてみるときどんな大きな群れは一致していると主張しますか。しかし,彼らの主張について事実は何を示しますか。

      一致を示すもの ― 今日,地上のどこでそれを見出すことができますか。真実の一致を示すものが見出せるなら,それは全人類の模範になるのにふさわしいものです。今日,「一致」と呼ばれている大きなものがあります。たとえば,国際連合を考えてごらんなさい。国際連合に参加している国の数は90以上です。大きな規模を持つ国際連合の一致は,たしかに全人類に感銘を与えるはずです。しかし,国際連合はその名前以上に,実際に一致していますか。国際連合は世界を一致させておりません。西の群れの諸国家,東の群れの諸国家,そして中立の群れの諸国家は,政治,社会,人種,宗教の考えや目的について意見を異にし,その組織内で不和の状態をひきおこしています。

      2 大きな別のものは,共産主義の群れに入っている諸国家です。1960年の6月,ソビエト圏の諸国家を代表する人々は,ルーマニアのブカレストで会合しました。そして,6月27日,共産主義の中国人をふくむ12人の共産主義支配者たちは,彼らの目的と活動の一致を再確認する次のような共同宣言を発表しました。「会議に参加した者は,次のことを宣言する,すなわち共産主義労働者団体は,世界社会主義者組織に従う国家の結合をつよめる。また目の瞳のごとく一致を保ち,全人民の平和と安全のために戦い,マルクス主義-レーニン主義の大きな目的の勝利をはかる」とその最後の節は述べていました。しかし,世界人口の3分の1をふくむその大きな群れの中に,真実の一致がありますか。事実は,彼らの主張が偽りであると示します。しかし,彼らが自分たちの間で強制し得る一致によって,彼らはついにすべての人を支配するのではないか,との恐れが存在しています。

      3,4 (イ)大きなものと対照して,一致はどこに示され。そしてどんな可能性がありますか。(ロ)このことに関連して,私たちは実際にどんな小さなものに言及しますか。その始まりと,初期の成長は何でしたか。

      3 大きなものについて言えるだけでなく,夫と妻および子供たちで構成される小さな家族の群れも,今日では一致を保つことがむずかしくなっています。しかし,私たちは小さなものの中に一致の示されているのを見ます。その一致こそ,全人類の中に存在して,全人類の益とならねばなりません。また,小さなものから大きなものができてくるでしょう。そして,その一致の故に,時たつ中には「善意者」の全部も含まれるようになるでしょう。そのような小さなものは,「小さな群れ」です。ナザレの預言者なる良い羊飼は,御自分の弟子たちの群れをそのように呼びました。―ルカ 12:32。マタイ 21:11。

      4 過去16世紀間存在してきたキリスト教国を決して意味しているのではありません。今日キリスト教国は,8億4865万9038人の自称クリスチャンたちを持っていると主張します。その数は全世界の人口の約3分の1にあたります。ローマ・カトリック信徒,東方正教会員,そして新教徒によって構成されるキリスト教国は,キリスト教と口でこそ唱えていますが,宗教的にも,政治的にもまた社会的にも一致していません。最近,バチカン市の法王は,近づいた全世界キリスト教徒協議会に関連してキリスト教国の教会の一致を呼び求めました。その事実は,宗教家間の不一致を明白に証明するものです。彼らのうちに一致がないことは,キリスト教という彼らの主張が偽りであることを示し,彼らの恥辱を示すものです。私たちが意味しているものは,ほんとうにいつでも小さなものでした。すなわち,それは真実のクリスチャン教会あるいは会衆です。それはエルサレムにいたわずか120人の地上の人々で始まりました。神が行なわれた奇跡のゆえに,この会衆は西暦33年五旬節の日に,「3000人ほど」に増加しました。それからしばらくたって,その数は「5000人ほど」に増加した,と報告されました。―使行 1:15; 2:1-41; 4:4,新口。

      5 その会衆は,始まると共に,どのように正しい内部の状態を保ちましたか。記録はこのことをどのように示しますか。

      5 その後のイエス・キリストの弟子たちの会衆は,ただ一つの真のクリスチャン教会の持つべき正しい状態で一致と平和のうちに始まりました。会衆が3000人になって後の会衆についての聖書の記録は,その事実を証明します。彼らがイエス・キリストの名によって水による洗礼をうけた後,「一同はひたすら,使徒たちの教を守り,信徒の交わりをなし,共にパンをさき,祈をしていた。みんなの者におそれの念が生じ,多くの奇跡としるしとが,使徒たちによって,次々に行われた。信者たちはみな一緒にいて,いっさいの物を共有にし,資産や持ち物を売っては,必要に応じてみんなの者に分け与えた。そして日々心を一つにして,絶えず宮もうでをなし,家ではパンをさき,よろこびと,まごころをもって,食事を共にし,神をさんびし,すべての人に好意を持たれていた。」― 使行 2:42-47,新口。

      6,7 (イ)その一致は,宗教的な迫害の下にどう保ちましたか。(ロ)会衆が生来のユダヤ人,割礼をうけた改宗者たちだけで構成されなくなったとき,その一致には何が生じましたか。

      6 この一致は宗教的な敵の反対にもかかわらず保たれました。記録は,次のように述べています,「一同は聖霊に満たされて,大胆に神の言を語り出した。信じた者の群れは,心を一つにし思いを一つにして,だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく,いっさいの物を共有にしていた」。会衆全部が,生来のユダヤ人と割礼を受けた改宗者たちであったなら,一致は簡単でやさしいことであったかも知れません。しかし,ユダヤ人でない信者たち,割礼をうけない信者たちが会衆に入れられたときどうでしたか。

      7 そのとき,彼らはこのことについて正しく理解するようになり,多くの人種で構成された国際的な会衆は,存続しました。ユダヤ人の信者と改宗者たちは,異邦人をこころよく歓迎し神のめぐみが非ユダヤ人たちにもさしのべられたことをよろこびました。「人々は……黙ってしまった。それから神をさんびして,『それでは,神は異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ』と言った」。―使行 4:31,32; 11:1-18,新口。

      8,9 (イ)パウロとヨハネの述べたどんな警告は,分裂したキリスト教国がどのように存在するようになったかを示していますか。(ロ)ペテロはこのことをあらかじめに,どう警告しましたか。警告に注意を払わない人々により,真理の道はどのように語られる,と彼は言いましたか。

      8 それでは,どうして分裂したキリスト教国ができたのですか。そして,マルクス共産主義の温床になってしまったのですか。多数の者は,予め告げられたとおり,真の会衆の「小さな群れ」から「脱落」し,宗教的に離れて行ったからです。(テサロニケ後 2:3)クリスチャン使徒パウロは,ある会衆の監督たちに告げた別れの言葉の中で,次のように警告しました,「わたしが去った後,狂暴なおおかみが,あなたがたの中にはいり込んできて,容赦なく群れを荒すようになることを,わたしは知っている。また,あなたがた自身の中からも,いろいろ曲ったことを言って,弟子たちを自分の方に,ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。だから,目をさましていなさい」。(使行 20:29-31,新口)第1世紀の終り近くなって,パウロの仲間の使徒ヨハネは,神の御霊で油注がれた真のクリスチャンたちにこう書きました,「今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように,今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。彼らはわたしたちから出て行った。しかし,彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら,わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし,出て行ったのは,元来,彼らがみなわたしたちに属さない者であることが,明らかにされるためである。しかし,あなたがたは聖なる者に油を注がれているので,あなたがたすべてが,そのことを知っている」。―ヨハネ第一書 2:18-20,新口。

