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  • 若い人々が宗教にひかれるのはなぜか
    ものみの塔 1978 | 12月1日
    • 若い人々が宗教にひかれるのはなぜか

      「全く不思議な現象だ」と多くの人々は語っています。それは最近,宗教に心を向ける若者が世界中で増えている事を言っているのです。西欧においては大勢の若者が,いわゆる“イエス革命”にかかわりを持ち,様々の“精神的指導者”や宗派が,あらゆる階層から帰依者を集めています。東洋においても,日曜日には遊びに出かけるよりも聖書を手に教会へ行く若者の姿を見ることが珍しくありません。香港では単に会員となって聖書を討議し,聖書協会の印刷したパンフレットを手渡すことなどをする若者の小さな集まりが数多く別個に組織されました。

      宗教熱のこの高まりをひき起こしたものは何ですか。それは宗教を教える学校ではあり得ません。宗教に関する講義はたいてい退屈で内容の乏しいものだからです。むしろ,それは次のような事実が背景となっているように見えます。つまり世界のどこにおいても若者は,物質主義及び人間の政府や企てが貪欲,利己主義,戦争,悲惨そしてばく然とした空虚感を生み出してきたに過ぎないことを悟っているのです。多くの若者は麻薬,性そしてアルコールを試みましたが,何の解決策も見いだしませんでした。そこで彼らは宗教に期待してそれに心を向けます。しかし多くの場合その宗教は自分の家の宗教ではありません。

      宗教へのこの突然の帰依と生活の変化は,親や家族の者にとってしばしば大きな心配の種となっています。これも時にはいわれのない事ではありません。宗教グループの中には,若い帰依者が家族や友人を捨て,すべてのお金をグループにつぎ込み,世間と離れた共同体の中で孤立した生活をさせるものもあるからです。東洋では,親は,もっと高い教育,収入の多い仕事など物質的利益をもたらすものを子供が追い求めることの方を望んでいます。

      あなたが若者であれば,自分の宗教的信条のことで家族のだれかに突然,反対される時,どう感じ,また反応すべきですか。宗教の相違あるいは反対がある時,家族の者同士に大きな仲たがいが必ず生ずるということですか。そうではありません。しかしこれらの質問に正しく答えるには,まず自分が正しい宗教を持ち,またその事を事実によって証明できなければなりません。それは正しい宗教つまり聖書の宗教だけが子供たちをいっそう良い子供にし,またどうすれば両親や家族の他の者たちといっそう親密な関係を保てるかを教えているからです。家族の創始者また人類の創造者エホバは,真に一致した幸福な家族になる道を聖書の中でくわしく教えてくださっています。

  • 真の宗教はどのように若い人々を益するか
    ものみの塔 1978 | 12月1日
    • 真の宗教はどのように若い人々を益するか

      どの家族にせよ,家族の全員が聖書によく注意を払い,聖書の良い助言を,たとえ不十分な試みであっても努力して実行に移すならば,すべての家族は内部の一致と幸福を楽しむことでしょう。そのうえ,家族,部族そして国家間の争いや戦争はやむでしょう。しかし現在のところ,このような事はどこにでも見られるというものではありません。時として家族の中で一人だけがこの良い道をとります。もし事態がこのようなものであるなら,例えば息子あるいは娘だけが聖書の原則を熱心に行なおうと努めているならばどうですか。それは幸福な家族のふんい気をかもすでしょうか。必ずしもそうではありません。しかし一致を強める影響力が生ずる結果になることは確かです。また息子あるいは娘に神の助けがあることは確かであり,それによって問題にいっそうよく対処し,いっそう平安な思いを抱き,家庭に健全な感化を及ぼすことができるでしょう。

      ここに述べた,クリスチャンの持つ一致を促す力を考慮するに際して,ある人々はルカ 12章52,53節の,分裂を生じさせるために来たというイエスの言葉を思い起こすかもしれません。イエスは言われました。「一つの家で五人の者が分裂し,三人が二人に,二人が三人に逆らうのです。彼らは分裂し,父は息子に,息子は父に逆らい,母は娘に,娘は母に逆らい,しゅうとめは嫁に,嫁はしゅうとめに逆らうでしょう」。この事を言われたイエスは,家族関係にひびが入ることを勧めていたのではありません。イエスはご自分の肉身の兄弟に敵対する立場をとることはされませんでした。他方,イエスの兄弟たちはイエスを励まそうとはせず,イエスの主張に対しては,それをけなす言葉を語る傾向がありました。それでもイエスの行ないは,兄弟たちをして,イエスの教えた「良いたより」を遂には信じさせクリスチャンにならせるものでした。―ヨハネ 7:3-5。使徒 1:13,14。

