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『ありのままを語る』ヒッピー目ざめよ! 1970 | 5月8日
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物質主義と偽善
カリフォルニア出のある若者も,何年間かヒッピーとして生活し,種々の問題の答えと,より良い生き方を捜し求めました。現代社会の物質主義と偽善に“うんざりした”ためでした。その青年はこう述べました。
「あたりまえですとも。わたしは市販の麻薬は一つ残らず使ってみましたし,髪を背中のなかほどまで伸ばし,金の耳輪や,あごひげもつけたり,ヒッピーのすることはなんでもしました。
「人々は若者のことを少しも考えていません。それに若者たちは現代の体制にうんざりしています。それで,社会から逃避するために麻薬を用いるのです。若者は,周囲の人間が汚染によって土地や水をだいなしにし,しかも自分たちのしわざをなんとも思っていないということを知っています。若者がやり玉にあげているのは,現代社会に見られる偽善です」。
しかし5年間ヒッピーとして生活したのち,この青年はヒッピーのうちに何を見いだしましたか。彼はこう語ります。
「ヒッピーは,彼ら自身が批判する人々に劣らず偽善的な人間で,彼らの物質主義は,他の社会のそれと同様に悪質です。彼らは愛を唱えますが,本気で語っているのではなく,聖書の意味する愛を実践しているわけでもありません。彼らの愛はいわば性です。事実,性崇拝にほかなりません。彼らは他の人間のことなど全然考えていませんでした」。
辞書によれば,物質主義とは,「利己主義を生活の第一義とする,また,そうすべきだとする考え方」と定義されています。ゆえに自分自身の欲望を第一に考えるのは,唯物的つまり利己的な態度と言えます。
ヒッピーは,自分自身の欲望を第一に考えていますか。それでは,結果がどうなろうと,親や他の人に対する責任を放棄してはいませんか。また,たとえ多くの欠点を持っていようと,たいてい苦労して子どもを育ててきた親を利己的な仕打ちで,しばしば悲しませるのではありませんか。ヒッピーは利己的にも欲情のおもむくままにその充足をはかることにおぼれてはいませんか。こうした利己的な思いは,ほかならぬ麻薬に対する彼らの欲望にあらわに見ることができます。
麻薬の次は?
ヒッピーの多くは十分の量の麻薬を得るのにいつも四苦八苦しています。麻薬は高いうえに,それを買うにはお金がいるからです。
麻薬を得るため,路傍でこじきをするヒッピーもいれば,お金を得るために盗みを働いていることを認める者もいます。なかには,同棲中の女性に売春をさせて,お金を得ているヒッピーもいます。麻薬に対する激しい欲望に動かされる生活が,醜悪な物質主義でなければ,それはいったいなんですか。
マリファナを吸うのは第一歩にすぎず,たいてい,より強力な麻薬を用いるようになります。その結果,どうなりますか。種々の問題の答えや精神的高揚また幸福が得られますか。より良い生活ができるとでも言うのですか。ヒッピーを装って,彼らといっしょに生活した一記者がルック誌に体験記を寄せましたが,それは多数のヒッピーや,以前その仲間だった人々の認める実態をよく表わしており,彼は自分の起居した“へや”の様子をその体験記の中でこう述べています。
「リックとキャシーのすみかは,麻薬常用者のたむろする,がらくたの散乱した,いともきたないとりでとも言うべきか,人間が無理に住みつこうとしたため,そこはどぶよりはるかに不潔な気持ちの悪いところであった。われわれが踏み込んだ時には,麻薬のためさまざまな中毒状態に陥っていた数人の者が廊下に横たわっていた。暗い寝室の中では,うつろな表情の幾人かの男女がぼう然と床の上に腰をおろしており,ラジオからはロック調の音楽が耳をつんざくばかりに鳴り響き,甘いかおりのするマリファナの煙が幾重にも漂う中を無数のはえが飛びまわっていた。……
「帰ってきた[ひとりのヒッピーは]麻薬のために,すっかり陶酔して,おびえてうわずった泣き声で話していたが,彼はそれまでに服用したものでもまだ足りなかった。翌朝,5時ごろふと目をさましたわたしは,……砂糖をまぜた水を首すじの静脈に注射する彼の姿を見た。それは本物の麻薬だけでなく,注射針を刺せるところもなかったからである。そして,自分で注射をするたびに,『ウウッ,ウウッ,おれが大好きなのはこいつだ……こいつなんだ』とうめいては,『酔いしれて』床の上をころげまわり,ふくろうのようにのたうちまわったり,どっと倒れたりして,わめいていた」。
お金を神とし,物質を追い求める現代社会の人間を非難し得ても,狂気のように麻薬を求める多数のヒッピーの生き方は,どう見ても物質主義の,それも,おそらくもっと低劣な生き方にほかなりません。その結果は?
サンフランシスコ総合病院の一医師の推定によれば,麻薬のために精神異常を起こした患者が毎週15人から20人ほど同病院に入院しています。その医師はこう述べました。「この病院に入院する麻薬常用者は,不眠症や栄養失調の者,また注射針のために病気におかされた者が多い。……麻薬常用者の多くは栄養失調のため呼吸器系疾患にかかっている」。カリフォルニア州の法務部長は言明しました。「悲惨なことに,ハイト-アシュベリー地区では60時間ごとにひとりが麻薬のために死亡している」。
麻薬のもたらす直接の悲惨な影響は免れても,その常用が招き得る長期におよぶ影響に直面しないわけにはいきません。LSDのそうした影響の一つは,体細胞の“染色体の破壊”と言われています。ある報告によると,「わずか一,二回使用しただけで……そうした破壊がもとで,麻薬使用者に生まれる子どもは,奇形児だったり,知能がおくれていたり,あるいはその両方だったりすることもあり得る」とのことですが,そのような事態が生じるかもしれません。
隣人愛?
ヒッピーの生き方は,仲間の人間に対する愛を高唱するものですが,はたして実践されていますか。ヒッピーのあいだで行なわれているように,麻薬を互いに供給し合うのは,真の愛ですか。麻薬のためにどれほど多くの人間が精神を乱され,気違いになり,からだが衰弱し,むしばまれているか知れません。ヒッピーは,メサドリン・LSD・ペヨーテ・ヘロインその他の麻薬を推奨しています。しかし,仲間の者が麻薬のために精神をめちゃめちゃにされるようになっても,なすすべもなくそっぽを向いたり,無視したりします。
また,“自由性愛”はいったいどんな種類の“愛”ですか。何人もの男に身をまかせることなど,なんとも思わないと語った16歳のある少女は,「ごくあたりまえのことだわ」と言いました。しかしそうした乱交は何を生みますか。しっとや苦々しさ,また憎しみが生ずるだけでなく,恐ろしい性病がまんえんします。ヒッピーの中には,“自由性愛”を追い求める利己的な無法者がいるのです。彼らが関係する者は次々に性病におかされてゆきます。
性病のほんとうの恐ろしさを全然知らないひとりのヒッピーの少女は,愚かにも一記者にこう言いました。「たまにはあるのよ。自由な愛を楽しむためなら仕方がないわ。病気になったら,病院に行って直すのよ」。しかし完全な治癒がそんなに容易でないことを知って,今多くの者が心を痛めているのです。
アフガニスタンの米国大使ロバート・ニューマンは,首都カブールのヒッピーについて述べました。「アフガニスタンのヒッピーは自らを滅ぼしている。自殺する者もおり,病気も多く,その小屋は恐るべき不潔な所である」。このすべては真の隣人愛の所産ですか。
『ありのままの』実態
幸福を心から求め,人生の諸問題の答えを追求し,また自由を希求してヒッピーの生活に身を投ずる人もいるでしょう。しかし,彼らが見いだしているのは,それらとはかけ離れたものであることを事実は示しています。彼らが見いだしたのは,悲惨な生活です。諸問題の答えを得るどころか,ヒッピーの“既成秩序”はもとより,麻薬や自分自身の欲情にとらわれているのです。
ハイト-アシュベリーの一記者は語りました。「放浪するヒッピーの中には,彼らがあしざまに言う,モントゴメリー街の株式ブローカー以上に困惑し,やつれたみじめな人間がいる」。別の記者は述べました。「かつて愛の都とうたわれたハイト-アシュベリーは……今や,強姦・殺人・暴行・強盗の脅威におののく恐ろしい,幽霊都市と化してしまった」。
それで,一記者は『ありのまま』を報じてこう語りました。「なんのためにやって来たかを理解できる者はほとんどいなかった。……その多くが見いだしたのは,麻薬とがらくた,それに悲痛な叫び声の満ちる失われた楽園にほかならなかった」。
現在の体制が恐るべき状態にある以上,より良い事物の体制を願い求める人々を非難することはできません。しかし,事態を改善するどころか,多くの場合悪化させるような生き方が答えとなりますか。かつてヒッピーだった人々が『ありのままを語った』前述の経験からすれば,それはまったく答えになりません。
それでは,人生の諸問題に対するどんな解決策があるのですか。現在の腐敗した事物の体制は現状のまま優位を保ってゆくので,若い人々には将来に対する希望がないのですか。正直かつ誠実な人は,現在,真の幸福を味わい,また将来の確かな希望を得るため,いったいどこにたよることができるのですか。
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問題の答えを見いだしたヒッピー目ざめよ! 1970 | 5月8日
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問題の答えを見いだしたヒッピー
ヒッピーの動向がどうであろうと,幾つかの事柄が明らかになっています。つまり,ヒッピーを生み出したむずかしい問題は解消されていません。それどころか悪化しています。また,ヒッピーは自らのうちに真の希望も幸福ももたらしてはいません。
しかし,純粋の平和と幸福また隣人愛が切望されていることも否定できません。正直な心の持ち主が,より良い世界を望むのは当然のことであり,またそれは必要です。
どんな解決策がありますか。現在の邪悪な体制の改革を試みるべきですか。政治や経済に関係する伝統的な宗教制度を通して,『より良い世界を造る』よう努力すべきですか。
それを崇高な目標と見る人もいるでしょう。しかしその種の努力が功を奏し得ないことは確かです。この世の生んだ“最もそう明な”人間が幾世紀もの間,そうした努力を試みてきたことを忘れてはなりません。人間におおよそ考えつくことは,すべて試みられました。世界中に見られる悲惨な状態は,それらの試みが失敗したことをあらわに物語っています。そうした考えはみな今や,人間が積み重ねてきた壮大な失敗の山の一部となっているのです。
答えを差し伸べる体制
しかしながら,あらゆる人種また国籍の人々に純粋の平和を今もたらしている統治体制が存在しているのです。その下では偏見と憎しみに代わって平等と愛があります。あらゆる階層の人々がその体制の感化を受け,兄弟姉妹として,むつまじく生活しているのです。
この新しい体制は,この世界の偽善や偽わりとなんのかかわりも持っていません。その体制下に導かれている人々は,物質主義にとらわれることがありません。しかも自らと自分の家族の者に必要物を十分に備えて生活しています。またその体制の下では,家族のきずなが断たれるどころか,愛と相互の尊敬の念をもって家族のきずなを強める方法が教えられています。
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