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『これはわたしの子です』ものみの塔 1970 | 11月15日
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たいへん喜びました。ひつじかいたちは,天使たちの語ることが聞こえました。
さて,ひつじかいたちは,イエスを見たいと思いました。ベツレヘムに行けば,イエスに会えるでしょう,と天使が告げましたので,ひつじかいたちはそこに行きました。イエスを見に来たとき,ひつじかいたちは,自分たちが聞いた良いことがらすべてをヨセフとマリヤに話しました。それを聞いたヨセフとマリヤは,神に,深く感謝しました。喜んでイエスの母になったマリヤが,どんなに幸ふくだったか,そうぞうできますか。
そののち,ヨセフとマリヤはイエスをナザレの町に連て行きました。イエスはそこで育ったのです。おとなになったイエスは,人を教えるという大きな仕事をはじめました。それは,エホバ神が,ご自分の子に地上で行なわせようと考えておられた仕事のひとつでした。イエスはエホバ神をたいへん愛していたので,その仕事を喜んで行ないました。
イエスは,偉大な師として,その仕事をはじめる前に,バプテスマのヨハネから,バプテスマをほどこしてもらいました。その時,おどろくようなことが起こりました。イエスが水から上がられると,神が天から話されたのです。エホバはこういわれました。「これはわたしの子,愛する者,わたしが是認した者である」― マタイ 3:17,新。
のちになって,イエスと,イエスに従がったペテロ,ヤコブ,そしてヨハネは,高い山に登りました。そこで何が起きましたか。ペテロと,ほかの人たちが見ていると,イエスの衣が明るくかがやきはじめ,まぼろしの中で,モーセとエリヤがイエスと話をしているのが見えました。それから,神ご自身の声が聞こえました。エホバはイエスについて,こう言われました。「これはわたしの子,愛する者……である」。(マルコ 9:2-8,新)神は,そのご自分の子をたいへん喜ばれたのです。
イエスはいつも正しいことをなさいました。ほんとうの自分ではない,何か別のもののように見せかけることはなさいませんでした。人びとに,自分は神である,とはいわれませんでした。天使ガブリエルは,イエスが神の子と呼ばれることをマリヤに告げました。それに,イエスは,自分のおとうさんよりも多くのことを知っているなどとは,人々にいいませんでした。イエスは,「父(は)わたしより大きいかたで(す)」といわれました。―ヨハネ 14:28,口語。
イエスのおとうさんから仕事をあたえられたイエスは,それをしました。その仕事をいたします,でもあとで何かほかのことをしますと言われたのではありません。イエスはおとうさんを愛していましたから,おとうさんのいわれたことに聞きしたがって,地上に来ました。イエスは,おとうさんにつかわされて,行なえといわれたことを行ないました。イエスは何かほかのことに時間をついやすことは,なさいませんでした。エホバがその子を喜ばれたのももっともなことです。
あなたもエホバを喜ばせたいと思いますか。では,いつもイエスに見ならってください。おとうさんが話をされるとき,おとうさんのいわれることをよく聞いて,いわれたことを行なってください。そして,あなたがほんとうにおとうさんを愛しているなら,そうするのは少しもむずかしくない,ということをわすれないでください。
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大きな犠牲ものみの塔 1970 | 11月15日
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大きな犠牲
◆ 先進国の人々が保険の恩恵に浴しているように,アフリカ西部のトーゴの人々は,家族制度の恩恵を受けています。14歳のひとりの少年が聖書の真理を学びました。しかし,その家族は,彼がエホバの証人と交わることをやめなければ追い出す,と言っておどしました。家を追われることは,少年にとって,社会的な安全をいっさい失うことを意味します。そうしたおどしにもかかわらず,少年は,聖書の勉強の面で引き続き進歩したため,家を追い出されました。エホバの証人は,少年を援助しようとしましたが,彼は,「物質上の益にあずかるためエホバの証人になったのだ,と人からいわれないようにしたいのです」と言って,援助の申し出を断わりました。少年はその後,バプテスマを受け,現在円熟に向かってすぐれた進歩を示しています。その少年は,自分が何をしているかをしっかりわきまえているのです。
― エホバの証人の1970年度年鑑より
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