      イエスはご自身の生涯の経験によってのみならずその言葉によっても,ご自身の追随者が多くの場合,自分の家族に拒絶され,嘲笑され,迫害されることさえある事を指摘されました。しかし信者の側の粗暴な,あるいは無礼な行為によって敵意を生じさせるべきではありませんでした。それは実際にはキリスト教精神に反することであり,またクリスチャンそれも若いクリスチャンが特に陥りやすいわなです。男女を問わず,若いクリスチャンは聖書の真理を知るようになる前は,敬意を欠いていたかもしれません。しかし聖書の真理はクリスチャンをすばらしく変える力があります。クリスチャンは聖書のきわめて優れた価値を行ないによって示し,神の前に自分をすべての人の良心に薦めることができるのです。―コリント第二 4:2。

      クリスチャンの行ないの変化を理解あるいは認識できないため,激しい敵意を実際に表わす人々に関して,イエスは次の事を命じています。「あなたがたの敵を愛しつづけ,あなたがたを迫害している者たちのために祈りつづけなさい。それはあなたがたが,天におられるあなたがたの父の子であることを示すためです」。(マタイ 5:44,45)クリスチャンの絶えざる願いは,このような人々がやがては信者になることです。

      真理に対する反対に直面しても,クリスチャンは主イエス・キリストと同じく堅く立って真理を擁護します。しかし確固としていることは荒々しく振舞うことではありません。いつでも親切に振舞います。自分を他の人々より上であるとは考えず,ごう慢な者,“口答えする”者とはなりません。(これは特に今日の多くの若い人々に見られる傾向です。)嘲笑されたり,悪口を言われたりする時,クリスチャンがペテロの次の言葉に留意するのは良いことです。それは「あなたがたのうちにある希望の理由を問う人のだれにも,その前で弁明できるよう常に備えをしていなさい。しかし柔和な気持ちと深い敬意をもってそうするようにしなさい」という言葉です。(ペテロ第一 3:15)この柔和な気持ちと深い敬意は,特に自分の家族に対して示されねばなりません。このように答えるには,誠実で真剣かつ勤勉な研究と努力が必要です。すべてのクリスチャンは,たとえ若い人であっても,自分の信仰のもっともな理由をはっきりと,余すところなく述べることができなければなりません。さもなければ,彼らの信仰はどこにあるのでしょうか。

      親の権威を尊重する

      クリスチャンとなった若い人は,イエスの言われたとおり「真理はあなたがたを自由にする」という事を学び知ります。(ヨハネ 8:32)さらに今日の若者を支配あるいは実際に奴隷にしている多くのもの ― 仲間に対する恐れ,“群衆に従わせよう”とする周囲の圧力,英雄崇拝,ねたみを示す言動,競争,悪い欲望,欲求不満,悪い仲間に感化されることから生ずる痛ましい結果などを確かに免れていることを知ります。しかし若い人々は無制限の自由を与えられている訳ではないことを認める必要があります。つまり正しく制定されている権威を認めなければなりません。その主要なもののひとつは親の権威です。子供を正しい道に訓育し,それぞれの子供にとって何が最善かを決める責任を親に授けたのは神ご自身です。―申命 6:1,6,7; 31:12,13。

      親の権威には懲らしめの「むち」が含まれています。箴言 23章13,14節(新)の言葉はこうです,「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。杖で打ちたたいても,彼が死ぬことはない。杖をもって彼をたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」。与えられた懲らしめが正当なものではないように子供には思えることが時にあるかもしれません。しかし子供は次の事を忘れてはならないのです。つまり親はその権威の行使に対して神の前に責任があり,さらにたとえ懲らしめが正しく与えられていなくても,神はそれが従順な子供の益となる結果を生むようにしてくださるという事です。―ローマ 8:28。