      9 そのときから18世紀以上たつ中に,大ぜいの者は「小さな群れ」から脱落しました。また偽善的な狼共がはいりこんで利己的にも多くの霊的な羊をむさぼりくい,そして小さな群れのうちから人々が起きて,まがったこと,言伝え,人間の教理やいましめを語り,大ぜいの真の弟子たちや,真実の弟子にならなかった幾十万という人々をひっぱり込みました。使徒ペテロは,次のような警告の言葉を書いています,「預言は決して人間の意志から出たものではなく,人々が聖霊に感じ,神によって語ったものだからである。しかし,〔ユダヤ,イスラエルの〕民の間に,にせ預言者が起ったことがあるが,それと同じく,あなたがた〔クリスチャンたち〕の間にも,にせ教師が現れるであろう。彼らは,滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み,自分たちをあがなって下さった主を否定して,すみやかな滅亡を自分の身に招いてる。また,大ぜいの人が彼らの放縦を見習い,そのために,真理の道がそしりを受けるに至るのである」。(ペテロ後 1:21から2:2まで,新口)この預言によると,今日の「小さな群れ」と「真理の道」は,真の道からはなれて,宗派的な宗教指導者たちにしたがう者たちにかならずそしられるでしょう。

      10 それで,一致を示すものをどちらの方に見るなら,私たちは時間を浪費しませんか。

      10 今日「小さな群れ」すなわちその群れの忠実な残れる者が人気を持つということは期待すべきでありません。しかし,西暦第1世紀の場合と同じく,真の一致はこの「小さな群れ」,今日のこの小さなもの,あるいは小さな制度内に見出されるべきです。それで,全人類のための真実の一致を示すものを探すとき,幾億人という会員を持ってふくれあがった大きな制度,キリスト教国を見ることは,時間の浪費であり,見当ちがいです。

      11,12 イエスは一致を求めるどんな祈りを神にささげましたか。その祈りは私たちをして,どこにそれと同じ一致を求めさせますか。

      11 ただ一つの真のクリスチャン会衆を特徴づける一致を探すとき,残れる者によって代表される今日の「小さな群れ」を見ることは理にかなうことではないでしょうか。その「小さな群れ」の指導者にして,かしらであられる御方は,その一致がつづくようにと神に祈りました。彼は,殉教の死をとげて,死人の中から復活をうける前に,忠実な使徒たちの中で最後の祈りをささげました。いま彼の祈りの言葉に耳を傾けてみましょう。

      12 「わたしは彼ら(使徒たち)のためばかりではなく,彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも,お願いいたします。父よ,それは,あなたがわたしのうちにおられ,わたしがあなたのうちにいるように,みんなの者が一つとなるためであります。すなわち,彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり,それによって,あなたがわたしをおつかわしになったことを,世が信じるようになるためであります。わたしは,あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは,わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり,あなたがわたしにいますのは,彼らが完全に一つとなるためであり,また,あなたがわたしをつかわし,わたしを愛されたように,彼らをお愛しになったことを,世が知るためであります」。―ヨハネ 17:20-23,新口。

      13 イエスが一致を求めるその祈りをささげて以来,なぜキリスト教国はその祈りからの益を示しませんでしたか。

      13 今日までの歴史をとおして,キリスト教国は「小さな群れ」の一致のために祈ったイエスの祈りを成就せず,またその成就を示していません。なぜですか。なぜなら,イエス・キリストは1000以上のキリスト教国のために祈っていなかったからです。イエス・キリストは,真理から脱落した人々および曲ったことを話して弟子たちをキリストから引きはなして自分に従わせる人々とその追随者のために祈っていたのではありません。彼は御自分の小さな群れが一致をつづけて行くようにと祈りました。小さな群れは,羊飼なるキリストの支配するおりの中にさらに多くの霊的な羊をみちびき入れました。

      14 一致を願い求めるその祈りの中で,この特定なものを祈り求めた理由を示すどんな言葉を述べましたか。

      14 イエスがそのように祈られた理由は,彼は死人の中から復活して後に天にもどり,御自分の羊からはなれて,弟子たちが彼を見ることができない間,彼らを任命された従属の羊飼たちにゆだねることが必要だったからです。それで彼は祈りの中で次のように語りました,「わたしはもうこの世にはいなくなりますが,彼らはこの世に残っており,わたしはみもとに参ります。聖なる父よ,わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためであります。……今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは,わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。あなたがわたしを世につかわされたように,わたしも彼らを世につかわしました」。―ヨハネ 17:11,13,18,新口。

      15 (イ)「聖なる父」という言葉を用いたイエスは,誰を意味しましたか。(ロ)イエスがみ父の名を用いたことは,その小さな群れを何にしましたか。イエスのどんな祈りは,この群れの中に実現されましたか。

      15 「聖なる父」という言葉に気をつけてください。ローマのバチカン市を治めている者,そして冒潰的にも「聖なる父」と呼ばれる宗教権力者にむかって,イエスは話しかけたのではありません。ペテロが「わたしたちの主イエス・キリストの父なる神」と呼んだ方にむかって,イエスは話しかけたのです。(ペテロ前 1:3,新口)イエスは,神の御名のゆえに,羊の小さな群れを守っていただきたいと,この聖なる父に祈りました。イエスは,聖なる父がこの世から彼に賜わった人々,すなわち弟子たちの小さな群れに,その名前をあらわし示しました。イエス・キリストの聖なる父の名前は,エホバです。詩篇 2篇7,11,12節は,この事実を証するものとして,次のように述べています。それは聖なる父と御子に預言的な言及をしているものです,「われ詔命をのべんヱホバわれに宣給へり,汝はわが子なり今日われなんぢを生めり,おそれをもてヱホバにつかへをののきをもてよろこべ,子にくちつけせよ,おそらくはかれ怒をはなち,なんぢらみちにほろびん,そのいきどりはすみやかに燃ゆべければなり」。(また使行 4:24-30も見なさい)それで,イエス・キリストが聖なる父の御名を表わしたその小さな群れは,エホバのクリスチャン証者たちにちがいありません。(イザヤ 43:10-12)聖なる父は,御自分の御名エホバを尊重する故に,いまにいたるまで彼らを見守り,そしてイエス・キリストの祈った一致の状態に彼らをみちびきました。今日,分裂した世界にあって彼らの中だけに一致の表われが見られます。

