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  • 幸福になるためには,交わりに注意しなければならない
    ものみの塔 1979 | 4月1日
    • のよう。それゆえに,邪まな者たちは裁きにおいて立ち上がることがなく,罪人たちも義なる者たちの集会で[立ち上がることは]ない。エホバは義なる者たちの道を見ておられ,邪まな者たちの道,それは滅びるのである」― 詩 1:4-6,新。

      それゆえ,邪悪な者たちは,唐箕にかけられているときのもみがらよりも不安定です。もみがらは,より堅い穀粒が地面に落ちる間に,吹き払われます。同様に,義人は残りますが,邪悪な者は無価値なもみがらのように吹き払われます。裁きのときに,邪悪な者は有罪とされ,決して是認された者として立つことはないでしょう。義人たちの間に彼らの場所はありません。罪人と考えられている人々が,義なる者たちの集会にいるふりをすることなどできないでしょう。

      邪悪な者がエホバ神の前に是認された者として立つことができず,方正な者たちと一緒に数えられないのは,全能者が「義なる者たちの道」をご存じだからです。そうです。神は,義なる者たちの歩む道を認められ,それに応じて,彼らに報いを与えられます。それゆえ,義人の道は永久に残りますが,邪悪な者たちの道は消え失せてしまいます。邪悪な人々は滅びるので,そうした人々の歩む道もそれらの人々と共に終わります。

      確かに詩篇一篇は,わたしたちが至高者への真の愛を持たない人々との親しい交わりを避け,神の律法に喜びを見いだすようにとの暖かい励ましを与えるものです。この道を歩むなら,エホバ神の忠節なしもべとして,ほんの数年だけでなく,永遠にわたって幸福でいられるのです。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1979 | 4月1日
    • 読者からの質問

      ● 宗教上の理由でエホバの証人がYMCA(キリスト教青年会)の会員にならないというのは本当ですか。

      その通りです。YMCAそれ自体は教会ではありませんが,信仰合同の促進に努める点でキリスト教世界の宗教組織と確かに軌を一にしており,わたしたちは長い間その事を認識してきました。

      1885年9月に「ものみの塔」誌はこの立場をとっています。

      「YMCAで行なわれている聖書教育にとって悲しむべきことであるが,YMCAはその後援者である派閥的な人々に全く牛耳られている。無宗派を標ぼうし,聖書以外のいかなる信経にも支配されないと唱えてはいるものの,YMCAは他の組織よりもいっそう教条に縛られている。広く受け入れられているすべての教条に束縛されているからである」― 6ページ。

      その後,YMCAの根底にある宗教的な目的と信仰合同促進運動のことは,エホバの証人の集会のひとつで用いられる「王国奉仕」の1964年10月号にも取り上げられています。

      多くの人は,YMCAを,水泳プール,体育施設,クラブの会合場所などのサービスを提供する単なる社交的組織と考えています。これら施設の供与は良いことであるにせよ,YMCAが明確な宗教的綱領にのっとって設立されている点を念頭におくのは大切です。このことは1855年,パリの世界同盟で明白に打ち出されています。その公式声明(パリ綱領と呼ばれる)の本文に次のように述べられています。

      「キリスト教青年会は,イエス・キリストを自分たちの神および救い主とみなし,聖書に従って信仰および生活の両面でキリストの弟子となることを望む青年の団結および青年の間にキリストの王国を拡張する努力の糾合を目的とする」。(下線は発行者)

      ある国々では教会がYMCAの主要な財源となっている訳ではなく,会員の門戸はすべての人種,国籍,宗教の人に開放されていますが,それでもYMCAの基本的な宗教目的を無視することはできません。

      「しかし宗教あるいは信仰合同が実際にYMCAの一面となっているだろうか」といぶかる誠実な人もいることでしょう。その答えは確かに「はい」です。ある国のYMCAは宗教面に重きを置かないかもしれませんが,各地のYMCAはすべて,依然としてパリ綱領に従うことを期待されているのです。さらに1975年にYMCAから出された,「クリスチャン・アンド・オープン」と題する出版物中の論評にも注意してください。

      YMCA世界同盟最高執行委員会のアンザ・A・レマは次のように書いています。

      「創立当初よりこの組織は聖書に霊感と導きを常に求めてきた。世界におけるその役割は,多くの面で,会衆そのものを標ぼうすることなく教会の役割を補足することに向けられてきた。……

      「しかしこの組織は,クリスチャンが社会に奉仕しながら道徳上の理想と教えを実践する単なる手段以上のものである。YMCAの支持者の大多数は,イエス・キリストを通しての真の交友が体験される場としてYMCAを見ている。……

      「謙そんになり,その機構と奉仕活動を地域社会にいっそう直結させることにおいて,この組織は隣人に対する奉仕と聖職の役割をいっそう効果的に果たすことになるであろう……」。

      ドイツYMCA全国協議会のマサイアス・ダネンマン事務総長は次のように述べています。

      「その初めからYMCAがクリスチャンのみを会員とすることを意図したことは疑いない。他方,イエス・キリストへの信仰をまだ表明していない会員に対しては,布教の義務があった。……

      「YMCAは大きな企てである。しかしイエス・キリストが生ける救い主としてその中に働いている時に初めてそう言える。我々はこの主を追い出さないように最善を尽くすべきだ。キリストに属する者として歩む時,我々はYMCA内部においてキリストを見いだし,かつこの可能性を絶えず他の人々に差し伸べるあらゆる機会を個人的に用いるべきである」。

      組織の役員は,YMCAの宗教指向にいっそう注意を向ける必要のあることを感じていると指摘しています。スイス・ジュネーブのYMCA世界同盟において1952年から1962年まで事務総長であったパウロ・M・リンバート博士は次のように書いています。

      「クリスチャン同士のこれら打ち解けた触れ合いの中には信仰合同を図る教育の機会が本来存在しているが,この機会を十分に活用しているYMCAがほとんど無いことは容易に認められるであろう。……

      「青年や大人の間で様々な方式や信条に関して疑問が生ずる時,賢明な指導者はその機会を利用して討論を皮相的な論議から意味深い対話へと導く。……

      教会およびYMCAの指導者は,クリスチャン一般信徒による世界教会運動の本質をいっそう明白に認識する必要がある。キリスト教青年会は教会ではなく,教会に代わるものでもない。……しかし1959年に英国教会協議会の信仰および儀式に関する委員会は,慎重に言葉を選んだ声明文の中で,YMCAが教会の“貴重な補助団体”であり,独自の宣教活動を行なう機関であると言明した」― 1964年6月10日号「ザ・クリスチャン・センチュリー」。

      また「ザ・クリスチャン・センチュリー」の1969年8月29日号は,「YMCA,誕生日おめでとう」の記事の中で次のように述べていました。

      「YMCAがキリスト教のものであるという事は,多くの場合,水泳プールの中に没してしまっていた。それを悟っているYMCAの指導者は神学的自覚と世界教会運動への熱意を回復させることに携わっている。……YMCAにとっておそらく最大の挑戦は,地域社会の一般信徒の間に新しい世界教会主義の主張を活発に繰り広げるという宗教的伝統を取り戻すことであろう。YMCAは,キリスト教の諸教会が教区の硬直さの中でみずからはなし得ない事柄を行なうことができるかもしれない」。

      ゆえにYMCAが宗教上の目的をもって創設され,今日に至るまで同じ目的を引き続き有している事を示す証拠は沢山あります。

      会員となってYMCAに加入するに際して,人はこの組織の全体的な目的と根本方針を受け入れる,つまり是認することになります。その人は,店でだれにでも売られている品物を買う時のように,自分の入手するものに対して単なる支払いをしているのではありません。(コリント第一 8:10; 10:25と比べてください。)また会員の地位は,芝居の切符を買う場合などとは異なっており,単なる入場券ではありません。会員であることは,信仰合同の促進をも含め,明確な宗教目的をもって設立されているこの組織の肝要な一部となることを意味します。ゆえにエホバの証人である人が,このようないわゆる“キリスト教”団体の会員になることは背教も同然と言えるでしょう。