      親の権威に従うことは,若い人が使徒パウロの次の言葉を考える時ずっと容易になります。「たしかに,どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに見えず,むしろつらいことに思えます。しかしのちには,それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出すのです」。(ヘブライ 12:11)この事を認識する若者は,学校での訓練のみならず両親や会衆内の年長者の手から受けるしつけに感謝できます。彼は急速な進歩を遂げ,また清い良心およびはばかりなく語る自由を享受することでしょう。たとえそれが,必ずしもとても楽しい経験ではない場合があるにせよ,権威に服従する時,若者は主エホバとみ子イエス・キリストに仕えていることになるからです。使徒は次のように書いた時,若い人々を慰めるため,彼らのことを特に配慮していました。「子どもたちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです」。(コロサイ 3:20)唯一の例外は,主に喜ばれない事を何かするように求められた場合と言えるでしょう。

      上からの知恵を働かせる

      創造者を崇拝する時,家族や仲間から支援されるとは限りません。そのような事情の下で平衡を保つ助けとして,神からの知恵を祈り求め,それを得ることができます。イエス・キリストの異父兄弟である弟子ヤコブは,試練の下にある人々に対して次のように書きました。「わたしの兄弟たち,さまざまな試練に遭うとき,それをすべて喜びとしなさい」。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての者に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます」― ヤコブ 1:2,5。

      ヤコブはまた「上からの知恵」を次のように描写しています。それは「まず第一に貞潔であり,ついで平和を求め,道理にかない,すすんで従い,あわれみと良い実とに満ち,不公平な差別をせず,偽善的でありません」。(ヤコブ 3:17)これらの資質のそれぞれを注意深く考慮し,自分がそれを表わしているかどうか,またどの点で改善できるかを正直に吟味してください。これらの資質を身につける時,自分自身のみならず他の人々の感情や立場を理解することが容易になります。

      次のことに留意しなければなりません。すなわち家族の者は真のキリスト教がどんなものかについてはそれほど知らなくても,まずたいていの場合,あなたの福祉を心にかけているということです。たぶん,あなたはエホバの証人と聖書の研究を始めました。あなたの親族や友人は,エホバの証人がどんな人々であるかを実際には知らないかもしれません。それで“あなたがこの宗教に時間をとられ過ぎている”と感ずる場合もあるでしょう。今日たいていの宗教に偽善が見られることを思えば,大人が懸念し,また警戒心を抱くのは当然です。若いあなたが宗教に熱心なのを見て,彼らはあなたが感情だけに基づいて行動し,分別を欠いているのではないかと心配します。反対されても,おだやかな道理をわきまえた態度で敬意にみちた答えをすることによって,あなたの決定が分別のある,また十分な根拠に基づいたものであることを証明できるかもしれません。

      それで次のように自問してみてください。自分は本当におだやかであり,道理をわきまえているだろうか。たとえある程度,家族が信仰に反対しているにせよ,自分は家族に対してこのような態度を示しているだろうか。どうすれば家族の一致を強め,そうすることによって創造者への自分の奉仕を魂のこもったものにできるだろうか。この点で自分の行動計画は,効果的に家族の責務をはたせ,しかも良いたよりの宣明にあずかれるような,平衡と分別を示すものだろうか。

      上からのものである聖書の知恵を働かせることにより,クリスチャンは行ないの面で,また家族との交流の面でたえず自分を向上させなければなりません。あなたの家族や友人は別に反対していないかもしれません。しかしもし反対するのであれば,あなたのすべき事柄は使徒ペテロの言葉に示されています。ペテロは次のように述べてクリスチャンを慰めました。「正しい良心を保ちなさい。それは,あなたがたが悪く言われている事について,キリストにあるあなたがたの良い行状を軽べつして語っている者たちが恥じ入るためです。というのは,善を行なって苦しみに遭うほうが,もし神がご意志によってそう望まれるのであれば,悪を行なって苦しみに遭うより善いことだからです」― ペテロ第一 3:16,17。

      多くの場合クリスチャンの行ないは,その語る言葉よりも強く他の人々に訴えます。

      香港でのこと,20代初めの娘さんがエホバの証人の聖書研究の集会に定期的に出席し始めたところ,家族,とりわけ年上の兄弟たちはそれを快く思いませんでした。しかし兄弟のひとりはその娘さんが以前には大声で母親と言い争ったのに,聖書の勉強を続けるにつれて変わり始め,次第に柔和でおだやかな気質を表わすようになったことに気付きました。それでもその兄は,妹が変化したのは,この新しい宗教の影響だということを信じないどころか,疑いを抱いていたのです。そして妹は実際には“だまされている”のであって,態度を変えたのも見せかけに過ぎないと考えていました。

