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    ものみの塔 1981 | 12月15日
    • エホバの怒りの日に隠される

      「エホバを求めよ。義を求め,柔和を求めよ。恐らくあなたがたはエホバの怒りの日に隠されるであろう」― ゼパニヤ 2:3,新。

      1 ゼパニヤの名前と預言には今日どんな興味深い点がありますか。

      『エホバに隠された』― 神の預言者ゼパニヤの名前の背後にはこのような含みがあります。その名前は「エホバは隠したもうた」という意味です。あなたの願いはエホバに隠されることでしょうか。そうでなければなりません。というのは,今日の世界の苦しみと失望状態はますます深刻になりつつあるからです。義の神エホバはそのような状態が長く続くことは許されません。エホバのハルマゲドンの日は近付いています。わたしたちは皆,ゼパニヤの預言に深い関心を払わなければなりません。ゼパニヤの預言は決定の日について多くのことを述べており,また『エホバに隠して』いただけるよう,避難場所を見付ける方法を示しているからです。

      2 その預言の威力が決して小さいと言えないのはなぜですか。

      2 ゼパニヤは,ユダのヨシヤ王の治世の初期に預言を行ないました。ヨシヤ王の治世は西暦前659年に始まりましたから,それはエホバがユダとエルサレムを荒廃させる約50年前のことになります。ゼパニヤの預言は短いために,彼はしばしば「小預言者」の一人に数えられますが,その預言の威力は少しも小さくありません。その預言は,ゼパニヤの時代に,無視することのできない神からの音信を伝えるものでした。同様に,その預言はこの20世紀にまで目を向け,迫っているエホバの激しい怒りの日の間の安全を求める人々が一人残らず注意しなければならない,力強い警告を与えています。ゼパニヤの預言は,使徒ペテロが,「暗い所に輝くともしび」になぞらえているエホバの強力な「預言のことば」の一部なのです。―ペテロ第二 1:19。ローマ 15:4も参照。

      3 (イ)ゼパニヤの預言はすぐにどんな益をもたらしましたか。(ロ)それが長続きしなかったのはなぜですか。

      3 ゼパニヤは忠実な王ヒゼキヤの曾孫の子であったと思われます。王統に属する預言者であっただけに,ゼパニヤはユダの君たちに対するエホバの激しい裁きを宣明するにあたって非常な勇気を必要としたことでしょう。(ゼパニヤ 1:1,8)ゼパニヤが預言をしたことは,若いヨシヤ王の時代には健全な結果をもたらしたようです。ヨシヤ王は偽りの宗教を除いて国土を清め,「エホバの律法に記されているところにしたがった,その愛ある親切の行ない」で知られるようになりました。(歴代下 34:3,14,19,33; 35:26,新)その結果エホバの裁きの執行は一時的に停止されていました。しかし,ヨシヤの義にかなった道も,民が染まっていた悪を除き去るに至らず,また「罪のない者の血でエルサレムを満たした」祖父マナセの罪を贖うに至りませんでした。(列王下 24:3,4)エホバの清算の日は近付いていました!

      「エホバが仰せられる」

      4 (イ)その預言はどんな果断な言葉で始まりますか。(ロ)その預言はユダの苦難の原因のありかを,どのように明らかにしていますか。

      4 エホバはゼパニヤを通して,邪悪な事柄に完全な終わりをもたらすことを明らかにされました。その預言は次のような言葉で始まります。

      「『わたしは必ずあらゆるものを地の表から除き去る』と,エホバが仰せられる」。

      それは絶滅を,エホバの目に忌むべき事柄すべての根絶を意味しました。この「仰せ」は,ユダの苦難の背後にあるものが偽りの宗教であることを率直に示しました。というのはエホバは言葉を続けて次のように言われたからです。

      「わたしはユダと,エルサレムのすべての住民とに向かってわたしの手を伸ばし,バアルの残っている者たちと,異国の神の祭司たちの名をその祭司たちもろとも,この場所から絶やす。また,屋上で天の軍勢に身を屈めている者たち,また身を屈めてエホバに誓いを立てながら,マルカムにかけて誓いを立てている者たち,エホバに従おうとせず,エホバを求めず,主に伺わなかった者たちをも」― ゼパニヤ 1:2-6,新。

      5 (イ)神の民の間にはバアル崇拝が占めてよい場所はありませんでしたが,それはなぜですか。(ロ)バアル崇拝にはどんな忌むべき風習が含まれていましたか。

      5 なんという事でしょう! それらユダの人々は,エホバに対する清い崇拝を捨てて,周りの国々がしていたバアル崇拝を行なうようになったのです。人間の犠牲を捧げ,儀式として売春を行ない,物言わぬ偶像を崇拝し,物質的繁栄を願い求める形式的な祈りを捧げるバアル崇拝などが占めてよい場所は,エホバの崇拝者たちの間にはありませんでした。(民数 25:1-5。エレミヤ 7:30,31; 11:17; 19:3-5)偽りの宗教は彼らをあらゆる種類の悪行に陥れていたのです。ユダの祭司たちは,「異国の神の祭司たち」との交友により十戒の第一の戒めを犯していました。(出エジプト 20:2,3)マナセ王の悪い手本に従い,彼らは「天の全軍」を崇拝し,霊媒に導きを求めました。(歴代下 33:1-6,新)『あらゆる宗教に良いところがある』という間違った前提に基づいて,偶像の神マルカムとエホバを同列に見ていました。彼らは生ける神から離れていたので,「信仰の欠けた邪悪な心」が育っていました。―ヘブライ 3:12。