  • すべての善意者の一致は約束されている
    ものみの塔 1961 | 2月1日
    • すべての善意者の一致は約束されている

      1 (イ)ミカは,エホバの一預言者として,特にどのように顕著なものでしたか。(ロ)エホバの群れと,その群れの羊飼について,ミカはどんな預言を述べましたか。

      キリスト前にいたエホバの預言者たちのひとりは,ユダの支族の地域の中にいたモレシテのミカでした。ミカという名前は「誰がエホバのようであるか」という意味です。ミカは,ベツレヘムでのイエス・キリストの誕生を予め告げたことで特に顕著です。(ミカ 5:2)ミカは,その地におけるイエスの誕生を預言して後,次のような言葉をつけ加えました,「彼はヱホバの力に由りその神ヱホバの名の威光によりて立てその群をやしなひこれをしてやすらかにをらしめん今彼は大いなる者となりて地の極にまで及ばん彼は平和なり」(ミカ 5:4,5)エホバの代弁者ミカは,イエスの霊的な羊の小さな群れの残れる者がうける経験について次のように預言しました,「私はかならずヤコブをことごとく集め,イスラエルの残れる者をたしかに集める。牧場の中の群れのように,おりの中の群れのように私は彼らを一致させよう。彼らは人のゆえにさわがしくなる」。―ミカ 2:12,新世。

      2 (イ)どんな特別な面で,ヤコブあるいはイスラエルの者は集められて,一致の状態にされますか。(ロ)それでは,一致についてのこのミカの預言は,実際には誰に適用しますか。

      2 この預言を理解するために,私たちはヤコブとイスラエルがひとつの同じ制度の名前であることを記憶しなければなりません。エホバ神は家長のヤコブをイスラエルという姓で呼んだからです。「イスラエル」とは,「神と争う者(耐え忍ぶ者)」という意味です。(創世 32:28,新世。脚注)次のことが明白に分かります。すなわちエホバ神がおりの中の羊の群れのように集める,と約束されたヤコブまたはイスラエルの残れる者は,一致の状態にされるでしょう。そして彼らはベツレヘム・ユダに生まれる支配者を支持するでしょう。この支配者の「出ることはいにしへより永遠の日よりなり」。彼が「ヱホバの力に由りその神エホバの名の威光によりて立」つのは,ヤコブあるいはイスラエルのこの残れる者全部のためであります。したがって,一致についてのミカ書 2章12節の預言は,実際には「神のイスラエル」,霊的なイスラエルのクリスチャン会衆に適用するにちがいありません。―ガラテヤ 6:16。

      3 イザヤのどんな預言は,この「神のイスラエル」が誰であるかを,いっそう明白に示していますか。

      3 「この神のイスラエル」が実際に誰であるかをいっそう明白に示す別の事実は,イザヤ書 43章1,10節に見出されます。そのところで神はヤコブまたはイスラエルに次のような言葉を告げておられます,「ヤコブよなんじを創造せるヱホバいまかくいひたまふ,イスラエルよ汝をつくれるもの今かく言給ふ,おそるゝなかれ我なんぢを贖えり我なんぢの名をよべり汝はわが者なり,ヱホバのたまはく,なんじはわが証人わがえらみし僕なり」神は,その12節のところでヤコブあるいはイスラエルが誰であるかを示す言葉を繰り返しています,「なんぢの中には他神なかりき,なんぢらはわが証人なり,われは神なり」それで,「神のイスラエル」はキリスト教国を意味せず,エホバ神のクリスチャン証者の会衆を意味します。これらの者たちは,一致を示さねばなりません。

      4 宇宙についてのどんな観察は,クリスチャン証者たちの会衆についての一致を保証しますか。イエスの祈りに対する答えについて,事実は何を示しますか。

      4 観察できるこの全宇宙には,一致が存在しています。最高全能の神であられるエホバは,幾十億光年ものあいだ宇宙を一致のうちに存在させて運営させて行くことができます。それでは,たとえ現在の地上の証者の数が幾十万に過ぎないものであっても,エホバはこの微少な地上にいるクリスチャン証者の会衆を一致させることができます。エホバは御自分の預言的な言葉の中で,彼らを一致させ,一致の状態に保つと約束しました。今日の成就された事実は,イエスが祈られたとおり,エホバがそうなされたことを証明します。

      5,6 (イ)イエス・キリストは,エホバの証者のその会衆のかしらになりましたか。(ロ)ソロモンの死後,なぜイスラエルの民は不一致でくるしめられましたか。なにがそれに対して実際の責任を持ちますか。これはイスラエルにどんな艱難を生ぜしめましたか。

      5 エホバのクリスチャン証者の会衆が存在する以前には,ユダヤ人あるいはイスラエル人証者の会衆がありました。イエス・キリストは,このエホバの証者の初期会衆の一員として生まれましたが,彼は後のクリスチャン証者の会衆のかしらになりました。(ヨハネ 18:37)エホバは御自分のユダヤ人の証者の会衆を歴史的な模型として用いることにより,御自分のクリスチャン証者を一致させることを約束しました。エルサレムにいたソロモン王が西暦前997年に死んで後,イスラエルの民は,460年間不一致でなやまされました。それはみんなソロモン王がエホバ神の清い崇拝から脱落したからです。イスラエルの国民の12支族のうち10支族は反乱し,ユダの国と北のイスラエルの国という二つの国が起こりました。北のイスラエルの国は,エルサレムとダビデの王統から政治的に離れましたが,程なくして宗教的にも離れました。それは偽りの偶像崇拝を始めました。最初は金のこうしの像,後には異教の神バアルの像を立てたのです。

      6 ただひとりの生ける真の神の清い崇拝から脱落するとき,それはなんと多くの難を生じさせることでしょう! 西暦前740年,北のイスラエルの国は,アッスリアの世界強国によって滅ぼされ,生き残ったイスラエル人たちは遠いアッスリアの地まで連れさられて,その地の捕虜になりました。姉妹国であるユダは,そのことに注意を払わず,偽りの崇拝におちいりました。ユダはエホバ神からはなれ,エホバ神はユダから離れました。エホバ神は,エルサレムとその宮の滅びること,および生き残ったユダヤ人たちがその征服者バビロンの地に連れさられてその捕虜になることを許しました。

      7 イスラエルがバビロンに捕われたことは,神からの何を表わしたものですか。しかし,神は恵み深くも何されて,彼らにと慰めを与えましたか。

      7 それで西暦前607年からは,イスラエルとユダの両方の国の民は「敵の地」に捕われるようになりました。バビロンで12支族の全部がこのように捕われたことは,彼らが不従順にもただ一つの清い宗教,汚れのない宗教から脱落したことに対するエホバの懲罰であります。しかし,エホバ神は彼を恐れる者たちには恵み深い御方です。(詩 103:13)エルサレムとユダの地が荒廃状態になった70年の間エホバ神は,彼らに希望を持たせて慰めを与えました。すなわち,神は御自分の預言者により,彼らがバビロンから救われて,エルサレムにもどり,その所でエホバ神に一致した崇拝をふたたびささげる,と預言いたしました。

      8-10 (イ)神がイスラエルの残れる者を復興した動機は何でしたか。このことについての彼らの正しい動機は何でしたか。(ロ)エレミヤは,どんな預言のうちに,故郷に帰る彼らの動機を予め告げましたか。

