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  • 子供たちは規則を欲していますか
    ものみの塔 1983 | 1月15日
    • 子供たちは規則を欲していますか

      「表面的にはどんなに大人びて見えようと,子供はしょせん子供である」。米国ニューヨークのモンテフィオーレ病院にある家族療法の責任者,ハリー・メンデルゾーン博士はこう述べています。確かに規則はこれからも必要でしょう。同博士は次のように説明します。「親は責任を担わなければならない。子供の一人一人から意見を求めるべきではあるが,家族というものは民主主義ではない。すべての決定は究極的には親が下すべきものである。規則は作られなければならず,それらは明確なもので,何度も繰り返されねばならない。子供たちは自分の規則を作ることに関して責任を担うべきではない」― 1981年9月13日付,ニューヨーク・デーリー・ニューズ紙。

      青少年センターの一局長はこう述べました。「子供たちは信用詐欺の大名人だ。規則を欲していることは否定するが,その詐欺の仮面をはいでみると別のものが現われてくる。子供たちは根底では,理にかなった規則は愛の証拠であると考えている」。

      子供たちはこの意見に共鳴するでしょうか。「少年院の少年たちによる,親のための規則」集に載っている,子供たちの意見の幾らかをここでご紹介します。

      「おれたちを少し怒らせて欲しい。厳しくして,いつも罰を与えて欲しい。だれが指導者なのか教えて欲しい。自分たちには強い支えがあることを知って安心感が得られるからだ。

      「ろうそくに火をともし,道を示して欲しい。神は死んでいるのでも,眠っているのでも,休暇を取っているのでもないと言って欲しい。おれたちは,自分よりも強くて大きなものを信じる必要があるのだ。

      「おれたちがうそをついたり盗んだり乱暴を働いたりするところを見付けたなら,それは悪いことだと知らせて欲しい。おれたちに罰が必要な場合には与えて欲しいけれど,やっぱりおれたちを愛していることを分からせて欲しい。

      「やれるものならやってみろという態度を示して欲しい。ぐずぐずしてはだめだ。学校に行かないとか家を出るとかいうおれたちの脅しにひるまないで欲しい。毅然としていることだ。子供たちの要求が全部子供の本心から出ているわけではない」。

      このすべては,あらゆる親の中でも最も賢明な方,児童福祉関係者の中でも最も偉大な方,すなわちエホバ神が語られた簡潔な言葉の中に見事に言い表わされています。霊感によるそのみ言葉聖書の中にはこう記されています。「父たちよ,あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。(エフェソス 6:4)創造者は,子供たちが欲しているものだけではなく,親が必要としているものも理解しておられます。若者も親も,続く二つの記事の有益な点に注意を払ってください。

  • 今日の若者のための健全な導き
    ものみの塔 1983 | 1月15日
    • 今日の若者のための健全な導き

      「我が子よ,聞いて,わたしのことばを受け入れよ。……わたしは知恵の道をあなたに教え諭(す)」― 箴言 4:10,11。

      1,2 (イ)若い人々に対するどんな質問がありますか。(ロ)信頼できる答えを,どこに見いだせますか。

      あなたは若い人として,自分の将来のことが心配ですか。この世が恐ろしく思えることがありますか。人生の問題にどのように対処できるか,また信頼できる導きと健全な知恵をどこに見いだせるかを知りたいと思いますか。

      2 そのような助けは,「若者に知識と思考力を」差し伸べる古い書物の中に見いだせます。その書物とは何ですか。聖書の箴言という書物です。若い人なら,ぜひ聖書のこの書を読んでください。それは,あなたが幸福になり成功を収める上で助けになるからです。大人であれば,特に親であれば,その書物からご自分のお子さんや年若い友達にどのように最善の助けを与えられるかが理解できます。箴言の最初の9章は,優しい父親が自分の息子に与えるような諭しです。父親はこう述べます。「我が子よ,聞いて,わたしのことばを受け入れよ。……わたしは知恵の道をあなたに教え諭(す)」― 箴言 1:1-4; 4:10,11。

      3 箴言の書は,若者にとって価値のあるどんな情報を与えてくれますか。

      3 もちろん,だれもがそうした助けを望むわけではありません。自分なりの方法で物事を行ないたがる人もいます。そのような人々は,たとえ神からのものであっても助言を望みません。しかし箴言には,「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ(る)」と書かれています。(箴言 1:5)この書物は,より幸福な生活を送る方法を示しています。また道徳律を論じ,正しい生き方をするときの幸福な結果について教えています。賢明な決定をする助けになります。知恵と知識が喜びを与えること,問題を起こす人から離れているなら自分の命を救えることを示しています。箴言の書は,あなた方若い人々にも,年長の人にも,巧みな指示を与えます。

      知恵と知識

      4,5 (イ)どのようにすれば知恵を得られますか。(ロ)多くの人々が聴こうとしないのはなぜですか。(ハ)あなたは,賢明な歩みとはどんなものだと思いますか。なぜですか。

