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    ものみの塔 1963 | 1月15日
    • それは潤おった,楽しい,満足の状態です。この楽しいふんい気があってこそ,家庭生活は満足で安らぎのあるものとなり,神にほまれをもたらすものとなります。

      6 人間の家族は何に型どって作られましたか。

      6 ひとつのたとえとして,エホバ神は宇宙大家族のかしらであり,夫と呼ばれています。その事を知るのは益となるでしょう。エホバ神の妻すなわちこの大家族の母はこの宇宙組織内のすべての者の母であり,子供たちは神の忠実な民です。「なんぢを造り給へる者はなんぢの夫なり,その名は万軍のエホバ,なんぢを贖ひ給ふものはイスラエルの聖者なり,全世界の神と称へられ給ふべし」とイザヤは書いています。(イザヤ 54:5)人間の家族は,天にあるこの崇高な関係にかたどって作られたものです。エホバの御言葉である聖書に定められた家族生活の諸原則を守るとき,家庭生活は必らず幸福なものとなるでしょう。

      7 (イ)クリスチャンの父親には家族に対してどんな二通りの責任がありますか。(ロ)よい父親は家族をどのように見ますか。

      7 大いなる夫と呼ばれる創造主エホバはその家族内で責任の荷を負われます。してみれば人間の父親にリーダーシップが求められるのは当然です。ところが今日その事はどうなっていますか。ノートルダム大学社会学部長ジョン・ケイン博士の言葉を借りれば,「父親という職は鍛治屋のようにすたれてしまい」ました。しかし何と言っても家庭の幸福はこゝから始まります。父親の責任は精神と物質の両面で家庭の必要をみたすことだからです。愛をもってその事をしなければなりません。(コリント前 13:4-7)愛は厳しさに過ぎることなく,威圧せず,かと言って感傷でもないからです。賢明な父親は,家族を精巧な機械と見ます。それは各部分が密接な関連を保ちながら動く機械です。油の切れた機械には摩さつと摩滅が生じます。そこで父親は愛という油をさして誤解をとき,争いをやわらげ,家族の利害の調節をはかります。しかしこの愛はどのように示されますか。いちばん良いのは手本です。行いは言葉よりも力があります。自分の家族が神をたゝえる幸福な家族となるように心を配る父親は,おそらくいちばん良い手本を示しています。この点において幸福な家族はひとりでに築かれるものではなく,計画に基づき,周到な配慮によって築かれるものです。

      8 (イ)ある研究によれば,幸福な結婚をするための重要な要素として何があげられていますか。(ロ)子供の宗教教育に関して,モーセと使徒パウロは両親の責任をどのように強調していますか。

      8 興味深いことに調査と研究から次のことが明らかになっています。すなわち信仰を持つ人のほうが結婚生活に成功するチャンスが多いということです。結婚生活の幸,不幸に関する研究報告のひとつは次のことを述べています,「宗教に対する無理解,無関心は,不幸な人の場合によく見られるひとつの特色である。幸福な結婚生活をしている人の大多数は,子供に宗教を教えることが大切であるという考えを持っている」。しかし子供を日曜学校あるいは教会にやっただけで,宗教教育を人まかせにしている親は大ぜいいます。それは聖書のすすめですか。それとは反対にエホバの命令は申命記 6章6,7節(新口)に次のようにしるされています,「きよう,わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め,努めてこれをあなたの子らに教え,あなたが家に座している時も,道をあるく時も,寝る時も,起きる時も,これについて語らなければならない」。したがって神の言葉を教える宗教教育に両親が責任を持つのは,神のご命令です。この原則を裏づける使徒パウロの言葉に注目して下さい。「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。『あなたの父と母とを敬え』。これが第一の戒めであって,次の約束がそれについている,『そうすれば,あなたは幸福になり,地上でながく生きながらえるであろう』。父たる者よ。子供をおこらせないで,主〔エホバ,新世〕の薫陶と訓戒とによって,彼らを育てなさい」。―エペソ 6:1-4,新口。

