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  • あなたを支配するのは迷信ですか,知識ですか
    ものみの塔 1958 | 8月15日
    • あなたを支配するのは迷信ですか,知識ですか

      『正しき者の道は朝日のごとし,いよいよ光輝をまして昼の正午にいたる。悪しき者の道はくらやみのごとし,彼らはそのつまずくものの何なるを知らざるなり。わが子よ我が言葉をきけ,我が語るところに汝の耳を傾けよ。』― シンゲン 4:18-20。

      1 多くの人の精神状態はどのようですか。なぜ?

      あなたは幼い子供が暗いへやの中で恐ろしがつているのを見たことがありますか。ヘやにあかりがつくとすぐに子供の恐怖は消えてしまいます。子供は,へやの中にある物全部を見て,自分を害するようなものは何もそこにないことを知ります。この知識によつて子供は満足し,また安全を感じます。だれにせよくらがりを恐れるのは子供じみていると私たちは言うかも知れませんが,今日多くの大人たちは,サタン悪魔がこの世界にもたらした暗黒の中にいるため,迷信,不安,恐怖で満たされています。パウロは,大多数の人類の精神状態をこのように述べました,『この組織制度の神は,不信者の心をめくらにし神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光を輝かせまいとしている。』啓発を受けた人なら誰でも,これらの迷信的で,恐れにとりつかれ,また盲目にされた人々を,かわいそうだと思います。―コリント後 4:4,新世。

      2,3 北極地方の人々が信じている奇妙な信仰のいくらかを挙げなさい。

      2 預言者イザヤは,私たちの時代のことを次のように預言しました,『みよ,くらきは地をおおいやみはもろもろの民をおおわん。』(イザヤ 60:2)サタンは,幾世紀にもわたつて,人類の上に勢力をふるい,人類に多くの奇怪な事柄を信じこませてきました。今日ではすべての社会において,妙な迷信が人々の生活を左右しています。北極地方から熱帯地方に至るまで,サタンのもたらす迷信が見られます。エスキモーは幽霊を信じます。また多くの人々は,霊が動物や,風,岩,氷,水などに帰るという魂の移住を信じ,しかもまじないでそれらをなだめることができると信じています。風の方向を変えるために彼らは呪文を唱え,太鼓を叩き,風に向かつて叫び,最後の手段として死人の墓に火をつけます。理論も何もない迷信だけです。風を変えることができたためしは一度もありませんが,それでも迷信盲目にされた彼らはそれを試みつづけるのです。

      3 グリーンランドのある場所では,子供が死ぬと村人たちは生きた犬を子供と一緒に埋めます。子供が『あの世』に行くのに,その犬を道案内として使うというのです。この妙な迷信について質問されると彼らはただ,『犬はどこに行つても道に迷うようなことはありませんからね』と答えるだけでしよう。―「エンサイクロペデイア・アメリカナ」

      4,5 死人の状態に関する知識の不足は,どのような教理や考えを生じさせましたか。

      4 多くの人にとつて,死人の状態というものは非常に神秘なのです。人間が不滅の魂を持つているという信仰は広く行きわたつており,またこの非聖書的な信仰に関連して多くの奇怪な考えや迷信があります。特に東洋においては,何万何億にのぼる人々が,魂は移住するという考えを持つています。しかし,魂の移住を信ずるのは,なにも新しいことではありません。人間の魂の不滅説を主張した古代のエジプト人は,魂が一つの体から他の体に移ると信じていました。ですから,猫や,ワニやその他の動物のミイラを保存するというエジプト人の習慣は,かつてミイラの中に住んでいた魂が,いつかまたそれらの体を自分のものとしてとりもどそうとするかも知れないという考えに基づいていたのに疑問はありません。

      5 古代の人ピタゴラスは,同じように,この魂の輪廻もしくは移住を信じていましたから,すべての動物,魚,卵まで食べるのに反対しました。もしピタゴラスの先祖が,ノアに与えられた神の言葉を言い伝えていたとしたら彼は,『およそ生る動物は汝らの食となるべし』ということを知つていたでしよう。―創世 9:3。

      6 (イ)キリスト教国にあるサタンのもたらした暗黒の一つの証拠は何ですか。(ロ)死人の状態は実際にどのようですか。聖書からそれをどのように証明しますか。

      6 今日,世界中の何億という人々は,これらの行いや信仰を馬鹿げたものとみなすかも知れませんが,彼らは同じような迷信の犠牲にはならないほど啓発されているでしようか。クリスチャンと自称しながらも,人間の魂不滅を心から信じている何億という人々のことをちよつと考えてごらんなさい。しかも彼らは,故人となつた愛する人々が,練獄で苦しんでおり,牧師に金銭を払つてある宗教的儀式を行つてもらいさえすればその苦しみから解放され得ると考えているのです。神の御言葉によつて啓発された人々は,死んだ人々が練獄の火の中にいたり,どこかで生きているのではなく,彼らは死んでいて無意識状態にあり,ちようどキリスト・イエスが言われたように,墓の中で復活を待つていることを知つています。しかし無知と迷信によつて,練獄の教理の犠牲にされた人々は,人間は魂であつて,不滅の魂を持つていないことを知りません。そういう理由で彼らは,多くの心配をし,相当の金銭を失つてきたのです。神の御言葉の正確な知識は,彼らにとつて何という祝福になることでしよう。―創世 2:7。伝道 9:5,10。エゼキエル 18:4。ヨハネ 5:28,29。

      7 人間の起源に関する聖書の記録と人間の学説のいくらかとどのように比較されますか。

      7 聖書は,神が準備された正確な知識を私たちに与えます。聖書は創造による人間の起源を教えます。(創世 1:27)進化論者たちは,自分たちの方が現代的で最新のよりすぐれた考えを持つていると思うかも知れません。しかし,多くの原始人は,何世紀もの間,いわゆる学者や科学の支援なくして,これに非常によく似た誤つた考えを固守しました。たとえば,マダガスカルには,自分たちはワニの子孫だと信じている人々が幾人かいます。ですからこの人々は,動物をあたかも人間か自分自身の兄弟のように取扱います。あれほど危険なものでも,ワニが人間を殺さない限り,誰もあえてワニを殺そうとする者はいません。ワニが実際に人間を殺す時は,鉤でそれを捕え,裁判にかけ,死刑を宣告し,刑の執行を行い,それからまるで家族の一員ででもあつたかのごとく,多くの儀式と共に埋葬します。馬鹿げた迷信だ! と私たちは言うかも知れませんが,彼らはそれを信じているのです。―カルベス・ウエルス著,「アフリカを紹介する」

      8 どのような方法で人は有害な迷信からのがれることができますか。

      8 世界中に見られる奇妙な迷信や考えを挙げれば際限がないでしよう。サタンは,自分の無知な臣下を全く混乱させてしまい,それによつて彼らに大きな害をもたらしました。人類にとつて迷信は害になります。迷信は,全能の神の認められた奉仕と,神の新しい世における永遠の生命に誰をも導くことはありません。その有害な迷信と軽信から自由になる方法は一つあるだけです。それはヱホバ神から来る正確な知識を得ることによります。私たちの生活において,知識はそれほど重要なものであつて,知識の不足のために人は滅ぼされることさえあるとヱホバは言われます。―ホセア 4:6,10。

      9,10 (イ)正確な知識を得るには,学校へ行くだけで十分ですか。(ロ)正確な知識を得るのを妨げるものは何ですか。(ハ)誠実のみでなくて,なぜ知識が必要なのですか。

      9 今日,世界には,人類史上かつてないほどの教育施設があります。政府は,教育に関する計画を強調しており,辺鄙な地方にさえ新しい学校を建築しています。しかしどのような種類の学問が追求されているのでしようか。人々はどんな知識を持つていますか。すべての学問が有益なわけではありません。すべての知識が生命をもたらすわけではありません。何年間という大学教育も,多くの書籍の読破も,保護を与え,生命を与える知識をえる保証とはなりません。ある人々は,「常に学んではいるが,いつになつても真理の知識に達することができない」と聖書は述べています。―テモテ後 3:7,新世。

      10 ヱホバ神は,人間が正確な知識をえるように聖書を準備されました。しかし,その道には人々を妨げる多くの障害物があります。共産主義の政府は,聖書の教えに反対します。ある国々では,一般の人々は聖書を手にいれることができません。しかし人々が正確な知識を得るのを妨げる最大の障害物の一つは偽りの宗教です。多くの牧師は,いつわりにも神を代表すると主張して,神の御言葉よりも人間の伝説や迷信を重要視し,同時に神の真の知識を人々に与えないようにしています。これらの牧師たちは,キリスト・イエスが次のように言って審判されたクラスに属するものです,『あなたがた律法学者はわざわいである。知識のかぎを取りあげて,自分がはいらないばかりか,はいろうとする人たちを妨げてきた。』(ルカ 11:52,新口)キリスト教国の指導者たちは聖書を持つており,また神について話します。昔のユダヤ人のようです,『彼らが神に対して熱心であることはあかしするが,その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら,彼らは神の義を知らないで,自分の義を立てようと努め,神の義に従わなかつたからである。』(ロマ 10:2,3,新口)彼らは神の御言葉を通して神から学ぶために謙遜になろうとはしません。彼らは利己的にも,自分自身の偽りの宗教観念や知識を確立しようと追求します。ある人々は,自分自身が余りにも迷信的になりすぎ,自分が正しいと確信してきました。しかし自分で正しいと思つている人が,正しいわけではなく,神の原則と全く一致しているわけではありません。神は言われます,『人のみづから見て正しとする途にしてその終はついに死にいたる途となるものあり。』(シンゲン 14:12)ヱホバの真の知識を拒絶するそのような人々は,ヱホバがホセア書 4章6節で預言的に言われた人々です,『わが民は知識なきによりて滅ぼさる。なんぢ知識を捨つるによりて我もまた汝を捨てん……彼らはその心をヱホバにとむることを止ればなり。』

      11 何だけが完全な知識の基礎ですか。

      11 牧師や世界の指導者たちは,多くの知識を持つていると考えているかも知れませんが,すべての知識と光の源であるヱホバから,謙遜に教えを受けない限り,全き知識を持つことは誰にもできません。『ヱホバを畏るるは知識の本なり。』(シンゲン 1:7)このヱホバに関する基本的な知識は主要な部分であつて,あらゆる真の知識の基礎です。

      12,13 (イ)人間は知識を得るために,どの源に行かなければなりませんか。(ロ)この知識はどのように宝ににていますか。

      12 真理の知識に生長し,有害な迷信を避ける方法は一つあるだけです。それは光を持つことです。ヱホバは言われます,『我が子よ汝もし我が言をうけ我が誡命を汝のこころにおさめ,かくて汝の耳を知恵に傾け汝の心をさとりにむけ,銀の如くこれを探り秘れたる宝のごとくこれを尋ねば,汝ヱホバを畏るることをさとり神を知ることを得べし。そはヱホバは知恵をあたえ,知識と聡明とその口より出づればなり。』― シンゲン 2:1,2,4-6。

      13 そうです。正確な知識はかくされた宝のようです。永遠の生命を意味するヱホバとキリストに関する知識より価値のあるものはあり得ません。(ヨハネ 17:3)しかし宝は探して見つけ出さなければなりません。それからそれを固く守らなければなりません。それは,拡大もしくはふやすことができます。これはすべて私たちの努力を必要とします。この宝はどのように手にいれることができますか。

      14 (イ)ヱホバは真の知識を与えるためにどんな機関を備えられましたか。(ロ)どの人々がこの正確な知識を得ることができますか。

      14 ヱホバは御自分の御言葉,霊,組織を準備されました。私たちは,『みどり児』のように,正しい態度で知識を採りいれ,ヱホバと,今日ヱホバが霊的食物を与えるために使われているその組織を謙遜に認めなければなりません。私たちは,イエスが,マタイ伝 24章45節で述べられた,『忠実にしてさとい奴隷』である油そそがれたヱホバの証者の組織を通して備えられるすべての御準備に対して感謝の態度を持つべきです。ヱホバは,霊的食物を準備されるに際して,御自身の良い方法と目的とをもつておられます。備えられるものは良いものですから,私たちはそれを学ぶためによく研究しなければなりません。人がすべての知識を持つていないことを認識し,子供のように教えやすいならば,その人は学ぶことができ,霊的識別力を得るでしょう。神の原則を固守するかわりに,自分の説を持ち出すこの世的な人のように,人が,誇を感じたり自分は賢いと思えば,その人は理解を得ないでしよう。ヱホバはその人に霊を与えられないでしよう。霊的事柄を理解することは,この世の人間の誇りなどではおよびもつかないことです。『生れながらの人は,神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また,御霊によつて判断されるべきであるから,彼はそれを理解することができない。しかし,霊の人は,すべてのものを判断する。』― コリント前 2:14,15,新日。

      15 なぜ霊的識別力は重要ですか。

      15 しかしある人々は,牧師や賢明だと自称する他の人々も聖書を持つており,聖書から引用するではありませんか,彼らは聖書の内容を知らないのですかと質問するかも知れません。いくらかの聖句を知つているということと,霊的識別力を持つことには,非常に大きな差があるのです。イエスを誘惑した時,サタンは,聖書のいくらかを知つていることを示し,いくらかの聖句を引用しましたが,それは完全に間違つた適用でした。しかしイエスは,霊的識別力を持つておられました。サタンは神の霊を持つていなかつたので,聖書の意味を理解することができませんでした。イエスは聖書をいかに用いるかを知つておられ,またサタンに抵抗された際,それを巧みに用いられました。霊的な事柄は,ヱホバに献身し,ヱホバの宝を謙遜に探し求める人々,ヱホバが御自分の霊を与える人々によつて認識されます。『それを神は,御霊によつてわたしたちに啓示して下さつたのである。御霊はすべてのものをきわめ,神の深みまでもきわめるのだからである。』― コリント前 2:10。マタイ 4:1-11。新口。

      16 誰が霊的識別力を得ますか。

      16 ですから,ヱホバは御自分の神聖な秘義を忠実な僕たちに与えられますが,それによつて神にではなく自分自身に誉をもたらそうとするこの世的な賢者には与えられないことが分ります。キリスト・イエスはこれを悟り,感謝をもつて叫ばれました,『天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して,幼な子にあらわしてくださいました。』(マタイ 11:25,新口)イエスの弟子たちは,ヱホバ神からの宝を謙遜に探し求めましたから理解を与えられました。この霊的識別力は,なにかありふれたものではなく,軽々しく扱われるべきものではありません。それはなにか金銭で買えるようなものではありません。それは,自分を卑しくしてヱホバに近づき,ヱホバの御言葉を研究し,その知識を使つて神に誉を捧げる人々に与えられるヱホバからの賜物です。それはかくされた偉大な宝です。すべての皆さん,それを探して下さい。

      研究

      17,18 研究はなぜ必要ですか。研究に対してはどんな態度をとるべきですか。

      17 私たちが研究する時,私たちの動機は純粋で,心は解放的でなければなりません。将来のヱホバへの奉仕に使うために何かを学ぶというのが私たちの目的であつて,自分の個人的な知識を誇ることを望んだり,自分の重要性を感じたり,すべての兄弟たちを自分のところに来させて,聖書に関する質問に答えることができる時,胸をはつて誇り得るようにするのが目的であつてはなりません。秘蔵されている光に対し,正しい態度を示すことによつて,私たちは神の霊を得ることができます。それは,霊感の下に書かれた御言葉を理解する道を開くものです。

      18 個人的な研究は,神の真の奉仕者の生活の,基礎になる部分です。私たちはそれなしで済ませることはできません。筋骨逞しい男の人が,規則正しい練習と,運動と,正しい食物によつて体力を保持するのと同じように,霊的な人も正しい霊的食物を規則正しく摂り,自分の心を運動させなければなりません。ヱホバの僕は,他の人々に奉仕するのに忙しいですが,自分自身の研究を怠ることはできません。駆け回つている時,霊的な食物をあわててとつてもしばらくの間はやつて行けるかも知れませんが,後になつて損失を感じるでしよう。この個人研究のためには時間を定め心を集中しなければなりません。そしてその時間割は注意深く守らなければなりません。―申命 8:3。

      19,20 注意力の集中は効果的な研究とどんな関係がありますか。

      19 勉強するためにすわる時は,他のことはしばらく忘れて,心を澄ませましよう。あなたは今何を考えていますか。あなたは読んでいるものに注意を集中していますか。それとも家事の事や,明日するつもりの事柄に気を取られていますか。あなたはこの記事を読むために貴重な時間をついやしているのです。では,実際的になつてここに提供されているすべての霊的事柄を吸収するのは賢明ではありませんか。他の事は,神権的な研究をしていない時に考えなさい。

      20 これはほんの一例にすぎません。同じ原則は,私たちが聖書研究のために出席するどの集会にも適用できます。私たちは注意力という特質をつちかうことができます。研究している事に,他の何よりも興味を持つことによつてのみこの特質を習得することができるでしよう。人が一つの主題に非常に興味を持つと,自動的に注意はそれに集中します。研究を始める度にこの事実を思い起すことによつて,注意を集中する力を養うことができます。

      21 どのように研究についやした時間から最大の利益を得ることができますか。

      21 私たちは研究する時に,研究している事柄をよく思考しましよう。それらが正しいということを聖書から自分自身で確めましよう。私たちは将来使うために学ぼうとしていること,そして私たちが行う事柄の基礎となる資料を研究しているということを心にとめていなさい。聖書や,協会の出版した聖書研究を助ける書籍の中に覚え書きをすることもできます。質問に答える鍵になる言葉を見つけることを学び,それを覚えやすくするために傍線を引くこともできます。私たちの希望は,真理を自分のものとし,奉仕において自分に役立つものとすることでなければなりません。

      22 正確な知識を使うことと,霊的識別力を得るのとはどんな関係がありますか。

      22 正確な知識を受けいれて保持するための心がまえをし,注意を集中したならば,ヱホバから与えられたものを実際的に活用しなさい。学んだ事柄を熟考し,連想によつてそれらをしつかりと心にきざみつけなさい。使徒パウロは言いました,『わたしの言うことを,よく考えてみなさい。主は,それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。』(テモテ後 2:7)これらの事柄を考えてみるだけでなく,これらについて話しなさい。これらについて書きなさい。正確な知識を持ちつづけるには,誰にでも反復することが必要です。定期的な集会は,ヱホバのなされるすばらしい御準備であつて,そこで私たちは,すでに学んだ霊的事柄を討議することができ,わからない点や疑問の点を理解することができます。自分の利益のために活潑に註解を述べます。そのように組織に固く従い,また他の人の聖書研究を援助することによつて,私たち自身が正確な知識で満たされることができます。私たちが,真理の知識を使えば使うほど,私たちの理解は増し,霊的識別力を持つようになるでしよう。ヘブル書 5章14節でパウロが示している通りです,『堅い食物は,善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。』この堅い食物は霊的食物です。堅い食物はあなたのものですか。あなたはそれを自分のものにしましたか。

      ヱホバを喜ばせる

      23,24 (イ)なぜ正確な知識を満たしますか。(ロ)知識を野外奉仕で使えば結果としてどんな利益がありますか。

      23 ヱホバを喜ばせる道にヱホバの僕たちが歩むのを助けるため,霊的な食物と知識はゆたかに備えられてきました。もし私たちが,正確な知識で心を満たしたならば,ヱホバの御前にいかに歩むかを知り,いかにヱホバを喜ばせるかを知ります。コロサイ書 1章9-12節には次のように書かれています,『あなたがたが知恵においても霊的な分別においても神の御心の正確な知識にみちることである。それは,ヱホバにふさわしく歩み,そしてあらゆる良き業を行つて実を結び,神の正確な知識を増して,ヱホバを全くよろこばせるためである。さらにまた,神の栄光の勢いにしたがつて賜わるすべての力によつて強くされ,すべてを喜んで耐え忍び……御父に感謝することである。』これらの言葉を熟考しなさい。知恵と霊的分別をもたらすのはこの正確な知識なのです。それはヱホバの御前に歩み,その奉仕において活用されるべきものです。ヱホバへの奉仕に良い業をなし実を結び続けるに従つて,私たちは,ヱホバの正確な知識を増して行くでしよう。戸別訪問や家庭での伝道において,奉仕に活潑であることは,私たちにとつて良き友であり保護者です。霊的知識を使うことによつて私たちは自分の知覚力を強くするのです。私たちは,自分のなした個人研究から十分の利益を得ます。どのようにそうなるかをみて下さい。

      24 一つの例は,その知識を野外奉仕に活用することです。伝道ができるようになるにはまず準備がいります。私たちは,奉仕会や家庭で,戸別訪問や再訪間の時に話す聖書の話の概略をつくります。それから人々の家庭を訪問してその話をします。人々が,私たちのことについて質問すると,私たちは聖書から答を見出します。そのようにして私たちは知識を増してゆきます。そしてヱホバの原則を繰返し話すことにより,それらをますます深く自分の心に植えつけます。私たちが毎日聖書を勉強し,また人々の家庭で聖書研究を司会する時,私たちの心はより鋭敏な理解力を持つようになります。ですから,奉任において実を結び,得た知識を活用することによつて,私たちは絶えず正確な知識を増しつづけているのです。私たちは霊的に生きているのです。

      25 神への奉仕のために,知識を使用しない人にはどんな結果が生じますか。

      25 その反対に,神への奉仕に活潑でない人々は,正確な知識を増しつづけません。たとえ家にすわつて何時間も何時間も読んだところで,知識の「活用」を通して来る理解力を得てはいないのです。その人は神への奉仕において実を結びません。実を結ばない者は除かれるとイエスは言われました。(ヨハネ 15:2)自分の知識を使わない人は,認識を欠いており,またその認識を得る鍵である神の霊も持つていないことを表わしています。ルカ伝 19章26節でイエスが示されたように,人が与えられたものを使わないならば,それはその人から取り去られるでしよう。知恵と霊的識別力を得るために,正確な知識を増しつづけるただ一つの方法は,ヱホバの奉仕において絶えず実を結びつづけることです。

  • 増加する知識の永遠の利益
    ものみの塔 1958 | 8月15日
    • 増加する知識の永遠の利益

      1 今正確な知識をたくわえることはなぜ重要ですか。

      西暦1914年以来,ヱホバは,地上の生物がヱホバを知る知識を得て救われるように,彼らのためにその道を開いておられます。ヱホバはサタンに対する困難を短くして,霊的食物がゆたかに供給され得る期間を与えられました。しかし,その道が閉じられる時には,困難な期間が訪れるでしよう。(マタイ 24:20-22)この事を知るとき,この暗黒につつまれた世界の迷信から逃げて,より多くの正確な知識を採りいれることが,今すべての人々にとつていかに重要であるかが分ります。食物のゆたかな夏に食物を集めるアリのように,今は知識をとりいれるために働く時です。いま正確な知識をとりいれない愚か者は,ゆたかな時になまけて将来のことを考えなかつた諺に出てくるキリギリスのようです。不用意な者には冬とわざわいが突然にやつて来ます。『おこたる者よ蟻にゆきそのなすところを見て知恵を得よアリは……夏のうちに食を備え,収穫のときに糧をおさむ。おこたる者よ,汝いずれの時まで臥し休むや。』― シンゲン 6:6-9。

      2 (イ)賢明な人はなぜ学ぶことをやめませんか。(ロ)真のクリスチャンは,他の人を援助するために,どのように増加した知識を用いますか。

      2 ある人は聖書の知識をいくらか持つて,忠実に奉仕しているかも知れません。しかしそれでもヱホバの言葉を聞きつづけ,今もつている知識を増し加える時にのみその人は賢明です。聖書は『知恵ある者』が『これを聞きて学に進みさとき者』が『知略を』うるために書かれたのです。(シンゲン 1:5)クリスチャンは学ぶことに不足するようなことはなく,かえつて,『義者の途は旭光のごとし,いよいよ光輝をまして昼の正午にいたる。』(シンゲン 4:18)ヱホバに奉仕を捧げはじめたひとりびとりは,自分のためにまた自分が奉仕において援助する人々の利益のために,常によりよい円熟にむかつて進歩しつづける必要があります。この世には,世情に通じた人間によつてたてられた哲学や理論が沢山あります。クリスチャンはそれらと戦わなければなりません。何万という人々が,偽りや虚偽のとりこになり,霊的病気にかかつています。ヱホバの奉仕者は,いやしを与える霊的光を伝えるためつかわされました。そして彼らは正確な知識を増すに従つて,ますますそのわざに巧みになつてきます。彼らは融通性を持つようになり,多くの問題を討論することができ,また多くの障害を克服することができるようになります。すぐれた医者のように,彼らは人々をなやましている霊的病気を見つけて,適切な援助を与えることができます。どの薬でもすべての種類の病気,心臓の病気,ガンその他に処方できないのと同じように,経験のある奉仕者は,今日世界に存在する多くの宗教を持つ人々の邪魔をしている障害物を,どのように取り除くかを決定しなければなりません。ある主題に関する一つの説教は,ある一つのグループの苦悩を取り除くかも知れませんが,しかし進歩した奉仕者は,人間をとりこにしている種々の迷信的な考えに対処するよう準備をととのえます。そしてすべての人にすぐに答えることができます。―ペテロ前 3:15。シンゲン 9:9。

      3 私たちは霊的戦いに関連してどのように知識を用いますか。

      3 正確な知識を十分にとりいれるという賢明な道を歩むことは,私たちの霊的な戦いにおいて霊的保護を与えます。この正確な知識と霊的識別力を通して私たちは力を与えられ,喜びをもつて耐えることができます。正確な知識は力を意味します。『知恵ある者は強し,知識ある人は力をます。汝よき謀計をもて戦いをなせ,勝利は議者の多きによる。』(シンゲン 24:5,6)賢明な導きは神の御言葉から来ます。それにくわえてヱホバは,今日,神の御言葉の知識を持つ助言者である,組織内の円熟した僕たちを通して,賢明な導きを準備されました。あなたのすべての活動に関する知識を,兄弟に話すことによつて得て下さい。正しい種類の奉仕者は,良い助言を与えます。

      4,5 賢明な忠告がいかに有益であるか,その実際的な例をいくつかあげなさい。

      4 私たちは他の問題に関しても,知識の深い人に相談するのが賢明な道と考えませんか。病気や痛みを覚える時,自分より,体の機能についてよく知つている医師に相談して,容体を知ろうとしませんか。知識は満足を与え,心を休ませます。ある人々は知識を求めるかわりに,そのような事を心配して自分自身をきずつけます。体の働きに関する正確な知識は,そのような身体の恐れを克服するのを助けます。私たちは肉体的な欠陥を持つているかも知れません。しかしこの苦しみを持つていても,やはり奉仕のいずれかの部面でヱホバの役に立つことを知つています。

      5 また法律問題に関しては,私たちは当然法律家から知識を得ようとするでしよう。たとえば,偽りの罪で告訴された人は,自分が法律上もつている権利を知らないため,言うに言われぬ心配をし,不安に思うでしよう。心がこのような状態の時には,人はあわてて事を行つて,自分自身を大きな危険にさらすかも知れません。しかし事実と法律に関する正しい知識は,自分を保護する力を与えます。

      6,7 霊的事柄に関する正確な知識が,どのように守りであるかを示しなさい。

      6 ですから神の御言葉は実際的です。多数の助言者の中には安全と援助があるということは,多くの事柄の場合真実です。それは霊的な事柄に関して特に真実です。霊的事柄に関する正確な知識は防禦です。ヱホバは全能の力をもつておられ,しかも御自分に属する者を愛されるということを知ることは,私たちになぐさめと力を与えます。それは,私たちの防禦力を弱める恐れを取り除きます。たとえば,人が悪鬼たちの存在に関する幾らかの知識をもつと,魔性が自分を支配するかどうかをいぶかつて,悪鬼のことを心配するでしよう。しかし正確な知識は心を楽にします。神の与えられる正確な知識に信仰を加えることによつて,防禦態勢がうち立てられるわけです。

      7 ヱホバは強固な砦であり,防禦の岩です。ヨブをサタンから守るため,ヨブのまわりに保護の垣を設けられたように,ヱホバは今日地上にいる御自分の僕に対して同じことをされます。昔イスラエルの偽りの預言者バラムは,イスラエルを魔法にかけるようにたのまれました。しかしヱホバは御自分の選民をそれから保護されました。バラムでさえそれを知つていて言いました,『ヤコブには魔術なしイスラエルには占いあらず。』― 民数 23:23。

      8 悪鬼崇拝から身を守るために,知識はどのように重要な役割を果しますか。

      8 ヱホバは今でも御自身に属するものを保護されます。真理を知る前に,迷信や悪鬼に悩まされたことのある人々でさえ,正確な知識と信仰を通して安全になることができます。それには,悪魔崇拝の心を清め,悪鬼がまた帰つて来て,はいれるように心を開いておかないで,反対に,正確で保護になるヱホバの知識で満たしておく必要があります。その知識は目に見えない敵を妨ぎます。というのは,私たちは,それによつて,ヱホバにたよることができることを知り,またことある時はいつでもヱホバにたよるべきであること,さらに,この世で起る悪鬼の現われを恐れたり心配したりすべきではないことを知るからです。―ルカ 11:24-26。

      9 真理に関する知識は,どのようにアフリカのヱホバの証者を自由にしましたか。

      9 悪鬼崇拝を打ち破るという段になると,神の御言葉の真理と,キリスト教国の種々の宗派の教理には違いがあります。キリスト教国は,アフリカで多くの人を改宗させましたが,彼らはいまだに自分たちの異教の迷信を信じています。そして朝は教会に行き,夜は森に出かけて行つて物神崇拝に参加します。その反面,ヱホバの証者によつてもたらされた真理の光がアフリカ人の心に入り込むと,迷信や悪鬼崇拝は完全に消え去つてしまいます。一つの例を挙げると,ある村で,霊が住んでいるというので,いつも崇拝されていた,1本の大木の枝がいく本か強風に吹き折られてしまいました。そのため道はふさがつてしまいましたが,物神に打たれて死ぬのを恐れて,村人の誰ひとり,あえて枝にさわろうとするものはいませんでした。そこで彼らは一体何をしたでしようか。彼らは枝を片付けてもらうように,ヱホバの証者を呼びにやりました。物神はヱホバの証者には何の力もないことを知つていたからです。また物神の行列が,人々を恐れさせながら村を通る時でも同じことです。人々は恐れて家にとんで帰りますが,ヱホバの証者は静かにそのそばを通ります。物神が,ヱホバの証者に何の力もないということは,村中が認めています。イエスは言われました,『あなた方は真理を知るであろう。真理はあなた方を自由にする。』― ヨハネ 8:32,新世。

      10 キリスト教国のどんな迷信的な実践によつて,彼らがこの世の神サタンの暗黒にとじこめられているかを証明しますか。

      10 悪鬼を恐れる迷信的なアフリカ人は,悪霊を防いで幸運をもたらすように,魔よけや,物神もしくは護符を使うことが一般に知られています。キリスト教国の多くの人々は,そのような物は,未開人や野蛮人のしるしだと考えます。しかしそれと同時に,キリスト教国の迷信的な大衆の間には,いわゆる『奇蹟のメダル』とか,十字架,偶像,「聖画」などが,日毎に人気を増しています。これらのどれ一つとして,いかなる保護も幸運も与えるものではなく,それどころか実際には神の律法によつて禁じられているものです。これは彼らが神の真理によつて自由にされていない確実な証拠です。彼らもやはり,神の御言葉の正確な知識を得る必要があります。―詩 115:4-8。コリント前 10:7,14。

      11 知識を用いなかつたイスラエル人は,どのように悪鬼崇拝にまきこまれましたか。

      11 ヱホバの御言葉である聖書の中に,私たちは,自分を保護するために使わなければならない他の知識も見出します。バラムはヱホバの民に,真接に魔法を使うことができなかつたので,他の形の方法で攻撃しました。ヱホバは,不道徳に対する罰に関してすべてのイスラエルに,知識を与えられていました。ですからイスラエル人は,それが悪いことを知つていました。しかし知識を用いなかつた者たちは,悪魔的な性崇拝に負けてしまいました。彼らは,シンゲン 6章32節に述べられているように,理解が足らなかつたのです,『女と姦淫をおこなう者は知恵なきなりこれを行う者はおのれの魂を滅ぼす。』正確な知識に注意しなかつたため,何千というイスラエル人が死にました。―民数 25:1-9。

      12 正確な知識を用いることは,どのように防禦となりますか。

      12 正確な知識の使用に信仰が加わつて,防禦となります。ノアとその家族は,知識を持つていたので方船にはいり,洪水をのがれました。ロトは,ソドムに起る事柄に関して明確な知識を持つていました。彼はヱホバの言われたことを信じてソドムから逃げ去り,自分と家族を守りました。ラハブは,何が起るか,またどこが安全な場所かについて正確な知識を与えられました。彼女はそれに信仰を加え,家の中にとどまつたので,エリコにのぞんだ滅びをのがれました。初期クリスチャンは,真の預言に注意を払つたので,エルサレムに起る事柄について正確な知識を持つていました。彼らはそれに信仰を加え,西暦1世紀にエルサレムから逃げて,滅びから自分自身を守りました。現在私たちは,まじかに迫つているハルマゲドンの戦いに関する知識を持つています。そしてもし私たちが賢明ならば,自分を守るために正しい手段を講じているでしよう。

      13,14 個人的な理由によつて知識を拒絶することは災をまねくことを,聖書のどの例が示していますか。

      13 しかし,知識に利己主義を加えると,災におわります。バラムはモアブに行かないように教えられました。彼は,イスラエルをのろうことができないのを知つていたのです。しかしモアブの王が,わりのよい話を持ち出したので,バラムはこの問題についてもう一度ヱホバに尋ねました。謝礼金のことが,いつも利己的な彼の心の中にあつたのです。そしてモアブに行きましたが,その途中で彼は,彼の乗つていたろばほどの分別さえ持つていないことを示しました。そしてついに死という災を自分の身に受けたのです。―民数 22:12-35; 31:8。

      14 知識に不従順がくわわるとそれも災におわります。列王紀略上 13章は,ユダから来た神の人のことを述べています。彼は,ベテルという場所で食べたり飲んだりすることを神に禁じられていたのを知つていました。しかしある人がやつて来て,神が言われたことと違うことを彼に告げた時,彼は愚かにもその偽りの知識を受けいれました。そして不従順にも,その禁じられた場所で食い飲みをしたため,ヱホバは彼をライオンに渡して彼を処刑されました。彼は罪の価を払つたのです。

      15 知識に意識的に反抗することに関して,パウロはどんな警告を与えていますか。

      15 今日でも,正確な知識に反する罪は災におわります。『もしわたしたちが,真理の知識を受けたのちにもなお,ことさら罪を犯しつづけるなら,罪のためのいけにえは,もはやあり得ない。ただ,さばきと,逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを,恐れつつ待つことだけがある。』(ヘブル 10:26,27)ヱホバは,私たちが得ることのできる知識を使い,またそれを古い世の道に後もどりするのを防ぐ防禦とするよう期待されます。―ペテロ後 2:20,新口。

      16 人が誤りを犯す時,どのようにヱホバのゆるしを得ることができますか。

      16 これは間違いが決しておきないということではありません。しかしこれらの誤りは正確な知識に反して,意識的になされるものではありません。これらは,私たちが受けついだ不完全性と,恐らく知識の不足に原因する罪です。誰かこの不完全性のために失敗するならば,その人はただちに天の御父の前に行いをあらためるよう努力すべきです。ヱホバは私たちにあわれみを与えられます。私たちは,ヨハネ第一書 1章8,9節からなぐさめを得て神に行き,ゆるしを願うべきです。『もし,罪がないと言うなら,それは自分を欺くことであつて,真理はわたしたちのうちにない。もし,わたしたちが自分の罪を告白するならば,神は真実で正しいかたであるから,その罪をゆるし,すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。』ヱホバはあわれみぶかい方であるというこの正確な知識は,私たちがヱホバへの奉仕を継続するにあたつて,意気銷沈しないように防禦となり,

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