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  • あなたは車を運転できるほど大人になっていますか
    目ざめよ! 1979 | 2月22日
    • あなたは車を運転できるほど大人になっていますか

      父親から息子への話

      「車を運転できるようになることはお前の長い間の夢だったね。しかしいやしくも自分が価値を認めたものであれば,それを手に入れるまで待つだけのことはあるだろう。車を持つことや運転することには大きな実用価値もあり,楽しみもある。それにはまた相当に重い責任が伴うのだよ」。

      車について

      「覚えているだろう。何年か前にお前は周囲の男の子が皆持っているというので銃を欲しがった。火器の扱いには危険が伴うことをわたしたちは話し合ったね。そしてその時お前はそれが心配だったから銃を持たないほうが良いということに決めた。ところで,車を持ったり,運転することをやめるようにお前を説得するつもりはないが,しかしそのことには安全を期してもらいたい。それは自分のためであり,人のためでもある。

      「銃は引き金を引いた時にエネルギーが放出されるので危険だった。銃の中で放出されるエネルギーを制御する唯一の方法は,銃口をどこに向けるかに注意することだ。銃のエネルギーの源は密閉されたスペースで起こる爆発にある。ガス筒内で膨張した気体は逃げ場を見つけねばならず,最も抵抗の少ない所,つまり銃身に出口を見つける訳だ。

      「車のエンジンの場合も,気化された燃料を密閉されたスペースの中に閉じ込め,電気的に誘発された火花を,シリンダーの上部でピストンの上昇に合わせて散らす時,同様な爆発が起こる。膨張したガスは最も抵抗の少ない場所を求める結果,可動のピストンを押し下げ,下方に加えられたこの力はクランクシャフトによって円運動に変えられ,それが最後に車輪に伝えられるのだ。

      「それで鉛の弾丸を空中に発射する代わりに,次々と起こる爆発の力によって,お前の乗った自動車は道路を疾走するのだ。弾丸ほど速くないにせよ,無鉄砲に走っては困る。

      「車自体の操縦装置つまり“ミサイル”の方向を定めるハンドル,動力をつないだり,切ったりするクラッチ,力を増したり,減らしたりするスロットル,そして言うまでもなく車を停止させるブレーキについては以前に話し合ったね。安全運転を楽しむかどうかは,これら操縦装置の能率とコンディションに大きく依存している。走っている車は弾丸よりも危険なものになる場合があることを,決して忘れてはいけない」。

      ドライバーについて

      「安全で快適なドライブには,道路の状態,ドライバーの経験,技両,健康,態度,感情そして注意力など,他の要素も関係する。車だけでなくドライバーも制御されていることが必要なのだ。

      「いつか晩に見た映画を覚えているね。映画はこの事をよく示していた。ラリーや自動車競走のドライバーでさえ,わずかな量のアルコールで,運転能力が著しく低下してしまう。自動車競走やラリーの熟練したドライバーは,経験の浅い普通のドライバーと比べて,機械的操作を自動的に行なうことにはたけている。しかしそれでも非常事態には対処できなかった。映画の中のテストドライバーが,ガレージの奥の壁にみたてたものを突き破り,バックさせる時に横の壁にみたてたものに突き当たった時,また停止テストで停止線の標識を倒したのを見てわたしたちは笑わなかったかね。しかし標識が,道路横断中の本物の歩行者だったとすれば,わたしたちは笑っただろうか。

      「飲酒がこのような影響を及ぼすのはなぜだろうか。それは反応時間が遅くなるからだ。酒を飲むと緊張がゆるむ。緊張し過ぎるのも良くないが,しかしドライバーは十分に目ざめていることが必要であり,注意を怠ってはならない。車は高速で走っている。どうすべきかを考えている間にも車は動いている。ドライバーが反応している間にも,車はまだ先へ進んでいる。車が反応している間にも,それはまだ動いている。

      「生じ得るひとつの事態を考えてみよう。かなり静かな郊外の道路をドライブしている時,車の前方すぐ近くにボールが転がり出てきた。するとボールを追って小さな子供が飛び出してくる。ドライバーの頭と体は非常に複雑なコンピューターのように働かねばならない。目によって記録された情報は脳に伝えられ,すでに脳に蓄えられている事実と関連づけられる。子供,道路の状態,車の状態,車の性能,ドライバー自身の能力,とることのできる処置,生じうる結果などについてドライバーがすでに知っている事柄のすべてを考慮して決定を下さねばならない。

      「時速45キロで走っている場合,車はたった一秒間に13メートルも進むことになる。たった一秒間にだよ。ドライバーが疲れていたり,何かの影響で反応が鈍ると,反応時間は三倍にもなることがある。むろん,人によって反応の仕方は様々であり,車によっても反応の仕方が異なる。しかし,例えば時速90キロの高速では0.5秒が生死を分けることがあるのだ。