      その事を確かめるため,兄は妹と一緒に一度地元のエホバの証人の王国会館に行き,集会に出席しました。驚いたことに,彼の見たものは社交クラブや寄付集めの集会ではなく,聖書を学んで生活に適用することに関心を持つ人々の,暖かく親しみやすいグループでした。ほどなくして彼も聖書を研究し始めました。今では兄妹ともバプテスマを受けた証人となって一緒に集会に出席し,また家族の他の者を集会に伴うようになっています。神と神の言葉に対する関心が呼び起こされ,反対は家族の一致と幸福へと変わったのです。このすべては一人の娘さんが聖書の助言を実行して,おだやかな気質と,他の人々を助けたいとの願いを培ったためでした。

      良い行ないをしても,それが反対者の目にとまらないように見える場合もあるかもしれませんが,クリスチャンはその事で落胆すべきではありません。

      以前は悪行に走り,独立心を示す傾向のあった若い女の子が,自分を変えてクリスチャンの人格を身に着けようと一生懸命に努力しました。最初,これについて両親はひとことも言わず,何の影響も受けていないかのようでした。するとある日,彼女は母親が隣人に語っている次の言葉をふと耳にしました。「娘がこの宗教[エホバの証人]に入った時はわたしも反対しましたが,近ごろは娘の行ないが非常に良くなってきたので,もう反対していません。これは良い宗教に相違ないと思います」。

      立派な行ないを示すことにたゆまず努めてきて本当に良かったと,彼女は思ったに違いありません。

      いちばん古い先祖,「日の老いたる者」

      エホバの証人の中の若者が,家族に是認されない場合でさえも,これほど確固として聖書に従うのはなぜですか。それは近親者に対する不敬を教えられているからですか。決してそうではありません。むしろ彼らは人間の歴史と同じくらい古いならわし,つまり最年長の父祖に尊敬と従順を示すというならわしに従っているのです。比較的最近に至るまで世界各地には,家族の最年長の男子に助言,知恵そして導きを求める社会が存在していました。その言葉は法であり,他の者 ― 息子,孫あるいは曾孫の言葉にまさって重きをなしていました。東洋の多くの人は死んだ先祖を崇拝さえして,先祖に導きを求めています。しかし真のクリスチャンは実際にはいちばん古い先祖すなわち父祖に聞き従っているのです。それは死んでいる者ではなくて「活る神」すなわち人類の創造者エホバ神です。―エレミヤ 10:10-12。

      聖書のダニエル書(7:9)は神のことを「日の老いたる者」と述べています。神は永遠より永遠まで存在し,すべての人間にとって生命の源です。(詩 36:7,9。使徒 17:24,25,28)したがってすべての人は神に従順でなければなりません。それは正しくしつけられた子供が両親や祖父母にすぐ従うのと同様です。「日の老いたる者」の知恵と教えに従うことによって,わたしたちはその子供と呼ばれるようになるのです。(ペテロ第一 1:14。ヨハネ第一 3:1。コリント第二 6:18)それで当然,創造者の年若いしもべは,相反する事柄を命ぜられる時にはいつでも最終的な権威者としてこの親に良心的に聞き従わねばならないと感じています。しかしそれと同時に両親に対する敬意を保ち,また愛を示します。

      エホバは家族と家庭生活の創始者であられるゆえに,エホバに仕える若い人はいっそう良い家族の一員となるはずです。息子,娘は道楽や不道徳やこの世の悪行にならって地的な親に恥をこうむらせるようなことをしません。彼らは目ざとく家事を手伝い,また常に貞潔で正しい行ないを示して両親の誉れとなります。(テトス 2:6-8)権威に反抗したり争ったりするよりもはるかに愉快で満足感を与えるこれらの事に注意を向ける時,真のクリスチャンである若者は創造者に誉れを帰すことになります。彼らの天の父もまたこの事によって栄光を受け,彼らの愛と信仰のゆえに彼らを祝福されます。

      どんな境遇の下におかれているにしても,神に喜ばれる道をとっている大ぜいの若者が全地にいます。おそらく若い人々にとって世の中の最大の魅力そして最大の圧力となるもののいくつかは,物質主義の風潮がゆき渡っている,いわゆる先進国に存在しています。真のキリスト教は,満足と幸福のために必要なものを若い人々に与え,また世の物質主義に押し流されることを免れさせることができますか。ひとつの良い例が,戦後のドイツ連邦共和国に見いだされます。