      9 クリスチャンの両親はどんなよい習慣を養いますか。これをする時,どのように教える方法を用いますか。

      9 クリスチャンの両親にとって,毎日,聖書の句ひとつを考えるのは良い習慣です。エホバの証者は「エホバの証者の年鑑」に編集されている日々の聖句と説明の言葉を毎日読みます。これを小さな事と考えておろそかにしている両親がありますが,良い両親は優秀な建築家と同じくささいな事でも見逃しません。小さな仕事にも手を抜かないことがすぐれたできばえとなって表われてくるのです。子供が質の良い賛美をエホバにささげるのを望みませんか。毎朝,家族そろって聖書の句を学ぶことができなければ,夕食の食卓でこの事をしてもよいのです。毎日,聖句と説明の言葉を読むことを子供にすすめ,辞書を手元においてわからない字を調べるようにします。要点を聞く,やさしい質問を交代に出して,皆が短い注解を述べ,最後に父親が適当にまとめて家族を霊的に向上させる言葉を加えます。日々の聖句をこのように討議するならば,皆の楽しみとなり,日毎によい教えを授ける機会となります。

      10 (イ)なぜ幼い時から組織的な聖書の勉強を始めるべきですか。(ロ)幼い時から自分で物事をするように しつけるとよいことは,どんな例から見て明らかですか。

      10 そのほか聖書を組織的に学ぶ定まった時間を家族のために設けるのは,クリスチャンの父の責任です。子供の時は物事を学ぶときです。きわめて幼い子供も,未知のものに対して驚くほど好奇心を持ち,教えるならば自分からすすんで物事をすることを学びます。多くの両親,ことにはじめて子供を持った親にとって,子供は意外にも早く独立心を持ち始めます。9カ月の赤ん坊に物を食べさせるのに苦労していた母親がありました。さじにのせて口に入れてやろうとすると,母親の手を払いのけて,さじも食物も床の上に落ちてしまう始末でした。「この頃なんて言う事を聞かないんでしょう。食べさせるのが大変だわ」とこぼす母親にある人がこう言いました,「自分でやらせてごらんなさい。口に入れてもらうかわりに自分でさじを持ちたいから,お母さんの手を払いのけるのでしょう」。母親が不本意ながらもその通りにしたところ,子供は前のようにこぼしたりせず,自分で食べるのみか,それに満足を感じていることは,食事を熱心に待つ様子からも明らかでした。子供には幼いときから,沢山の有用なことを学ぶ能力があります。

      11 子供でも聖書の勉強から多くを学び得ることは,どんな例から分かりますか。両親と子供にそれぞれどんな益がありますか。

      11 聖書の勉強などは子供に難し過ぎると思う親がありますが,4,5才の子供でもテレビの広告の文句やあるプログラムのキャッチフレーズを覚えるとすれば,聖書の言葉を覚えるのは難しいことではありません。ある4才の子供は,ものみの塔協会の聖書の手引「失楽園から復楽園まで」の80以上のさし絵を説明でき,各人物にまつわる物語をすることができます。この子供はよく訓練され,両親も益を受けています。子供と有益な勉強をするには,両親も相当に勉強しなければならないからです。箴言 22章6節(新口)はその結果を次のように述べています,「子をその行くべき道に従って教えよ,そうすれば年老いても,それを離れることがない」。

      12 崇拝に関して両親が正しい手本を示すことはなぜ大切ですか。

      12 両親は家族そろって崇拝の場所に集うことにも心を配らなければなりません。子供はすぐに真似をするものです。子供がならうのに良い手本を示していますか。自分は家でテレビを見たり,雑用をしていながら,子供だけを集会に行かせますか。また集会で注解を述べて手本を示すのも,両親の忘れてはならない責任です。そうすれば,子供は集会に参加することが正しいだけでなく,当然であることに気がつくでしょう。―ヘブル 10:24,25。

