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  • 生存主義者 ― 終わりのための備えができているか
    目ざめよ! 1984 | 11月22日
    • の利己的な関心事を第一にするなら,必ず不和を生じさせることになります。

      いま生存主義者たちを結びつけている思想は,世界的な大災厄によって物不足が生じた時にも,貪欲や利己心がその人たちの考えを支配することはないと言えるほど利他的な性質のものですか。クリスチャン・センチュリー誌は最近,“クリスチャンの”生存主義者の一グループのスポークスマンであるジェリー・ユーキンズの述べた,「我々はまず第一にクリスチャンであり,第二に生存主義者である」という言葉を引用しました。ユーキンズは,災難が臨む時,自分たちは(少なくとも最初は)キリスト教の原則を実践することに努めると言おうとしていたのです。そして,「我々はできる限り自分たちの持っている物を分かち合うであろう」と言葉を続けました。では,蓄えが底をついてきたらどうでしょうか。「我々はその人たちを殺す」と,ユーキンズ氏は語りました。「簡単なことだ。それは食うか食われるかの状況なのである」。

      そのような恐怖の風潮の中にあっては,隠して蓄えておいた食糧や金は生存主義者に死刑を宣告するものとなるかもしれません。

      古代の生存主義者たち

      実際のところ,生存主義は少しも新しいものではありません。事実,生存主義者たちは西暦1世紀に存在したあるグループを思い起こさせます。そのグループはユダヤ人の熱心党の人々です。西暦60年代が終わりに近づくにつれ,ユダヤ人とその抑圧的なローマの支配者との間の敵意は発火点に達しようとしていました。宗教的な熱狂,地震のような自然の災害,食糧不足などはいずれも,現存する事物の体制の終わりが到来したのではないかという恐れの気持ちを駆り立てました。(マタイ 24:6-8)今日の生存主義者と同様,中には将来のために自分たちを強めようとする人もいました。ケスチウス・ガルス将軍配下のローマ軍がエルサレムに進軍してきた時,ユダヤ人の熱心党のある人々はマサダ市をどうにか陥れました。地上400㍍の岩山の要塞の中に,熱心党の人々は大量の武器と十分な量の食糧や水を蓄えていました。生存は保証されているように見えました。

      しかし,ローマのティツス将軍が西暦70年にエルサレムを滅ぼし,残されたマサダはローマの攻撃の焦点となりました。熱心党の人々は7か月の長きにわたって持ちこたえました。しかし,ローマの工兵は巨大な斜道を築くのに成功し,それを使ってローマ軍の兵士たちは要塞に入ることができるようになりました。捕虜になれば奴隷として惨めな生活を送る結果になるのを知っていたので,マサダにいた960人の男女子供は集団自殺を遂げました。重装備を施した山頂の要塞に逃げ込むことにより生存を図ろうとしたその努力はむなしいものであることが明らかになりました。

      ところが興味深いことに,そのような生存主義者たちの手段を用いることなく,この大破壊を生き延びた一群の人々がいたのです。

  • 生き残るための唯一の道
    目ざめよ! 1984 | 11月22日
    • 生き残るための唯一の道

      「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」。(ルカ 21:20,21)イエス・キリストはご自分の弟子たちにそうお命じになりました。では,キリストの言葉に聞き従わなかった者たちはどうなりますか。イエスはこう予言されました。「人々は剣の刃に倒れ,捕らわれとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは……諸国民に踏みにじられるのです」― ルカ 21:24。

      熱心党の人たちはイエスの言葉に不快感を覚えていたことでしょう。アブラム・L・サカルの著書,「ユダヤ人の歴史」によると,熱心党の人々は「自分たちの異教徒の主人を倒すためであればどんなことをも辞さない過激派」でした。逃げるという考えは,実際的ではないばかりか,もっとひどいことに,臆病なことに思えたことでしょう。そのため西暦66年に,これらのユダヤ人たちはローマの残虐な仕打ちに刺激されて,公然と反逆を起こしました。マサダがユダヤ人の反徒の手に落ちた後,ローマ軍はエルサレムを確保するために押し寄せました。その時エルサレムは「野営を張った軍隊に囲まれ」たのです。しかし,ローマの執政官代理ケスチウス・ガルスが不意にその軍勢を引き揚げたとき,エルサレムの住民にはイエスの助言に従って逃げるための機会が開かれました。3世紀の歴史家エウセビオスはこう述べています。「しかし,エルサレムの教会全体は神の啓示により命令を与えられており……同市から出て,ヨルダンのかなたにある,ペラという町に住んだ」。では,市内にとどまった人々はどうなったでしょうか。

      西暦70年になって,ローマ軍はティツス将軍の指導の下に戻って来ました。ローマ軍は征服することを決意していたので,同市を封鎖しました。かつてはユダヤ人の反徒であったフラビウス・ヨセフスはその時ローマ軍に仕えており,エルサレムの城壁を巡り,むなしい戦いをやめるよう自分の民に懇願しました。「ローマ軍とだけではなく,神と戦っていることを悟りなさい」とヨセフスは叫びました。結果はどうでしたか。ヨセフス自身がこう述べています。「しかし,ヨセフスがこのように涙をもって大声で懇願したにもかかわらず,反乱に加わった者たちは従うことも,自分たちの道を変えるのが安全であるとみなすこともしなかった」。その結果,幾十万もの人々が飢えと剣によって死に,さらに幾万もの人々が引いてゆかれて,奴隷としてみじめな生活を送ることになったのです。しかし,クリスチャンはペラにいて危害を受けることなく,キリストの警告に従うことの祝福についてじっくり考えることができました。

      今日,生き残る

      エルサレムで起きた出来事は,わたしたちの時代に全地球的な規模で起きる事柄の小規模な例にすぎませんでした。しかし,この度危険にさらされているのは単に一都市の存続ではなく,世界的な事物の体制の存続なのです。―マタイ 24:21。

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