  • 戦後のドイツで若者たちはエホバを賛美する
    ものみの塔 1978 | 12月1日
    • 戦後のドイツで若者たちはエホバを賛美する

      1978年のドイツ。美しいヒースの野に覆われた,北部の吹きさらしの平原。半ばスモッグの層の下に隠れ,相変わらずざわめいている大規模な工業中心地ルール。新雪にすっぽりと覆われた壮大なババリアのアルプス,そして,皮のズボンや色鮮やかなダーンドル,ビールのジョッキやかっこう時計などを求めてその風光明びなところに群がる旅行者たち。これは,だれもが知っているドイツです。ほとんどのものは何も変わっていないように思われます。

      しかし,ドイツをも含めて世界は,恐らく第二次大戦後かつてなかったほどの速度で変化を遂げました。新たな危険や傾向,また新しい行動の基準が持ち込まれました。戦禍の中から立ち上がった以前の世代は,戦後の世代に一体どんな遺産を残すでしょうか。

      新しい世代の人々に自分たちの諸問題に首尾よく対処させる上で,真の神エホバとその目的に関する知識以上に優れた遺産はありませんでした。ヒトラー政権下で,そうした知識を持ち,また迫害の下でもその忠実さをよく知られていたクリスチャンたちがいました。それらのクリスチャンは,「この代はかの代にむかってあなたのみわざをほめたたえ,あなたの大能のはたらきを宣べ伝えるでしょう」とのダビデの言葉を思いに留めて,その優れた遺産を戦後の世代に伝える決意をしてきました。(詩 145:4,口)彼らはその面で成功したでしょうか。では,それを調べてみることにしましょう。

      信者の両親に育てられた人々

      現在の世代(1945年以降)のエホバの証人の中には,エホバの証人であった両親,また祖父母に育てられるという有利な立場にあった人が少なくありません。例えば,エルケと妹のハイディは二人とも全時間神に奉仕していますが,二人は家族の五代目のエホバの証人であることをうれしく思っています。家族の全員が一致してエホバに仕えるのを見るのは何とすばらしいことでしょう。

      また,15人の子供のいるウェストファリアの一家族のことを考えてみてください。現在,ウィースバーデンにあるものみの塔協会の支部事務所で全時間奉仕をしているゲルハルトは,子供たち全員がまだ家にいた時に両親から受けた優れた訓練のことを思い出します。個々の必要を顧みるためには三つの家族研究が必要でした。一つは年上の子供たちのために,もう一つは幼い子供たちのために,そしてもう一つはその“中間にいる子供たち”のために行なわれました。集会の前には,また集会の後もそうですが,父親は,家族全員が王国会館に到着するように,一時間半の間,何回も車を往復させたものです。強力なクリスチャンの家族を築くことは努力なくしては行なわれません。

      分裂した家族の問題

      一致した家族という背景に恵まれなかった人々もいます。それらの人々は,宗教的に分裂した家庭で育てられたからです。

      フリードヘルムは,自分の聖書や文書,また雑誌を幾度も父親に焼かれたことを思い出しています。ひとり子であった彼のために父親がたてた野心的な計画にもかかわらず,彼は神の王国の良いたよりの全時間宣明者として奉仕する決定をしました。

      同様に,ビルフリードは,自分と母親がクリスチャンの集会から帰宅したときによく締め出されたことについて語っています。二人は車の中で一夜を過ごさねばならなかったことさえありました。父親が彼をベッドから引きずり降ろして,ランプでたたき始めたこともありました。しかし忠実を保つことによって,彼は父親の敬意だけでなく,さらに重要なもの,つまりエホバの是認を得ました。「当時私がまだ11歳か12歳だったにもかかわらず,兄弟たちはいつも,私が歓迎されていると感じるようにしてくれました。私を動かしたのはそのような愛でした」と彼は説明しています。

      ウベは最初にエホバの証人になったときには十代でしたが,家でも職場でも反対を受けました。

      彼は,休憩時間に機会を捕えて他の人々に真理について話したときに,耳を傾けてもらえるどころか,バケツの水を頭からかけられたことを覚えています。しかし,彼も,また現在スペインで宣教者となっている彼の兄弟も共にクリスチャンの円熟を目ざして進歩し続けました。

      ロルフ・ディーターは,母親が聖書の真理を認めるようになったとき,わずか五歳か六歳でした。彼と弟は,クリスチャンの集会に出席することを反対している父親により禁じられましたが,二人の母親は,家で二人に話をし,いつでも行けるときには二人を連れてゆきました。