      13 自分の家族を顧みることは,どのように大切ですか。(ロ)どんな聖句から見て,家族の救いは両親のおもな関心でなければなりませんか。

      13 子供を訓練し,救いの道に導き入れる段になると,こゝで教える者としての両親の技能は高度にためされます。他の人々を教えるのに成功している親は多くても,自分の子供の場合,どれだけ成果を得ていますか。他の人に救いの道を伝えるのに没頭する余り,自分の家族を十分に顧みなくなるのは往々にあることです。救いの道は自分の家族から始まることを忘れてはなりません。家族をかえりみることは聖書の原則です。パウロはテモテに書き送りました,「もしある人が,その親族を,ことに自分の家族をかえりみない場合には,その信仰を捨てたことになるのであって,不信者以上にわるい」。パウロはこの事について更に次のように書いています「すべての事にあなたの進歩があらわれるため,これらの事を実行し,それを励みなさい。自分のことと教のこととに気をつけ,それらを常に努めなさい。そうすれば,あなたは,自分自身とあなたの教を聞く者たちとを,救うことになる」。(テモテ前 5:8; 4:15,16,新口)自分の子供の救いを願わない両親があるでしょうか。このように訓練された子供を少し援助すれば,他の人の訓練にあたらせることさえ出来ます。テモテに宛てたパウロの言葉,テモテ後書 2章1,2節はそのことを述べています,「そこで,わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって,強くなりなさい。そして,あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを,さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に,ゆだねなさい」。家族のレベルで始められたこの訓練は拡張されて,御国のこの良いたよりをひろめるための資格ある奉仕者を更に生み出します。―マタイ 24:14。

      14 クリスチャン宣教の基本的な原則に従って,どのように子供を訓練できますか。どんな結果になりますか

      14 多くの両親の経験によると,クリスチャンの宣教に子供を訓練する最善の方法は,「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌の戸別配布を始めさせることです。(使行 20:20)これは子供でも容易にできる健全な活動であり,誠実な人が神の御国を知ることになって,まず良い結果を生み出します。両親は,毎号の雑誌の中から家の人に説明できる点を準備し,知的で効果的な証言をするように子供を教えていますか。たしかに自分の子供を教えることは,両親の大切な責任です。それでふた親がこの責任を十分にはたさねばなりません。両親が教えと訓練を授けることによって,家族は円熟します。―エペソ 4:13,14。

      15 (イ)聖書の原則の適用について言えば,両親にはどんな責任がありますか。例をあげて説明しなさい。(ロ)こらしめはどのように与えるべきですか。

      15 たとえ聖書の原則を知っても,その原則を何時,どのように適用するかを理解するという事になると,それは別問題です。子供にとつてはなおのこと難しい問題に違いありません。それを知る賢明な両親は何時でも子供に物事のわけを理解させようと努めます。たとえば,人のものをとってはいけないと子供に教えても,所有権の観念を持たない子供は何か欲しいと思えば,善悪の分別などはつきません。そこで親は盗みとは何かをわかるように教え,それがサタンの始めたもので,サタンのようになりたくなければ,サタンの始めたことはしないと言い聞かせます。(イザヤ 14:12-15)子供が悪いことをして叱らなければならないとき,愛の気持ちで,また子供の性質を考えてこらしめることが必要です。口で言えば理解する子供もあり,しりをたゝかなければ言うことをきかない子供もあります。また大好きなものを与えないこらしめの方法がよい場合もあるでしょう。賢明な親はいちばん良い方法を知り,正しい時に正しい分量のこらしめを与えます。―箴言 23:13,14。

