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  • あなたは退屈していますか
    ものみの塔 1972 | 6月1日
    • よって,忍耐力や決断力を養い,内的な力を得ることができるのです。

      ではわたしたちは何を言おうとしているのでしょうか。この世が発達させた現在の事物の体制には実際に何も悪いところがなく,ただそれに適応しさえすればよいということですか。決してそうではありません。それどころか,この現在の体制が終わり,神のみ子の政府のもとで正義の新秩序が到来するのを見るという,聖書の与える希望これこそ,わたしたちをして忍耐せしめる動機なのです。若い人々は,現在の世の中の仕組の単なる“機械の歯車”になるという見込みよりすぐれた見込みを持つことができます。クリスチャンの親の多くも現代生活の圧迫を感じていますが,彼らが毎日の仕事を退屈に感じないですむのは,やはり,すぐれた体制に関するこの希望があるからです。

      進取の気性と広い分野に及ぶ関心

      若者がひまな時によく言うのは,「なにもすることがない」ということです。しかし問題はたいてい,興味深くやりがいのある仕事がないのではなく,進取の気性,想像力,思考力などが欠けていることにあります。あるいはそれは,関心を向ける分野が狭いことを物語るものかもしれません。

      現在の体制はあまり進取の気性を鼓舞するものではありません。今日の人々は参加者であるよりも傍観者であることに慣れています。映画やテレビを見たり,レコード音楽を聴いたり,何かのスポーツ競技で他の人々が試合をするのを見たりします。

      それは,何かを自分で行なったり,やり方を学ぶよりもずっと楽ですが,長い間にはこれも退屈の原因になります。傍観者であることに慣れると,他人がいなければ楽しめなくなり,自分で何かをして生活を楽しくするということができなくなります。赤ん坊ならそれでもかまいませんが,おとなになろうとしている若い人々の場合,それは問題です。

      あなたはどれほど広範な分野に関心を持っていますか。健全な活動や探求しうる有益な知識の分野は,数えあげればかぎりがありません。本を読むのはテレビを見るよりもずっと努力のいることですが,はるかに大きな報いがあります。本に書かれていない活動分野や技術あるいは職業,土地や人や動物はないと言っていいほどです。ですから,たくさん読めば読むほど読書の楽しみは増し,知識の吸収力も増進します。しかし,単なる“ひまつぶし”の読書では不十分です。読んでどんな価値があるかを見定めなければなりません。そうすれば,人生の前途にある日々を豊かにし,物事を行なう備えになるという目標を頭に置いて読むことができます。

      むろん,人にはそれぞれ個性がありますから,だれもが同じことをして楽しめるわけではありません。木工,皮細工,彫金を学ぶことを楽しむ人もいれば,写真や園芸のほうが好きな人もいるでしょう。女性の中にも,料理の好きな人や裁縫とか美容師の仕事が好きな人がいます。しかし,新しい事を学んで質の良い仕事をする能力を培うことは真の満足をもたらし,生活を興味あるものに保ちます。

      自分のために何かをすることに熱心になれないなら,だれか他の人のために何かをしてはどうですか。自分自身のためなら気乗りのしない仕事でも,家族の者や,友人,さらに望ましい場合として困っている人,などだれかのためにすれば,ほとんうに興味深いものになります。それは深い満足の得られる事柄であり,そうする機会はいくらでもあります。あなたのすることを他の人はおそらく予期していないでしょうから,その驚きが他人のために物事をする喜びをいっそう増し加えるでしょう。他の人に関心を持つことは退屈を防ぐ強力な武器です。わたしたちの回りにいる人々の多くは驚くほど豊かな知識や経験を頭にたくわえ,すばらしい特質を心にたくわえています。しかし,あなたがそれを見いだす努力をしなければ,決して知ることはできません。次の箴言のとおりです。「人の心の中にある助言は深い水のようだ。しかし,分別のある人がそれをくみ上げる者である」。(箴言 20:5,新)価値ある事柄に長年の経験を持つ人々に特に関心を示し,質問をし,巧みに探ってごらんなさい。あなたは豊かな報いを得,時間はまたたくまに過ぎるでしょう。―箴言 27:9,17。

      しかし,他の人々から益を受けるだけでなく,自分のほうから何かを与えることができますか。自分の考えを述べたり,自分の頭や心に持っている物を他の人々に分け与えますか。

      神の新秩序の約束に心から感動し,その良いたよりを他の人々に伝えている若い人々は,それによって人生がいっそう意義あるものになったことを感じています。老若を問わず,真理に飢えている人々を見いだし,それらの人を援助できるのは十分に価値のあることです。そのような人々は真理を退ける人々にくらべればごく少数ですが,それでも,この活動の人を鼓舞する影響力は鈍りません。それどころか,そのためにいっそう挑戦的な,スリルにあふれた活動にさえなるのです。

      良い仲間も退屈と戦う助けになります。しかし,もしそれが,人生に価値ある目標を持っていないためにすぐ退屈してしまうような仲間であれば,その仲間は進取の気性と内的な力の発達を妨げる障害物にすぎません。そうした者たちは箴言 17章24節で述べられている愚か者と同様,目を『地の極にそゝぎ』,ぼんやりした事柄を夢見,思いはあちこちとさまよいますが,自分たちの前に定まった目標がありません。

      進取の気性とともに,忍耐力と信仰も退屈を克服するうえでの大きな要素です。使徒パウロが,神と神に仕える人々に対するわたしたちの奉仕について述べているように,「わたしたちは,よいことを行なう点であきらめないようにしましょう。疲れはてないでいるならば,しかるべき時節に刈り取るようになるからです」。(ガラテヤ 6:9,新)同様に,真の目的と価値のある能力を培おうとしている時にも,努力の結果を刈り取るようになるまでそれを続けなければなりません。

      そうすれば,時を経るにつれ,親の適切な指導と承認のもとにさらに他の能力の開発へ手を広げられ,その結果,わたしたちはよりよい,より興味深い,そして価値のある人間になることができます。将来に対する明るい希望がありますから,生活が退屈になることはありません。

  • 偉大な天の組織が存在しますか
    ものみの塔 1972 | 6月1日
    • 偉大な天の組織が存在しますか

      1,2 み使いに関する一般的な考え方はどんなものですか。その種の考え方は何に由来していますか。

      目に見えない天の被造物である,み使い,つまり霊者たちについて語られるのをよく耳にしますが,概してその目的や活動にかんする心像は漠然としています。時として宗教画家は,み使いたちを女,もしくは翼のある赤ん坊に似た生き物として描きます。

      2 しかしながら,み使いに関するこうした考え方は聖書に由来するものではありません。それは異教の考えです。この点は,古代ギリシア神話を少し調べて,花器や壁画また彫刻その他に見られるギリシア神話の神々や女神の像を見ればすぐにわかります。キリスト

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