      「私は,父に,キリスト教世界の一宗派の行なう礼拝に連れてゆかれたときのことを覚えています」と彼は語っています。「しかし,母は前もってすべてを私に話してくれていました。私は行って耳を傾けましたが,良心的に言ってその儀式に加わることはできませんでした。私にはそれが非聖書的だということが分かったからです。近くに座っていた他の人々はずっと私をつついて,私のすべきことを小声でささやいていましたが,そうしませんでした」。しかし,ロルフは,他の人々に敬意を払うよう聖書が命じていることを認めて,礼拝に出席している人々に対して自制心を働かせました。

      大小の諸問題に対処する

      若いクリスチャンたちにとって事態は生易しいものではありません。学校でちょう笑されたりばかにされたりすることは,人の忠誠を本当に試みるものとなります。卒業後,男子の生徒は中立の問題に直面します。また,女子のエホバの証人と同じように,麻薬,アルコール飲料,不道徳,またそれ以外にも今日の若者に共通の数多くの問題と戦わねばなりません。

      なんと,結婚相手を見つけることさえ問題となり得るのです。ウテの場合がそうでした。彼女はこう語っています。

      「私はどこで適当な相手を見つけることができたでしょうか。私たちの会衆の若い人々は皆結婚していました。恐らく,少しぐらい『この世を見回し』ても害にはならないでしょう。しかし,私は『主にある者とのみ』結婚するようにとの聖書の諭しを知っていましたからそうすることはできませんでした。この事柄に関しても私はエホバに信頼をおきました。そして,トラッペンカンプに私たちの新しい大会ホールを建設している時に,私は私の婚約者に出会いました。私たちは六月に結婚する予定です」。

      また,小さな子供たちや彼らの“小さな”問題についてはどうでしょうか。エリックの話に耳を傾けてみましょう。

      「私は十歳で四年生です。私の両親はずっと以前からエホバの証人です。それで,学校に入るまで,私は仲間の信者としか交わっていませんでした。私たちのクラスが学校のホステルに泊まって郊外で一週間を過ごすために出発するときまで何もかもうまくいっていました。それ以前に家から離れたことは一度もありませんでした。突然私たちの先生が病気になり,代理の先生が行くことになりました。私はその先生のことは知りませんでした。日曜日の朝その先生は,『今朝はみんなで教会に行きます』と言いました。私は,そこで示される教えに同意していないこと,またその理由で行きたくないことを説明しなければならないことを知っていました。朝食の間,私は先生に何と話そうかと考えていました。朝食の後,私は先生に話しましたが,先生は,「君も行くんだ。そして言い争うのはやめよう」と言いました。私は部屋に帰ってひとりになったときに,出発の朝,『もし何か問題がおきても,エホバはお前の心をご存じですよ。その問題についてエホバにお話しすることができますよ』と母が私に話してくれたことを思い出しました。私は泣きながら祈りました。私は偽りの宗教と全く関係を持ちたくありませんでした。私が外に戻って少したつと,別の先生に出会い,その女の先生はどうしたのかと私に尋ねました。その先生は私が泣いているところを見たからです。私が先生に話したところ,『あなたのいいようにしてあげましょう』と先生は言いました。少したってから先生は戻って来て,『あなたは行かなくてもいいですよ。私があなたの先生に話しました』と言いました。私はとても幸せでした。私は,私の祈りを聴いてくださったことをエホバに感謝しました。エホバの手が短すぎることはありませんでした」。

      「小さな」問題ですか。そう考える人もいるかもしれません。しかし,戦後の世代は,エホバがどんな問題もご自分の注意を向けられないほど小さくて無意味とはみなされないということを知りました。また,それより大きな問題に直面した場合でも,神は私たちを見捨てられません。マリオンの場合を考えてみてください。