      4 万物を造られた神は,知恵の源でもあられます。神はご自分の賢明な道を知らせたいとお考えです。神は,どんな人にも聞こえるよう「ちまたで」知恵に叫ばせました。でも,大半の人々は聴きたがりません。その知恵の源を好まないのです。箴言は,『エホバへの恐れは知恵の始めである』,そして「エホバへの恐れは知識の初めである。知恵と懲らしめをただの愚か者は軽んじた」と述べています。―箴言 1:20; 9:10; 1:7。

      5 多くの人々は,神に従いたいとは思いません。「エホバへの恐れは悪を憎むことを意味する」とありますが,そのような人々は現状のままを好むのです。(箴言 8:13)エホバを恐れるなら,エホバの不興を買う事柄を行なわないよう守られます。賢明な歩みとは,神の道と原則とを学び,他の何にも増して神に従うことです。そうすれば,恥,傷害,心痛などを生じさせる事柄,あるいは自分の命をさえ奪いかねない事柄を行なわないように守られます。

      6 知恵を得るためには,何をしなければなりませんか。

      6 知恵はだれでも得ることのできるものですが,それを得るには努力しなければなりません。それを欲し,それを得ることに打ち込み,それを大切にしなければなりません。そのためには時間と努力が必要です。こう自問してみるとよいでしょう。『自分は実際にはどんな人生を送っているだろうか。自分の目標は何だろうか。自分はくだらないことのために多くの時間を費やしているだろうか,それとも若い時の自由な時間を,知識と知恵を掘り出すために用いているだろうか』。知恵は宝石よりも価値があり,「他のすべての喜びもこれに及ばない」ものです。(箴言 8:1,5,6,11)あなたは,銀や隠れた宝を掘り出すようにして知恵を掘り出しますか。箴言はこう述べています。「銀を求めるようにそれを求めつづけ,隠された宝を求めるようにそれを尋ね求めつづけるなら,そのとき,あなたはエホバへの恐れを理解し,まさに神についての知識をも見いだすことであろう。エホバご自身が知恵を与えてくださるからである。そのみ口からは知識と識別力が出る」。あなたは神のみ言葉の研究に対して,このような努力を傾けますか。―箴言 2:4-6。

      7 (イ)研究と勉強を楽なものにするため,何ができますか。(ロ)なぜ,これには努力するだけの価値がありますか。

      7 『でも勉強することは嫌いだ,読書ほど退屈なものはない』と,あなたは考えているかもしれません。それでも,読めば読むほど,読書は楽になります。学べば学ぶほど,学ぶことは楽になります。新しい情報を,既に知っている事柄と結び付けるのです。そうすればよりよく理解できます。努力をするなら,神は祝福してくださいます。知識と理解が増してゆくにつれ,あなたは学ぶことに大きな喜びを感じるようになり,あなたが神の言葉から学んだ事柄はこの世であなたを保護するものとなります。これはただ単に聞こえの良い言葉や願いではありません。箴言が述べているように,これは事実であり,真理なのです。「知恵があなたの心に入り,知識があなたの魂に快いものとなるとき,思考力があなたを守り,識別力があなたを保護するであろう。それは,悪い道から,ゆがんだ事柄を話す者から,闇の道を歩むために廉直の道筋を捨てる者たちから」― 箴言 2:10-13。

      犯罪は割が合わない

      8,9 今日,都会に共通して見られるどんな問題を,箴言は論じていますか。箴言はこの点に関し,どんな重要な助言を与えていますか。

      8 この書物(箴言)は,聖書時代だけではなく今日の若い人々にも共通の問題や誘惑を扱っています。今日,都会には犯罪,暴力,非行少年の群れ,若者をえじきにする人々などが見られます。この古代の書物は,このような問題からあなたを守る助けとなるどんな警告を与えていますか。

      9 その書物は,悪い種類の人々とかかわりを持たないようにという警告を与えています。こう述べられています。「我が子よ,罪人があなたをたぶらかそうとしても応じてはならない。『ぜひ我々と一緒に来い。……価値のあるあらゆる貴重品を見つけよう。我々の家を分捕り物で満たそう。お前は我々の間でくじを引くべきだ。ただ一つの袋が我々みんなのものとなるようにしよう』と言いつづけても ― 我が子よ,彼らと一緒にその道に入ってはならない。あなたの足をとどめて,彼らの通り道から離れよ。彼らの足は全き悪に走る足であり,血を流そうと常に急ぐからである」― 箴言 1:10-16。

