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ヘテ人とはだれかものみの塔 1971 | 9月15日
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ヘテ人とはだれか
ヘテ人(ヒッタイト人)は,人類史をまさに最初にまでさかのぼってしるしている古代の本の中で,その実体が明らかにされている。その本,つまり聖書は,彼らがノアの曾孫ヘテの子孫であることを示している。ヘテはカナンのむすこであり,ハムの孫なので,ヘテ人はカナン人に属していた。―創世 10:1,6,15。
族長アブラハムが西暦前1943年にカナンに移る以前でさえ,ヘテ人はそこにかなり定着していた。彼らはパレスチナ南部,もっと正確に言えば,ヘブロンとその周辺の山岳地方に住んでいたことが知られている。(創世 15:18-20; 23:2-20)何世紀も後,彼らは依然として山岳地方に住んでいたことが判明しているが,その領土がどこまでだったか,聖書の中には正確にしるされていない。―民数 13:29。ヨシュア 11:3。
カナン人の中でも,ヘテ人だけが,イスラエルによる征服後相当の期間一国家として重要な位置と勢力を保った。(列王上 10:29)聖書には,後代のイスラエルのヨラム王(西暦前917-905頃)の治世に至るまで,ヘテ人が歴代の王をいただき,軍事力を保持していたことがしるされている。(列王下 7:6)しかし,その土地はシリア人,アッシリア人,バビロニア人によって征服され,その勢力は粉砕されたようである。
古代においてヘテ人が傑出していたことを考えて,考古学上の発掘により,さらに詳細な点が判明したのではないかと期待する人もいる。数多くの参考文献は事実がそうであること,および,考古学は実際のところ,ヘテ人の存在に関する聖書の証言を立証したことを示している。このことから次の疑問が起こる。そうした考古学的証拠は信頼できる土台に基づいているのだろうか,それとも疑わしいものであろうか。
アッシリア楔形文字でしるされた刻文の中で「ハッティ」に言及しているものは,その居住地をシリアかパレスチナとしており,したがってそれは聖書中のヘテ人を暗にさしていると考えられよう。しかしながら,「ハッティ」の名称に基づいて,ある学者たちはアッシリア楔形文字の刻文の示す範囲を越えて,聖書中に記録されているヘテ人を,カナンの土地からはるか北西の小アジアに首都を持っていた帝国と結びつけようと試みてきた。
その帝国の首都と考えられている遺跡ボガズキョイ(以前はハットウシャシュと呼ばれていた)から多くの古代文書が発掘された。「ハットウシャシュ」と「ハッティ」ということばの音が類似していることからして,一部の学者は,ボガズキョイで発見されたある刻文の言語を「ハティク」語あるいは「ヒッタイト」語と呼んでいる。その地域の初期居住者は別の言語を携えて来た征服者によって侵略されたとするのが現代の学説である。この言語は楔形文字を用いるものであった。後日,象形文字を用いる他の言語がこの楔形文字に取って替わった。これら三つの異なった言語は,三つの民族グループを表わすものと考えられている。
しかし,それらのグループのどれが聖書中のヘテ人であるかを明らかにする確かな方法は確立されていない。この点を明らかにすることがいかに困難かを認めて,歴史家E・A・スパイザーはこう述べている。「聖書に出てくるヘテ人の問題は…複雑である。まず,どの聖句においても,どの類型のヘテ人をさすかという問題が関係している。つまり,ハッティ人か,楔形文字の記録に出てくるインド・ヨーロッパ族のヒッタイト人か,あるいは象形文字を用いたヒッタイト人かという問題である」。―「ユダヤ民族の世界史」1964年版第1巻,160ページ。
さらに,ボガズキョイで発見された楔形文字の刻文そのものは一つとして,その言語を「ヒッタイト」とは述べていないということも注目に値する。ヒッタイトに関する見解はある学者たちが下した結論にすぎないのである。そして,「ヒッタイト」語の象形文字の刻文に関して,I・J・エ・ゲルブはこう述べている。「ヒッタイト語の象形文字の始まりは依然としてかなり不明瞭である。しかしすべてのしるしは,そのエーゲ文明の存在した地域を発祥地としてさし示している」。(「文字の研究」1952年,83ページ)エーゲ海は,小アジアとギリシアの間に位置している。このことはその発祥地を聖書のヘテ人の領域から引き離すように思われる。
