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自己過信に警戒しなさいものみの塔 1969 | 9月1日
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な敵軍に対し,イスラエルの王に勝利を与えられました。―列王上 20:1-21。
クリスチャンの使徒ペテロも,過信のゆえににがい経験をしました。イエスは裏切られる晩に,忠実な11人の使徒たちに向かって,「今宵なんぢら皆われに就きて躓かん」と言われました。しかしペテロは自信満々の態度で,「たとひみな汝に就きて躓くとも我はいつまでも躓かじ……我なんぢと共に死ぬべき事ありとも汝を否まず」と言いました。ペテロの過信は悲嘆に終わりました。ほどなくして彼は自分の師を3度もいなみました。―マタイ 26:31-35,69-75。
過信はたしかに警戒しなければならないものです。将来は常に不確実であるというだけでなく,過信そのものが人をして判断を誤まらせ,痛恨を残すことになります。ですから使徒パウロは,古代のイスラエル人が犯した重大な誤りの例をあげたのち,さらにことばをつづけて,これらのことは,「鑑となれり,かつ末の世に遭へる我らの訓戒のために録されたり」と述べています。―コリント前 10:5-12。
知恵は,将来を過信するどころか,「エホバのみ心ならば,わたしたちは生きて,この事あるいはあの事をしよう」と言え,とわたしたちに命じます。―ヤコブ 4:15,新。箴言 3:6。
あなたは新しい任務か,仕事か,または割り当てを果たす立場にありますか。では,「このくらいのことは朝めしまえだ」とか,経験者よりずっとよいやりかたを知っているといった自己過信に陥らないように注意が肝要です。「謙だる者に智慧あり」とはたしかに真の箴言です。それでへりくだるように心がけましょう。―箴言 11:2。
若い人たちはとくに過信というわなに気をつけねばなりません。彼らはある程度の知識は得るでしょう。しかしそれを常に応用することができますか。若い人は自動車を運転したがります。しかしどれほどの判断力がありますか。またむやみに結婚したがるのも,一部は過信に原因があるかもしれません。彼らの多くは,結婚に伴う義務や責任を軽く見ます。感情的に未熟であれば,その傾向はいっそう強くなります。十代で結婚する者のうち二人にひとりが離婚に終わるのも不思議ではありません。
とりわけ神のことばを演壇から公に伝える場合,過信は禁物です。過信している人は十分の準備をしません。結果としてその講演者の話は,おもしろいけれども具体性に欠けた,不正確なものになるおそれがあります。とりわけ「弁才にたけた」ひとはよく注意し,講演は聴衆を楽しませるだけでなく,聴衆の徳を高めるためのものであることを心得ておかねばなりません。使徒パウロはこの点でよい手本を残しています。彼は,福音を語るべきときに,はばかることなく語り得るよう祈ってほしいと兄弟たちに頼んでいます。―エペソ 6:18-20。
過信ということが,いつの場合でも思慮のない行為であることは,疑問の余地がありません。注意深く,謙そんで,エホバ神に助けを求めることは知恵の道です。これは,いままで検討してきたとおり,一般の歴史と聖書の歴史が証明するところです。
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感謝の手紙ものみの塔 1969 | 9月1日
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感謝の手紙
● アメリカのフロリダ州にあるエホバの証人の会衆は,つぎのような心暖まる,また励ましとなる手紙を受けとりました。
「以前,わたくしの家に立ち寄り,すばらしい出版物をいく冊か置いていってくださった,あなたがたの御親切にお礼を申し上げなくてはなりません。あなたがたが,よい事のために惜しみなく時間をささげておられることは,今の世にまったくまれなことです。
「しかしながら,あなたがたの良いわざが引き続き行なわれるために,わたしたちのような時間をささげることのできない者も何かの方法でお手伝いしなくてはいけないと強く感じています。それで,ここに同封いたしましたわずかばかりの寄付金を,わたくしのこころからの気持ちとともにお受け取り下さい。
「特にS ― K嬢には,わたくしが定期的に『ものみの塔』誌を受け取るようにはからってくださったことを心から感謝しているとお伝えください」。
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