      6 ユダにおける風習と今日のキリスト教世界におけるそれとの間にはどんな驚くべき類似性が見られますか。

      6 今日のキリスト教世界はこれと異なるところがあるでしょうか。キリスト教世界の国々は,今世紀に生じた戦争の祭壇に何百万もの命を犠牲として捧げたために,依然として大きな血の罪を負っています。どちらの側のキリスト教世界の僧職者もそれらの戦争を支持しました。彼らの血の罪は消え去ってはいません。(エレミヤ 2:34,35と比較してください。)ユダの人々があらゆる形の性の不道徳にふけったのと同じく,キリスト教世界の人々も今日,婚前交渉,乱交,妻の交換,離婚,同性愛行為などを行ないますが,僧職者の多くはそのような行ないを見て見ぬふりをし,大目に見ることさえあります。聖書の規準とはなんと大きな相違でしょう!―コリント第一 6:9,10。ヘブライ 13:4。

      7 (イ)背教したユダの人々が行なった心霊術や信仰合同に似たどんなものが今日見られますか。(ロ)この点に関し,神の言葉にはどんな時宜にかなった助言がありますか。

      7 星占い,運命判断,心霊術 ― こうした事柄も自称クリスチャンの間に入り込んでいます。『すべての宗教は同じ目標に到達する』というもっともらしい口実で,今日のキリスト教世界では,信仰合同が広く行なわれています。偽りの宗教の迷信が聖書の教えに混入されています。例えばキリスト教世界は,年に1度イエスの死を記念するようにというイエスの命令に従う代わりに,多産の儀式と,ウサギやイースターの卵などの象徴を採り入れて,官能的な愛の女神アシタロテ(ギリシャ語ではアスタルテ)にちなんで名付けられたイースターを強調します。今までそのような慣行にかかわりを持っていた人はだれでも,サムエル前書 7章3節(新)の次の正しい忠告に従うのは良いことです。「もしあなた方が心をつくしてエホバに立ち返るのなら,あなた方の中から異国の神々や,アシタロテの像も取り除き,あなた方の心を迷わずにエホバに向け,主にのみ仕えなさい。そうすれば,あなた方を……救い出してくださるでしょう」。エホバがご自分の正しさを立証される日に共にそれにあずかるよう招かれる人々の中に数えられることを望むなら,エホバとそのみ言葉とそのご要求に敬意を示すことは,わたしたちにとって不可欠です。ゼパニヤ自身次のように述べています。

      「主権者なる主エホバのみ前に沈黙せよ。エホバの日は近く,エホバは犠牲を備えられたからである。主はその招かれた者たちを神聖にされた」― ゼパニヤ 1:7,新。

      8 「エホバの言葉」はどんな危険な考え方をしないように警告していますか。

      8 ゼパニヤの時代における,自称エホバの崇拝者たちに対するエホバの調査は徹底したものでした。ですから「エホバの言葉」はさらに次のように述べています。

      「わたしはともしびを携えてエルサレムを注意深く捜し,澱の上に凝り固まる人々,その心の中で,『エホバは善を行なわないし悪も行なわない』と言う者たちに注意を向ける」。(ゼパニヤ 1:1,12,新)

      そのような自己中心的な者たちは現状に満足していました。自分たちの酒だるの中の澱をだれにもかき立ててもらいたくありませんでした。彼らは信仰のない今日のキリスト教世界のようであり,また『今が本当に「終わりの日」である証拠がどこにあるのか』と言ってエホバを崇拝することをやめた人々のようでした。ゼパニヤの時代にはそのような考えは災いとなりました。わたしたちの時代にはもっと大きな災いとなるでしょう。わたしたちは世界の事物の体制全体の終わりに直面しているからです。―ペテロ第二 3:3,4,10。

      9 ユダの時代のように,物質主義的な見方ではなく霊的な見方を今養うことが非常に重要であるのはなぜですか。

      9 そのような信仰のない,物質主義的な人々について,エホバは続けてこう言われます。

      「彼らの富は必ず略奪に遭い,その家は荒れ果てる。そして,彼らは家を建ててもそこに住むことはなく,ぶどう畑を作っても,そのぶどう酒を飲むことはない」。(ゼパニヤ 1:13,新)

      神の裁きの日に世の財産は何の役にも立ちません。今はそのような物質を求めるよりも,聖書的な人生観を培い,若い人ならばエホバに対する全時間奉仕に自らを備える方が,どれだけ実際的か分かりません。「地上に宝を蓄える」代わりに『宝を天に蓄える』ことを選ぶ人々はいつも幸いです。―マタイ 6:19-21。伝道 12:1。テモテ第一 6:6-8。