      16 (イ)両親は,コリント前書 15章33節にあるパウロの言葉をどのように見るべきですか。(ロ)クリスチャンの両親は,学校時代の子供をどのように導きますか。

      16 いまは聖書に言う末の日であって,それを心に留めておくのは賢明です。(テモテ後 3:1-5)したがって賢明な親はコリント前書 15章33節(新口)にある使徒パウロのいましめ,「まちがってはいけない。『悪い交わりは,良いならわしをそこなう』」に注意します悪い交わりと悪い考え方にひき込まれないように子供を守りなさい。学校に行くようになると,たいていの親の気づくように,子供の考え方や態度が変ります。新しい環境に影響されて多少なりとも反抗的になる子供,勉強に追われて聖書の勉強と宣教活動がおろそかになり,家庭の行事にも参加しなくなる子供がいます。そこでいろいろな活動につり合いを保つように親の指導が必要です。学校時代は大きく成長する時ですが,同時に難しい時でもあり,両親の正しい訓練と指導がどうしても必要です。

      17 両親と子供は課外活動をどのように見るべきですか。

      17 たとえば課外活動は,まずたいていの子供の場合に指導が必要です。スポーツその他の活動は,熱中し過ぎて片寄りやすいものです。パウロはテモテにこう書き送りました,「信心のために自分を訓練しなさい。からだの訓練は少しは益するところがあるが,信心は,今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので,万事に益となる。これは確実で,そのまま受けいれるに足る言葉である。わたしたちは,このために労し苦しんでいる。それは,すべての人の救主,特に信じる者たちの救主なる生ける神に,望みを置いてきたからである」。(テモテ前 4:7-10,新口)それでクリスチャンの両親は,学校に対する正しい見方すなわち必要な教育を受けるための手段として見ることを,子供に何時も教えます。万事につけ手本と見られている新世社会の子供たちは,学業によい成績をおさめるように努めるべきです。それはほめるべきことであり,それ自体で証言となります。エホバの御名と制度に非難をもたらさないよう,その行いにも十分気をつけなければなりません。

      18 リクリエーションとは何ですか。リクリエーションに対して健全な見方を持つにはどうしますか。

      18 ここで今度はリクリエーションの問題を考えてみましょう。リクリエーションとは何ですか。またどんなものを選ぶべきですか。リクリエーションは,働いた後に体力と気分を刷新し,再生するもの,気分の転換と普通に定義されています。根本的に言ってそれはペースの変化を意味し,つり合いのとれた生活を送るのに不可欠なものです。クリスチャンとしてどんなリクリエーションを求めるかは,各人の良心に従って決めなければなりません。(コリント後 1:12)何かのスポーツを楽しむ人もあれば,読書,散歩,ハイキング,あるいは何かの趣味をリクリエーションにする人もあります。大切なのは,リクリエーションを生活の中でいちばんの重大事にせず,そのあるべき姿を見失わないことです。いちばん大切なことは,御国の良いたよりの伝道でなければなりません。しかし親が子供と一緒にリクリエーション活動を少しでもすることは大切です。「父親が働きの手を休んで時おり子供と遊んでやれば,子供が悪くなることはない」と言われています。どんな娯楽であれ,それが健全なものでクリスチャン原則を破るものでなければ,平衡のとれたクリスチャンはその益を楽しむことでしょう。

      19 (イ)両親は,何に負けないように子供を強くすべきですか。(ロ)パウロも述べている通り,クリスチャンはどんな苦しみにあいますか。

      19 クリスチャンの両親が十分に考えておくべきもう一つの事は,嘲笑に負けない子供を育てることです。子供は大人以上に他の人からよく思われるようとします良い身なりをして仲間の行く場所に出入りしたいばかりに盗みをした子供もありました。何かの問題で自分の立場を固守したために圧迫されると,くじけてしまう子供もあります。この事について言えば,クリスチャンの道はまさった道であり,キリスト・イエスの手本にならうものであることを淳々と説き聞かせることが必要です。「いったい,キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は,みな,迫害を受ける」と述べたものは,使徒パウロ自身でした。クリスチャンの子供はのほうずなパーティーに出席せず,髪の形や服装においても特定のスタイルに迎合せず,したい放題の蛮行に加わらないので,苦しめられたり,悪く思われたりします。よく思われないのは悪いことですか。そうではありません。エホバからほめられるのは人気を得るのにまさり,美徳は悪よりも望ましいものです。―テモテ後 3:12,新口。