      彼女は王国を宣べ伝える業に定期的に携わっており,クリスチャンの若者のりっぱな模範でした。マリオンはまだ17歳で,活気に満ちていました。しかし,その後,せき髄にできたしゅようのために腕が徐々にまひし始めました。手術が絶対に必要になりましたが,その手術が危険な性質のものであったため,輸血なしで手術をしてくれるという医師は一人もいませんでした。マリオンと彼女の両親は確固とした態度を取り続けました。エホバに対する不従順など考えられませんでした。彼女は痛みを感じていましたが,意気消沈することはありませんでした。遂に,彼女の宗教上の信念を尊重してくれるという外科医が見つかりました。手術は輸血なしで無事に行なわれました。しかし,ほっとしたのもつかのまのことでした。二度目の,そして三度目の手術が必要になりました。まひ状態が広がるにつれて,痛みもひどくなりました。舌がまひするようになりましたが,病院でのマリオンの行動は相変わらず信仰を証しするものでした。愛情を込めて,また大変な努力を払って彼女は看護婦にセーターを編んであげました。遂に死が避けられないものとなったとき,両親はマリオンを家に連れて帰りました。声は聞き取れないほどになり,頭を起こすこともほとんどできなくなりましたが,両親はできる限り,マリオンを担架にのせてクリスチャンの集会に連れてゆきました。マリオンは,災いに遭ったヨブと同じように,いつか自分も神の祝福を受けて,以前と同様に生きられるとの固い確信を持ち続けていました。彼女は1977年12月28日,18歳でなくなりました。エホバへの信仰の点で妥協を拒んだマリオンは,神によって強められ,死に至るまで忠実を示したクリスチャンの隊伍に加わりました。その中には戦後の世代の他の人々も含まれますが,生きることを求める彼らの祈りは復活の際に聞き届けられるでしょう。―使徒 24:15。

      信者の両親に育てられなかった人々

      もちろん,若いエホバの証人の中では信者の両親に育てられたのではない人々も少なくありません。それらの人々もまた,エホバのしもべになるまでには,諸問題を,ある場合には非常に深刻な問題を克服しなければなりませんでした。

      例えば,22歳のクリスタがいますが,彼女は,エホバの証人が彼女の兄弟と聖書研究を始めたときに関心を示しました。クリスタはカトリックの青年活動に参加していましたが,毎週バプテスト教会の集会にも出席していました。彼女は,自分もその後エホバの証人と研究をするようになった理由を次のように説明しています。

      「私には,エホバの証人になろうという気などこれっぽっちもありませんでした。私の目的は,私の兄弟をカトリック教会に連れ戻すことでした。それで私は,聖書をできる限り学んで,それからそれらの“敵”と戦うのに聖書を用いるつもりでした」。ところが,調べれば調べるほど彼女はエホバの証人が真理を持っているということを“恐ろしくてぞっとするほど”確信するようになりました。クリスタはこう続けています。「私は,カトリックの友人と新しく見つけたバプテスト教会の友人,そしてエホバの証人の間に立って苦しみました。私は証人たちについては,聖書に関する私の質問すべてに答えられるということ以外にはほとんど何も知りませんでした」。

      クリスタの次の問題は音楽でした。彼女は15歳のときから人前で歌っており,いつの日にか“スター”になることを夢見ていました。タレントショーで良い評価を受けたクリスタは,ドイツだけでなくイギリスでも歌っていました。彼女はどうすべきでしょうか。こう続けています。

      「私はイギリスでペンパルのジャネットに会った後決心しました。ジャネットは真理のために家を出されたと話してくれました。それを聞いて,私は考えさせられました。ジャネットがドイツを訪れたときに私の兄弟と私が証言して以来,ジャネットが真理を知ってから四か月しかたっていなかったからです。今や事態は急速に進展し始めました。イギリスをたつ前に私は喫煙をやめました。私は家に帰るとすぐにこの世の友人との交際を断ち,壁から“スター”の写真をはがしました。今や私はすべての集会に自由に出席することができました。間もなく私は多くの新しい,また真実の友を持つようになり,1974年にはバプテスマを受けました。七か月後に私は飛行機でイギリスへ行き,友人のジャネットがバプテスマを受けるのを見ました。私たちは,エホバが私たちを偽りの宗教から救い出してくださり,多くの問題を克服できるように強めてくださったことを感謝しました」。

      全時間奉仕

      ドイツ連邦共和国に住む戦後の世代の人々の多くは,若く,また大抵の場合家族を養う義務がないため,神の言葉を宣べ伝え教える業に全時間活力をささげることができました。全時間,つまり“開拓”奉仕の祝福を一度経験すると,大半の人々はそうした祝福をできる限り長く享受し続けたいと感じました。事実,カール・ハインツはそのように決意していたので,この奉仕に対して自分と同じ考えを抱く結婚相手を探しました。彼はこう述べています。

      「それ以来私たちは“開拓”奉仕を八年間一緒に楽しんできました。そして非常に祝福されました。私たちは幸福な結婚をし,一家族を含む数人の人々が真理を受け入れるよう助けてきました。その家族の頭自身は今では会衆の長老です」。

