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エホバの道を歩む若い人たちを高く評価するものみの塔 1975 | 10月15日
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者はそれに賛成できない理由を説明する注解を述べました。それからまもなく幾人かの生徒が聖書を教えてくれるように彼女に頼みました。やがてそのグループは27人になり,彼女は週に二度教えました。注意深く準備し,筆記試験さえ行ないました。年度末になったとき校長先生は,それらの試験の成績を,彼らの正規の学業の一部とみなすことに同意しました。今そのグループから三人の子どもが集会に出席しています。―詩 119:46-48。
18 多くの人は若い時に,エホバへの奉仕をどのように楽しみましたか。そしてどんな益を得ましたか。
18 また休日や学校の休みを利用して,自由な時間を野外奉仕に用いる若い証人たちもいます。そしてバプテスマを受けた証人の多くは,一時開拓奉仕に参加します。これは彼ら自身の霊性を築き上げ,また他の人々を会衆に導く助けになります。この一時開拓奉仕は,全時間伝道奉仕につながる場合が少なくありません。そのような全時間奉仕を四年間楽しんできたある若いクリスチャンの少女は,最近次のように書いてきました。「若い時にエホバに奉仕する喜びをすべての若い兄弟姉妹に伝えられたらと思います。全時間奉仕に携われば縛られすぎる,と若い人の多くは感じるかもしれませんが,実際にはその反対と言っていいほどです。もっと自由になったような感じがします。自分がなすべきことをしていることが分かっているからです。そして自分の時間がある時には,平安な思いと明らかな良心とをもってそれを楽しむことができます」。
19 人生の目標を定める際にはどんなことを考慮すべきですか。この点で若い人々をどのように援助できますか。
19 家族と会衆とが若い人々の前に設けている目標は,彼らがエホバの道を歩むのを助けます。あなたはどんな目標を持っていますか。全時間野外奉仕に従事してエホバのご意志を行なうことを考えていますか。それともあなたの目標は,就職すること,車を買うこと,結婚を楽しみにすることなど,個人的な関心事だけに向いていますか。そのような目標は何も悪いものではありませんが,ただそれだけでは,生活に喜びをもたらす重要な要素,すなわち創造者への奉仕が欠けています。そのような目標は,「洪水が来て彼らすべてを流し去るまで」,ノアの警告に『注意しなかった』ノアの日の人々の望みと似ています。(マタイ 24:38-42)子どもたちは,王国奉仕を生活の中で第一にするように家族から励まされると,喜んでそれにこたえます。五人の娘のいるある家族の場合もそうでした。娘たちは,高校をすませたら開拓奉仕を目標にするようにといつも励まされていました。現在では三人がこの活動に参加しており,二人の妹は両親と一緒に一時開拓奉仕を楽しんでいます。
20 感謝される方法で会衆を助けるうえで,若い証人たちはどんなことができますか。
20 全時間の伝道活動に入っても入らなくても,すべての人は集会の時に人を築き上げる注解をすることができ,また王国会館で行なわれる神権宣教学校のプログラムに参加できます。そのような方法で参与するために若い人々が払う努力は,すべての人から高く評価されます。会館を見苦しくないきれいな状態にしておくことに,喜んで参加する人もあるでしょう。多くの若い人たちは,会衆内の年上の人たちと王国会館の建築作業に携わって,建築関係の事柄を学んだばかりでなく,兄弟たちとの建設的な霊的交わりをも楽しみました。またあとになれば,芝生や土地の手入れを手伝う機会や,ステージを整えること,拡声器の操作,掃除の手伝いその他内部でする必要のある事柄を手伝うことができます。多くの人は,王国会館での若い伝道者たちのりっぱな振る舞いを認めてほめます。若い兄弟姉妹たちが訪問者にあいさつをして自己紹介をしたり,講演者に感謝のことばを述べるのは見ていてほんとうに気持ちのよいものです。そして非常に多くの幼い子どもたちが集会に来ますから,礼儀正しく振る舞うことや,プログラムが進行している間それに注意を集中することを学んだ若い人たちのりっぱな模範は,新しい人や子どもたちが見倣う手本となるので非常に有益です。
21 エホバの道を歩む人々の前にはどんな特権がありますか。
21 多くの親は,子どもが霊的に進歩し,世の圧力を克服して奉仕の特権を得ることに努めるのを見る喜びを語ります。ある子どもは開拓者または宣教者になります。巡回監督とか地域の監督の仕事につく人,ベテル家族の一員になる人たちもいます。そして多くは会衆の中で奉仕のしもべや長老になります。こうした進歩の理由の多くは,幼い時にすえられたりっぱな土台にあると言えるでしょう。若い人々は,そのような家族や会衆の取り決めのなかで協力することにより,エホバの祝福と報いを期待することができます。―箴 22:6。