      20 悪い交わりを避けることについて,聖書はどんな助言を与えていますか。

      20 両親が愛の心から卒直な助言を子供に与え,同じ信仰を持たない者とデイトやその他の交わりをすることの危険を指摘するのは悪いことですか。そのようなことは決してありません。賢明な両親は申命記 7章3節(新口)にしるされたエホバのご命令を知っています,「また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない」。使徒パウロも「結婚してもさしつかえないが,それは主にある者とに限る」と述べました。(コリント前 7:39,新口)この命令を無視してエホバから喜ばれることはできません。親は,ほまれあり,聖書的に正しい結婚をするように子供を正しい道に導く重い責任を持っています。

      21 なぜクリスチャン会衆は,クリスチャンの父親から良い手本を期待できますか。

      21 監督または補佐の僕の資格を持つクリスチャンの父親について,パウロは次のことをテモテに書き送りました,「監督は……自分の家をよく治め,謹厳であって,子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得ていない人が,どうして神の教会を預かることができようか」。(テモテ前 3:1-7,新口)ゆえにクリスチャン会衆は,監督と補佐の僕の家庭を見てそこに正しい手本を見ることができます。このような手本を示していないクリスチャンの父親が監督の地位に留まることは,まず期待できません。

  • 幸福な家庭における妻と子供の役割
    ものみの塔 1963 | 1月15日
    • 幸福な家庭における妻と子供の役割

      1 クリスチャンの妻は,どのように家族の幸福に寄与しますか。

      家族のかしらと密接に協力して幸福な家庭を築くのはだれですか。この責任と特権にあずかるのはだれですか。「妻を得る者は,良き物を得る」(箴言 18:22,新口)と述べたのはソロモンでした。この言葉は全く真実ではありませんか! きわめて多くの場合,家族のかしらとして成功をおさめている夫のかげには,たとえ目立たない存在であっても,夫の力となり支えとなる良い妻がいます。幸福な家庭において妻はどんな役割をはたしていますか。両親の役割についてはすでにあるていど論じましたが,ここでは妻の立場から考慮すべき点をいくらか加えてみることにしましょう。まず夫と妻は一体となって働き,考え,密接不離の関係を保たねばなりません。それは神のとりきめられたことです。(マタイ 19:5)良い妻は夫の助け手であり,夫の決定に従います。他方,夫は家族の事柄を妻に相談するでしょう。そのようにして平和と一致が得られます。

      2 家庭を一致と調和のあるものにしておくには,何が肝要ですか。

      2 家族の柱である夫と妻に対するこのすばらしいとりきめを,使徒パウロは次のように説明しています,「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって,自らは,からだなる教会の救主であられるように,夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように,妻もすべてのことにおいて,夫に仕えるべきである」。(エペソ 5:22-25,新口)これは平衡のとれたとりきめです。円満な家庭にひびがはいるのは,この平衡が失われたときです。たとえば夫は妻のかしらであるゆえに妻は主に仕えるように夫に仕えるという22節の言葉に注目して下さい。こと家族の問題に関しては,妻はこの原則に従って夫を見なければなりません。

      3 家庭における夫の立場は,どんな場合に著しく弱められますか。

      3 だれが物事を決め,だれが指図するかを夫と妻が子供の前で言い争うならば,家庭の根底からしてゆらいでしまいます。夫の権威は地におちてしまい,子供は父親を母親に対抗させることができるようにさえなります。二人の不一致を見て,子供は父親と母親の両方を尊敬しなくなるでしょう。それにひきかえ,家族の方針に関して両親が一致しているならば,それを強力に推し進めることができ,子供は親を尊敬します。―コロサイ 3:18,19。