      「良いたより」の宣明により多くの時間をささげられるよう世俗の仕事に喜んで調整を加えた人々もいます。「“開拓”をするために未熟練工として働くのは卑しいことではありませんでした」と,専門の装飾家ボルフガングはその気持ちを言い表わしました。18歳のカローラはパートタイムの家事の仕事をしており,それを「すばらしい職業」と呼んでいます。建築事務所で訓練を受けたヘルムットは,“開拓者”になるために,一部の時間を左官工事に費やし,早朝には新聞配達をしました。

      ウルリッヒは,真理を学ぶ前は,一流のホテルで働いていたコックで,著名な政治家や有名な映画俳優のために料理を作っていました。彼は,聖書の研究のためにより多くの時間を持てるようその仕事をやめました。

      「私の友人や同僚は,私がもっと“深入りしてしまう”だろうと言って反対しました。有名なコックになるという私の生涯は終わり,また“大金”を持つという夢もなくなりました。しかし私は,それら全部と現在私が持っているものとを取り換えたいとは思いません。私は“開拓者”として以前にも増して幸福です。確かに“これほど深入りする”以前よりずっと幸福です」。

      多くの言語でエホバを賛美する

      戦後の世代の人々はまた,ドイツにある外国語を話すグループの中でも優れた業を行なってきました。ドイツにある,英語,ギリシャ語,イタリア語,ポルトガル語,スペイン語,トルコ語,ユーゴスラビア語の167の会衆の一つで奉仕するために外国語を習った人は少なくありません。それで,彼らは自国にいながら外国の区域で働く“宣教者”と言えます。スペイン,ルクセンブルク,フランス,イタリア,またその他の国々に移ってゆき,その地で奉仕している人々もいます。

      しかし,もちろん,ドイツの戦後の世代の人々の中には,エホバの証人の宣教者のための学校で訓練を受けた宣教者がおり,それらの宣教者は今でも外国で奉仕しています。過去10年間にドイツから(米国にある)この学校に送られた若い男女124人のうちの大多数はその年齢層の人々です。そして,健康やその他の理由で任命地から戻ってきた人々の中には,それでも依然として全時間奉仕を行なっている人々がいます。

      他の面

      しかし,もちろんどの話にも二つの面があり,ドイツのエホバの証人の中の若者すべてが今までに述べたような人々だと考えるならそれは誤解を招くことになります。人々の無関心,この世の影響,物質主義のどれもが彼らを犠牲にしてきましたし,今でもそうです。若い人々の中には霊的に弱くなってしまった人々もいます。それらの人々は勤勉に聖書の勉強をすることや「上からの知恵」を求めて神に祈ることをしなかったからです。一人の旅行する監督は最近,若い人々の中のある人々が宣べ伝える業にいかにわずかしかあずかっていないかを知って驚いたと書いています。

      「私が最近訪問した三つの会衆で,彼らはエホバの証人の23パーセントを占めていますが,宣べ伝える業に費やされる時間という点では,彼らは最も弱い人々と言えます。彼らの中に,エホバとの,また会衆との関係をほとんど持っていない人々がいるのを見ると心が痛みます。彼らは宗教の“会員”にすぎません。両親がそれを知るのはつらいことですが,ある場合には,両親自身に責任がないわけではありません。両親が子供の霊的福祉をおろそかにしたためである場合もあります」。

      この邪悪な体制は破滅に向かっているので,そうした若者すべてにとって,今は事態の深刻さに目ざめそれに従って行動すべき重要な時です。そうするならエホバはそれらの人々を祝福されます。―ローマ 13:11。ルカ 21:34-36。

      忠実にエホバに仕え,エホバの力強い行ないを告げ知らせる戦後の世代の人々がりっぱな業を続けられますように。(詩 145:4,12)そうした模範が,同年代の他の人々にとって,サタンの邪悪な体制のわなにかからないよう厳しい戦いをするための励みとなりますように。自ら優れた遺産を相続したのですから,今度はそれを次の世代に残す義務を認めなければなりません。しかし,今忠実に仕えるべき動機付けがまだほかにもあります。もしそうするなら,将来復活という奇跡が行なわれるため,自分たち以前に存在した世代に優れた遺産を残すという特権にあずかれます。何と胸の躍るような見込みなのでしょう。そうした特権にあずかる人々の一人になりたいと思わない人がいるでしょうか。

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