ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 『こうべを上げ』て救いを知らせる
    ものみの塔 1969 | 11月15日
    • 『こうべを上げ』て救いを知らせる

      エホバの証人の1969年度年鑑より

      ザンビア

      人口: 3,894,636人

      伝道者最高数: 41,015人

      比率: 95人に1人

      1968奉仕年度はザンビアのエホバの証人とその子供たちにとって容易な年ではなく,国家主義的な色彩の祈りを唱えることや国家の象徴に忠誠を誓う問題に関して,エホバとその正しい原則に対する忠実さが引き続き試みられています。1967年11月,高等法院で初の訴訟に敗れて以来,さらに多くのエホバの証人の子供たちが放校されました。国歌をうたわなかったり,国旗に敬礼したりすることが良心的にできないためです。最新の統計によれば,5755人の年若いエホバの証人がこの宗教上の理由のゆえに教育を与えられていません。

      今日のエホバの証人は政治的に中立の立場を取り,国歌をうたったり,そのために起立したりすることを拒絶し,いかなる国の国旗に対しても敬礼しませんが,このことの理由に関しては,1世紀の初期クリスチャン会衆の時代と同様に,誤報されたり誤解されています。そのため政府の役人は,この国のエホバの証人が,彼等のいう「アメリカ人の指導者」に扇動されていると信じさせられています。1968年1月には,帰化労働者としてザンビアに来ていた数人の外国人の兄弟 ― この中には20年以上もザンビアに住んでいた兄弟がいく人かいる ― が,エホバの証人の英語を話す会衆で責任のある地位にいたという理由だけで国外追放にあいました。宣教者たちもこの時にやはり追放されました。

      ザンビア全土の証人は,仲間の奉仕者たちの国外追放というこの知らせを聞いて衝撃を受けました。ザンビア人の兄弟たちは,宣教者の兄弟たちを深く愛していましたから,このニュースを聞いて非常に悲しみました。これら兄弟姉妹と呼ばれる宣教者たちは,この国の人々が聖書を理解し,永遠の生命を得るように援助することにおいて目ざましい奉仕をなし遂げてきました。エホバの証人の宣教者たちの働きと奉仕からよい益を受けた人々は,法律を守り敬けんなよりよいザンビア市民となっています。

      宣教者や責任を持つ兄弟たちの国外追放という事件で,ザンビアのエホバの証人の組織は解体したと考えはじめた人も少なからずいました。たとえばつぎのような例があります。宣教者の国外追放の1週間後,ある人はベテルにいるザンビア人の一兄弟にこう尋ねました。「あなたはまだ奉仕者の仕事を続けているのですか。お宅のヨーロッパ人が追放されて,あなたがたは組織の運営費をどこから手に入れるのですか」。別のベテルの家族が,ものみの塔協会の名前で,配給切符を更新するためガソリン配給所に行くと,そこの係員はこう言いました。「いや,わたしはお宅の協会は閉鎖したと思っていました」。

      エホバの証人はエホバを味方にしており,そのわざはエホバのわざですが,人々はこのことに少しも気づいていません。支部のしもべとして奉仕した宣教者の一人は,ある御国会館に集まった監督や伝道者に別れの話をした際,この点を非常にはっきりと指摘しました。彼はつぎのように語ったのです。「これらの兄弟は今みなさんとお別れすることを個人的には悲しく思っており,このことをみなさんに理解していただきたいと思っています。しかし兄弟たちは決して気落ちしておらず,また過度に心配していません。これまでわたしたちが証明してきたとおり,エホバのわざは一個人あるいは特別なグループの人たちに依存していないのであり,兄弟たちはそのことを知っているからです。わたしたちの指導者はイエス・キリストであり,エホバの御心にそってわたしたちの宣教を指示されるのはイエスであるということを,わたしたちはみな認識しています。エホバの力がおよばないということは決してありません。エホバはそのわざを続けるため有能な兄弟たちをお立てになることができます」。

      英語を話す監督と宣教者たちの国外追放は,正しい心を持つ多くの人々の関心をよび起こしました。人々はなぜあのような愛すべき,そして平和で法律を守る証人たちが追放されたのだろうかといぶかっています。それはエホバの証人が,まもなく全地を支配する神の御子イエス・キリストの平和な政府の良いたよりを伝道しているからにちがいないと,その人たちは悟りました。そうした人々はいろいろな質問をします。英語の巡回区の一伝道者はこう語りました。「家庭聖書研究を始めようとして,なんか月ものあいだ,ほんとうに真理に関心を持つ人を見出そうと努めてきましたが,一人も見出せませんでした。しかし,宣教者の国外追放のニュースが新聞で報道され,またラジオで放送されて以来,真理に非常に反対していた人々を含む多数の人が,わたしのところへ来ていろいろ質問します。それでわたしは現在合計8つの家庭聖書研究を持っています」。