      10 邪悪な者たちの道筋について箴言は何と述べていますか。これは,なぜ重要なことですか。

      10 犯罪に走る人々と出会ったなら,逃れるべきです。ソロモンは次のように書きました。「悪人をうらやむな。彼らと一緒になることを渇望してはならない。彼らの心は奪略を思い巡らし,彼らの唇は難儀を語りつづけるからである」。(箴言 24:1,2)忘れてはなりません,犯罪は割の合わないものです。人に捕まらなくても,神は見ておられます。わずかな不正利得のために永遠の命を失うのは何と愚かなことでしょう! 箴言は,若者だけではなく,年長の人々にも次のように助言しています。「邪悪な者たちの道筋に入って行ってはならない。悪い者たちの道にまっすぐ進み入ってはならない。それを避けよ。そこを通ってはならない。それから離れ,通り過ぎよ。……あなたの足を悪いことから遠ざけよ」― 箴言 4:14,15,27。

      エホバを第一にしなさい

      11 忠誠のうちに歩み,物事をエホバの方法で行なうことにより,どんな祝福を受けますか。

      11 邪悪の歩みは,知恵の歩みと際立った対照をなしています。箴言は,忠誠のうちに歩む人々にとってエホバは「盾」であり,「ご自分の忠節な者たちの道を守ってくださる」と述べています。(箴言 2:7,8)エホバは,正しいことを行なう人々の前に永遠の命の見込みを置いておられます。「廉直な者たちが地に住み,とがめのない者たちが地に残されるからである」。(箴言 2:21)エホバを第一にするなら,豊かな祝福を受けることになります。「あなたの貴重なものと,あなたのすべての産物の初物とをもってエホバを敬え。そうすれば,あなたの貯蔵所は満ちて有り余り,あなたの搾りおけは新しいぶどう酒であふれるであろう」― 箴言 3:9,10。

      12 エホバを第一にした若い人々に関してどんな模範がありますか。彼らはどんな報いを得ますか。

      12 今日,数多くの若い人々が確かにこのようにしています。彼らは,エホバを生活の中で第一にします。開拓奉仕者として働くこと,あるいは,他の人が神について学ぶのを助ける聖書や書籍を生産するベテル・ホームでの奉仕など,全時間奉仕に自分の青春時代を費やしています。エホバから祝福を受けたかどうか,彼らに尋ねてご覧なさい。エホバが豊かな祝福を与えてくださり,物質的な富を目標としている同年代の仲間たちより霊的な富の面ではるかに優れたものを得ているという,偽りのない気持ちを話してくれるでしょう。―箴言 10:9; 15:16。

      道徳上の誘惑

      13,14 (イ)サタンはほかのどんな欲望を用いてきましたか。(ロ)今日,この問題はあなたの住む地域社会で深刻化していますか。

      13 広告主は,自社の製品を売ろうとして性を利用します。サタンは,神の僕たちを誘惑するために不義の性を用いてきました。例えば,幾万ものイスラエル人は荒野で長年を過ごした後,やっとのことで約束の地のそばに着いたのに,淫行に陥って命を失ってしまいました。―民数記 25:1-9。

      14 この危険について若者たちに警告することを嫌う人々は,今日の世界の状態に目をつぶります。下品な雑誌,わいせつな映画,セックス・ショップ,ポルノ,売春などが街角に見られます。箴言の最初の数章には,このような不道徳な誘惑に対する強力な警告の言葉が収められています。

      15 箴言は,不道徳行為に関してどんな警告を与えていますか。

      15 そこには,経験のない若者を誘惑する不道徳な女のことが出て来ます。こう記されています。「よその女の唇は蜜ばちの巣のように滴りつづけ,その上あごは油よりも滑らかだからである。しかし,彼女が後に残す作用は苦よもぎのように苦く,もろ刃の剣のように鋭い。その足は死へ下って行く。……あなたの道を彼女のそばから遠ざけよ。彼女の家の入口に近づいてはならない。あなたが自分の尊厳を他人に,自分の年を残酷なものに渡すことのないため(である)」― 箴言 5:3-14; 2:16-19; 6:27-29,32。

      16 不道徳な誘いからすぐに逃れない人には,どんなことが生じかねませんか。

      16 そこでは,「心の欠けた」,「経験のない」若い男が,悪賢くいかがわしい言葉に耳を傾け,恥じることもなく自制心をすっかり失ってしまったことについても述べられています。「[女は]滑らかな唇によって彼をたぶらかす。突然,彼はその女について行く。ほふり場に向かう雄牛のように。……しかも,彼はそれが自分の魂にかかわることであるのを知らないでいる」。エホバの恵みから引き離され,死へと下って行くのはこの男だけではありません。『彼女によって殺されてゆく者はおびただしい数に上る』からです。―箴言 7:6-27。

      17 エホバの見解によれば,淫行はどれほど重大なものですか。

      17 これらの警告は若い男子を対象にしたものですが,同様に若い女性にも当てはまります。淫行の結果について人間がどう考えようと,エホバの見解ははっきりしています。それは死の道です。それは,神が回復される地上の楽園に入ることを妨げます。「あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者……は神の王国を受け継がないのです」― コリント第一 6:9,10。エフェソス 5:5。