      8 イスラエルの独立と国家主権のために,神は御自分のユダヤ人証者の忠実な残れる者をバビロンから救われたのではありません。神が御自分の御名を置かれた都で真の崇拝を復興すること ― このためにこそ神は「イスラエルの残れる者を集め」恵み深くも彼らを御自分の御名の都に連れもどし,そこに宮を再建させて神への崇拝を行なわせるようにしたのです。神の指定し給うたところで真の神の崇拝を更新しよう,という願いがあったからこそ「イスラエルの残れる者」は「北の地」なるバビロンを去って,エルサレムとユダに歩き帰ったのです。エホバの預言者エレミヤの預言の言葉に気をつけてごらんなさい。エレミヤは彼らが母国で復興すること,および家に帰りたいという彼らの熱烈な願いの両方を預言しました。

      9 「その時ヱルサレムはヱホバの座位と称へられ万国の民ここに集るべし,即ちヱホバの名によりてヱルサレムに集り,かさねてその悪しき心のかたくななるに従ひて行まざるべし,その時ユダの家はイスラエルの家と共に行みて北の地よりいで,我なんじらの先祖たちに与えてつがしめし地にともに来るべし」。―エレミヤ 3:17,18。

      10 「ヱホバいひ給ふその日その時イスラエルの子孫かへり来らん彼らとともにユダの子孫かり来るべし,彼らは哭きつつ行ってその神ヱホバに請求むべし,彼ら面をシオンに向てその路を問ひ来れ我らは永遠わするることなき契約をもてヱホバにつらならんといふべし,彼らを贖ふ者は強し其名は万軍のヱホバなり,彼必ずその訴をただしてこの地に安を与へバビロンに住る者を戦慄かしめ給はん」。―エレミヤ 50:4,5,34。

      一致 ― 昔と今

      11 (イ)エレミヤの預言は,いつそしてどのように小規模に成就されましたか。(ロ)いつ大規模な成就が行われましたか。それは,諸国民のあいだにどんな効果をもたらしましたか。

      11 たしかにイスラエル共和国は,エレミヤの述べている仕方で,1948年に設立されませんでした。生来のユダヤ人たちがパレスチナとイスラエル共和国に戻ることは,エレミヤの預言を成就するものではありません。この預言の最初の実際の成就は,バビロンが征服者メデア人とペルシャ人の前に倒れた後の西暦前537年になされました。その年,ペルシャのクロス王は命令を出して,エホバのユダヤ人証者の残れる者をしてバビロンを去らさせ,荒れはてたユダの地に戻らせて,エルサレムにエホバの宮を再建させました。聖書はエレミヤの預言の小規模の成就を記録しています。(歴代志下 36:20-23。エズラ 1:1から3:13まで)この歴史的な出来事自体は,第一次世界大戦が終了した後の西暦1919年にエレミヤの預言が完全に大規模な成就をすることを預言的に表わし示しました。これはエホバのクリスチャン証者の残れる者の場合です。そのわけで,1919年以前では,自称クリスチャンたちのうちエホバの証者として大胆に立った群れがないこともなっとくできます。そのとき以来,特に1931年以来,献身して洗礼をうけたこれらのクリスチャンたちの名前は,全地にひろく知られるようになりました。その名前は,共産主義ロシアやその衛星国でも恐れられています。証者たちはそれらの国々で地下運動を行なっているためソビエトの新聞は,彼らのことを「蜘蛛」になぞらえているのです。

      12 エホバの証者は,どのように捕われることを余儀なくされましたか。彼らは,どのようにエホバの恵みを求めましたか。彼らは,どの程度まで一致結合しましたか。

      12 1914-1918年の第一次世界大戦中,宗教的な陰謀家たちは戦争の熱狂的気分を利用し,聖書を研究していたこれらのクリスチャンたちを滅ぼそうとつとめました。それで,エホバの証者は,西暦前607-537年のバビロンにいたユダヤ人の証者たちと同じように,キリスト教国に捕われてしまいました。しかし,大戦後の第1年(1919年)彼らはそのようなバビロン的なとらわれから解放されました。彼らはその年に国際大会を開き,幾千人もの彼らは再び集まりました。そして,彼らは全人類の歴史中,エホバ神に証を立てるという最大のクリスチャンのわざを準備しました。彼らは涙をながして,エホバの恵みを求めました。彼らは「祭物をもて我〔エホバ〕とけいやく」したエホバとの契約を守ろうと決意しました。それはイエス・キリストの人間としての犠牲にもとづく新しい契約です。(詩 50:5)記者たちは,多くの国々,人種,皮膚の色,および世界中のいろいろな言葉,特にキリスト教国の内と外の多くの宗教制度から来ました。しかし,彼らはたがいにつよく一致結合したのです。ファシスト,ナチ,共産主義者および宗教的な迫害者たちも,その一致を破ることができませんでした。

      13 彼らの比類のない一致は,どんな行いによりますか。

      13 彼らの比類のない一致は,彼らがこの世の政治から離れており,イエス・キリストが御自分の真の弟子たちに教えたごとく,『神の御国と神の義を第一に』求めたからです。(マタイ 6:9,10,33)彼らはひとりの王,すなわちイエス・キリストに,真心こめて専心の忠誠をささげることに一致しています。エホバ神はこの王を選んで,御自分のかわりに全人類を支配させることを定めました。彼が神の右にあるその天の御国に来る時は,1914年でした。証者たちが「ダビデの子」なる彼に従って一致することは,預言者エゼキエルにより予め告げられました。

      14 どんな差しせまった出来事の直前に,エゼキエルは預言しましたか。なぜユダヤ人は彼の預言を聞いても絶望しませんでしたか。

      14 エゼキエルは預言者エレミヤと同時代の人です。エゼキエルの時より100年むかし,ヨセフの子エフライムの支族が支配していた北のイスラエルの国は,滅ぼされました。そして,生きのこったイスラエル人は遠い地で流刑の罰をうけたのです。さて,ダビデの王家の支配していたユダの国は,滅びをうける直前になりました。エゼキエルは,来るべき国の滅亡とエルサレムにあるエホバの宮の滅亡を預言しました。また,生き残るユダヤ人たちが,どのようにバビロンに捕われるかについても預言したのです。しかし,彼の預言を聞いて,ユダヤ人やイスラエル人は絶望の気持をいだきませんでした。なぜなら,エキゼルは,彼らがバビロンから一致結合して戻り,その愛する母国でエホバの崇拝を再興すると預言したからです。北のイスライル人も南のユダ人も,ダビデの子なるひとりの指導者のもとにひとつの国民として再結合すると,彼は預言しました。いまエゼキエルの言葉に耳を傾けて聞いてみましょう。彼らはバビロンでの絶望的な墓から出てきて,ひとりのダビデのごとき支配者の下に神の与えたもうた母国で再び合同する,とエゼキエルは告げています。

      15,16 (イ)エゼキエルは,分裂したイスラエルの再をどのように説明しましたか。(ロ)そのしるしにあたって,エゼキエルは何を語るようにと命じられましたか。

      15 その再結合をわかりやすく説明するため,エゼキエルは二つの木を取るようにと告げられました。その一つには,「エフライムの木ヨセフ」と記され,他のものは「ユダ」と記されました。それぞれは,一つの国民でつくりあげられた昔の二つの国を表わしていました。これらの支族の人々の前でエゼキエルは1本の木を別の木に合わせたところ,それは奇跡的にも彼の手中で1本の長い木になりました。この奇跡的なしるしを説明するにあたって,エゼキエルは次のように語れと命じられました。

      16 「主ヱホバかく言たまふ我エフライムの手にあるヨセフとその侶なるイスラエルの支派の木を取りこれをユダの木に合せて一の木となしわが手にて一とならしめん……我イスラエルの子孫をその往るところの国々より出し四方よりかれを集めてその地にみちびきその地において汝らを一の民となしてイスラエルの山々におらしめん一人の王かれらすべての王たるべし彼らはかさねて二の民となることあらず再び二の国に分れざるべし,わが僕ダビデかれらの王とならん彼らすべての者の牧者は一人なるべし,彼らはわが法律にあゆみ吾が法度をまもりて之を行はん……吾僕ダビデとこしなへに彼らの君たるべし,我かれらと和平の契約を立んこれは彼らに永遠の契約となるべし」。―エゼキエル 37:19,21,22,24-26。

      永続する再結合

      17 今日,誰がひとつの象徴的な木に結合されましたか。そして,どんなひとりの王の下で?

      17 今日の生来のユダヤ人たちは,政治的なシオン主義という目的のためでも一致していません。また首相によって統卒されるイスラエル共和国も,王および羊飼であるダビデの子なるイエス・キリストを持っていません。しかし「神のイスラエル」,霊的なイスラエル人,すなわちエホバのクリスチャン証者たちの残れる者についてはどうですか。第一次世界大戦のバビロン的な捕われから彼らが解放されて後,彼らは神の恵みと是認の地位に復旧しました。この霊的な立場において,彼らはたしかにひとりの王,すなわちエホバの油そそがれた御子,ダビデの子なるイエス・キリストを持っています。彼らは政治的にも,社会的にも,人種的にも,また宗教的にも異なっていますが,しかし全能の神はひとりの羊飼 ― 王,御座に即きたもうたイエス・キリストのもとに,彼らをひとつの聖なる霊的な国民にしました。彼らは,昔のイスラエルの国民のように,いわば2本の木のように分かれていません。昔のイスラエルの国民のひとりの王は,北のサマリアに,別の王は南のエルサレムにいました。エホバのクリスチャン証者たちは,その王イエス・キリストを自分たちの支配者および羊飼としてうけいれたので,この世の政治的な事柄とはすこしの関係をも持っていません。彼らは,政治の政策,選挙,暴動および革命によって分裂させられることを許しません。エホバの全能の力は,その「ひとりの王」の下に,彼らを「ひとつの木」「ひとつの国民」にしました。彼らはエホバの全能の御手にあるひとつの木,ひとつの機関であってエホバのわざをします。

      18-20 (イ)どんな要素にもかかわらず,エホバの証者は一致を示していますか。このことは,どんな結果をもたらしていますか。(ロ)この一致と増加は,ホセアによりどのように預言されましたか。ペテロはホセアの預言を誰に適用していますか。

      18 エホバの証者は,いま176の国々や区域で,エホバの機関として活動していると報じられています。それで彼らはたくさんの国籍,人種,皮膚の色,言語,社会的な群れおよび地方的な習慣に接していることになります。しかし,広い場所に散在しているこれらの証者たちはみな同じことを信じ,活動し,そして伝道しています。また一致のきずなをかたく守っています。このすべての国にいる多数の羊のような人々は,神と王と御国の音信をうけいれ証者たちの数は増加しているのです。そのような増加と一致のうちに,ずっとむかし分裂したイスラエルの時代に述べられたホセアの預言は,顕著な仕方で成就されているのです。

      19 「イスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも,数えることもできないほどになって,さきに彼らが『あなたがたは,わたしの民ではない』と言われたその所で,『あなたがたは生ける神の子である』と言われるようになる。そしてユダの人々とイスラエルの人々は共に集まり,ひとりの長を立てて,その〔バビロンの〕地からのぼって来る。エズレルの日は大いなるものとなる」。―ホセア 1:10,11,新口。

      20 ペテロはホセアの預言を霊的イスラエルの群れに適用しています。それで,今日エホバのクリスチャン証者のうちにその成就をさがすことは正しいと私たちは知ります。―ペテロ前 2:9,10。

      21 これらの証者たちが一致に集められたことは,なぜそんなにもすばらしいのですか。このことは,どんな行為の結果として生じましたか。

      21 かつては,キリスト教国と異教国の両方で宗教的にも,政治的にもまた社会的にも分裂していたこれらの証者たちが,いま「共に集まって」いることは,なんとすばらしいのでしょう! そのわけは,彼らがこの分裂した世界の制度から出て,自分たちを支配する者としてひとつのかしら,すなわちエホバが油を注いで御座につけた王,イエス・キリストを立てているからです。正義の新しい世のためのエホバの選んだ支配者にこのような一致した献身をすることは,エホバから是認されました。そして,増加という結果をもたらしたのです。かくしてエホバの証者はひろくひろがって,彼らはひろくまかれた者たちになりました。

      22 このことは,どのように大いなる「エズレルの日」であると証明しましたか。一致のおりは,どのように「人ゆえにさわがしく」なりましたか。

      22 この面から見ると,それはほんとうに「大いなる」日です。なぜなら,それは「エズレルの日」だからです。エズレルという名前は,「神〔エル〕は種子をまくだろう」という意味です。神が全地にまく種子は,彼の献身した証者たちです。神はこの象徴的な種子を生えさせるので,それはさらに多くの種子をつくり出します。(コリント前 3:6-9)この理由のゆえに全地にわたり神の証者たちの数は増加しています。彼らは大ぜいになります。彼らの数は神によって預言されていませんでした。それで,その数は「海の砂のように量ることも,数えることもできない」ほどになります。ミカ書 2章12節に預言されているごとく,彼らはエホバ神が一致の状態にさせ給うおりの中で「人のゆえにさわがしく」なります。彼らのよろこびにみちるさわぎの音は,全地にわたりますます大きなものになっています。

      23 羊をひとつの群れに集めることについて,イエスはどんな預言を語られましたか。なぜこれらの羊は,世界の不安動揺にもかかわらず一致を保たねばなりまんか。

      23 彼らのただひとりの羊飼 ― 王,イエス・キリストは「他の羊」の大いなる群衆を集めて,霊的なイスラエルの小さな群れと交わらせ,協力させることについて,ずっと昔に語っていました。いまいちぢるしい成就がなされている預言の中で,彼は次のように語りました,「わたしはよい羊飼であって,わたしの羊を知り,わたしの羊はまた,わたしを知っている。それはちょうど,父がわたしを知っておられ,わたしが父を知っているのと同じである。そして,わたしは羊のために命を捨てるのである。わたしはまた,この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも,わたしの声に聞き従うであろう。そして,ついに一つの群れ,ひとつの羊飼となるであろう」。(ヨハネ 10:14-16,新口)この「ひとりの羊飼」は,小さな群れのものでも,他の羊の大きな群れのものでも,すべての羊のために御自分の地的な生命を捨てました。彼らはみな彼に生命と救いを帰し,キリスト教国の宗教牧師や政治支配者に帰しません。彼らは感謝を示すべきであり,かつ神の新しい世における永遠の生命を得るために彼に全く依存しなければなりません。それで,彼らはその正しい羊飼イエス・キリストに従わねばならないのです。ただひとりの羊飼に従う彼らは,全世界の不安動揺にもかかわらず,みなたがいに「ひとつの群れ」として一致を保たねばなりません。

      24 20世紀のキリスト教国は,人間の指導者に従ったため,どんな悲しい経験をつみましたか。しかし,それらの指導者が死んでも,なぜエホバの証者は生き残りましたか。

      24 イエスこそ私たちが従わねばならぬただひとりの羊飼です。彼は,羊のような御自分の弟子たちは人間の指導者に従ってはならない,と警告しました。かなり長い年月,ローマ・カトリック・キリスト教国の大部分はイタリアのドウチェ(「指導者」)ムッソリーニに従いました。また,ローマ・カトリック・キリスト教国の別の大部分は,ドイツのフェーレル(「指導者」)「教会の子」アドルフ・ヒトラーに従いました。しかし,エホバの証者は,迫害をうけたにもかかわらず,そうすることを拒絶しました。彼らは生き残りましたが,ローマ・カトリックの司祭たちが支持したそれら人間の政治的な指導者たちは生き残らず,それに従う者たちを悲しむべき状態に残してしまいました。エホバの証者は,賢明にもひとりの羊飼の次の命令に従いました,「地上のものを[霊的な]父と呼んではならない。あなた方の父はただひとり,すなわち天におられる父である。『指導者』と呼ばれてはならない。なぜならあなた方の指導者はひとりだけ,すなわちキリストである」。―マタイ 23:9,10,新世。

      25 第二次世界手戦中のどんな国際大会のとき,エホバの証者は人間の指導について自分たちの意見を述べましたか。その質問を発した人は誰でしたか。

      25 幾千幾万という大ぜいのエホバの証者が集まった北アメリカでの国際大会のとき,彼らはいかなる人間の指導者にもまた宗教的な指導者にさえ反対するという意志を一致して声を大にして告げました。これは第二次世界大戦が行なわれていて,アメリカのローマ・カトリックの風潮は枢軸国の指者たち,すなわちヒトラーとムッソリーニを強く支持していた1941年の夏のことでした。1941年の8月6-10日,この国際大会はミズリー州,セントルイスのアリーナ<闘技場>で行なわれました。その最終の日にあたる日曜日,当時ものみの塔聖書冊子協会の会長ジョセフ・エフ・ルサフォードは,健康が急速に衰えていた時にもかかわらず,11万5000名と推定される大聴衆にむかって公開の御国の音信を告げました。その後,彼は集まった証者たちに閉会の話をしましたが,それは彼が1942年1月8日に死ぬまで,一般公共の前に立った最後の機会となったのです。ルサフォード会長が幾万というエホバの証者に対するその最後の話の中で,指導について述べた言葉は,特にこのことに関連して興味深いものです。その時,興味を抱いて観察していたひとりの人の報告を聞きましょう。その報告は,1941年9月15日号の「ものみの塔」(英文)288頁,6節に掲載されています。

      26 ジェー・エフ・ルサフォードは,どのようにそのことを大会に提出しましたか。どんな反応がありましたか。

      26 「彼(ルサフォード)がエホバの証者の指導者であるとひろく言いふらされているすべての偽りの非難とそしりを永久に否定するため,彼は次のように語りました,『あなたがたが自分たちの指導者について,どう考えているか,私はここに始めて出席している人々に,知ってもらいたいと思う。彼らはそれを忘れないであろう。いつのときでも何かが生じて大きくなり始めると,ひとりの人が指導者になって大ぜいの者たちを従わす,と人々は言う。この聴衆の中にいる人で,もしここに立っている私が,エホバの証者の指導者である,と考える人がいるなら,はいと言ってもらいたい』。しかし,人々は異口同音に『いいえ!』と強く叫びました。『もしここにいるあなたがたが,私は主のしもべのひとりに過ぎず,私たちは肩をならべて協力して働き,神とイエスに仕えている,と思うなら,はいと言ってもらいたい』。異口同音の『はい!』は強いもので,疑問の余地をすこしも残しませんでした。『このような群衆を働かせるために,みなさんは私を地的な指導者にしなくても,すむわけである』。彼は聴衆がそれぞれの場所にもどり,『いっそう元気を出して……できるだけの時間を入れるように』と告げ,それから祝福の言葉を述べました」。

      27 それでは,エホバの証者は誰を指導者にして従っていますか。

      27 今日のエホバの証者は,その1941年の大会で幾万人という代表者たちが取った神権的な立場と全く一致しています。彼らは,ものみの塔協会の会長であろうと,他の者であろうと,アメリカ人の指導者に従っていません。彼らは,どんな人間の指導者にも従いません。全地にわたる一致のうちに,彼らは自分を犠牲にささげられたひとりの羊飼イエス・キリストに従っています。彼は天におられるエホバ神の右にいて,いま支配しておられるのです。―ペテロ前 3:22。

      28 どんな不利な国際状態の下でも,彼らは自称の人間指導者に従いませんか。なぜそうですか。

      28 エホバの証者が,自分たちの住むいろいろな国の問題や戦争のために,たがいに連絡がとれないことがあっても,彼らはただひとりの指導者,神の選んだ王に従いつづけます。エホバの真の証者が,国際的な通信が切れることを利用し,利己的な野心をいだいて国家の指導者になり,国家的な宗教制度を設立しようなどとたくらむものはひとりもいないはずです。エホバの証者はみんな聖書の信仰を良く教えられており,その音信の伝道ということに良く訓練されているので,たとえ他の国々の兄弟たちから切り離されても,その神権的な崇拝と活動を行ないつづけます。彼らは自称の指導者の声に聞き従いません。むしろ彼らはただひとりの羊飼の声を認めて,その声に聞き従います。彼は地上の全国民よりはるかに高い御方です。そして「鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者」であり,来るべき「全能なる神の大いなる日の戦争」であるハルマゲドンの戦いのとき,諸国民をこなごなに打ちくだくでしょう。―黙示 12:5; 16:14,16。ヨハネ 10:4,5。詩 2:8,9。

      言葉と行いの一致

      29,30 (イ)エホバの証者は,神権制度をたがいにむすびつけるために,どんな効果的な結束物を持っていますか。(ロ)神は制度内の何を非とされますか。神は,パウロを通して,どんな人々に警戒を払うよう,私たちを戒めていますか。

      29 この世の精神は,神の御国に反対という点をのぞいては,この世を分裂させています。しかし,その分裂の精神は,正しい羊飼なるイエス・キリストの下にいるエホバの羊の群れに伝染しないでしょう。エホバの証者は,超国家のひとりの天からの指導者を持っています。彼らはそれ以外にもこの世において神権制度をたがいに結びつけるひとつの効果的な結束物を持っています。その結束物は,エホバ神の御霊です。「御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制」です。(ガラテヤ 5:22,23,新口)神の羊の群れをたがいに結びつけることについては,キリストのごとき愛にまさるものはひとつもありません。御子はこの羊の群れを愛して,そのために御自分の血を流されたのです。使徒パウロは,神の群れの一致をすすめて,次のように書きました,「愛を加えなさい。愛は,すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が,あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは,このためでもある」。(コロサイ 3:14,15,新口)彼らがその御霊の実である愛をつちかうにつれて,完全な一致のきずなは,ますます強くなって,破れることは決してないでしょう。そして合同あるいは一致があるところには,平和,秩序,そして調和があります。神は御自分の献身した民をひとつの体,ひとつの制度に召しています。神はいっさいの不一致,無秩序,そして分裂を非とされます。神は使徒パウロを通して,私たちにこう命じました。

      30 「あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し,つまずきを与える人々を警戒し,かつ彼らから遠ざかるがよい。なぜなら,こうした人々は,わたしたちの主キリストに仕えないで,自分の腹に仕え,そして甘言と美辞とをもって,純朴な人々の心を欺く者どもだからである」。―ロマ 16:17,18,新口。

      31 (イ)むかしのイスラエルの支族間の戦争は,どんな種類の警告になるべきですか。そして,今日のたれに対して?(ロ)エホバの見える制度は,どのようにダビデの時代のエルサレムのようであるべきですか。何が種族間の戦争をなくしますか。

      31 新しく国家として独立し,帝国主義的な植民地勢力がもはや支配しない国々の政府は種族間の争いや戦争のために大へんな難儀に直面し,政府の安定はおびやかされます。むかしのイスラエル国民の種族間の戦いは,霊的なイスラエルの小さな群れと,その仲間たちの全部,すなわち「他の羊」の大いなる群れに対する聖書的な警告になっています。イエスは次のように警告しました,「内部で分れ争う国は自滅し,内わで分れ争う町や家は立ち行かない」。(マタイ 12:25,新口)エホバの御国証者の見える制度は,忠実なダビデ王のときのエルサレムの都のようでなければなりません。エルサレムの都は,しっかりとかたく建てられ,その中で会合する者たちは,エホバの御くらにすわる油そそがれた王にたいしては一致して忠誠を保ちました。イスラエルの12支族は,エルサレムにあったエホバの家で崇拝をするために,忠実にのぼってきました。ダビデ王は,このエルサレムについて次のように述べています,「エルサレムよなんぢはしげくつらなりたる昌のごとくかたくたてり,もろもろのやから即ちヤハの支派かしこにのぼりきたりイスラエルに向ひて証詞をなし,またエホバの御名にかんしゃをなす」(詩 122:3,4)ただひとりの生ける真の神エホバにささげる崇拝は,それら12の支族を一致結合させました。それとともに,エホバの油注がれた王に対しては熱烈な忠節がささげられたのです。かくして,支族間の戦争はなくなりました。それは平和を助長しました。

      32 敵の勢力の努力は,「この組織制度の神」について,何を表わしていますか。エホバの証者は,ゴグの攻撃にどう応ずるべきですか。

      32 共産主義勢力と他の敵の勢力は次のことを表わしています,すなわち「この組織制度の神」サタン悪魔は,エホバの証者の新しい世の社会の模範的な一致をうち砕いて滅ぼしてしまおうと,いま特に躍起につとめているのです。エゼキエルの預言(38,39章)は,サタンがマゴグのゴグの役割を果たすと,あらかじめに警告しています。マゴグのゴグなるサタン悪魔は,彼に従う地上の共謀者をことごとく結集し,霊的な「神のイスラエル」とその忠節な仲間の者である「他の羊」全部に対して最終的な全面戦争をしかけるために一致結合させています。ゴグは一致結合した大軍をひきいて私たちを攻撃します。それで,私たちは全地にわたりゆるむことのない一致した前線でもって,ゴグとその軍勢に直面します。肉体的に言って,私たちが他の国の兄弟たちから切りたたれ,神の会衆の目に見える統治体の者がひとりも私たちと共におらず,私たちを直接に監督していなくても,私たちはそうしなければなりません。

      33 パウロはクリスチャンの一致した前線を,どのように要求しましたか。ゴグに対する私たちの一致した前線の前で何がおこりますか。

      33 使徒パウロは,結集した敵に対する一致した前線を強くすすめ,次のようなのぞみを言い表わしました,「わたしが行ってあなたがたに会うにしても,離れているにしても,あなたがたが一つの霊によってかたく立ち,一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を,聞かせてほしい。このことは,彼らには滅びのしるし,あなたがたには救のしるしであって,それは神から来るのである。あなたがたはキリストのために,ただ彼を信じることだけでなく,彼のために苦しむことをも賜わっている」。(ピリピ 1:27-29,新口)私たちがキリストのために苦しみをうけるなら,キリストは私たちを見捨てないでしょう。キリストは,従順な弟子である私たちに,次のことを約束しました,「見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ 28:20,新口)前線の全部にイエスは私たちと共にいます。それで,私たちが勝利を得ることは疑いありません。ゴグの大軍の一致した攻撃は,私たちの一致した前線の前で崩壊してしまうでしょう。全能の神は私たちを守るために立ち,ゴグの軍勢を無秩序,不一致,混乱,恐慌になげこみ,そして彼らを全く滅ぼしてしまうでしょう。

      34 私たちは隊伍をどのように破らずに保つべきですか。いまおこなわれねばならぬわざは,何を要求しますか。

      34 私たちは個人的なしっと,ねたみ,利己的な野心,競争心,競り合い,争い,国家の誇り,皮膚の色,教育,社会的な教養,そしてうらみをいだいて,私たちを分裂させてはなりません。この世は,神の御国と,伝道している御国の証者たちに対する敵対ということをのぞいては,他のあらゆることで分裂しています。このような世にいる私たちは,敵の方に顔を向けて私たちの隊伍を破らないようにすべきです。現在の世界の情勢がますます悪化して行くにもかかわらず,私たちはひとつの仕事をしなければなりません。その仕事を効果的に行なって,神に栄光を帰するためには,全地にいる私たちは一致した努力を払うことが必要です。神が立ち上がって,敵共と迫害者たちを滅ぼされる,という私たちの期待は,決して裏切られることがないでしょう。

      35 ゼパニヤ書 3章8,9節のなかでエホバは彼がたつことについて,何と言われていますか。エホバはどんな変化を私たちに与えましたか。そして,なぜ?

      35 ゼパニヤ書 3章8,9節の中で,神は私たちにこう告げておられます,「ヱホバいひたまふ是ゆゑに汝らわが起て獲物をする日いたるまで我をまて我もろもろの民を集へ諸の国をあつめてわが憤恨とわが烈しきいかりをことごとくその上にそそがんと思ひ定む全地はわがねたみの火に焼ほろぼさるべし,その時われ国々の民に清き唇をあたへ彼らをしてすべてヱホバの名を呼しめ心をあはせて〔文字通りは,ひとつの肩をもって〕これにつかへしめん」。私たち証者たちは,たくさんのちがった国民から来てエホバに献身しました。しかし,エホバは特定な目的のために私たちに「清い唇」を与えました。その目的とは,かたい奉仕の隊伍をつくり肩を合わせてエホバに奉仕することです。神の御国とその新しい世についての私たちの「清い唇」が一致していることは,分裂を生ぜしめる誤解を取りのぞきます。それは,言葉と活動の面で私たちを強くむすびつけます。

      36 詩篇 102篇18-22節は,死に定められている捕われ人に,神から与えられる自由が,どのように用いられるべきかを示しますか。この預言は,誰のうち成就していますか。

      36 「平和を与える神」は,私たちをバビロン的な捕われから解放しました。エホバは,私たちを彼の聖なる都,すなわち昔のシオン,エルサレムに対応する現代のもの,つまり,キリストの支配するエホバの設立した御国につれてこられました。かつては,捕われた者たちであった私たちに,エホバは宗教的な自由を与えました。それは私たちが神の表わし給うた御心に一致して,自由を正しく用いるためであります。昔のバビロンから自由にされた昔のイスラエルが,このことを歴史的に表わしました。昔の予影にかつて適用した預言は,予影されていた現代のことにもいま適用します。「来らんとするのちの世のためにこの事をしるさん,新しくつくられたる民はヤハをほめたゝふべし,ヱホバその聖所のたかき所よりみおろし天より地を見たまへり,こは浮囚のなげきをきゝ死にさだまれる者をときはなち人々のシオンにてヱホバの御名をあらはしヱルサレムにてそのほまれあらはさんが為なり,かゝる時にもろもろの民もろもろの国つどひあつまりてヱホバに事へまつらん」(詩 102:18-22)イスラエル共和国によって表わされている政治的なシオンは,この預言を成就していません。それはエホバの御名をになっていないからです。それはエルサレムの昔の都でも,現代の都でも,エホバの御名を言い表わしません。また,エホバをたたえず,エホバに仕えません。今日の事実から判断すると,その預言はエホバの御国証者に成就しています。エホバの御国証者は,地上の多くの国々,多くの政治的な国々から集められてきたものです。

      37 イザヤ書 52章8-10節によると,神の救いと復興のわざを見て識別する人々は,何をするべきですか。

      37 神の証者たちが救われて復興した故に,いまや神のこのわざを見て識別するすべての人は,神によるこの救いを公に述べるべきであります,「なんぢが斥候の声きこゆ,かれらはヱホバのシオンに帰り給ふを目と目とあひあはせて視るが故に,みな声をあげてもろともにうたへり,ヱルサレムの荒廃れたるところよ声をはなちて共にうたふべし,ヱホバその民をなぐさめヱルサレムを贖ひたまひたればなり,ヱホバそのきよき手をもろもろのくに人の目のまえにあらはしたまへり,地のもろもろの極までわれらの神のすくひを見ん」。―イザヤ 52:8-10。

      38 その預言を成就するものとして,世界の人類は,今日実際に何を見ますか。

      38 そのわけでこの世界の人々は,エホバの証者が神の御国についての音信と,善意を持つすべての人々に対する御国の祝福についての音信をたずさえて地の極にまで行くのを見るのです。これらの証者たちが全地に存在して活動していること自体は,全能の神がサタン悪魔の支配下にあるこのバビロン的な世界から彼らを救い出された,ということを明白に証するものです。彼らはどこへ行こうとも,その声をあげ,よろこびながら良いたよりを一致してさけびます。霊的に言って,彼らはもはや昔のエルサレムの荒れはてた場所のようではありません。むしろ,彼らは神の御国の実をますます多く産出します。彼らはあらゆるところで,一致してよろこびの声をあげます。彼らはみな和合して,一致を保っているからです。

      39 (イ)どんな面で兄弟たちが一致のうちにともに住むのは,良いことであり,楽しいことですか。(ロ)私たちがエホバをあがめて彼の御名をたかめるのは,なぜいっしょであるべきですか。(ハ)一致についての約束のなかで,エホバはどのように御自分を立証しましたか。

      39 神を愛する人々,そしてエホバが御自分の献身した民を取りあつかわれる際のこの現代の奇跡を研究する人々にとって,それはなんとすばらしく,心あたたまるものでしょう!「視よはらから相むつみて共におるは,いかに善くいかに楽しきかな」(詩 133:1)それはみて楽しいということだけではありません。一致のうちに共に住むということは,霊的な兄弟たちにとって最も益あることです。そして,兄弟間の事柄は快いものになります。私たちはともに現在の神の仕事をすることができます。たがいに強め合い,建ておこして,必ず成功することができます。詩篇記者ダビデの精神は,私たちの身体にみなぎり渡り,私たちをして次のように叫ばせます,「われとともにヱホバを崇めよ,われらともにその御名をあげたたへん」(詩 34:3)まったく,いっしょにエホバをあがめエホバのすぐれた御名をほめたたえましょう。エホバは敵の把持を破り,私たちを互に集めて,キリストの支配下の安全なおりの群れのように一致のうちに私たちを彼の証者とならせました。エホバは,この分裂した世界において,すべての善意者の一致をも約束されました。エホバはそのことを祝福にみちた現実となし,しかもそれを栄光に輝く新しい世でも保たれることにより,御自身を立証されることでしょう。

      [82ページの囲み記事]

      「ヱホバをほめたたえよ。われらの神をほめうたふはよきことなり楽しきことなり。たたへまつるはよろしきにかなへり」。―詩 147:1。

  • モザンビクにおいて
    ものみの塔 1961 | 2月1日
    • モザンビクにおいて

      数年まえ,多くの兄弟たちが逮捕され追放されたことのある奥地のある地方で,後に残った兄弟たちは驚くべき経験をしました。あまりにも多くの人々が聖書に耳を傾け,聖書の勉強を始めたため,習慣になっている密売用ウイスキーの密造に故障をきたすようになりました。自分の飲み料が底をついてきた時,しゅう長はこのことに対して腹を立ててしまいました。兄弟たちに聖書の勉強をやめさせるため,彼は警察に行きました。そしてそこにいる間にその地方のカトリックの司祭たちに会ったので,彼らとこのことで結託し,あるヨーロッパ人の地方長官に訴えて出ました。そして,エホバの証者をサン・トメ ― 囚人を監禁する島 ― に追放するよう懇請しました。そこで地方長官は,兄弟たちに何をしていたのかと尋ねました。兄弟たちはマタイ伝 24章14節を調べて見て下さいと長官に答えました。すると長官は,1冊の聖書を司祭に渡して,その聖句のところを開いて読むように言いました。司祭はその聖句を見つけることができなかったので,長官は兄弟に司祭を助けるよう頼み,自分もそれを読んでから彼はしゅう長と司祭に対して非常に腹を立てその地方全体を伝道してもよいという許可証を兄弟たちに与えました。ですからいまでは,開拓者でさえ自由に宣教をつづけることができます。

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