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  • 若い人たち,キリストの弟子であることを実証しなさい
    ものみの塔 1970 | 6月15日
    • なことが,仲間の生徒たちとの関係において生ずるかもしれません。自分のすること,あるいはできないことに関する聖書的な理由をどの程度説明できるかは,親や神の組織から与えられる聖書の教えをどれほどしっかりと取り入れているかにかかっています。前述のような事態は,自分の抱いている「望の理由」,しかも聖書に基づく確かな理由を示して,自分がキリストの弟子であることを実証する良い機会なのです。―ペテロ前 3:15。

      24 異性とともにいる場合,若いクリスチャンは自分がキリストの弟子であることをどのようにして実証できますか。

      24 聖書の助言を適用しないために,むずかしい問題に陥るおそれのある事態があります。それは異性とふたりだけになるような場合です。クリスチャンの道徳律や原則に対する敬意を示すならば,そのような事態の下でも,自分たちがクリスチャンであることを実証できます。ゆえに,肉的な欲望に負けて,そうした原則を忘れるようなことはありません。また,道徳律を犯すことなしに,どれほど不品行に近づけるかを試みようともしないでしょう。性的な汚れた行為あるいは性的な不道徳をするよう人から誘われるなら,ヨセフがしたようにできるだけ早くそのような人からのがれるでしょう。(創世 39:7-12)そのような人からなんと思われようと,また,世俗的な若者とは違うとの理由でどんなに嘲笑されようと,そうしたことを意に介しません。個人的な誇りよりも,道徳上の正しさを守るほうが,自分たちにとっていっそうたいせつなのです。

      25,26 若いクリスチャンは,世俗的な若者の多くがしているような無謀な運転をなぜ避けますか。いつでも注意深く運転するのはなぜですか。

      25 クリスチャンと言えるかどうかを試みるものの一つに車の運転があります。世俗的な若者の中には,猛烈なスピードを出し,他人の命を危うくするような無謀な運転をして,スリルを得ようとする者がかなりいます。2台の車をそれぞれ相手の車めがけて猛烈なスピードで走らせ,どちらが先に相手の車をよけるかを見定める危険な遊びをした者もいます。この遊びはたいてい恐ろしい衝突事故に終わっています。こうして人の命を脅やかす若者が,どうして自分のことをキリストの弟子とみなせるでしょうか。キリストの真の追随者は,人を傷つけ,かたわにし,殺したりすることをしません。彼らは人間の生命を尊重します。その一人として流血の罪を負いたいとは思いません。―使行 20:26。

      26 クリスチャンの若い人々は,世俗的な若者のまねをしたいとは考えませんから,車の運転に際して,自分たちは神の律法はもとより,人間の定めた法律を守る者であることを証明したいと願うでしょう。そして同胞に対する愛ゆえに,自分の車の中にいる人々はもとより,ほかの車に乗っている人々の安全にも心を配り,注意深く運転します。エホバの組織内の若者は外部の人々から非難されることのないような仕方で車を運転するでしょう。

      クリスチャンの宣教

      27 宣教は,これに携わる若い人がキリストの弟子であることをあらわに示すものです。なぜですか。

      27 クリスチャンの宣教は,これに携わる人がキリストの追随者であることをあらわに示すものです。それは,キリストが行ない,かつその追随者に行なうことを命じられたわざです。(マタイ 28:19,20)若い人が家々を尋ねて神のお目的について語るのを近所の人々は聞くでしょうし,その人が宣教に携わるために行き来するのを見るでしょう。こうして,当人はイエス・キリストの追随者,またエホバ神の証人であることが公に知らされます。宣教に携わっていない時の良い行ないや生活態度は,これを見る人にそのことを確証するものとなるでしょう。

      28 1世紀のクリスチャンは,自分たちがキリストの追随者であることをどのように示しましたか。このことは今日の若いクリスチャンにもどのようにあてはまりますか。

      28 1世紀のイエス・キリストの追随者は,イエスから教わった特異な音信を公に宣明し,そのわざは彼らがイエスの追随者であることを特徴づけるものとなりました。聖書の事柄について語った彼らは,イエスと同じように権威をもって語りました。今日の若いクリスチャンも同じことを行なえます。なぜなら,エホバの用いておられる,その証人たちの地上の組織を通して,すぐれた訓練を受けているからです。ゆえに,神の御国・罪深い人類の世の終わり・死者の復活に関する特異な音信を宣明することにより,また,自分の語ることに権威を添える聖書の用い方によって,自分たちが20世紀におけるキリストの追随者であることを示します。―マルコ 1:22。使行 4:13。

      29 若いクリスチャンは,自分たちの将来の見込みを保持するには,何を忘れてはなりませんか。

      29 それら若い人々には将来のことを考える十分の理由があります。神への従順という狭い道を引き続き歩む彼らの前途には,限りない将来という驚くべき見込みがあるのです。その見込みを保持するには,キリストの手本に従う献身してバプテスマを受けた,エホバ神のしもべであるとの自覚を一瞬といえども忘れることはできません。世俗的な若者たちの,流行やクリスチャンにふさわしくない考え方のために,自分たちの考え方や道徳規準がゆがめられるのを許すわけにはいきません。彼らは,エホバのしもべまたキリストの追随者であることを,自分たちの行ないで表わしたい,といつも願っています。

      30 彼らはキリストの弟子であることを,どのようにして実証し続けることができますか。

      30 それら若い人々は,古い事物の体制に残されている数年のあいだ,「自分自身がどのようなものであるかを実証しつづけなさい」と勧める聖書のことばどおりに行動したいと願うでしょう。(コリント後 13:5,新)自分たちの行ない・交友・ことばづかい,また神の目に正しいことを行ないたいとの願い・いつもそうしたことを行なおうとする努力・宣教上の活動などによって,自分がどのようなものであるかを明らかにすることができます。つまりキリストの弟子であることを実証できるのです。あなたはそのようなりっぱな若い人々のひとりですか。あなたは,世俗的な若者とは違うものであることを実証していますか。また,「真の義と忠節にそいつつ,神の御心にしたがって造られた新しい人格を着け」ましたか。(エペソ 4:24,新)そうであれば,あなたにはすばらしい将来が約束されているのです。

  • 若い人たち,自分の親を尊敬しますか
    ものみの塔 1970 | 6月15日
    • 若い人たち,自分の親を尊敬しますか

      「あなたの父と母を敬いなさい」― エペソ 6:2,新。

      1 若いクリスチャンは家庭内で何を実証すべきですか。

      キリストの弟子であることを家庭外で実証する若い人々は,家庭内でも当然そのすべきではありませんか。キリストの弟子であるということは,一つの生き方であり,それはいつもその人の言行に反映するものなのです。それは,若いクリスチャンがひとたび家の中にはいると,あるいは自分の活動について親から尋ねられたり,自分のしたいと思っていることを許してもらえなかったりすると,そこで終わるものではありません。

      2 世俗的な若者の多くは親の権威にどう応じていますか。このことはどのように預言を成就していますか。

      2 ある事柄をしてはいけないと親に禁じられたり,親から懲らしめられたりすると,世の多くの

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