      18 (イ)性の不道徳に関する聖書の助言は重荷ですか。そのように答える理由を述べてください。(ロ)この問題に対して,箴言はどんな良い助言を述べていますか。

      18 性道徳に関する聖書の賢明な助言を適用するのは重荷であるなどと,だれも考えるべきではありません。その助言を適用すれば,離婚,欠損家族,非行少年,売春,ねたみに駆られることなどは少なくなり,家族はより幸福に,人生はより楽しくなります。箴言は美しい詩的な言葉を用いて,この賢明な歩み方を勧めています。不道徳な人からも,ほかのどんな人からも街路で快楽を求めてはならず,そのようにして自分の泉を戸外にまき散らしてはならない,と述べています。結婚したなら,他の人との不道徳な関係というわなに陥ることなく,自分自身の配偶者と共に歓ぶようにと勧めています。弱さのある人はだれでも性的衝動に屈してしまいがちですが,結婚するまで性関係を慎み,結婚してからは自分自身の結婚配偶者とのみ性関係を持つというのが真のクリスチャンの歩み方です。―箴言 5:15-23。

      仕事と誇り

      19 箴言は仕事についてどんな助言を与えていますか。

      19 箴言は他の点でも助けになります。多くの若い人々にとって余り気乗りがしないこと,つまり一生懸命に働くことを勧めているのです。これは,学校で,職場で,クリスチャンとしての全時間の奉仕に適用できます。「ありのところへ行け。そのやり方を見て,賢くなれ」と助言されています。監視する上司がいなくても,クリスチャンは忙しいありのように,正直に一日の仕事を果たします。―箴言 6:6-11。エフェソス 6:5。テトス 2:9,10。ヘブライ 6:10-12。

      20 (イ)エホバはほかにも何を憎まれますか。(ロ)あなたなら,この助言を自分の生活にどのように当てはめますか。

      20 そして,ごう慢な者,問題を起こす者にならないようにすることも重要です。「エホバの憎まれるものが六つある。いや,その魂にとって忌むべきものが七つある。高ぶる目,偽りの舌,罪のない血を流している手,有害な企てをたくらむ心,急いで悪に走る足,うそを吐く偽りの証人,そして兄弟の間に口論を送り出す者である」― 箴言 6:16-19。

      あなたの家族

      21 箴言は,親に関してどのような助言を与えていますか。なぜこれは重要ですか。

      21 自分の家族から得る助けを見過ごしてはなりません。箴言はこう述べています。「我が子よ,あなたの父の戒めを守り行ない,あなたの母の律法を捨て去ってはならない。……あなたが歩き回るとき,それはあなたを導き,あなたが横たわるとき,それはあなたのために見張りをし,あなたが目覚めたとき,それはあなたのことを思いに留めるであろう」。(箴言 6:20-22)あなたのご両親が神の僕である場合は,それはことのほか真実です。しかし,たとえご両親が未信者であったとしても,お二人はあなたがまだ見ていない事柄を沢山見てこられましたし,ご両親の導きは,多くの問題からあなたを守ることができます。

      22 (イ)思春期に自分の親を信頼することの重要性については,何と言うことができますか。(ロ)ヘブライ 12章11節,および箴言 4章10-13節から何を学べますか。

      22 思春期 ― 子供から成人に至る過渡期 ― になっても,非常に多くの若い人々がしているように,決して自分を親から引き離してしまうようなことがあってはなりません。自分の親は古くて“時代遅れ”だと思えるかもしれませんが,親はこの変わり目の時期にあなたが平衡を保つよう助けることができるのです。ご両親と話をしてください。自分の問題について聴いてもらうようにしましょう。ご両親は,人生行路をゆくあなたを困らせたいとか束縛したいとか思っているのではなく,あなたの歩みをより容易なものにしたいと願っているのです。確かに若い人々は自分のやり方で物事をしたがり,助言によく腹を立てますが,謙遜であれば,その助言に伴う痛みをあまり感じません。謙遜な人は自分が過ちを犯すことを知っており,援助を与えようとする他の人の努力を感謝します。箴言はこう述べています。「賢い人に戒め[矯正]を与えよ。そうすれば彼はあなたを愛するであろう」― 箴言 9:8,9。ヘブライ 12:11。箴言 4:10-13。

      23 あなたにとって,この研究の要点は何ですか。

      23 ですから,敬虔な知恵は今日の若い人々が得ることのできるものです。たとえ経験がなくても,学び,理解することができます。知恵はあなたに呼びかけています。「最も重要な事柄」について,また「他のすべての喜びもこれに及ばない」ということについて告げているのです。(箴言 8:6,11)知識を得,知恵を身に着けるには,類まれな宝に対してするように,研究し,掘り出さなければなりません。「[知恵]を見いだす者は必ず命を見いだし,エホバから善意を得る」のです。―箴言 8:35。