22 出エジプト記 20章12節は現代にどのように当てはまりますか。
22 この事物の体制が加える圧力の下で忠実を維持するのは容易ではありません。しかしエホバの道を歩む決意をしている人々は,エホバの祝福と後ろだてを得ます。出エジプト記 20章12節は,『汝の父母を敬え こは汝の神エホバの汝にたまう所の地に汝の生命の長からんためなり』と助言しています。このことばは約束の地に入る前にイスラエルに与えられました。ですから,この事物の体制の終わりが迫まり,義の新秩序が足早に近づくのを見ている現在,それは特別の意味を持ちます。若い人々が,父母のみならず,天の父エホバとエホバの妻のような組織をも尊敬し敬うのは重要なことです。(箴 1:8,9)そうするときに,エホバの約束された新秩序における自分の場を,確信をもって待ち望むことができるでしょう。そうです,わたしたちは確かに,エホバの道を歩む若い人々を高く評価します。―箴 3:1-7。
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王国のわざの拡大のために心をこめて働くものみの塔 1975 | 10月15日
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王国のわざの拡大のために心をこめて働く
50年あるいはそれ以上の昔にエホバからの召しの声を聞いて答え応じた人たちの何人かは今でも私たちの中にいて,彼らがなお「若くて丈夫だった」時分の活動について熱心に話してくれます。彼らは物質的には貧しい生活をしましたが,しかし霊的には富んでいました。
キール出身のミナ・ブラントは,王国の音信を宣べ伝えるために相当の距離のところをよく歩き,当日中に帰ることができなくなると,畑に積んである干し草の山の中で夜を過ごしたころのことを話してくれます。後日,彼女はヒッチハイクをして,しばしばトラックに乗せてもらってはシュレスウィヒ・ホルシュタイン州の北辺の大きな町々にまで出かけて行きました。当時,兄弟たちは大きな拡声器を用意して持って行き,午前中は村々で宣べ伝えるわざを行ない,午後は市場や他の適当な場所でその拡声器を用いて公開講演を行なったものです。
エルンスト・ヴィースナー(彼は後に巡回の仕事に携わった)や他の人たちはブレスラウから自転車で90ないし100キロもの距離を旅行しては音信を宣べ伝えました。エリヒ・フロストやリヒャルト・ブリュンメルが奉仕したライプチヒの兄弟たちは,王国の音信に人々の注意を向けさせる試みをする点で非常に独創的でした。彼らは一時,兄弟たちで成る小グループの音楽隊を組織して用いました。その音楽隊は音楽を演奏しながら各地の街路を行進し,一行のあとに従う人たちは,道路沿いの家々で簡単な証言を行ない,次いで,行進する音楽隊のもとに遅れないよう急いで戻りました。
1923年には,「一千人の開拓者を求めます」という緊急な呼びかけが行なわれるとともに,全時間の宣べ伝えるわざが注目の的となりました。これは当時の神の民の間にかなりの興奮を引き起こしました。というのは,当時報告を出していた「働き人」3,642人中ほとんど4人に1人が開拓者になるよう求められることになったからです。その呼びかけは,顧みられぬままには終わりませんでした。
例えば,ウイリー・オングローベは自分が求められていることに気づき,彼は,当人の言葉を借りれば,「単に1,2年ではなく,エホバが私をそうした資格で用いてくださるかぎりいつまでも働く覚悟で」開拓奉仕に入りました。彼はドイツの各地で働き,後日マクデブルクのベテルでも何年間か働きました。次いで,1932年,彼は外国の土地で開拓奉仕を行なうようにとの呼びかけに答え応じました。そして,まず最初,フランスに派遣され,次いでアルジェリア,コルシカ,次は南フランスに送られ,後日またアルジェリアに戻り,さらにスペインに派遣されました。そして,スペインからシンガポール,次いでマレーシア,さらにジャワへ行き,1937年にはタイに赴き,1961年にドイツに帰るまでタイに留まりました。25歳で開拓者への召しの声に答え応じた彼は,今では77歳になろうとしていますが,今もなお,大変熱心に喜んで働き,大変良い成果を収めている開拓者の隊伍に加わっています。―「エホバの証人の1975年の年鑑」より。
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