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    ものみの塔 1970 | 12月15日
    • で…すべてのことを忍耐する」のです。(コリント前 13:4-7,13,新)それは,あなたが征服者であることを実証するかぎです。圧力を避けようとするだけでは,悪を行なわせようとする重圧を征服することはできません。そのために生ずる空白を,サタンと配下の悪霊が直ちに埋めようとするからです。(マタイ 12:43-45)むしろ,みずから進んで,善を行なわせる影響力を受ける立場に立ってください。パウロが述べたとおり,「悪に征服されてはならない。かえって,善をもって悪を征服しつづけ」てください。(ロマ 12:21,新)みずからエホバに献身して行なうように勧められているのは,このことなのです。物事をすべて,エホバの見地,つまり聖書の見地から見る方法を学んでください。それは正当な論議,また,正しい考え方と言うことができます。エホバのことばと,その組織の健全な影響力のもとに従順にとどまってください。他の人びとが,エホバの組織に,「エホバの家」に,天のシオンまたエルサレムに来るよう招待してください。エホバの律法と,エホバのことばは,崇拝の中心を成す,そこから発するのです。あなたと全被造物を治める,エホバの正当な主権を認めつつ,エホバへの奉仕と崇拝を表明する事がらすべてに,その民とともにあずかってください。―イザヤ 2:2-4。

  • 『すべての国の人々を弟子とする』
    ものみの塔 1970 | 12月15日
    • 『すべての国の人々を弟子とする』

      エホバの証人の1970年度年鑑より

      ザンビア

      人口: 4,100,000人

      伝道者最高数: 46,478人

      比率: 88人に1人

      ザンビアのエホバの証人が1969奉仕年度を振り返って感じることは,御国のわざが豊かに祝福された1年だったということです。昨奉仕年度の最初の2か月のあいだ神の献身したしもべが経験した祝福のひとつは,「すべての国民のための福音」地域大会で,出席者の合計は110,952人でした。

      事態は今なお容易ではありません。1968年12月の末ごろ,八つの州のうちの5州で迫害の火の手が上がり,市街地の会衆では,兄弟たちの家80戸余の窓がこわされ,エホバの証人とともに崇拝することを望んだ人々を友好的に訪問しようとした多数の兄弟姉妹は暴行されました。昨年の1月中旬,村落地域で事態はさらに悪化し,村から村へ,野獣を扱うような証人狩りが行なわれました。1,000人を優に越える兄弟たちは,家や持ち物を完全に破壊されました。数百人の兄弟姉妹たちは手ひどく打たれ,そのうちの何人かは病院や診療所に運ばれました。またひとりの兄弟は頭にクギを打ち込まれ,別の地域のある兄弟は激しく打たれて死亡しました。3人の姉妹が強姦され,兄弟たちの所有する多くの菜園は荒らされて,作物は地面に切り倒されました。

      協会の支部は兄弟たちを援助し,エホバの証人の宗教的な立場を明らかにするための多くの努力を払いました。そうした努力が迫害をとどめるのに役だったことは確かですが,全体的な状況は全く変わらず,ついに昨奉仕年度の末頃,ザンビアにおけるエホバの証人の平和な伝道活動は完全に禁止されました。ザンビアでは,『崇拝のために御国会館に集まることはできる。しかし,』イエスが命じられたように,『公の場所に出かけたり,戸別訪問して人々に伝道してはならない』と言われています。

      この国では,御国会館や大会での公開講演に一般の人々を招待するためのビラを使うことができないのをご存じでしたか。公開講演のビラを使うことができない理由は,「公開集会」,あるいは「公開講演」というものがザンビアにはないからです。ある複雑な理由があって,大会に出席するよう招かれるのは,エホバの証人の800余の会衆で開かれる集会に出席している人々に限られており,しかも,「公開」講演ではなく,「聖書」講演を聞くよう招待されるのです。したがって,一般の人がこの国で開かれるエホバの証人の大会に出席したい場合,まずもよりの御国会館における集会に出席し,エホバの証人とともに活発で定期的な崇拝者にならねばなりません。これはなにも難しいことではありません。こうした条件にかなわない人々が来たなら,会場の戸が開かれないということです。それらの人は大会会場にはいることができないのです。

      当然ながら,何年来エホバの証人のことを知っており,またエホバの証人が制限を設けずに催した公開講演に出席したことのあるザンビアの人々はこの事柄に強い関心を示しました。ある大会開催予定地では,20人からなる一団の人々が大会に出席したいと考えました。しかし,彼らは,自分たちが御国会館でエホバの証人とともに崇拝していないため,会場に入れてもらえないことを知っていました。そこで彼らは,会場の整備やものみの塔協会の代表者たちのための小屋作りに参加し,エホバの証人の仲間となって,大会に出席することに成功しました。