      4 婦人の役割について,ある権威者はどんな観察をしていますか。

      4 そのうえ妻の役目が補助的なものであり,夫を助けるのが妻の本分であることは,多くの権威者によっても認められています。最近,ある女流心理学者は,次のことを述べていました,「私は女であり,従って男の人におもに関心を持っています。また私は心理学者でもあるため,普通一般の人よりも男性に対して深い関心を持っています。最近ナショナル・マネジメント協会に依頼されて男女の心理的な要素を研究しました。男女が同じ職場で働くときに生ずる圧迫を軽減するのに私の研究が役立てば幸いです。私は次の二つの事実を知りました。1,女の人はすべて権威の下で働くこと,一口に言えば監督されることを好む。2,女の人は自分が役に立っていることを感じなければならない。根本的に言えばこれらの事実は,男は考えるのに反して女は感ずるということから生まれてきます。知的な能力においては男と同等あるいは男にまさる女の人も,情緒の重荷がハンディキャップになっています。男の人は実際的な考えを持ち,判断し,組織し,指図することができます。このようにして,女の人が如何に男に代ろうと努めても,男が女を監督するのは自然のプランなのです」。この権威が自然のプランと呼ぶものを,私たちは神の目的と認めます。これは実に健全な定めであり,家庭を幸福にするものです。

      5 箴言 31章は,よい妻をどのようにほめていますか。

      5 神の言葉は良い妻を次のようにほめています,「彼女は口を開いて知恵を語る,その舌にはいつくしみの教がある。彼女は家の事をよくかえりみ,怠りのかてを食べることをしない。その子らは立ち上がって彼女を視し,その夫もまた彼女をほめたたえて言う,『りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども,あなたはそのすべてにまさっている』と。あでやかさは偽りであり,美しさはつかのまである,しかし主〔エホバ〕を恐れる女はほめたたえられる。その手の働きの実を彼女に与え,その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ」。(箴言 31:26-31,新口)たしかに良い妻は,家族の幸福をすすめるうえに大きな働きをします。―箴言 12:4。

      6 敬虔な両親の手で訓練された従順な子供の前途にはどんな祝福がありますか。

      6 さて家族の第3番目の要素は子供たちです。聖書の原則を実行する敬虔な親から訓練を受ける子供の前途には,すばらしい将来があります。このような子供は,将来がどうなるかを知り,新しい世の希望に胸をふくらませています。(黙示 21:1-5)その利発な心は現在の世界情勢の意味をつかんでいます。そして新しい世の間近いことも知っています。しかし私たちはまだ新しい世にはいったわけではなく,悪と悲しみのつきることがない古い世にいます。しかし敬虔な両親の手で聖書の原則に従って育てられた子供たちは,その行い,教えと伝道によって両親から教えられた原則の正しさを示すことができます。子供たちが幸福な家族の一員となるためには,まず何が必要ですか。第一の要求は,主にある両親に従うことです。(エペソ 6:1-4)クリスチャンの両親は子供にとって何がいちばん良いかを知っています。その教えは理論だけのものではなく,実際に即したものですばらしい成果をおさめます。

      7 どんな経験は,クリスチャンの子供の示す良い手本の価値を物語っていますか。

      7 敬虔な両親に教えられた子供が時おりする経験は,その事を示しています。たとえば二人の子供の奉仕者は,どのようにして勉強の合間に宣教に参加しているかを尋ねられました。その一人は伝道のやり方を説明するように求められましたが,先生は子供が個人的な聖書研究や会衆の集会で学んだ有益な事柄を分け与えるように訓練されているのを見て驚きました。それは受持の生徒の大半とくらべて全く異なっていたのです。感銘を受けたこの先生は聖書教育のわざに一緒について行きたいと申し出で,その願いを容れられました。そのうえ生徒が一緒に戸別訪問をして聖書の話をしたり,聖書の手引を配布するのに自分の自動車を使ってほしいとさえ申し出ました。

      8 今日の非行青少年の道をこれとくらべなさい。

      8 今日,青少年の多くがたどっている非行の道とくらべて,これは遙かにまさっています。アメリカにおいて青少年の非行は大問題であり,そのために国の前途が憂えられているほどです。1957年,18歳以下の青少年で逮捕された者は74万人に上りました。フーバー連邦検察局長の言葉を借れば,「1952年以来,非行青少年人口は約22パーセントの増加を見せ,同期間における逮捕は55パーセント増加した。今日の割合で行けば,1962年までには10歳台の少年で検挙される者の数は年間百万人に上るであろう」とのことです。同局長の指摘しているように,非行はアメリカだけの問題ではなく「世界的な病弊」です。

      9 両親はどのようにして子供を青少年の非行から守ることができますか。

      9 うちの家族にかぎってそんな事はないと,安心してはなりません。監督を怠り,本当の愛に根ざした気づかいを示すことを忘れるならば,子供は悪に染まるかも知れません。このため,会衆の集会や大会に子供を連れてきたクリスチャンの親は,子供をそばに坐らせ,話に耳を傾けるようにしつけることが必要です。大会のとき,子供が廊下を走り回るのを許してはなりません。この悪い行いは直すことが必要です。よくしつけられた子供はだれの目にも好ましいものです。次の言葉は真実ではありませんか,「みよ子らはエホバのあたへたまふ嗣業にして,胎の実はその報のたまものなり」。―詩 127:3。

      10 家庭を幸福にした要因として大学生のあげた事柄は何でしたか。

      10 子供は時として親の想像以上に家庭の幸福を求めています。150名の大学生を対象にした調査で,5歳から12歳までの間において自分がいちばん嬉しかった家庭の状態を列挙するように求めた調査があります。15の要素があげられましたが,その中から頻度の高い10の要素を選んで,今度は別の200人の大学生に順位をつけさせたところ,次のような結果になりました。

      1 両親の幸福

      2 私に対する両親の愛の表われ

      3 家族の者から目をかけられている

      4 両親から信頼されている

      5 母親の料理上手

      6 両親と一緒に過ごす

      7 家族そろっての団らん

      8 食事が時間通りで家の中は清潔

      9 貧しくない生活

      10 家族の誇りと教養

      11 なぜ両親の幸福は子供の幸福のためにいちばん大切ですか。

      11 両親の幸福が第一にあげられているのは興味深いことです。両親が幸福な結婚をしていることは,子供の幸福にとって最も肝心なようです。不貞と離婚によって破壊された家庭がいちばん不幸なのも当然と言えるでしょう。両親は不道徳に陥らないように警戒を怠ってはなりません。それは家族の結びつきを弱め,とり返しのつかない害を与えるからです。幸福な両親は子供たちと家庭を幸福にするばかりでなく,このような家庭に育った子供は後になって円満な家庭生活を営むことが知られています。幸福はひとりでに生まれるものではなく,つちかい,増進するものです。クリスチャンの両親には,自分に対し,互い同志また子供たちに対して,新しい世の関心事をつちかうように努める責任があります。それは新しい世に生きるすばらしい希望という遺産を子供たちに残すためです。―使行 2:39。

      12 「行儀」はどのように定義されますか。行儀を教えることについて言えば,クリスチャンの両親はどんな役割をはたしますか。

      12 ここで行儀について一言ふれておきましょう。行儀とは何ですか。また正しい生活をするのに行儀はなぜ大切ですか。行儀とは「社会における行為すなわち一般に行なわれている慣習に則る行為の規則」です。クリスチャンの子供はこの点でもしつけの良さを示し,正しい時に正しい事をするようにします。「手本なしで良い行儀を身に着けるのはいちばん難しい」と言われています。従って両親の重い責任は,ふるまい,食事そのほか生活全般にわたって礼儀正しく行ない,よい手本を示すことです。子供は他の人のふりを見てその通りにするものです。それで正しい手本がなければ,正しい行儀を身に着けることは,不可能ではないにしても難しいことです。