      「エホバの大いなる日は近い」

      10,11 エホバはどのように,そしてなぜ,ご自身の大いなる日を「速やかに来る」ようにするのですか。

      10 次に,主権者なる主ご自身がわたしたちにこのように保証しておられます。

      「エホバの大いなる日は近い。それは近く,しかも極めて速やかに来る」― ゼパニヤ 1:7,14,新。

      11 この邪悪な世に対する神の裁きは遠い将来のことだとだれも考えることはできません。今日,地上の人間の命はすべて破滅の危機にひんしています。しかし,そうした破滅はエホバが許されることではありません。核時代のこの狂気を終わらせるのは,主権者なる主エホバであって,政治に関心を持つ人々ではありません。エホバはハルマゲドンの日が「速やかに来る」ようにされるでしょう。その裁きの執行を妨害しようとする「強大な者」はだれでも激しく叫ぶ定めにあります。というのは,エホバご自身が次のように宣言しておられるからです。

      「その日は憤怒の日,苦難と苦悩の日,あらしと荒廃の日,闇と暗がりの日,雲と濃い暗がりの日,防備を固めた都市と,隅の高い塔とを攻める,角笛と警報の日である」― ゼパニヤ 1:15,16,新。

      12 その日の滅びが選択的なものであることをわたしたちはなぜ喜ぶことができますか。

      12 この武装化された世界の要さいは,核ミサイルに挑むことができるにしても,天にあるエホバの兵器庫の兵器に対しては無力です。それにその破壊はダビデの預言的な言葉にある通り,選択的なものです。「エホバはご自分を愛する者すべてを守っておられます。しかし邪悪な者は,これをみな滅ぼし尽くされます」とダビデは述べています。(詩 145:20,新)エホバのみ前に慎んで沈黙を守らなかった人々にとって裁きの日は確かに恐ろしい日となるでしょう。エホバは次にゼパニヤを通してこのように宣言しておられるからです。

      「わたしは人々に苦難をもたらし,彼らは必ず盲人のように歩く。彼らは,エホバに対して罪を犯したからである。そして,彼らの血はまさに塵のように注ぎ出され,そのはらわたは糞のように注ぎ出される」― ゼパニヤ 1:17,新。

      13 その憤怒の日にどんな投資は役立ちませんか。

      13 多額の銀行預金を「中立」国に預けてみたところで,あるいは金を秘蔵し,ばく大な財産を投資し,地中に隠れ家を設けたところで,それがその日に何の役に立つでしょうか。全く無益です! 主権者なる主エホバご自身がそのことを明らかにし,次のように述べておられます。

      「その銀も金もエホバの憤怒の日には彼らを救い出すことができない。その熱心の火によって,全地は焼き尽くされる。主は地の全住民の絶滅,まさに恐るべきものをもたらされるからである」。(ゼパニヤ 1:18,新)

      この最後の決定の日には,「全地」が神の最後の裁きの執行を受けます。しかしそれから逃れる方法があります。それは何でしょうか。

      『寄り集まれ』

      14 (イ)ユダ,(ロ)キリスト教世界の場合,ゼパニヤ書 2章1節の呼び掛けに対して注意を払っていないどんな証拠がありますか。

      14 自分の民にあたかも最後の呼び掛けを行なうかのように,神の預言者自身は生き残る見込みのある人々に今度は次のように勧めます。

      「恥じて青ざめることのない国民よ,寄り集まり,集合せよ」。(ゼパニヤ 2:1,新)

      しかしユダは一国民としてその呼び掛けに対し好意ある反応を示したでしょうか。西暦前607年に同国民に対してエホバの火のような裁きが執行されたことからすると,彼らはそのように反応しなかったことが分かります。彼らはその恥ずべき行ないを続けました。しかし,エレミヤ,エベデメレク,ヨナダブの家などを含むユダの人々や他の人々で,エホバの言葉に注意を払ったために生き残った人たちもいました。(エレミヤ 39:11,12,16-18; 35:18,19)今日も同様の事態が見られます。キリスト教世界は,エホバの証人がその領域にくまなく宣べ伝えた王国の音信に対して恥ずかし気もなく反対しました。キリスト教世界は諸国民の唯一の希望である,イエス・キリストによる神の王国を退けて,その代わりに現在国際連合として知られている,人間の作った代用物を支持しました。キリスト教世界が行なうどんな集まりも,ハルマゲドンで滅ぼされるに過ぎません。―詩 2:2,3。啓示 16:13-16。

      15 現代においてほかにどんな集める業が行なわれてきましたか。

      15 しかし,わたしたちが今住んでいる「末の日」には,別の集める業も進行しています。まず,油そそがれた真のクリスチャンたちが主にキリスト教世界から集められてきました。これに次いで,「すべての国民と部族と民と国語の中から」数え切れない「大群衆」が,迫り来る患難を生き残るべく集められています。(啓示 7:1-4,9,14。イザヤ 2:2,3)この「大群衆」を形成するのはどんな人々でしょうか。神の預言者の助言に注意を払い,進んで自らを低くする柔和な人々です。

      16,17 どんな秒読みが今進んでいますか。したがって生き残るためにはどんな呼び掛けにこたえなければなりませんか。

      16 ハルマゲドンへの秒読みは容赦なく進んでいます。ですからそれら柔和な人々に対する神の預言者の次の警告は時宜を得たものです。

      「法令が何をも産み出さないうちに,その日がもみがらのように過ぎないうちに,エホバの燃える怒りがあなた方の上に臨まないうちに」,

      あなたは行動しなければなりません。―ゼパニヤ 2:2,新。

      17 西暦前607年に不忠実なエルサレムが滅び去ったのと同じように,また同様の理由で,キリスト教世界が滅びなければならないのはエホバの法令であり定めです。(エゼキエル 22:3-5)キリスト教世界には血の罪があり,その僧職者はエホバのおきてを捨てました。キリスト教世界の宗教は,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの一部です。使徒ヨハネはそれについて次のように書きました。「あなたの心霊術の行ないによってあらゆる国民が惑わされたのである。しかも彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」。神に喜ばれることを願う人々に対して,「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」という呼び掛けがなされてきたのも不思議ではありません。―啓示 18:4,23,24。

      『エホバを求める』

      18 柔和な者たちはさらにどんな行動を取らねばなりませんか。

      18 それにしても,世とその偽りの宗教から離れるだけで十分なのでしょうか。ゼパニヤは穏和な人々がさらに積極的な行動を取らねばならないことを示します。

      19 『エホバを求める』ことにはどんなことが関係していますか。

      19 順番としてまず第一に,神の預言者はこう述べます。

      「主の司法上の定めを行なってきた,すべての柔和な者たちよ,エホバを求めよ」。(ゼパニヤ 2:3,新)

      み子イエス・キリストがエホバについて説明されたように,彼らはエホバを,そしてまたエホバのすばらしい属性と目的を知ることに努めなければなりません。へりくだってそのことを行なうなら大きな報いがあります。イエスご自身こう言われました。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 1:18; 17:3)そのようにしてエホバを求めると,やがて,「心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめて」エホバを愛するようになり,イエスの模範に従って,エホバが彼らにお求めになる「神聖な奉仕」を行なうようになります。―マルコ 12:29,30。ペテロ第一 2:21。マタイ 4:17。啓示 7:15。

      20 わたしたちはどんな義をどんな確信をもって求めるべきですか。

      20 次にゼパニヤはこう言います。

      『義を求めよ』。(ゼパニヤ 2:3,新)

      これは決してパリサイ人のように独善的になるということではありません。だれにせよ,「神に対する熱心さを抱いて」いても,もしその熱心さが神の言葉の正確な知識と一致したものでなければ,それは何の役にも立ちません。『神の義に服すためには神の義を知る』必要があります。人間の規準ではなく神の規準に従う生活をし,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された」クリスチャンとしての人格を身に着ける必要があります。(ローマ 10:2,3。エフェソス 4:22-24)真に義であり忠節であるためには,世に見られるだらしない考えや物事の仕方を自分の生活に入り込ませないようにすることが求められます。イエスが言われたように,わたしたちが神に仕えるなら,神は命を支えるのに必要なものを備えてくださり,エホバの怒りの日に保護してくださるという確信を抱いて,「[神の]王国と神の義をいつも第一に求め」る必要があります。―マタイ 6:31-33。

      21 (イ)この預言は柔和という資質をどのように強調していますか。(ロ)この点に関し,どんなことによく注意しなければなりませんか。

      21 エホバの預言者は3番目に,こう述べています。

      「柔和を求めよ」。(ゼパニヤ 2:3,新)

      ゼパニヤはすでに,自分の預言に注意を払う人々のことを,「地の……柔和な者たち」と述べました。ですから預言者はここでこの特質を二重に強調しているのです。「柔和を求め」続けるのはなんと重要なことでしょう。わたしたちを取り囲んでいるのは誇り高ぶった,我がままで片意地な,あるいは“自分が第一”といった態度を示す世の人々だからです。わたしたちがそうした態度に幾らか染まってしまう危険は常にあります。いつも進んでエホバとその組織の懲らしめを受け入れ,神のご意志に従うように用心する必要があります。「一度救われたら永久に救われる」と考えるべきではありません。なぜなら救いという報いは,『真理のうちを歩みつづける』人々のためのものだからです。―箴 22:4。ヨハネ 8:31,32。ヨハネ第三 3,4。

      22 (イ)ゼパニヤはなぜ「おそらく」と言っているのですか。(ロ)『エホバに隠される』者たちは最終的にはどんな結果を得ますか。

      22 そこでゼパニヤは,「地の柔和な者たち」に対してこう言います。

      「おそらくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう」。(ゼパニヤ 2:3,新)

      なぜ「おそらく」なのでしょうか。なぜなら最終的な救いは,イエスが示されたように,個人の行動いかんにかかっているからです。「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」とイエスは言われました。ですから柔和な人々は皆,耐え忍んで,今の時代に対する神のご意志をへりくだった態度で行なっていきましょう。その神のご意志には,建てられた神の王国のこの良いたよりを,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えることが含まれています。(マタイ 24:13,14)それを行なうなら,あなたはエホバの怒りの日に,『エホバに隠される』者たちのうちにいることでしょう。詩篇作者ダビデはそのような人々について,「柔和な者たちこそ地を所有し,豊かな平和にこの上ない喜びを見いだすのである」と書いています。―詩 37:11,新。

