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  • 若い時代に将来の土台を築く
    ものみの塔 1971 | 12月1日
    • 若い時代に将来の土台を築く

      若い人々が知りたいと願っている有益な事実

      あなたは,あるいははたち前の若いかたですか。では,あなたは人生の非常に重要な,しかもたいへんむずかしい時期を経ておられるのです。どうしてそう言えますか。

      なぜなら,将来どんな男性,あるいは女性になるか,その下準備をしているからです。経験からすでにおわかりのように,今日あなたがする事は,あすの生活に影響します。もし,今日友だちとけんかをするとすれば,あすは仲直りするか,さもなければ,友だちとのみぞは深まります。今日よく勉強すれば,あすの授業はいっそうやさしくなります。

      しかし,考えたり,話したり,行なったりする事柄は,あすの生活がどうなるかという以上の影響を及ぼします。それは翌週,翌月,何年,または何十年後にさえ及ぶ影響をもたらすのです。それはぬぐい去りがたい傷痕を残す場合もあれば,実りの多い,満ちたりた幸福な人生のための強固な土台を築くのに貢献する場合もあります。あなたが望んでおられるのは後者ですか。

      中には,愚かな冒険をして重大な事故を招き,すでにびっこになったり,失明したり,つんぼになったりしている若者がいます。また,麻薬中毒にかかり,以来,その生活は費用のかかる習慣を続けるために消耗戦同様の生活をする人もいれば,またある人は性病にかかり,病気の進行をくい止めるまもなく,回復できないほどにからだの一部を冒され弱わる人もいます。中には,若い身そらで妊娠して,私生子という重荷を負う少女もいます。こういうことを考えるのは不快な話ですが,ご承知のとおり,それは現実に起きているのです。そうした事態のどれかが,あなたにも起こるでしょうか。それは,あなたが将来の土台をどのように賢明に築くかによります。

      しかし,「あとでどうなろうとかまうものか。ほんとうに意味があるのは若い時だけなんだ。あとはどうでもいいんだ」と言う人がいます。ほんとうにそうでしょうか。

      いいえ,そうではありません。青年時代は人生の頂点どころか,単なる過渡期にすぎません。たとえば,からだが完全に成熟するのは20歳から23歳のあいだです。感情面で円熟するにはさらに時間がかかります。ですから,依然将来のための備えをする「中間的」な時期にある以上,どうして青年時代を行きづまりか何かのようにみなすのですか。

      確かにあなたはもはや子どもではありません。しかし,まだおとなでもないのです。身体,精神また感情面であなたにはさまざまの変化が起きています。そうした変化のいくつかに気づいて,混乱したり当惑したり,自分自身に不安を感じたりする場合があります。自分の内部に新たな衝動を感じ,それをどのように賢明に制御すべきか当惑するかもしれません。でも,そうした変化や衝動を理解すれば,それに順応し,対処し,また,そうすることに満足を見いだすことができます。これはすべて一個人,一個の独自の人,すなわちあなたが形成される過程なのです。

      ですから,青年時代はまさに挑戦の時代です。そうした挑戦に応じる仕方によって,あなたがどのような人間になるかが大きく左右されます。そして,青年時代は一度経過したなら,永遠にもどらないことを忘れないでください。青年時代が差し伸べる,将来の土台を築く機会をどうしてむだにするのですか。

      今日の若者はふつう,多くの時間を使って知識を身につけたり,場合によっては,仕事を学んだり技術を習得したりすることさえできます。しかし年長の人々が行なってきたことや,現在行なっている事柄を観察したり,考えたりしたうえで,同様の職業や仕事につくこともできます。そうです,青年時代には,まず人生とはいったいどんなものかを洞察できます。他の人々の知恵から益を得るだけでなく,多くの人の愚かなあやまちを避けるため,さまざまな進路がそれぞれもたらした結果を考慮でき,自分自身の人生の目標を定めることができるのです。

      このすべてを自分ひとりで行なえますか。そうしてみるのは意味のあることですか。答える前に次のことを考えてください。

      もしあなたが少年であれば,他の人,つまり機械の分野で経験を積んだ人から機械についてまず最初に学ぶこともせずに,ひとりで自動車のエンジンを組み立ててみようとするでしょうか。あるいは少女であれば,型紙を使わずに,裁縫について何も読んだこともなく,だれかが縫っているのを見たことさえもなくて,イブニングドレスを作ってみようとするでしょうか。そんなことはしません。では,人間の生活は自動車のエンジンやイブニングドレスよりもはるかに複雑なものであることを忘れないでください。

      わたしたちはすべて他の人々の知識と経験に依存しています。これは生活上の純然たる事実です。しかし,それには,意志の疎通を図ることが必要です。そうしなければ,他の人々からそうした知識や経験を引き出すわけにはゆきません。あなたは意志の疎通を図っていますか。だれとですか。知識と経験のある人々とですか。あなたの親とですか。

      おそらくあなたは身のまわりの世界を見まわして,不快に感じることでしょう。犯罪,不正,戦争,貪欲,うそ,欺き,偽善などを見聞きします。「年長の人たちがこんなにへまをやっているのに,なぜそうした人たちと話す必要があるのだろうか。彼らから何を学べるというのだろう」と言う人がいるかもしれません。確かに年長の人々の多くは,そうした事柄に携わっているゆえに,あるいは自分たちが責任を負っている体制を支持したり是認したりしているゆえに,そうした失敗に対して罪を負っています。

      しかし,年長の人々の多くが,目にする悪にあなたと同様嫌悪を感じていることを静かに考えたことがありますか。それに,世界の諸問題すべてが,必ずしもあなたの親の世代に始まったわけではないのです。このことも認めてください。事態は,特に1914年以来,いまや半世紀余にわたって急速に悪化の一途をたどってきました。したがって現在年配の人々は当時ちょうどあなたと同じ年ごろの若者だったのです。

      であれば,なぜ親からできるだけ多くを学ぼうとしないのですか。つまり,あなたはどうしてこれまで生きてこれたのでしょうか。親はあなたを愛し,あなたに関心を持つがゆえに,着るものや食べものをあなたに与え,あなたを清潔にし,病気のときにはあなたの看病をしたのです。親があなたのためにどれほどの時間やお金,また努力を費やしたかははかり知れません。そのうえ,火や熱湯,刃物,電気のソケット,毒物などの危険や,往来が危険なことをだれから学びましたか。もしそうした事柄を親から学ばなかったなら,あなたは今日ここにそのようなりっぱなからだで存在しうるでしょうか。では,あなたと現在のあなたの幸福に対する親の誠実な関心をなぜ今になって疑うのですか。

      もちろん,おわかりのように,年を取って経験を積んだからといって,それだけで人生の諸問題に対する答えすべてが得られるわけではありません。さもなければ,どこでも事情は悪化するどころか,もっと良くなっているはずです。では,頼りうる情報と指導を供するもっと高い源がありますか。確かにあります。その源はあなたの創造者であられるエホバ神です。エホバは,人間の疑問に答え,知恵をもって人間を導くため,そのみことばである聖書を人類にお与えになりました。しかも聖書は,あなたの希望をおびただしい危険や問題で地球を満たした衰えつつある現在の体制に向けさせるのではなく,はるかにすぐれたものを提供する新しい体制をさし示しています。―ペテロ前 3:13。黙示 21:1-4。

      あるいはあなたは聖書を一度も読んだことがないかもしれません。聖書にある情報を得たところで,自分のかかえている問題や疑問がほんとうに解決できるのだろうかと思うかもしれません。それは聖書を調べてみなければ決してわかりません。そればかりか,聖書には最もすぐれた助言があっても,あなたがそれを実生活に適用するよう努力しなければ,それは少しもあなたの益にはなりません。

      今読んでおられるこの雑誌の発行者は,若い人々が今日直面している挑戦を理解しています。それゆえ,今後何か月かにわたって,若い人々のための特別な記事を本誌に掲載し,若い人々が尋ねる疑問や,他の人々が答えを得ないままいだいているような疑問の多くに答えるよう努力します。そうした記事を毎号とはいかないまでも,少なくとも毎月一度は掲載したいと考えています。ですから,そうした記事を見つけて読んでください。あなたが直面している挑戦に対処し,生きがいのある幸福な将来の土台を築く上で,神のことば聖書がどのように役だつかを知ってください。

  • 若い時代に創造者を覚える
    ものみの塔 1971 | 12月1日
    • 若い時代に創造者を覚える

      アレック・バングルの経験

      ものみの塔協会の指示のもとになされる全時間開拓奉仕の申込書を受け取ったわたしは,その中の一つの質問を読んで思案させられました。それは,扶養すべき人がいるかどうかという質問でした。その質問に対する答えを記入する前に,わたしは母に尋ねました。というのは,わたしは母をいくらか助けていたからです。母はしあわせそうにほほえみを浮かべながら次のように言いました。

      「おまえはわたしが神の真理を知るようになってから生まれた初めての子どもです。だからわたしは,自分のむす子をエホバにささげた,サムエルの母親のような気持ちでいます。ですから,行って,おまえの時間と力と精力をエホバにささげなさい。おまえが若い時代の今そうしてくれることはわたしにとっては喜びなのです。わたしのことはエホバが顧みてくださるでしょう」。

      忠実で働き者の母のこうした励ましのことばは意を決するのに十分でした。母がエホバに対していだいている強い信仰と確信のほどを知ったわたしの目からは涙が流れました。わたしはちゅうちょせず,すぐに質問に対する答えを記入して,申込書を送り,それは受理されました。

      こうして世俗の仕事をやめたわたしは,1940年6月,21歳でニューヨーク市に行き,開拓奉仕者,すなわち神の王国の全時間布告者としての生がいを踏み出しました。母は,1965年になくなる日まで十分顧みられました。

      年長の人たちの模範に助けられる

      わたしの父母は1917年から1918年

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