      ザンビアにおける最近の拡大により,正しい心臓の持ち主は,エホバの証人とキリスト教世界の諸教会の会員との大きな相違を理解できるようになりました。現在その人々は,エホバの証人だけが世界の混乱と苦悩の解決の道を知っており,さらに,エホバの証人は真理を持っているゆえに全く異なった生き方をしているということを理解しています。

      このことは政府の役人にさえ知られています。村落地域の一つを管轄する警察署長がエホバの証人のある地域大会を訪れました。大会施設を見学するその警察署長を案内した大会のしもべは,彼にさまざまな部門を見せ,大会の組織について説明しました。署長は兄弟間の平和とすべての取り決めが秩序だっている様子を見て次のように語りました。「あなたがたはすばらしい人々です。もし世界のすべての人がエホバの証人のように生活するなら,問題は起こらず,警官がびくびくして生活することはきっとないでしょう」。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1970 | 12月15日
    • 読者からの質問

      ● わたしの見た新聞には,クリスマスの時期に,ベツレヘム郊外の野原にいる羊飼いと羊の群れの写真が載っていました。キリストの誕生日として伝統的に守られてきた,12月25日ごろは,羊飼いが羊とともに野にいるには寒すぎると思っておりましたが,それで正しいのでしょうか。―アメリカの読者より。

      その写真は,アメリカのいくつかの新聞に掲載されました。写真の下に付された説明の代表例は,インジアナ州マリオンの,1968年12月26日付,クロニクル-トリビューン紙に掲載されたものです。「テロリストがもしや地雷を仕掛けてはいまいかと,クリスマス・イブにベツレヘム郊外の野原を厳重に探っているイスラエル兵士。後ろに見えるのは,羊の群れの番をしている羊飼いたち」。(テルアビブからの無線によるAP電送写真)

      見出しには,写真が「クリスマス・イブ」の時のものであると述べてありますが,それが取られた時刻が,太陽の空高く輝いていたときであることは明りょうです。なぜなら,遠くの影色が明るく,はっきり見えますし,影がたいへん短く映っているからです。

      イエスが誕生した時,ベツレヘムの近くにいた羊飼いたちについて,聖書はなんと述べていますか。ルカ伝 2章8節(新)にはこう書かれています。「また,その同じ地方では,羊飼いたちが,戸外で生活し,夜は,自分たちの羊の群れを見張っていた」。羊飼いたちが単に昼間,外を歩いていたのではなく,戸外で実際に生活していたという点に注目してください。しかも,夜間,羊の群れを野に出していたのです。そうしたことは,伝統に基づく12月の日づけ,あるいはギリシア正教会やエジプトキリスト教会の信じている,1月初旬の日づけと相いれるでしょうか。いいえ,相いれません。12月末ごろの寒い雨期は,イエスの誕生の時に関する聖書の記述と相いれません。

      1969年1月,ベツレヘム地方にある,エホバの証人の会衆の監督が,有名な“羊飼いの野”で羊に草を食わせる羊飼いたちを訪れ,話し合ってみました。その時の報告の一部を引用してみます。

      「問題の野の近くには,大きなほらあながあり,冬になると羊やヤギ,それに羊飼いがそこを避難所として使っています。11月の後半に至るまで,羊の群れは野原で寝ますが,この間,羊飼いの家族も,黒いヤギの毛のテントを近くに張って,いっしょに生活します。しかし,ヤギは10月と11月,羊といっしょに昼間は草を食べますが,夜になると世話が必要となるので,集められた,ほらあなの中に入れられます。

      「11月下旬になると,気温はさらに低くなり,日没時には羊も中に入れられます。羊飼いたちも,羊やヤギとともにほらあなの中にはいって,昼夜その世話をします。野原で得られる食料は少なくなりますので,家畜の群れは,ためておいたほし草やわらを食べます。寒さのきびしい日には,動物も人も全員四六時中ほらあなの中で過ごし,日が照る日には,羊は近くの野原に出され,冬期の雨の到来とともに芽を出した青草があれば,それを食べさせます。

      「したがって,ベツレヘム地方にとどまる羊や羊飼いは一年じゅういるわけで,天気がよければ,冬の日でも太陽の照っている間は,彼らの姿を野原で見かけることがあります。しかし,気候の状況から,夜,屋外で活動することは全く無理です」。

      ゆえに,問題の写真は,12月末または1月初めの,ベツレヘム近辺の気象状況が,ルカ伝 2章8節の描写と合致しないとの結論を,くつがえすものではありません。より合理的で,他の証拠とも合致しているのは,イエスが10月1日ごろに生まれたとする見方です。

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