      この記事をお読みになった皆さんは,この記事の下地になっている箴言 1章から9章を通読したいと思われることでしょう。

      次の要点を覚えていますか

      □ 箴言の書は,今日の若者たちにどのような助けを差し伸べていますか

      □ 多くの人々がその助けを拒むのはなぜですか

      □ 知恵を得ることができるという事実は,あなたの生活にどのような影響を及ぼすはずですか

      □ 今日,都会に共通して見られるどのような誘惑について,箴言は警告を与えていますか

      □ 性道徳に関する聖書の諭しが重荷でないのはなぜですか

      □ 若い人々は,自分の家族からどのような助けを得ることができますか

      [22ページの囲み記事]

      知識と知恵と理解

      箴言の書は,これら三つの語について多くのことを述べています。この三つはどこが違うのでしょうか。

      知識は,人が研究や観察や個人的な経験を通して学んだ事実に精通していることです。賢明な人は「知識を蓄え」,その蓄えの中から知識を引き出すことができます。―箴言 10:14。

      知恵は,知識を健全な判断と結び付けます。それは,問題を解決し危険を避けるために,成功に導く方法で知識を用いる能力です。それは,判断に健全さと明快さを付与する,知識の広さと理解の深さを意味します。知識を持っていてもその使い方を知らないなら,知恵に欠けることになります。『知恵は主要なものです』。それなくしては知識はほとんど無価値だからです。―箴言 4:7。

      理解。これで知識と知恵の違いが理解できました。あなたはこの二者の違いを区別し,判断することができます。神が命じておられるがゆえにあなたはある歩みに従うかもしれませんが,そうする理由,それが果たす良い目的,それがもたらす益について理解するなら,あなたの決定ははるかに強力なものとなります。箴言には,どの歩みが正しく,どの歩みが間違っているかだけでなく,なぜそれが真実かを理解する助けとなる実際的な情報が含まれています。

  • エホバを愛するよう子供たちを育てる
    ものみの塔 1983 | 1月15日
    • エホバを愛するよう子供たちを育てる

      「我が子よ,あなたの心が賢くなったなら,わたしの心は,このわたしの心は歓ぶであろう」― 箴言 23:15。

      1 親はどんな格別な喜びを持てますか。この点に関し,親として皆さんは何をすべきですか。

      小さな子供たちが成長し,神の円熟した僕になるのを見るのは何という喜びでしょう! 段階的に,子供たちは好奇心をふくらませ,知識を吸収し,能力を身に付け,キリスト教の真理の側に立ち,円熟性を培い,神に献身し,神の忠実な僕になってゆきます。親の皆さんは,このすばらしい道を歩めるようどのようにお子さんを援助できますか。それには明らかに努力が必要です。使徒パウロは,「自分が聞いたこともない者にどうして信仰を持つでしょうか」と問いかけました。そしてもしだれかが教えなければどうして子供たちは聞くことができるでしょうか。―ローマ 10:14。

      2 子供たちがエホバ神に感謝するよう,どんな助けを与えることができますか。

      2 小さな子供にとって不思議に思えることはたくさんあります。チョウチョ,鳥,花,一枚の葉っぱ,空,星 ― こうしたものすべてが子供たちの興味をそそります。このことから,創造者について,また創造者に感謝する理由について話す本当にすばらしい機会が開かれます。『エホバに感謝をささげるのは良いことです』と詩編作者は書きました。(詩編 92:1)自然界の驚異,物質的な必要物,神のみ言葉の真理に対して感謝することができます。子供たちは,感謝に満ちた親の態度を観察し,それを決して忘れることがないでしょう。―詩編 8:3,4; 19:1。ローマ 1:20。申命記 8:10。箴言 22:6。

      3 子供たちを教える優れた方法の一つは何ですか。例をあげてください。

      3 幼い子供たちは物語が好きです。神はこのことをご存じです。本当にあった数々の物語,ごく幼い子供たちにさえ神の道を教えることができる物語を,神は聖書の中に収めてくださいました。これらの物語から,例えば,アブラハムのように信仰を持ち,ヨシュアとカレブのように神を信頼し,サムエルやテモテのように若い時に神に従い,年若いシャデラク,メシャク,アベデネゴのように信仰のために堅く立つべきことが分かります。a

      4 今日,そして聖書時代において,神の道について学んだ子供たちに関するどんな模範がありますか。

      4 子供たちは物事を早く学びます。宣伝文句も,親にしてみれば子供に聞かせたくなかったと時折感じる多くの事柄も覚えてしまいます。神とその道について学ぶよう子供たちを助けるのは,はるかに重要なことです。子供たちはクリスチャンの集会で良い注解ができ,小さいうちから神権宣教学校に参加できるということについて述べた人は少なくありません。このような若者たちは,子供の訓練に関する聖書の教えの価値を示す生きた手本です。イスラエル人の親たちは,子供たちを絶えず教えるべきであり,「幼い者」も,神の律法が読まれるのを聞くために連れて来られました。彼らの子らは耳を傾け,「あなた方の神エホバを恐れることを学ば」なければなりませんでした。―申命記 31:12,13; 6:5-9。