  • 「肩を並べて」エホバに仕える
    ものみの塔 1981 | 12月15日
    • 「肩を並べて」エホバに仕える

      「わたしはもろもろの民に清い言語への変化をもたらす。彼らが皆,エホバの名を呼び,肩を並べて主に仕えるためである」― ゼパニヤ 3:9,新。

      1 エホバの預言に関してはどんな保証がありますか。

      エホバの預言の言葉は必ず,間違いなく成就します。エホバご自身わたしたちにこう告げておられます。「わたしの口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになるのである。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める」。(イザヤ 55:11,新)ゼパニヤの偉大な預言の詳細な点の非常に多くが正にその通りになったのです。

      2 (イ)ゼパニヤ書 2章4-8節にはどんな国家グループのことが述べられていますか。(ロ)それらの国があった場所を今日訪れるなら,その預言の正確さを示すどんな証拠が見られますか。

      2 例えばゼパニヤは,ペリシテの諸都市,ケレテの国民,ペリシテ人の地,そしてモアブおよびアンモンに対するエホバの滅びの宣告を順に記録しています。(ゼパニヤ 2:4-8)それらの預言はすべて,その後の何年かの間に,あるいは何世紀かの間に,驚くべき成就を見ました。ペリシテの国民とその諸都市は今日どこにあるでしょうか。また従属の民であったケレテ人はどこにいますか。それらの国や民は現在どこにも存在しません。モアブとアンモンはどうなったでしょうか。預言は次の通りです。

      「『わたしは生きている』とイスラエルの神,万軍のエホバが仰せられる,『モアブも,まさしくソドムのようになり,アンモンの子らはゴモラのように,定めのない時に至るまでも,いらくさの所有する所,塩の坑,荒れ果てた所となる』」。(ゼパニヤ 2:9,新)

      かつて誇り高いモアブとアンモンの国民が栄えた土地であるヨルダン地方一帯を今日旅行するなら,何が見られるでしょうか。エホバが予告された通りの荒廃です。歴史を見れば,エジプトと共にエチオピアも,バビロニアの侵略者たちの手にかかって苦しんだことが分かります。―ゼパニヤ 2:12。

      「驚きの的」

      3,4 (イ)アッシリアとニネベに関するエホバのお告げはどんなものでしたか。(ロ)それはなぜ信じられないように思われましたか。(ハ)その預言の驚くべき成就を示すどんな証拠がありますか。

      3 とりわけアッシリアとニネベに関するエホバのお告げの成就には驚くべきものがあります。ゼパニヤは,アッシリアの大いなる首都ニネベがその最盛期にあった時に預言しました。それは,アッシリアが聖書歴史の第2世界強国としての地位から引き降ろされる少なくとも15年前のことでした。だれがそのようなことを想像し得たでしょうか。しかしエホバはその国家主義的な「流血の都市」に敵しておられました。(ナホム 3:1,5,新)そしてニネベと清算を行なうことについてゼパニヤを通し次のように語られました。

      「主はその手を北に差し伸べて,アッシリアを滅ぼされる。そして,ニネベを荒れ果てた所,荒野のように水のない地方とされる。……これこそ,安らかに座して,その心の中で,『わたしはいるが,ほかにはだれもいない』と言っていた歓喜の都市である。その都市が,ああ,なんという驚きの的,野生動物が身を伸ばして横たわる所となったのだろう。そこを通る者はみな口笛を吹き,その手を振る」― ゼパニヤ 2:13-15,新。

      4 当時の人々は,『そんなことはあり得ない!』と言ったことでしょう。ところが,その同じ世代は生きているうちにその預言の成就を見ることになったのです。西暦前632年,バビロンのナボポラッサルとメディアのキャクサレスがニネベを包囲し,攻略しました。バビロニア年代記には,「彼らは都市と神殿からばく大な戦利品を持ち去り,同市を瓦礫の山[としてしまった]」とあります。ニネベの荒廃ぶりは徹底していたために,何世紀もの間その位置さえ分からない有様でした。1800年代になってからその位置は再び明らかにされ,有名なアシュールバニパル2世の図書館が発掘されました。しかしその地域は今日に至るまで依然として不毛の荒野で,時折羊の群れが来て伏すくらいのものです。エホバの預言はなんと正確に成就するのでしょう!

      5 この預言には現代に対するどんな強力な音信が含まれていますか。

      5 しかし非常に重要なことは,その預言的記録に,今日のための音信が含まれているということです。それは,「事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告」となるのです。(コリント第一 10:11,12。ローマ 15:4。テモテ第二 3:16,17)この記録を見るときわたしたちは,それらの国に神の裁きをもたらした誇りや飽くことのない快楽の追求,物質主義的な考えや粗暴な気質を避けるよう励まされます。また,それらの預言が今日も大いに生きており,しかもそのクライマックスとなる成就が足早に近付いているということも忘れることはできません。生ける神エホバが今日までそれらの預言を保存されたのは,単に歴史的記録を保存するためではありません。現代においても,古代のそうした国々に相当する,とりわけアッシリアのような,軍事力を誇る政治-軍事的強国が存在します。エホバはご自分の王国に敵対するそのようなものすべてに対して必ず復しゅうされます。―ナホム 1:2。ゼパニヤ 1:2,9。

      「抑圧的な都市は災いだ」

      6 そこでどんな質問が生じますか。それはなぜ的を射た質問と言えますか。

      6 現代の全体主義的,権威主義的政府は,強大なアッシリア帝国の残虐なニネベによく似ています。しかしエホバは,現代の世界の事物の体制に,ご自身の目から見てもっととがむべき部分があることを明らかにしておられます。それは何でしょうか。

      7 (イ)どの「抑圧的な都市」が,どんな点で,古代エルサレムに似ていますか。(ロ)その都市はどのように懲らしめを拒否しましたか。

      7 それは,ゼパニヤの時代のユダとエルサレムが主張したように,神ご自身の民であると主張している,この世の一部分です。その部分は「クリスチャン」であると公言し,一般に「キリスト教世界」として知られています。しかし同世界の僧職者は神の言葉である聖書の純粋な教理を捨て,同世界の国々と国民はその聖書に述べられている優れた道徳規準に従わなくなりました。それで,今やゼパニヤ自身が,神を敬わないその「都市」に向かって次のように発言します。

      「背き,身を汚している者,抑圧的な都市は災いだ。これは声を聴き入れず,懲らしめを受け入れなかった。エホバに頼らなかった。その神に近づかなかった」。

      エホバはキリスト教世界に,その町々村々に,家から家にご自身の証人たちをくまなく遣わされました。彼らは「朝ごとに」エホバの裁きをふれ告げてきました。「夜明け」にもエホバの義にかなったご要求は明示されてきました。しかしキリスト教世界の指導者と僧職者は「不遜で」,『恥を知らず』,義にかなったエホバとその王国の使者たちに反対しました。―ゼパニヤ 3:1-5,新。

      8,9 (イ)そこでエホバご自身どんな宣言を行なわれますか。(ロ)その適用はどれほどの範囲に及びますか。(ハ)そのためにわたしたちはなぜ感謝すべきですか。

      8 主権者なる主エホバは,ご自身の忠節な預言者を支持して今や滅びの宣告を取り上げ,すべての国民が含まれるようにそれを拡大されます。その宣告は次の言葉をもって頂点に達します。

      「『それゆえ,わたしが獲物に向かって立ち上がる日までわたしを待て』と,エホバはお告げになる。『わたしの司法上の決定は,諸国民を集め,わたしがもろもろの王国を寄せ集め,その上にわたしの告発を,わたしの燃える怒りをことごとく注ぐことだからである。わたしの熱心の火によって,全地は焼き尽くされるのである』」― ゼパニヤ 3:6-8,新。

      9 ですからキリスト教世界の宗教は,聖書の中で「大いなるバビロン」として描かれている偽りの宗教の世界帝国全体と共に滅びなければなりませんが,エホバの裁きの執行は,同世界を荒廃させることで終わるのではありません。(啓示 18:2-4)エホバの「燃える怒り」の日とエホバの「熱心の火」は,地球上から邪悪な事柄をことごとく除き去るのです。(イザヤ 34:2-8; エレミヤ 25:32,33も参照してください。)マタイ 24章21節のイエスご自身の証言によると,この未曾有の大患難は最後のものとなるので,わたしたちはそのことに心から感謝しなければなりません。その大患難は,古代ニネベの滅亡のような『完全な滅亡をもたらして』,エホバの目的を達成するでしょう。「苦難は二度と生じない」のです。―ナホム 1:9,新。ダニエル 12:1。啓示 19:11-21。

      逃れる道

      10 世界では今どんな『不純な言語』が話されていますか。

      10 この世界的な災いの時に生き残る道があるのでしょうか。それがあるのです。この預言のすぐ次の言葉の中で,それがどんな道であるかをエホバ神ご自身が示して,次のように述べておられます。

      「そのとき,わたしはもろもろの民に清い言語への変化をもたらす。彼らが皆,エホバの名を呼び,肩を並べて主に仕えるためである」。(ゼパニヤ 3:9,新)

      幾百とある国語の中のどれを用いていようと,世の諸国民はエホバの忌み嫌われる「言語」で宣伝を行ないます。彼らは神の王国ではなく,彼ら独自の国家主義的計画を高く掲げ,分裂した国連を利己的な政治目的に利用しようとします。彼らはキリスト・イエスによるエホバの王国を退けます。

      11 (イ)今日,どんな「清い言語」が聞かれますか。(ロ)この「言語」はどれほど広く話されていますか。(ハ)それを話す人々はどのように「エホバの名を呼び」ますか。それはどんな結果を生みますか。