      13,14 (イ)分裂した家庭において,信者である親にはどんな責任がありますか。(ロ)この点につき,ペテロはどんな助言を与えていますか。不信者の配偶者にどんな益をもたらしますか。

      13 信者の両親を持つ子供は恵まれていますが,そうでない子供も大ぜいあります。それでも子供に霊的な食物を与える責任は,信者であるほうの親にかかっています。時にこれは困難かも知れませんが,報いはたしかです。良い手本は救いをもたらすでしょう。たとえば,妻が献身したクリスチャンで夫がそうでない場合,ペテロ前書 3章1-4節によい助言がしるされています,「同じように,妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば,たとい御言に従わない夫であっても,あなたがたのうやうやしく清い行いを見て,その妻の無言の行いによって,救い入れられるようになるであろう。あなたがたは,髪を編み,金の飾りをつけ,服装をととのえるような外面の飾りではなく,かくれた内なる人,柔和で,しとやかな霊という朽ちることのない飾りを,身につけるべきである。これこそ,神のみまえに,きわめて尊いものである」。

      14 このようにしてクリスチャンの妻は敬虔な行いのゆえに不信者の夫の心を動かし,夫もエホバ神に献身して遂に救いがもたらされるかも知れません。使徒パウロは,「不信者の夫は妻によってきよめられており,また不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ,あなたがたの子は汚れていることになるが,実際はきよいではないか」と書きました。(コリント前 7:14,新口)信者である親は常に愛に導かれて行動しなければなりません。生命の道から離れている人々に対して,愛は大きな感化を及ぼすからです。

      15 なぜ年老いた人を尊敬すべきですか。

      15 幸福な家庭を築くためには,老人を尊敬することを忘れてはなりません。エホバはすべての人のために場所を備えています。「若い人の栄えはその力,老人の美しさはそのしらがである」と,ソロモンは書きました。(箴言 20:29,新口)年老いた,円熟した人との交わりには大きな益があります。人生の幾多の経験から多くの事を学び知った老人は,若い人の学ぶべき多くのものを持っています。それはまた相互の徳を高めます。若い人が成功して安定することは,年老いた人に喜びを与えます。年老いて円熟したクリスチャン使徒ヨハネが次の言葉を書いた理由もそこにあると見なければなりません。「あなたの子供たちのうちで,わたしたちが父から受けた戒めどおりに,真理のうちを歩いている者があるのを見て,わたしは非常に喜んでいる」。(ヨハネ第二 4,新口)ヨハネはこれらのクリスチャンが宣教に成功しているのを見て喜びました。

      16,17 若い人は年老いたクリスチャンに対してどのように尊敬を示しますか。どのように親切を示すことができますか,

      16 人は親しく交わることから深い満足感を得ます。若い人々と接していると,気持ちも若やいで元気を保つことができます。若い人は愛情,尊敬,安全,新しい経験,有為を自覚することなど,老人の必要をみたすように心がけることによって,年とった人の生活をいっそう満足なものにできます。若い人の世界には興味深い新しい経験があり,これを分かつことは互いを富ませるでしょう。円熟した若い人は,尊敬の気持ちを抱いて老人に接します。若い奉仕者が会衆内の年老いた人々に自分の経験を話してあげるのは良いことです。これによって年老いた人は若い人の喜びを共にできるだけでなく,かって自分も経験した事のほのぼのした思い出にふけり,エホバを賛美した時を再び体験します。体力はおとろえても心は伝道のことを片時も忘れない人々を,それは霊的に強めるものです。

      17 若い人が老人に喜ばれる別の方法は,話相手になってあげたり,奉仕を共にしたり,物質の面で分かち合うことです。祖父母や他の年老いた人と自動車旅行を共にすることは,やや余分に費用がかかるかも知れませんが,それでも会衆の年老いた人を誘って一緒に大会に行くのは,非常によいことです。このように親切を示すことには,大きな報いがあります。また子供は年とった人とある程度交わることによって,安定した人格を得ます。

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