      5,6 神の道を学ぶよう子供たちをどのように助けることができますか。

      5 あなたは神のみ言葉について非常に多くのことを知っているかもしれませんが,子供たちも同じだとは限りません。子供たちは知識を遺伝的に受け継ぐのではありません。子供たちに神の驚嘆すべき事柄を教え,子供たちが学びたくなるようその教え方を魅力的なものにするのは親であるあなたの責任です。

      6 あなたのお子さんは聖書の教理を理解していますか。日常生活の原則を学びましたか。あなたは子供たちと定期的な家族の聖書研究をしていますか。子供が小さい場合には,子供向けに書かれた46の章を含む,「偉大な教え手に聞き従う」という本を勉強しましたか。それが済んでいるなら,また子供たちが大きくなっているなら,若い人々が人生に立ち向かう助けになる際立った情報を提供している,「若い時代,それから最善のものを得る」を研究しましたか。聖書によれば,若いテモテはこうした事柄を「幼い時から」教えられました。セイルに行く途中,ヤコブが「子供たちの足なみ」に心を配ったことは,子供たちの能力に自分の足なみを合わせることの重要性を指し示しています。一緒にする研究は,子供たちが理解できる程度のもの,年齢にふさわしい理にかなった長さのものであるべきです。―テモテ第二 3:15。創世記 33:14。

      真理の力

      7,8 (イ)真理の知識が非常に大切なのはなぜですか。(ロ)子供たちがクリスチャンの集会に対する認識を持てるよう,親はどのように助けられますか。

      7 神の真理には強い力があります。大人の考え方や人格を変えることができるのです。聖書は,『あなた方の以前の生き方にかなった古い人格を捨て去り,そして,あなた方の思いを活動させる力において新たにされるように』と述べています。(エフェソス 4:22-24。コロサイ 3:9,10)そのように強力であるため,キリスト教の真理には子供たちにとって大きな保護となる力が備わっています。最初のころ自分が行きたいと思ったかどうかは別にして,神の言葉の討議が行なわれている集会に連れて行こうと親が絶えず努力してくれたことに対し,若い人々はしばしば感謝を言い表わします。十代のある若者はこう言いました。「最初のころは,行きたくないというのが本心でした。余りよく理解できなかったのです。それから,あることに気付いて気持ちがとてもはずむようになりました。それは何かと言うと,自分は聖書について学びつつあるのだ,ということでした」。

      8 子供たちが集会で理解できるよう,多くの親は前もって一緒に準備をします。集会で学んだ幾つかの点を覚えておき,それを帰る途中に話すよう子供たちを励ます親もいます。イスラエル人の家族がエルサレムでの崇拝から帰る途中の楽しい話し合いのことを思い起こすことができます。―申命記 31:10-13。ルカ 2:41,42。

      敬虔な奉仕

      9,10 子供たちがクリスチャンとしての奉仕に対する認識を持ち,その奉仕を楽しむよう助けるためにあなたは何をすることができますか。

      9 公に宣べ伝える業に参加することについて,あなたのお子さんは敬虔な奉仕を,幾分エレミヤと同じようにみなすかもしれません。「ああ,主権者なる主エホバよ! わたしは一体どのように話したらよいのか,それさえ分かりません。わたしは少年にすぎないからです」。ですから,子供たちを段階的に援助することが大切です。年齢や進歩の度合に応じ,玄関のブザーを鳴らしたり,招待ビラを渡したり,一つの聖句を読んだり,近所の家で聖書に基づいた出版物を提供したり,場合によっては聖書研究を司会したりできるでしょう。―エレミヤ 1:6,7。

      10 あなた自身の態度はお子さんに大きな影響を与えます。ある若いエホバの証人はこう語っています。「母は奉仕に本当に喜びを感じていました。家に帰って来る度に母は何かしら良いことを話してくれました」。母親が1か月間を開拓者(全時間の伝道者)として過ごせるよう若い人々が余分な雑用を行なうなら,子供たちは自分が母親の活動の一部であると感じ,同じような特権に自分もあずかりたいと期待するようになります。21歳になるある人はこう述べています。「私の両親は,開拓奉仕は最良の生き方だと考えている,といつも私に教えてくれました」。別の若者は「開拓奉仕を目標としなかった時のことなど思い出すことさえできません」と説明しました。若い人々はエホバに仕えることを喜び,楽しい経験をすることができます。エホバは「幸福な神」であられ,キリスト・イエスは「幸福な唯一の大能者」だからです。―テモテ第一 1:11; 6:15。

      認識

      11-13 (イ)将来に対する不安,(ロ)死に対する不安に関し,あなたの信仰がお子さんに与えることのできる利点にはどんなものがありますか。

      11 子供たちに,他の人の得ていないものを得ていることについての認識があるかどうかを確かめるのは重要なことです。

      12 子供たちが得ている一つのものは安全です。今日の一般の若者は世界の様々な問題について学校で討議し,それらの問題をテレビで見ています。彼らは,汚染,核戦争,将来起こるかもしれない世界の破滅について語ります。若いエホバの証人たちは彼らとは異なり,確信と安心感を抱いています。神はそこまで事態が進むのを許されることはなく,「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」ということを知っているのです。―啓示 11:18。

