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私の人生を変えた悲惨な事故目ざめよ! 1981 | 8月8日
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の身に試みを招くようなことは努めて避け,麻薬を使っている者たちとは二度と交わらないよう注意しました。むしろ,絶えず励ましを与えてくれるエホバの証人と親しい交わりを保ちました。
別の障害
この時までに車いすの生活を1年ほど送っており,脚の切断部は義足を取り付けられる状態になっていました。私はおじけづきました。失敗することが恐ろしかったのです。そこで,車いすの生活を続けることにしました。
この時もエホバの証人が助けを差し伸べ,義足を使ってみるよう励ましてくれました。そうすれば自分のことはほとんど自分でできるようになり,エホバに対する奉仕も拡大できることをはっきり自覚するよう証人たちは助けてくれました。そこで試してみることにしました。長期間地面に近い高さで生活した後,こんなに高い所に立つのは本当に恐ろしいことでした。それに,何度も転びましたが,地面というものは実に硬いものです。
義足そのものは人間工学の驚嘆すべき偉業であると言えます。私の脚には膝がありませんでしたから,特別に膝の部分を作る必要がありました。動きやバランスのことを考えて,二つの膝はそれぞれ違った作りになっていました。
初めはとても戸惑い,必ず「間違った足を前に」出してしまいました。転んで立ち上がるのに費やす時間が大半を占めているような有様でした。しかし,あきらめずに辛抱強く努力したおかげで,今ではかなり自由に歩き回れます。
2本の義足はそれぞれ違った仕方で脚に「取り付け」られています。一方の脚は膝の近くまであるため,義足は切断部の先端の少し膨らんだ辺りにぴったり合うように注意深く作られています。
もう一方の脚はこの方法で取り付けるには短すぎるため,真空法と呼ばれる方法で義足を取り付けています。筒状のカバーを使って脚と義足をそっと合わせ,中の空気を抜くのです。こうすると,脚が義足に吸い付けられるようになります。義足を外したい時は,小さな栓を引き抜けば,空気が入り込んで簡単に外れます。
前途の輝かしい見込み
私はひすいに彫刻をする仕事を始めました。これは全く未経験の仕事でした。非常に魅力のある仕事で,今ではこれを楽しみながら行なっています。この仕事で生計を立てています。マオリ族の伝統的なデザインに現代的な感覚を加味すると,とてもすてきなペンダントができます。
今や,私の境遇は大きく変化しました。1975年の12月に,私はエホバの証人としてバプテスマを受けました。周囲には同じ信仰を持つ友人がいます。そして幸せなことに,そのうちの一人は私の妻となっています。私は自分の両足をもう一度十分に活用できる時を待ち望んでいます。神の新秩序でそうできる時を。(イザヤ 35:6)― 寄稿。
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「自分の好きなことをする」態度に伴う危険目ざめよ! 1981 | 8月8日
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「自分の好きなことをする」態度に伴う危険
最近の研究が示すところによると,多くの人の考えとは裏腹に,「自分の好きなことをする」態度は成人に達した今日の若い人々の間に見られる欲求不満や幻滅感を助長してきました。
“従来”の生活の仕方に従えば,若い人々はそれ以前の世代の歩みに多少なりとも倣って成長するものです。そうした人々は,どのような歩みをすればよいかについてかなりのことをわきまえています。米国ミシガン大学のアンガス・キャンベル教授は次のように説明しています。「しかし,自分の好きなことをする態度には多くの害が伴う。極めて不安定な状況を醸し出すからである。……この不安感が若い人々の間に多くのストレスと緊張を生み出してきたように思う」。同教授によると,それによって,「アルコール中毒,薬物の乱用,自殺,夫婦の不和といった」枚挙にいとまがないほどの「非建設的な結果」がもたらされています。
ある生活の仕方が表面上とても魅力的に思えても,予想もできないような危険の潜んでいることがあるのです。このことから老若を問わずわたしたちのすべてが学ぶことのできる教訓があります。聖書はそれを次のように言い表わしています。「人の前に廉潔な道があっても,死の道が後にその終わりとなる」。(箴 16:25,新)この諭しに進んで従い,他の人の経験を教訓とする人は,多くの心痛やつらい思いを味わわずに済みます。
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