      「今までのところ,反応時間のことだけを話してきたが,ドライバーが,ある事態に反応してから車が停止するまでには,もっと長い時間がかかる。時速110キロぐらいのスピード,つまりここオーストラリアで多くの場合,高速道路における最高速度として定められている速度では,車が停止するまでに96メートルを要することがある。これは相当な距離だ。

      「しかし忘れてはいけない。ドライバーが疲れていたり,怒っていたり,病気や心配事があったり,あるいは酒や麻薬をのんでいたりした場合,さらには同乗者との話に熱中していたり,また何かの理由で判断力,反射反応,すばやい動作が鈍っていたりするならば,停止距離はもっと長くなる。

      「いいかい。ハンドルを握る時,お前は新しいおもちゃを手にしているのではない。お前は非常に危険な武器にもなる可能性のあるものを手にしているのだよ。それは賢明に使えば楽しいものだが,その事はドライバーであるお前と,お前の態度次第なのだ」。

      若さに伴う愚かさ

      「痴なること子の心の中に繋がる」。聖書の箴言 22章15節のこの言葉を覚えているね。われわれ“大人”の中にも車に乗ると“子供”のようになる人がある。若い人は車の性能を最大限ためしてみたいのだ。また彼らは自分の能力をためしてみたいのだ。しかも自分の行為がどんな結果になるかを見過ごす傾向がある。スリルや興奮を求めることは,それに伴う危険について判断を誤らせる結果になるし,経験の不足から,いっそう大きな注意の必要を見過ごすこともある。

      「若い人が陥りやすい落とし穴を避けるうえに役立つ聖書の原則を幾つか考えてみよう。

      1. 隣人愛。(マタイ 22:39。コリント第一 16:14)黄金律。(マタイ 7:12)車を運転している時,他の人が何をするかよりも,自分が何をしているかのほうが重要なのはなぜか。自分の運転の仕方は他の人々の生命と幸福,福祉と健康にどう影響するか。

      2. 生命の尊厳。(レビ 17:11。民数 35:33。使徒 15:29。詩 55:23)自分はドライブにスリルを求めているだろうか。タイヤが路面にきしる音が好きだろうか。自分のドライブは他の人の生命を危険にしていないだろうか。真のクリスチャンは生命を貴重なもの,エホバに属するものと見る。

      3. 「それでは,カエサルのものはカエサルに…返しなさい」。(マタイ 22:21。ローマ 13:1-4)それはカエサルの法律を知っているというだけの事ではない。聖書によれば,我々の態度はこの世の政府に対して尊敬を示すものでなければならない。これもまた態度の問題である。不慣れな道路を高速で走っている最中に,にわかに決定を下すことが自分にはできるとわたしたちは考えるだろうか。つまり路面や道路の状態を研究してから制限速度を決めた人々が間違っていて自分のほうが正しいと考えるだろうか。

      「カエサルの法律によれば,お前は車を運転できる年齢に達している。しかし車の運転には重い責任が伴うことを忘れてはいけない。交通事故で毎年,多くの人命が失われているのだよ。全世界では路上の事故で死ぬ人が毎年,およそ25万人もいる。1975年について見ると,米国で5万人,ドイツ連邦共和国およびフランスで1万6,000人,ここオーストラリアで3,689人となっている。

      「わたしたちは銃を危険なものと考えたね。火器の事故で命を失う人は比較的に少なく,米国で毎年1,300人,オーストラリアでは1975年に27人だけだった。

      「お前はこの責任を担う用意があるかね。もし自分自身と自分の車を常に制御できるならば,車を持つことには楽しみも実用価値もある。お前はどうかな。もしそうなら,お前は車を運転できるほど大人になっていると言えるのだよ」。

  • あるべきところに慰めを見いだす
    目ざめよ! 1979 | 2月22日
    • あるべきところに慰めを見いだす

      ある家を訪れた二人のエホバの証人は,家の人がうろたえているのを知りました。彼女は高額の小切手を紛失してしまったのです。証人たちは同情を示しました。そして自分たちは「慰めの神」を代表する者なので,聖書を持って来て頂き,その中の言葉を一緒に考えてはどうかと勧めました。証人たちはこの「慰めの神」にはお名前があること,また彼女の聖書の詩篇 83篇18節にそれが記されていると述べました。婦人がその聖句を開いた時,小切手が聖書から落ちたのです。彼女は大喜びし,聖書を学ぶことに同意し,研究は間もなく良い進歩を見せ始めました。

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