      11 ではこの「清い言語」への変化とは何でしょうか。それは,エホバをほめ,キリスト・イエスによるエホバの義の目的をほめたたえる真理の音信,心をさわやかにする「良いたより」,「健全な言葉の型」に心を向けることです。(テモテ第二 1:13)この「清い言語」は彼らを一体化します。そして,新時代を画する年1914年に,「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼はかぎりなく永久に王として支配するであろう」ということを証言します。(啓示 11:15)世界中の真のクリスチャンは,この音信を語り告げて献身的に「エホバの名を呼び」,一致してエホバに「神聖な奉仕」を捧げます。地上唯一の真に一致した民として彼らは人々の家に行き,建てられたエホバの王国の「良いたより」を告げ知らせます。こうして彼らは「肩を並べて」エホバに仕えます。(マタイ 24:14。ローマ 12:1)あなたは,そのようにして世から離れ,神に献身して熱心に神に仕えている人の一人ですか。「無事に逃れる」可能性が生まれるのは,組織された神の民とそのように共に働く場合です。―ヨエル 2:32,新。ホセア 14:1,2; ヘブライ 13:15参照。

      12,13 (イ)この「言語」を学ぶにはどんな問題が関係してくる可能性がありますか。(ロ)「肩を並べて」奉仕するのに柔和さが求められるのはなぜですか。(ハ)柔和という特質はどうすれば培えますか。

      12 「清い言語への変化」は,ある人にとっては難しいことです。のん気で,何事も大目に見る世から出て,『エホバの名を呼ぶ』ために必要な犠牲を捧げることはやさしくありません。神ご自身の民の清く,価値ある規準に順応するためには,間違った考えや悪い習慣,自己中心的で放縦な生活様式を捨てなければなりません。(エフェソス 4:17,18,29。ペテロ第一 4:3)エホバが今日地上で用いておられるただ一つの組織を正しく認め,しかも「忠実で思慮深い奴隷」と交わることによってそうすることが求められます。信仰を強くするためにその「奴隷」が発行する出版物の助けを得て神の言葉聖書を『注意深く調べる』には,柔和さが求められます。―マタイ 24:45。使徒 17:11。

      13 「肩を並べて」エホバに仕えるには,ゼパニヤが再三強調しているように,柔和という特質を培う必要があります。不完全な人間は皆間違いをするものですから,間違いをした時にはすぐにそれを認めるようにしましょう。肉体を持つ不完全な人間で構成される「忠実で思慮深い奴隷」も,訂正を行なわねばならないことがありました。しかし,エホバが100年にわたって,ご自身の一致した民の中に築き上げられた,真理の主要な部分に対して批判的になるようなことは決してしないようにしましょう。その真理は,訂正と調整とによって「義なる者たちの進路」をますます明るく照らすようになっているのです。―箴 4:18,新。

      14 (イ)柔和の逆はどんな態度ですか。それはどのように示されますか。(ロ)その傲慢な人々はどのように事を始めますか。わたしたちはどんな警告に注意しなければなりませんか。(ハ)「何も乏しいものはない」ところはどこですか。

      14 エホバの民の隊伍の中から,初めのころのサタンのように,独立的な態度や粗捜しをするような態度を取る人々が時折出ました。彼らは世界中の兄弟とのきずなを保ちつつ「肩を並べて」奉仕したいという気持ちを持っていません。(エフェソス 2:19-22と比較してください。)むしろエホバの言葉に対して「かたくなな肩」をそびやかします。(ゼカリヤ 7:11,12,新)それらの傲慢な人々は,エホバが過去1世紀にわたってご自身の民に非常にやさしく,親切に教えてこられた「清い言語」の型をばとうし,イエスが地上に集めてこられた一つの国際的な「群れ」から「羊」を連れ去ろうとします。(ヨハネ 10:7-10,16)彼らは疑いをまいて,それを疑わない人々を,エホバの証人の王国会館で出される霊的食物の豊かな「食卓」から,本当に「何も乏しいものはない」ところから引き離そうとします。(詩 23:1-6,新)一人であるいは小さなグループに分かれて家庭で聖書だけを読んでいれは十分だ,と彼らは言います。ところが不思議なことに,彼らはそのような“聖書朗読”を通してキリスト教世界の僧職者が著わした100年前の聖書注釈書に教えられている背教した教理に逆戻りし,中には12月25日のローマのサトゥルナリアのような,キリスト教世界が行なう祝祭を再び祝うようになった人さえいます。イエスとその使徒たちは,そのような不法の者たちに気を付けるよう警告していました。―マタイ 24:11-13。使徒 20:28-30。ペテロ第二 2:1,22。

      15 (イ)エホバは「傲慢」な者たちに対してどのように行動されますか。(ロ)「謙遜で立場の低い民」はどのように見分けられますか。(ハ)エホバはそれらの人々にどんな保証を与えておられますか。

      15 エホバは,預言者ゼパニヤを通して,ご自身の地的組織に臆面もなく不一致をまこうとする者たちをどのように除き去るかを,ご自身の民に告げ,こう述べておられます。

      「わたしは傲慢に勝ち誇る者たちをあなたの中から除く……あなたは決して二度とわたしの聖なる山で傲慢になることはない」。

      喜ばしいことに,エホバはそれと対照的に次のように言われます。

      「わたしは必ずあなたの中に謙遜で立場の低い民を残す。彼らはまさにエホバの名のもとに避難する者たちである」。(ゼパニヤ 3:11,12,新)

      そうです彼らは,「良いたよりの聖なる業」に携わり,「肩を並べて」働く柔和な人々です。(ローマ 15:15,16)誇りが高いためにイエスの弟子たちがその主人から学んで示した手本に倣って家々を訪問するような卑しい仕事はできない,と考える人々ではありません。(マタイ 10:5-13。ルカ 9:2-6。使徒 5:42)彼らは,エホバのみ名の下に避難し,その栄光あるみ名と,キリストの勝利の王国によってご自身の正しさを立証するというエホバの目的をふれ告げます。(エゼキエル 38:23。ダニエル 2:44)エホバの民は,エホバの義に従って奉仕を行ないまた生活しているので,「自分たちをおののかせる者は何もない」ことを確信しています。(ゼパニヤ 3:13,新)彼らの思いは本当に平安です。

      喜びに満ちた活動の時

      16 (イ)ゼパニヤは彼自身の喜びをどのように表わしますか。(ロ)どんな預言的呼び掛けに,今日だれがこたえ応じてきましたか。

      16 ゼパニヤ自身,エホバからその保証を与えられて喜びを得たので,神の民に次のように呼び掛けます。

      「シオンの娘よ,喜びに満ちて叫べ。イスラエルよ歓呼せよ。エルサレムの娘よ,心の限り楽しみ,喜べ。エホバはあなたに対する裁きを除かれた。あなたの敵を退けられた。イスラエルの王,エホバは,あなたの中におられる。あなたはもはや災いを恐れることがない」。(ゼパニヤ 3:14,15,新)

      大いなるバビロンの霊的捕らわれから解放された1919年以来,エホバの油そそがれた証人たちは,「肩を並べて」エホバに奉仕し,喜びにあふれて公の証言を行なってきました。エホバは,天のエルサレムのその子たちを裁き,是認されました。(ガラテア 4:26。ペテロ第一 4:17)刑務所も強制労働収容所も,彼らを再び霊的束縛に引き込む力のないことが証明されました。現在では,主の「ほかの羊」の一部であることが1935年以来確認されている,仲間の証人の「大群衆」が彼らの歓びにあずかっています。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9,10。

      17 (イ)どんな保証は,エホバの民が「神聖な奉仕」を忍耐強く行なう助けになりますか。(ロ)エホバはどのように「沈黙」されますか。それでもどのように「喜びの叫びを上げて……喜ばれ」ますか。わたしたちはどのように反応すべきですか。

      17 エホバに属し天のシオンを代表する油そそがれた者たちに対して直接に,また彼らを通して彼らの同労者である「大群衆」に,エホバご自身がこのように訴えておられます。

      「シオンよ,恐れてはならない。あなたの手は垂れてはならない」。(ゼパニヤ 3:16,新)

      今日行なわれている犯罪や暴力行為がいかにひどいものであっても,核時代の挑戦がいかに恐ろしいものになってきても,将来エホバの証人に臨む迫害がいかに残虐なものであっても,彼らはエホバと極めて親しい関係にあり,自分たちの神に信頼を置いているので,それらを切り抜けることができます。「神聖な奉仕」というすきに手を掛けたのですから,後ろのものを振り返り,「肩を並べて」すきを進めるのをやめることがないようにしましょう。(ルカ 9:62。啓示 7:15)預言はさらに,次のような神の保証があることを告げているからです。

      「あなたの神エホバはあなたのうちにおられる。強大な者として,主は救ってくださる。主はあなたのことを喜び歓喜される。主はその愛のうちに沈黙される。喜びの叫びを上げてあなたのことを喜ばれる」。(ゼパニヤ 3:17,新)

      エホバは,回復し立ち返った民に愛を示すことによって,安らぎとそう快さを見いだされるので『沈黙し』,神への奉仕における彼らの忠実さと熱意を大いに喜び歓喜されます。この「終わりの日」にあるわたしたちは,わたしたちの生ける神エホバを身近に感じ,一致してエホバへの奉仕を行なっていかなければなりません。―テモテ第二 3:1。

      18 (イ)1919年以降,エホバの民はどのように『名とされ,賛美と』されましたか。(ロ)わたしたちはさらに多くの人々のために,どのように「肩を並べて」奉仕できますか。

      18 神の民すべてにとって,1919年以降はすばらしい回復の日となっています。彼らは忠実な証人として,伝道に熱意を傾け,宣べ伝える業を続けてきました。その結果,エホバの組織は世界の果てにまで拡大しました。(ローマ 10:10,18)それは確かに神の民を携え入れ,集める時でした。どんな目的のために集めるのでしょうか。エホバご自身がこう答えておられます。

      「わたしはあなた方を地のすべての民の中で名とし,賛美とする」。(ゼパニヤ 3:20,新)

      幸いなことに,神の民の油そそがれた残りの者は,主権者なる主エホバの尊いみ名を高く掲げる点で『名となり,賛美と』なりました。そして今では多数の「地の……民」が彼らと共に,「肩を並べて」エホバの王国の目的を知らせる業に携わっています。わたしたちが「清い言語」を語るように変化し,引き続き『王国の良いたより』を告げ知らせるなら,まだ多数の人が『エホバの名を呼ぶ』ように助けられ,その結果彼らもエホバの怒りの日の間『エホバに隠され』,そして永遠にわたりエホバを大胆に賛美するようになるでしょう。

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