      13 子供の友達の多くは死におびえます。13歳の子供はこう述べました。「ただ大きくなって将来死ぬしかないというのは,正しいこととは思えません」。死者には「何の意識もなく」,彼らの「考えは滅びうせ」,したがって死者が責め苦にあうはずはない,と聖書が述べていることをお子さんたちは知っています。彼らはまた,聖書が命を約束していること ― 墓の中にいる大勢の人々が「出て来る」ことを知っています。「終わりの日の復活」があるからです。お子さんたちは,聖書の伝道の書 9章5,10節,詩編 146編4節,ヨハネ 5章28,29節,そしてヨハネ 11章11節から25節の慰めを与えるこれらの記述を読むことができます。

      14 真理を持つことはお子さんにとって重要なものであるはずです。それはなぜですか。

      14 さらに,子供たちは自分が得ている真理の重要性を理解していますか。ある若いエホバの証人はこう言いました。「私を真理に引き寄せたものはそれがまさにそのもの ― 真理だったからです。私はいつも物事を説明してもらわなければならず,いつも,なぜですか,と尋ねました。聖書は極めて明快な本で,内容をよく把握できます」。「真理はあなた方を自由にするでしょう」とイエスは言われました。真理は幾千幾万という人々を,宗教的な束縛だけでなく,麻薬・不道徳・性病の危険・迷信・偽りの教理・この邪悪な世を特色づけている様々な心配の種や問題からも自由にしてきました。―ヨハネ 8:32。

      15 親も子供たちも,(イ)ヨハネ第一 4章9,10節,(ロ)ペテロ第二 3章13節に書かれている真理によって,どのように動機付けられるはずですか。

      15 あなたはお子さんに,神の愛と憐れみの重要性を教えましたか。贖いとしてみ子を地上に遣わされたことが神にとってどんな意味があったかを子供たちは認識していますか。(ヨハネ第一 4:9,10。ローマ 8:38,39)地上の楽園での永遠の命の見込みを大切にしていますか。(ペテロ第二 3:13)こうした祝福に対するあなた自身の認識は,そのような認識において成長するよう子供たちを刺激するものとなります。聖書は,親が神を恐れその戒めを守るべきであると述べています。『彼らまたその子らにとって,定めのない時に至るまで物事が良く運ぶためです』― 申命記 5:29。

      16 家族の中における神の言葉の価値についてどんなことを理解するよう,子供たちを助けるべきですか。

      16 お子さんは,神の言葉に関する知識が家族の中で成し遂げてきた事柄を理解していますか。子供たちには,離婚の結果二,三人の母親あるいは父親を持つ友達がいるかもしれません。あなたの家族が一致した家族であるなら,つまり両親が互いに生涯にわたる誓いをしているのであれば,子供たちはこれが聖書の原則に調和していることを認識していますか。(ヘブライ 13:4)子供たちは聖書中に示されている様々な原則が,多くの若い人が今まで得たことのなかった安心感,交友,帰属意識,目的意識,指示,達成感,個人的な価値などを得る助けになるということを理解していますか。

      17,18 (イ)宗教的に分かたれた家族で(ロ)片親しかいない家庭で,子供たちは,どうすれば神の言葉が自分にとって価値があることを理解できますか。

      17 しかし,『私の家族は分かたれています。―夫(あるいは妻)はそのような原則を適用しません』と考えておられるかもしれません。だからといって,これらの原則を適用しなくてもよいわけではありません。聖書は,未信者の夫が「言葉によらず,妻の行状によって……引き寄せられる」と述べています。未信者の配偶者があなたの立派な模範に心を動かされるのであれば,あなたが敬虔な原則を忠実に適用するとき,それがお子さんにどのような影響を及ぼし得るか,考えてみてください。―ペテロ第一 3:1,2。

      18 あるいは,あなたは配偶者のいない親で,独りで子供を育てなければならないかもしれません。そうであれば,その問題をお子さんたちに知らせてあげましょう。互いに支え合うのです。自分たちの生活と,自分たちが知っている片親だけの他の家族の生活との違いを理解させましょう。泥酔やアルコール中毒,淫行,他の肉の業が入り込むことのない家庭で生活できるとは,何とすばらしい祝福なのでしょう!―コリント第一 6:9,10。ガラテア 5:19-21。

      健全な活動

      19,20 (イ)親はどのようにして,意思の疎通や交わりに対する子供たちの必要を満たすのを助けることができますか。(ロ)その結果どうなりますか。

      19 子供たちには遊びが必要です。聖書がエルサレムの神殿の回復と結び付けている幸福な状態の一つは,「その公共広場で遊ぶ男の子や女の子」でした。(ゼカリヤ 8:5)子供たちにはあなたの時間も必要です。子供たちと一緒に時を過ごし,子供たちに話をさせ,子供たちの言うことに本当に耳を傾けるだけで意思の疎通を図ることができ,子供たちの問題を知り,助けになることができるのです。クリスチャンの子供たちは異教の起源を持つ特定の祝祭日を祝うことはありませんが,親は,遠足,ホームパーティー,他の健全な家族の楽しみごとのための時間をしばしば計画します。子供たちは年間を通じ,何度か贈り物をもらいます。祖父母が訪問してくれる時にパーティーを開く家族もあります。親たちは,他の若いクリスチャンとの健全な交わりを勧めます。家族が孤立しているなら,若い人たちはクリスチャンの大会で会う人とペンフレンドになることができます。

      20 一人の父親は自分の子供たちに,「信仰のために何かを得損なっていると感じることがあるかい」とよく尋ねます。「全然ありません!」という答えです。一人の若者は,自分の人生を学友の人生と比べてこう言いました。「今自分が得ていないものと言えば,沢山の面倒な問題だけです」。

      外からの助け

      21 子供たちの訓練は親の責任であるとはいえ,他の人々もどのように助けになれますか。

      21 子供たちを教えるのはわたしたち自身の責任です。聖書の示すところによれば,父親は率先すべきであり,母親は助けを与えるべきです。こう述べられています。「我が子よ,あなたの父の懲らしめに聴き従え。あなたの母の律法を捨て去ってはならない」。(箴言 1:8。エフェソス 6:4)しかし,これは他の人が助けてはならないという意味ではありません。会衆は一つの家族です。また円熟した年長者たちが,自分の幼かったころ,会衆内のある人から差し伸べられた特別な援助について語ることは珍しくありません。熱心なエホバの証人たちは,ずっと以前に自分をクリスチャンの奉仕に連れて行ってくれた人々のことを思い出すたびに,愛情を覚えます。年上の人々がそうした関心を自分に示してくれ,正しい道にとどまれるよう助けてくれるとき,若い人々はそのことを本当に感謝します。―箴言 13:20。

      あなた自身の模範

      22 あなたが示す模範はどれほど重要なものですか。

      22 あなたが導きを神に仰ぎ,神のみ言葉を自分の一部にしていること,つまりあなたがそれを本当に信じ,それを生活に当てはめているのを見るのは子供たちにとって大切なことです。(詩編 143:10)子供たちはあなたの態度を見ています。集会をいやなものと考えたり,長老たちの粗探しをしたり,会衆内の人々を批判したり,エホバの奉仕に時間を費やすことをいやがるなら,お子さんもあなたの悪い手本に倣うことになるでしょう。しかし,このような神権的な取決めをエホバからのすばらしい祝福と見るなら,お子さんも同じ見方をするでしょう。子供を育てるとは,主に,大きなことをわずかな回数行なうことではなく,小さなことを何度も何度も行なうことです。小さなことを毎日正しく行なうなら,大きなことが生じたとしてもそれに対処することができるでしょう。―ルカ 16:10。マタイ 25:21。

      23 あなたの期待は子供たちにどんな影響を及ぼすことがありますか。

      23 子供たちにとって,自分は親の心の中で特別な場所を占めているのだということを知るのは非常に大切なことです。あなたが本当に子供たちを愛しており,子供たちが敬虔な原則に従わなければあなたは落胆するということを子供たちは知っていなければなりません。ソロモンはこう書きました。「我が子よ,あなたの心が賢くなったなら,わたしの心は,このわたしの心は歓ぶであろう」。また,『義なる者の父は必ず喜びに満ちる』とも書かれています。(箴言 23:15,24)しかし,お子さんが成長し,気ままに生活したいという強い衝動を感じて,これまで一緒に話し合った事柄で神の目に悪いと分かっていることを行なってしまう場合はどうでしょうか。すぐにあきらめてしまったり,助けようとする努力をやめたりしてはなりません。忘れてはなりません,子供たちも不完全であり,非常に困難な過渡的な時期を経験しているのかもしれません。落胆するとしても,物分かりのよい,なおかつ毅然とした明確な方法を用い,神の原則に従うのは確かに子供にとって最善であることを示し続けましょう。―ヤコブ 3:2。

      24 親が子供たちを敬虔な原則に従って育ててきたなら,どんな報いを期待できますか。

      24 子供たちが立派な若い男子また女子に成長し,自分の責任を担い,親が教えようと努力した事柄を生活に当てはめるのを見るのは喜ばしいことです。パウロが若いテモテに勧めたとおり,わたしたちは子供たちにこう言います。「自分自身を,是認された者,また真理の言葉を正しく扱う,何ら恥ずべきところのない働き人として神に差し出すため,力を尽くして励みなさい」。(テモテ第二 2:15)次いでわたしたちは,自分の霊的な子供にもなった,自分の実際の子供についてこう言うことができます。「わたしの子供たちが真理のうちを歩みつづけていると聞くこと,わたしにとってこれほど感謝すべきことはありません」― ヨハネ第三 4。

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