前述のことからして,聖書のヘテ人を,首都としてハットウシャシュを有していた「ヒッタイト帝国」と同一視するだけの根拠は不十分であることがわかる。「ヒッタイト」と「ハットウシャシュ」の名前が類似していることも,この二つを同一視し得る強力な根拠とはほとんどなり得ない。
しかしながら,聖書以外の資料がある点で問題を明らかにする根拠を提出しないからといって,気にかける必要はない。考古学上の発見物はしばしば種々の解釈がつきまとう以上,それは,聖書に対する信仰の確かな土台ではない。聖書そのものの中に,それが真理の本であることの十分の証拠がある。聖書を読めば聖書の数多くの預言とその成就はもとより,日常生活に対する助言に認められる知恵とその実際性,また記述に見られる正直さと調和に気づかざるを得ない。
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さわやかにするものを彼女はどこに見いだしているかものみの塔 1971 | 9月15日
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さわやかにするものを彼女はどこに見いだしているか
アメリカのコモンウィール誌の最近号に,一女性から“編集者へ”として,寄せられた次のような手紙が掲載された。「増加する健全な教会の一例としてエホバの証人についてはどうでしょうか。その会員の80%はかつてカトリック教徒だったと言われています。
「証人たちの成功のひけつの多くは,その地味な出版物,「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌を読めばわかります。前者は聖書を研究し論ずる雑誌で,後者は一般的な話題を扱っています。
「多少古めかしい割り付けで安い紙を使用したそれらの雑誌を読むと,わたしはさわやかな気分になり鼓舞され,もう一度そでをまくって生活(わたしの場合,7人のむすことふたりの娘を育てています)に取り組む気概を感じさせられるのはなぜでしょうか。
「あるカトリック系の出版物を読むと,疲労を感じ,ゆううつになり,宗教のことがいささかうんざりするのはなぜでしょうか。何人かの執筆者が浅薄な考えを包んだ,もつれたくもの巣のような学問的なことばの文章を苦労して読んだあとでは,家のまわりのなにか有用な仕事にその精力を使ったほうがよかったと感じさせられるだけです。
「その答えはマタイ伝 18章にあると思います。そこには,『もし汝ら翻へりて幼児の如くならずば,天国に入るを得じ』と書かれています。
「証人たちの雑誌の無名の筆者たちは簡潔明りょうな記事を書いています。その目的は福音の良いことばを分け合い,彼らの知恵の源を尋ねるよう読者を励ますことです。その雑誌は人を鼓舞し,教え,慰め,また人のことを気にしません。
「わたし自身はエホバの証人ではありませんが,カトリックの人々がキリストにある仲間の信者を直視して,それら信者のうちに少しでも美徳を認めはじめるようになったということはたいせつな事柄です」。
それはイエスご自身が次のようにいわれたとおりです。「あなたがた,苦労し,かつ重荷を負わされているものはみな,わたしのもとに来なさい。…あなたがたは自分の魂を元気づけるものを見いだすでしょう。わたしのくびきは思いやりがあり,わたしの荷は軽いからです」― マタイ 11:28-30,新。
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読者からの質問ものみの塔 1971 | 9月15日
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読者からの質問
● エペソ書 4章6節(新)によれば,神は「すべての上に,すべてを通して,すべてのうちに」おられる,とありますが,どんな意味でそう言えるのですか。―アメリカの一読者より
文脈を調べてみると,ここで使徒パウロはクリスチャン会衆あてにこの書簡を書いており,それらクリスチャン
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