ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 正確な知識により心の平和を得る
    ものみの塔 1956 | 6月1日
    • 正確な知識により心の平和を得る

      精神病は,世界中の大きな健康問題になつています。この記事の中では,精神衰弱に対する予防法が書かれています。

      理性を失つているこの世の中で,精神異常と神経病をどのように防ぐことができますか。たくさんの本や映画は,精神病の治療に役立つと喧伝されていますが,実際には駄目なものです。催眠薬,電気衝激<ショック>,奇蹟の薬品,臭化物,集団の療法,蒸気風呂,その他の多くの実験をしても,正しい救済が得られていません。アメリカ合衆国の入院患者の半数以上は,精神病の患者です。―それは,脊髄灰白質炎,癌,心臓病,そして他の病気をわずらつている人よりも多い数です。統計は,冷酷にも次のことを予告しています。すなわち10人のアメリカ人の中の一人は,ひどい精神病のために何時かは入院する,というのです。

      それで,精神病を防ぐことは,すべての人にとつて極めて大切な事柄です。心の創造主は,その方法を人間に知らせました。つまり,正しい種類の知識によつて心を強くならせることです。その知識とは,あわただしい現代生活と神経の過労にも対抗し得るもの,戦争や堕落した世界の状態から生ずる心配や不安を鎮め得るもの,ますます急速に多くなつて,今や危険な最高潮に達している大問題を解決するもの,そして確信と平和を与えるもの,であります。そのためには,私たちの心に持つ知識は,一番すばらしいもの,最善のものでなければなりません。すると,宣伝,噂,偽り,偽りの宗教的な言伝えや,あらゆる種類の堕落した考え,影響,印象を排除することは必要です。使徒パウロは,何を心に持つべきかを,次のように述べています,『最後に,兄弟たちよ。すべて真実なこと,すべて尊ぶべきこと,すべて正しいこと,すべて純真なこと,すべて愛すべきこと,すべてほまれあること,また徳といわれるもの,称賛に値するものがあれば,それらのものを心にとめなさい。あなたがたが,私から学んだこと,受けたこと,聞いたこと,見たことは,これを実行しなさい。そうすれば,平和の神が,あなた方と共にいますであろう。』― ピリピ 4:8-9,新口。

      心に正確な知識と正しい考えを充した後に,神と神の言葉に全く信頼することにより,知識を補い続けることは必要です。そのことについて,パウロは更にこう説明しています,『何事も思い煩つてはならない。ただ,事ごとに,感謝をもつて祈りと願いとをささげ,あなたがたの決めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば,人智ではとうてい測り知ることのできない神の平安が,あなたがたの心と思いとを,キリスト・イエスにあつて守るであろう。』私たちが神に頼り,神の言葉に依り頼めば頼むほど,私たちは平和を持つことができます。―ピリピ 4:6,7,新口。

      言葉は,良いものにせよ,悪いものにせよ,考えを象徴します。これは,全く確かな真理です。また,考えは人をして行動せしめます。神の言葉なる聖書の中には,神の言葉である考えが記されています。私たちは,神の言葉である神の考えを頭の中に入れねばなりません。力のある神の言葉は,私たちの考えと行に影響を及ぼします。もし,神の言葉が神の僕の正直で良い心と思いに受け入れられるならば,その僕は正しい行をいたします。そして,その僕は永遠の生命を頂くと共に神をよろこばします。その僕は,神のいましめを守るからです。聖書を持つだけで,その中にある神の言葉を実行しないなら,なんの利益もありません。神権的な原則に従つてこそ,平和をもたらすものであつて,知るだけでは平和は与えられません。聖書は真実のもの,生きているもの,力のあるものです。それで,聖書は,現在の世に氾濫している有害な宣伝に対して,人々を守るものです。聖書だけが,人間の思いと心を保護します。

      健全な言葉

      聖書は,霊的および精神的な健康を与える本です。どうして,そうですか。聖書によつて神と神の目的をはつきり悟り信仰を持ちまた神に確信を持つことができ,心がしつかりするからです。それだけでなく,聖書によつて悪鬼の偽りの考えや欺きから心を守り,この悪しき日にあつても強い心を持つことができるからです。これは,全く確かなことです。パウロは,テモテに次のごとく諭しました。『あなたは,キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもつて,私から聞いた健全な言葉を模範にしなさい。』― テモテ後 1:12-14,新口。

      健全な言葉? そうです,全くその通りです。神の言葉は,私たちに希望を与え,いやしをもたらすよろこびと慰めを与えるからです。ヱホバは生ける神です。ヱホバの言葉は,生けるものであり,私たちの思いに影響と力を及ぼすものです。神の言葉は,私たちの思いを,力づけかつ元気づけるものです。そしてとうてい測り知れない程の平和を与えるものです。これも癒しをもたらします。テモテに宛てて送つた最初の手紙の中で,パウロは次のように言つています,『もし違つたことを教えて,私たちの主イエス・キリストの健全な言葉,ならびに信心にかなう教に同意しないような者があれば,彼は高慢であつて,何も知らず,ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である。』― テモテ前 6:3,4,新口。