      中には会員とならずに,その時だけの入場料を支払い,この入場料を,利用できる商業的サービスに対する単なる支払いとみなした人も時折いました。この点においてさえ,こうした行ないが他の人の良心に悪い影響を及ぼすことにならないか,と考えるのは賢明なことです。―コリント第一 8:11-13。

      もちろん,エホバの証人は適量の運動が健康に良いことを認めています。聖書には「身体の訓練は少しの事には益があります」と述べられていますが,「敬神の専念はすべての事に益がある」という言葉もつけ加えています。(テモテ第一 4:8)これは三位一体の神への専念のことではありません。キリスト教世界の多くの教会で教えられ,またYMCAのパリ綱領に今なお含まれているような,イエスを三位一体の“神”とする教えは聖書にはありません。―コリント第一 11:3。ヨハネ 17:3。

      信仰合同を目ざす努力や世界教会運動は今日,人気がありますが,真の神に支持されるものではありません。真の神はご自身のしもべに告げてこう言われました,「不つりあいにも不信者とくびきを共にしてはなりません……『それゆえ,彼らの中から出て,離れよ』」。(コリント第二 6:14-17)またイエスの明白な言葉によれば,全能者の崇拝は「霊と真理をもって」しなければなりません。(ヨハネ 4:24)この言葉から至極明らかなように,聖書の教えに反する考えを持つ人と宗教的な信条を同じくすることはできません。(啓示 18:4,5)それで,神が真の崇拝者に期待される事柄を理解し,またYMCAの目的と方向の何かを理解しているゆえに,エホバの証人はこの組織の会員にならないのです。

      そのうえ,YMCAの存在の全期間を通じて,それが事実上イザヤ書 2章2-4節の精神に一致した行動をしてこなかったことに注目するのは良いことです。それは以下に挙げる歴史の事実からうかがい知ることができます。

      「軍隊に対するYMCAの奉仕活動は,米国においては南北戦争の時に始められ,それ以後すべての戦争に際して引き続き行なわれた」― ブリタニカ百科事典,ミクロペディア,1976年版第10巻835ページ。

      「ボストンに創立されてわずか10年後,そして建物も秘書も財源もなかった南北戦争の時に,合計4,859人の“代表者”が集められ,配置された。また600万ドルを超える寄付が兵士たちの現世的また霊的必要を満たすために用いられた。……第一次大戦の際に米国YMCAは本国および海外において2万5,926人の人員と1億6,700万ドル以上の経費を要した奉仕活動の重い責任を担った。第二次世界大戦に際してYMCAは,合同奉仕団体[USO]を創設した組織のひとつとなった。すなわち連邦政府との協定に基づき,軍人のため,ならびに軍事施設に隣接する地域の軍需工場で働く人々のために民間の娯楽,福祉ならびに宗教的礼拝を提供する,プロテスタント,カトリック,ユダヤ教の民間宗教団体のグループとして参加したのである」― ファンクとワグノールズの新百科事典,1952年版第36巻13,467,13,468ページ。

      「軍隊の成員のためのYMCA活動は南北戦争(1861–1865年)の時に始められた。これらの奉仕活動はその後,戦争の度ごとに拡大され,第二次世界大戦(1939–1945年)中に最も盛んに行なわれた。YMCAは連合国軍隊のために450以上のクラブを維持していた」― ワールドブック百科事典1978年版第21巻477ページ。

      “キリスト教”の名の下にこの種類の奉仕を行なうことは,確かにミカ書 4章3節を成就するものではありませんでした。

  • 今生きている大勢の人々は決して死にません
    ものみの塔 1979 | 4月1日
    • 今生きている大勢の人々は決して死にません

      これはいいかげんな主張ではありません。このことを信ずる確かな根拠があります。

      「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の各号は,聖書に基づくこの根拠について説明しています。購読費2,600円をお送りくだされば,毎月「ものみの塔」誌を二冊,「目ざめよ!」誌を二冊,一年間郵送いたします。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 5-138022番)にお申し込みください。

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