      追放された人々の後任に全く新しい人員が配置された事を考えれば,支部に山積みしている仕事やその仕事に追いついて行くことはほとんど不可能に思われました。しかし支部の兄弟たちにとって大変うれしいことにエホバの聖霊の援助と兄弟たちのがん張りで,仕事は中断されることなく続けられ,山のように思われた仕事もついには消え去りました。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1969 | 11月15日
    • 読者からの質問

      ● わたしはエホバの証人と聖書を研究している者として,神を喜ばせることに関心を持っています。17年前に夫がわたしを捨てて以来,夫からの消息はなく,もう死亡したのかもしれません。わたしには再婚の自由がありますか。―アメリカの一読者より

      神のみことばを学んでいる人がエホバを喜ばせることに心からの関心を示すのは,わたしたちの喜びです。そのためには,神の霊感されたみことばを受け入れ,それに従って生活することが大切です。

      聖書は,死が結婚関係を解消すると述べています。クリスチャンの妻に関する話の中で使徒パウロはこう説明しています。「夫もし死なば,欲するままに嫁ぐ自由を得べし,ただ主にある者にのみ適くべし」。(コリント前 7:39。ロマ 7:2)これは妻が死亡した場合にもあてはまり,その夫は再婚の自由を得ます。

      この質問の場合,夫が死亡したという確実な証拠はないようです。したがって法的な結婚関係は今なお続いています。夫は死亡したと感じられるというだけの理由で妻が事を進めて再婚するのは,不法行為であり不道徳でもあります。

      しかし,多くの国では成人の所在が不明で長年消息がない場合,その人は法的に死亡と宣告されるという法律があります。「コーパス・ジュリス」法律全集第17巻はこう述べています。「普通法においては,7年間音信がなく行くえ不明であれば死亡したと判定されるのが通則であった。……しかし成文法によってこれより短い期間を定めているところもある」。(1167,1168頁)しかし,法律で規定された年限が過ぎたから,夫や妻は再婚の自由を得たと簡単に断定することはできません。いくつかの法的段階を踏まねばなりません。この法律書はこう続けています。「行くえ不明者を捜す勤勉な努力がなされないなら,行くえ不明という単なる事実だけでその者の死亡を断定することはない」。―1171頁。

      どのような法的処置が求められるかはその土地で決められねばならないでしょう。「勤勉な努力」とは,行くえ不明の人から手紙を受け取ったりその人の消息を知っていると思われるすべての親族や友人と連絡をとること,その人が以前住んでいた家や勤め先の調査,新聞の告知欄に広告を出すことなどが含まれるでしょう。大がかりの調査をしても,行くえ不明者の生存を示すものがなにもなければ,法廷はその死亡を宣告するかもしれません。その宣告がなければ,妻は法的に再婚の自由を得てはいません。

      でき得る限りの努力もむなしく夫を捜し出せず,法律的に死亡したものとされたならば,妻は自分がどうすべきかを決定しなければなりません。夫は死亡したと正直に信じ,自分が再婚を望んでいるならば,彼女は,すべての事柄と動機とを知っておられる神の前で,その責任を負わねばなりません。―ガラテヤ 6:5。ヘブル 4:13。

      これは重大な決定です。それは,死亡と判定された行くえ不明の配偶者が再び現われるかもしれないからです。その時はどうなりますか。「コーパス・ジユリス」はこのような例が多くあることを示してつぎのように述べています。「行くえ不明者の生存を示すいくつかの事実によって,[死亡の]判定がくつがえされた場合,予定された結婚は最初から無効となる」(第38巻,1296頁)その婦人は2番目の夫と別れて事態を正さねばなりません。

      このようなことはありそうもないと思われるかもしれませんが,いくつか実際に起きています。アメリカのニュージャージィー州に住む一人の婦人は1924年に夫に捨てられ法廷は1943年に彼の死亡を宣告しました。2年後に再婚し,やがて彼女はクリスチャンになりました。前の夫に捨てられてから36年後,婦人は夫が自分の家から56キロほどにある町に生きていたことを知りました。こうして彼女の2度目の結婚は無効になり,自分が結婚していたと考えていた2番目の夫と別れて,すべての事柄を法的に正さねばなりませんでした。

      そこでいま検討中の質問の場合についてはつぎのように言うことができます。夫の消息がなくても,この婦人はエホバの証人になれます。夫の生存を証明しようとするあらゆる努力が失敗し,また彼が死亡したと信ずる十分な理由をクリスチャン会衆の代表者が納得できるまで示すことができ,そして夫が法的にも死亡の宣告を受けたなら,クリスチャン会衆の代表者たちは,彼女が「主にある者とのみ」再婚することを決める責任を持つことを認めるでしょう。(コリント前 7:39)彼女は,これが性急にまた軽々しく扱うことのできない非常に重大な事柄であることを心に銘記せねばなりません。このような事情のもとで結婚するクリスチャンは,「かたよることなく各人のわざにしたがひて審きたまふ」エホバの前で責任を負わねばなりません。―ペテロ前 1:17。ヘブル 13:4。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする