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ほかの人々につかえた偉大な師ものみの塔 1970 | 8月1日
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弟や妹にどんなことをしてあげられますか。遊び終わったおもちゃをかたずけるように教えてあげられるでしょう。または弟や妹が服を着たり,ねる用意をしたりするのを手つだうことができるかもしれません。そうしてあげると,弟や妹は,ちょうどイエスに従った人々がイエスを愛したように,あなたを愛するようになります。
学校でもほかの人につかえることができます。クラスのお友だちや先生につかえるのです。だれかが本を落としたなら,それを拾ってあげるのは親切なことです。黒板をふきましょうかといったり,何かお手つだいしましょうか,といって先生につかえることもできるでしょう。ほかの人のために戸をあけてあげるのも親切な行ないです。
あなたが何かをしてあげても,お礼をいわない人がときどきいます。そのために,あなたは良いことをするのをやめてしまいますか。いいえ,やめてはいけません。多くの人々はイエスの良いわざに感謝しませんでした。それでもイエスは良いことをするのをおやめになりませんでした。
ですから,ためらわずに,ほかの人々につかえてください,偉大な師であるイエスのことを思い出してイエスのもはんにいつもならうようにしましょう。
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弟子になった人々のバプテスマものみの塔 1970 | 8月1日
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弟子になった人々のバプテスマ
「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名によって彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るように教えなさい。見よ,わたしは事物の体制の終局までいつもあなたがたとともにいるのである」― マタイ 28:19,20,新。
1,2 水に関して,創造者以上に創造されたものが崇拝されてきたのはなぜですか。
心身をさわやかにする清い水 ― それは,偉大な創造者が人間の命に添えて与えられた数々の祝福の一つです。物事を深く考える敬虔な人は,川の創造者であられるエホバに賛美と感謝をささげます。エホバは,命をはじめ,すべての良い贈り物の与え主であられるのです。しかし,この創造者を知らなかったため,古代の多くの民族は川を崇拝の対象にしました。その一例は古代エジプト人の宗教です。彼らがナイル川を崇拝したことは,ナイルの賛歌から明らかです。「エジプトに生命を与えんとて,この地を訪れる汝に祝福あれ。……汝は人の祈願を聞こし召し……すべて良き物の造り主,穀物の主たり。……かくて穀倉はあふれ,家倉は満てり。げに貧しき者も富み栄えたり」。
2 エジプト人がナイル川を神として崇拝することは,ずっと昔にすたれてしまいましたが,川の崇拝は依然今日に至るまで存続しています。インドおよびその近隣の国々には,いたるところに「神聖な川」や「川の神々」があり,住民の生活の中で重要な位置を占めています。「神聖な川」の中で有名なのは大河ガンジスで,ある人々は,ヒンズー教の三神一体の一つであるシバの髪からその流れが出ていると信じています。ガンジス川で水浴をすれば霊力と霊験が得られる,と善良なヒンズー教徒すべてが信じていることを思い起こしてください。その「神聖」な水の一滴を舌か両方のまぶたの上に落とすだけで,臨終の人の罪は洗い清められると考えられています。
3 キリスト教世界の儀式における水の使用と,他の宗教におけるそれとの類似点について説明しなさい。
3 川の崇拝はあなたにとって受け入れがたいものかもしれません。水を崇拝せよという宗教的な要求は,不合理だと考えるかもしれません。水が人間にとって祝福であることは認めても,祝福の源ではないと言われるでしょう。しかし,一般に言って,水の使用に関するすべての宗教の見解は,霊力や霊験を得ようとして,ガンジス川で水浴する多くの人の見解と大差ないことをご存じですか。その類似点は,水浴にしても,あるいは他の宗教における散水・灌水・浸水,いわゆるバプテスマつまり浸礼のいずれにしても,それを行なえば効果があるとする主張です。
4 水の用いられる宗教儀式はなんと呼ばれていますか。
4 罪がどうにかして水によって清められる,したがって,種々の宗教儀式で水を使うとなんらかの霊的な効力あるいは益が得られるという見解は,キリスト教世界の諸教会がそうした儀式を「サクラメント」と呼んでいることにも見られます。ギリシア正教会およびローマ・カトリック教会によると,バプテスマは,7秘蹟(サクラメント)の第一のものであり,プロテスタントのたいていの宗派では,二つの聖礼典(サクラメント)の第一のものとされています。しかし,「サクラメント」と言うことばは聖書には出てきません。浸水や散水あるいは灌水の宗教儀式にあずかる者に,恩寵や清浄または霊的な効力が与えられるという見解は,そう主張する宗教がキリスト教世界のものであると否とを問わず,聖書に根拠を持つものではありません。
5 キリスト教の儀式において,聖書が水の使用を是認している場合がありますか。
5 キリスト教の儀式において,聖書が水の使用を是認している場合がありますか。あります。この記事の冒頭に引用した聖句からそれは明らかです。キリスト教の創始者であり,指導者であられるキリスト・イエスがこう命令されたからです。『行って,バプテスマを施しなさい』。さらに,その命令に則してバプテスマを受ける人は,「弟子」となる資格を持つ人でなければならないことをも説明されました。
6 聖書にかなった,水のバプテスマを正しくかつ十分に知ることはなぜそれほどたいせつですか。
6 水によるバプテスマは本質的に,エホバ神に献身する各人が踏まねばならない,従順を示す第1段階であると聖書は教えています。そうであってみれば,その理由およびその真の意義について知りたいと願うのは当然でしょう。最初に,聖書に述べられているバプテスマと相いれない事柄を幾つか取り上げます。バプテスマがサクラメントの一つをなすという偽りの教えは,人間に対して犯された宗教上の重大な誤りの一つです。なぜそう言えますか。なぜなら,そうした教えの結果,人々はバプテスマに効力があり,バプテスマを受けると,恩寵や益がもたらされると信じるようになっているからです。水につかったり,ぬれたりすると,その方法が浸水・散水・灌水のいずれであろうと,驚くべきことが起こる,とされているからです。
サクラメントであるとする主張
7 カトリック教派は,サクラメントについてなんと主張していますか。
7 次の引用文は「カトリック百科事典」(英文),第2巻から取られたもので,洗礼に関するカトリック教派の主張を示すものです。「教皇エウゲニウス4世の大勅書『神を喜べ』の中の『アルメニア教令』……『聖洗礼は,霊的新生活への門出であるから,秘蹟の中で第1位を占める。それによって,キリストの一員になり,教会の組織に入れられるからである。……この秘跡の効力は原罪と自罪のすべてをゆるし,罪のための罰のすべてをゆるすものである』」。
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