      古い世にこの平和が無いことは,明らかです。悪しき者たちも平和を持つていません。彼らは高慢になつています。彼らの心は病気であつて,何も理解しません。『我くちびるの果をつくり,遠き者にも近きものにも平安あれ平安あれ,我かれをいやさん。こはヱホバのみことばなり。然はあれど,悪者は,なみだつ海の如し。静かなること能わずしてその水つねに濁と泥をいだせり。わが神言たまわく,悪しき者には平安あることなしと。』― イザヤ 57:19-21。

      心の完全な平和を得ることは可能です。しかし,そのためには,平和を与え給う神と,神の義しい国民と全く一致することは必要です。予言者の次の言葉に注意して下さい,『なんぢら門をひらきて忠信を守るただしき国民をいれよ。なんぢは平康にやすきをもて志かたき者をまもり給う。彼はなんぢに依頼めばなり。なんぢら常磐にヱホバによりたのめ,主ヱホバはとこしえの岩なり。』― イザヤ 26:1-4。

      大いなるヱホバに依頼めるため,正しい知識を取りなさい。真理の言葉によりあなたの心をしつかりしたものにしなさい。確信をもつて,真理の言葉に頼りなさい。『それだから,心の腰に帯を締め,身を慎み,イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを,いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。』そうすれば,平和を与え給う神は,あなたと共にいるでしよう。―ペテロ前 1:13-16,新口。

      [207ページの囲み記事]

      義のために迫害されてきた人たちは,幸いである,彼らは神の子と呼ばれるであろう。天国は彼らのものである。私のために人々があなた方を罵しり,又迫害し,あなた方に対し偽つて様々の悪口を言う時には,あなたがたは幸いである。喜び,喜べ,天においてあなたがたの受ける報いは大きいあなたより前の予言者たちも,同じように迫害されたのである。―マタイ 5:10-12,口語。

  • 残り少い時間を賢明に用いる
    ものみの塔 1956 | 6月1日
    • 残り少い時間を賢明に用いる

      みなさんは,残り少い時間を賢明に用いていますか残り少い時間? そうです,聖書の予言によると,私たちはキリストの再臨している時代に住んでおり,そして現在の組織制度が終るまでは,『この時代は亡びることがない。』のです。その故に,今や『御国のこの良いたより』を伝道して,遅過ぎない中に,善意者に『山へ逃げる』必要性を知らせることは,まつたく急を要する事柄です。それで,残り少い時間を賢明に用いることは,是非とも大切なことです。―マタイ 24:34,14-16。コリント前 7:29。エペソ 5:15,16,新世。

      富や,名声や権力を得ようとしたり,又はこの古い組織制度を永続させようとして時間を使うならば,その時間は無駄に使われたことになります。しかし,現在の99.9パーセント以上の人々は,そのことを行つています。また,つまらない習慣に耽けるなら,時間は無駄になります。毎日の新聞や,通俗の雑誌や,おもしろおかしい本を読んでいる中に,時間というものはすぐに浪費されてしまいます。ラジオを聞いたり,テレビジョンや映画を見るときも,やはり時間はすぐに浪費されています。思い悩んだり,又ありもしないことを仮定して論じ合ったりすることも,時間の浪費です。

      他の人の時間を浪費することもあります。自分で出来ることを,他の人に望むべきではありません。それは,人々からしてほしいと望むことを,人々に行つていることになりません。―マタイ 7:12。

      それでは,残り少い時間を賢明に用いるとは,どういう事ですか? 先づ,生活をするのに是非必要な衣食住で満足することです。そして,神の備え給うた手引の本を用いつゝ神の御言葉を研究する時,私たちは残り少い時間を賢明に用います。もし効果的な研究をするなら,時間を賢明に用いることができます。それは,一時に二つの事柄を行おうとする事ではありません。研究しながらテレビジオンを見るということではなく,むしろ研究する事柄に精神を集中すべきです。

      会衆の集会や大会に出席することも,時間を賢明に用いることです。しかし,それには私たちが前もって準備をなし,機会のゆるすかぎり参加することは必要です。たとえ,ヱホバの民の大会に出席していても,もし大会で述べられたり,行われたりする事に細心の注意を払わないなら,それは時間を浪費していることになります。祈のための時間も,賢明に用いられる時間です。どんなに忙しい時でも,朝起きた時とよる眠る前には祈りを捧げ,そして食事を頂く度に,ヱホバに感謝を捧げましょう。

      そして,残り少い時間を最も賢明に用いることは,もちろん,御国の良いたよりを伝道することです。それは又,もつとも重要なことです。それは,ヱホバの御名に誉をもたらしかつ私たち自身と聞く者に生命をもたらします。それで,時間については注意深い計画を立てて,できるだけ多くの時間を伝道に用いましよう。また,準備をきちんと整え,充分の注意を払つて巧みにするならば,その時間を善用することができます。私たちの目指すところは,全時間宣教であります。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする