神の目的とエホバの証者(その41)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
聖書文書販売人の活動は再組織される
さて,別の奉仕部門にも大規模な調節が行なわれて,その能率はぐんと改善されました。後になって開拓者と呼ばれた聖書文書販売人の奉仕が改善されました。1932年の協会の報告は,開拓者の証者たちがしたすばらしいわざを示しています。彼らの多くは,アメリカ合衆国内の孤立した区域で働いていました。それに加えて,開拓者たちはブルックリンの本部事務所の指示の下にアメリカ合衆国外でも働きました。その活動は,運河地帯,コロンビア,南アメリカ,コスタリカ,キューバ,オランダ領ギアナ,ハワイ,ホンジュラス,エルサルバドル,そしてフィリピン諸島に及びました。ある開拓者たちは,アメリカ合衆国内の外国語を話す人々の中で活発に奉仕しました。野外奉仕を忠実に行なったこれらの開拓者たちの中には,アメリカ合衆国以外の30の異なった国で生まれて,後日アメリカに移住し,同国人の中で伝道した人たちがいました。a
神権制度が全く復興される直前,開拓奉仕の面において大切な前進への一歩がふみ出されました。それは1937年度の協会の報告の中に述べられています。
この年度が終わってから協会は「特別開拓者」の会を組織した。彼らは野外奉仕の備えをして,特別なわざをするためにつかわされた。特別開拓者の各人は毎日の証言のわざに用いる蓄音機とレコードを持っている。これらの特別開拓者は協会から必要な援助を受け,人々を訪問して,蓄音機や出版物を用いて御国の音信を個人的に提供することに全時間をついやす。福音をラジオ放送局の放送で伝道するよりこのように伝道するほうがはるかに効果的であることはまちがいない。そして商業ラジオ放送のプログラムのために払う金は,いまから蓄音機による証言伝道の拡大のために使われるようになろう。b
蓄音機を用いる運動を率先指導
協会が商業ラジオによる放送を自発的に中止したとき,これらの特別開拓者は蓄音機の仕事を率先指導しました。
この新しいプログラムがどれほど効果的なものであったかを知るために,1940年の「年鑑」(英文)を読んでみましょう。これは1939奉仕年度の報告を記しています。
1937年9月のコロンブス市での大会で特別開拓者の仕事が発表され,その仕事はいままでの2年間に良い成果を収めた。特別開拓者の仕事が始まったとき,会の伝道者たちは再訪問の価値と,蓄音機を日々定期的に使用する価値を十分に知らなかった。
約200名の特別に選ばれた開拓者たちは,アメリカ全土で蓄音機を使用する仕事に参加した。彼らは会の組織されていた大都市につかわされた。そして,蓄音機が御国の宣明に大切な役割を果たすことをはっきり証明した。過ぐる2年間,御国の伝道者たちは蓄音機にするどい関心を払うようになったため,ブルックリン工場では2万台以上の蓄音機が生産された。それでも,需要に応ずることは不可能であった。過去1年のうち,特別開拓者の群れの数はある時には300名に増加したが,1年間の平均では,256名の特別開拓者が,毎日定期的にわざに参加していった。
この1年間に特別開拓者たちは51万6982回も蓄音機を使用し,100万人以上の人々が講演を聞き,兄弟たちは12万4206の再訪問をした。コロンブスの大会の時に示された特別開拓者の仕事は,その目的を達成し,いまでは全世界の伝道者は蓄音機が御国の事柄の拡大に大きな助けになることを知るに至った。
昨年中,これらの特別開拓者を援助して,そのわざを達成させるため,協会は4万1123ドル98セントを支出して彼らを援助した。
これから特別開拓者は別の仕事をする。特別開拓者として協会から任命されている者たちは,アメリカ全土に任命されている地帯の僕を援助する。特別開拓者のこれからの大切な仕事は,地帯の僕を援助して,新しい会を組織することである。そして,御国の事柄の推進におそい会では,協会は特別開拓者をその会の僕に任命して,わざが急速に進歩するように取りきめる。これらの特別開拓者は,御国奉仕に全時間をささげ,その任命された場所の兄弟たちを良く援助するであろう。
このように協会は御国のわざを全世界で一致させて,拡大させるための神権的な取決めをもうけただけでなく,資格のある兄弟を備えて,兄弟たちがそれぞれの御国の責任を果たすことを助けました。
一致および別の新しいわざ
しかし,1941年にルサフォード兄弟は兄弟たちに宛てて1通の手紙を書き,11月の「通知」(英文)に出しました。それは1941年10月24日付で,「神権政府のすべての伝道者へ」と宛書きされていました。
1941年12月以降,地域および地帯の僕はその仕事を中止して,次に述べる仕事に任命されます,
一致: かなりの期間神権制度は運営されてきて,いまではすべての会が一致した活動を行ない,地域および地帯の僕の援助を受けなくてもわざをすることができます。地上の残れる者をふくむ教会は,いまは完全に一致しており,各人は人の援助を受けなくても自分の責任を果たすことができるでしょう。会の僕と各会の他の僕たちは,それぞれの義務を知っており,各人は一生懸命にその義務を忠実に果たさなければなりません。残れる者とその仲間を含めて,制度内の各人には義務が課せられており,各人は主にたのみ,主のいましめと指示を求め特に箴言 3章5,6節に述べられている指示に従わなければなりません……。
仕事: 主の「不思議なわざ」は終りに近づいているゆえ,私たちは目をさまして緊張し,祈りをささげながら急いで仕事をしなければなりません。地上にいる神の民の制度は良い状態であるゆえ,全部の伝道者すなわち奉仕者は一致した前進運動をしなければなりません。なぜなら,全部の者は神権政府を伝道し,宣伝するひとつの仕事に参加しているからです。主に従うという強い決意をもって,使徒の述べたごとく「私はこのひとつのことをする」,すなわち神権政府の伝道ということを私たちの標語にしましょう。……
1941年12月以降,全部の伝道者は次の方法で伝道します。蓄音機と「子供たち」(英文)および「なげくすべての者をなぐさめよ」の冊子を用いて仕事をして下さい。それぞれの区域に割当てられる各伝道者は,その地域を十分徹底的に網羅します。その主要な目的は,「子供たち」(英文)の本を用いて研究のクラスを組織することです。これらの研究で他の文書を用いる方が賢明であると思えるまで,その本を組織的に用いて下さい。
会長の手紙の後の部分はこの仕事の仕方を詳細に述べていました。区域のすべての家をもれなく訪問することが必要でした。伝道者は自己紹介をするにあたって,蓄音機を使用し,「子供たち」のレコードをかけました。可能なら,「子供たち」の本を家の人に配布し,研究を始めるための再訪問の取決めをつくりました。近所の数人が本を求めて興味を示したなら,それらの人々をひとつの研究に集めるようにしました。
トム: ちょっとクラス拡大のわざの変形のように聞こえますね。
ジョン: ある意味ではそうでした。しかし,この活動では公開講演をしませんでした。毎週一度研究が行なわれ,区域の一部が十分に網羅されて後,伝道者は別の区域に移動して,同様な活動をくり返しました。特別の伝道者である特別開拓者は,会組織のない孤立した区域に移りました。特別開拓者は任命地についてから,いま説明した仕方で働き,区域の全部を少なくとも4度網羅しました。もし十分の興味が示されるなら,特別開拓者はその任命地にしばらくの期間とどまりました。
特別開拓者に対するこの新しい仕事が約1年行なわれて後,次のような報告が1943年の「年鑑」(英文)に出されました。
この年の初頭,協会は新しいわざを始めた。それは「特別な開拓伝道者」として組織され,それが始まったときは784人の兄弟たちがこの分野の奉仕を報告していた。それは増加拡大し,いまでは合計1578名の特別開拓伝道者が毎月伝道している。多くの場所で大きな反対があったにもかかわらず,これらの兄弟たちはすばらしい野外奉仕をした。彼らは統一的な活動をして,野外奉仕に1カ月平均175時間を報告した。175時間は彼らへの時間の要求であって,彼らはまた50以上の再訪問をし,協会の出版物を用いて研究をした。
次のことは興味ぶかい。アメリカ合衆国内にいる伝道者の数の2パーセントにもならない彼らが,時間の12パーセント以上を伝道し,再訪問の17パーセントを行ない,全部の文書の13パーセントを配布している。……
昨年中,259の都市での伝道は終了した。すなわち,特別な伝道者はすくなくとも4度その区域を網羅した。この年のあいだ開拓伝道者が組織した新しい会の数は,合計244にのぼった……
アメリカ合衆国の35の都市では,暴徒たちの暴力行為のため,証言のわざの完了は不可能であった。ミシシッピー州は,憲法で保証される特典をいちばん多く破った州である。その州の九つの都市では,暴徒たちの暴力行為のために伝道ができなかった。つぎの州はテキサス州でその州内の六つの都市からエホバの証者は追い出された。……しばらくして後に他の伝道者はそこへ戻って,善意者に伝道することができよう。
1938年以来アメリカ合衆国でエホバの証者に対する迫害はひじょうにはげしくなりました。1940年,1941年,そして1942年には,毎年3000人以上が逮捕されました。1940年には約600の暴徒事件があり,1941年には約300の暴徒事件がありました。しかし,エホバの証者は自分たちに対する神の目的を果たすという強い決意を持っていました。それで,彼らはまっしぐらに前進して行きました。
ジェイ・エフ・ルサフォードの最後の大会
ロイス: 1941年12月に始まった新しいわざに関連して「子供たち」と題する本のことを話されましたね。それは協会の新しい出版物でしたか。
ジョン: そうです。その本は,その年の夏,ジヤッジ・ルサフォードの故郷ミズーリ州セントルイス市での大会の時に発表されました。1941年8月6日-10日のその大会は,協会の二番目の会長,ジョセフ・エフ・ルサフォードの出席した最後の大会になりました。この大会で,はじめてエホバの至上主権に関する宇宙支配の大論争が神の民にはっきり示されました。
大会取決めに対しての強い反対が示されました。「カトリック行動」や「海外従軍軍人会」は,もの凄い反対活動をしましたが,大会を開催する闘技場の経営部は,エホバの証者とむすんだ契約の解消を拒絶しました。すると,すぐカトリックの諸教会を通して,宣伝文が主婦の間にまわされ,大会出席を計画していたエホバの証者に宿舎を提供させないようにしました。新聞の記事もエホバの証者のことを悪く述べていました。組合の役員たちの中にも,設備の計画を妨害した者がいました。しかし,エホバの証者の仕事が真実にキリスト教のものであることを知ってから,彼らは妨害を中止しました。そして,大会の始まる以前の活動に従事している人々がすばらしい精神で働いていることに深い感銘を受けた彼らは,協力を惜しまず,大会前の活動は順調に行なわれました。宿舎の施設を補充するためにトレイラー市がつくられました。そこには,3日間に1万5000以上の人々が住むようになりました。
大会の最初の日に,協会の会長は,1941年8月15日号の「ものみの塔」に出された「忠実」と題する話をしました。この話の中で,宇宙の主権に関する論争が論ぜられました。講演者は,ヨブの劇を分析しながら,次のように語りました。
サタンとエホバのあいだの論争は,ヨブの時代に始めて生じたのではなく,それ以前の幾世紀もむかしに生じたのである。ヨブの預言的な劇は,エホバの豊かな祝福を受ける被造物全部にエホバが何を要求しているかを示している。その預言的な劇によって「もっともつらい試練の下にあっても,エホバは神に忠実と真実を証明する人をこの地上に置くことができるだろうか」という質問が生じた。その大論争は,さらに多くのものを含む。聖書の記録は,次の通りである……それよりもずっと前にサタンはエホバの至上権に挑戦して,大論争を起こした。他の多くの聖句は,その結論を支持している。サタンの非難は,天の御使たちの前でなされたので,天の衆群全部に知れ渡った。しかし,そのことは今日までの人間には十分に理解されなかったのである。今こそ神に献身している地上の人間に,真実の論争についての理解が与えられる神の予定の時である。サタンの侮べつ的な挑戦によって生じた主要な論争は,宇宙の支配に関する論争であった。
この大会の特筆すべきことがらのひとつは,8月10日,日曜日の朝のプログラムで,それは「子供たちの日」と前々から発表されていました。子供たちは,大会の会場に到着した時から出席を報告していました。そして,日曜日の朝,闘技場の半分を占める特別の座席と,トレイラー市内の指定された場所で,5歳から18歳までの年齢の子供たち1万5000人がすわりました。大会出席者たちがどう感じたかについて,大会の報告は次のように述べています。
それは言葉では言い表わせぬ光景であった。大会のこのプログラムによって,主を知るよろこびがいっぱいにみちあふれた。うれしそうな子供たち,喜びにあふれたそれらの年少者を見ると,言葉では言えぬよろこびで一杯になる。そして,『エホバは幼児の口に賛美を備えた』という言葉を聴衆に思い起こさせた。
それからルサフォード兄弟は,この場所に集まった幾万という大群衆に向かって,希望にみちる話をしました。一般の聴衆に対する話の後に,彼は前にすわっていた1万5000人の子供たちに向かって話しました。報告はさらに次のようにつづいています。
その大会に出席した人々の心にいつまでも残ることは……「神の御心を行なうことに同意し,キリスト・イエスによる神権制度を支持し,神とその王に従うことに同意した子供たちはみな起立して下さい」との言葉に応じて子供たちが起立した光景である。彼らはいっせいに起立した。そして,ルザフォードは「見よ,一万五千人以上の御国の証者!」と叫んだ。拍手とよろこびの歓声で闘技場の屋根の用材はふるえるほどであった。それは決して忘れることのできぬ光景であった。
子供たちはこの劇的な話の最高潮として,ルサフォード兄弟は「子供たち」と題する新しい本を紹介しました。これもまた歓声と万雷のごとき拍手で受けいれられました。
土曜日の公開集会は,「なげく者すべてをなぐさめよ」という題でした。大会前に大々的な宣伝がなされたので,土曜日の午後のこの講演に大群衆が来ました。ダニエル書 11章にもとづくこの話は,枢軸諸国家の終りを示しました。この話が終わってすぐ後に幾万人もの兄弟たちはこの講演の冊子配布に出かけました。兄弟たちは大会場から「なげく者すべてをなぐさめよ」と題する話を収めた冊子45万冊を持って奉仕に出かけ,その日のうちにそのあらましを人々の手中に配布しました。
ジョセフ・エフ・ルサフォードの死
この大会のときルサフォード兄弟は72歳でした。それ以来,彼の健康はとみに衰え,遂に1942年1月8日,彼は死亡しました。彼はものみの塔聖書冊子協会の会長として25年と二日間奉仕しました。彼の死の正式な告知が「ものみの塔」に出されました。
神権政府を愛するすべての人へ: 1942年1月8日,私たちの愛する兄弟,ジェイ・エフ・ルサフォードは,神権政府の戦士および神の御言葉の奉仕者として,地上の生涯を忠実に終えた。1940年7月のデトロイト大会前に彼が重い病気にかかって以来,あなたがたが心配して,彼のために神に祈りをささげておられることを知っているので協会は急ぎこの通知をします。
「死ぬまで戦いつづける」ことはルサフォード兄弟の願いであった。彼はその通りにしたのである。主はめぐみ深くも,彼の生命をながらえさせたので,彼は1942年のエホバの証者の年鑑報告を完成することができた。この年鑑報告の示すところによると,いままでにかつてない最大の証言のわざが達成されて,1年間における書物と冊子の配布は,総計3603万595冊に達した。彼は,いつもこの一事をする,すなわちエホバの御名とその御国を宣べ伝え,エホバとの契約を守り,そして兄弟たちの福祉をはかることを念頭に置いていた。―ヨハネ第一書 3:16。
主のすべての証者たちが,人間に従わず指導者として王キリスト・イエスに従っていること,そしてセント・ルイス市で行なわれたエホバの証者の神権的な大会で証者たちが異口同音に述べたごとく,証者が完全に一致して活動することに,彼はよろこんでおり,満足感を抱いていた。
神権政府の側にかたく立つ者はみな,なげかず,動揺せず,恐怖心を持たないだろう。むしろ,彼らの仲間の僕が忠実な兄弟が,病気の時でも健康の時でも,悪く言われても良く言われても,主への忠実を守ったことによろこぶだろう。彼はいま主とともに永久に奉仕の高い分野にはいったのである。―テモテ後 4:7,8。
ルサフォード兄弟が,特に1917年1月6日に協会の会長になって以来,つねに忠実に活動し,神権政府に不変の忠節をささげたことは私たち全部に対する真実の良い模範である。彼は『良い戦いをなして信仰を保ち』,キリスト・イエスによりエホバの御名立証に参加するのにふさわしいことを証明したのである。私たちはこのことを神に感謝する。
あなた方と共に働き主の「不思議なるわざ」が終わるまで,主のめぐみにより,けっしてこのわざを中止せぬことを決意する。あなた方の兄弟にして友なる僕,法人団体ものみの塔聖書冊子協会。
3番目の行政機構は運営を開始
トム: ジェー・エフ・ルサフォードが死んだとき,協会の初代会長シー・ティ・ラッセルが死んだ時のように,次の会長の決定はむずかしいものでしたか。
ジョン: むずかしくありませんでした。「ものみの塔」誌に出された次の記録に耳を傾けて下さい。
主のわざはけっして停帯しない。それはつねに進歩する。それはつねに予定の時間どおりに行なわれる。主は,目に見える地上の制度内の人間をしばしば変える。しかし,キリスト・イエスによる神権政府を証言するわざは,堂々と行なわれる。大敵対者があらんかぎりの力をかたむけて反対しても,「不思議なわざ」をするためのエホバの神権的な取決めを妨害することができない。
1916年,主なる神は地上における神のわざを行なうために長いあいだ用いてきた卓越した僕を休息させた。そして,敵はあらんかぎりの努力をしてこのわざを妨害しようとしたのである。……しかし,それにもかかわらずエホバは制度を通してご自分の目的を達成される。
エホバは別の僕を起こされた。それ以後のわざは日進月歩の進歩をとげ,今日協会に交わって活発に奉仕するすべての人は,その大いなるわざに参加できた特権について証言することができる。いま,主はエホバの御名と御国の宣明に用いられた忠実な僕を召して,その報いを受けさせたのである。しかし,主ご自身の指導の下に主のわざはひじょうに良く組織されているため,野外においても,ベテルの家族の間においても,ペンシルバニア州とニューヨーク州の協会法人の委員の中にも,完全な一致と調和がある。1916年から1918年にかけて見られた敵の「第五列」は,今度はどこにも示されなかった。このこと自体,エホバが献身した民の心を通して働いておられ,彼らを直接にみちびき,制度のわざを指示していることを明白に示している。彼はその制度によって地上における現在のわざを行なわれているのである……
1942年1月13日の午後,〔協会の二つの法人の〕二つの理事会の全員は,ブルックリン・ベテルの家の応接室に集まった。ピッツバーグの一般選挙で副会長に選出されたナタン・エッチ・ノアは,それより数日前に理事たちが祈りと熟慮によって神の知恵を熱心に求めて正しく導かれるようにと要請した。彼らはその通りにした。この集会は祈りで始められたが,特に制度内で合法的にエホバを代表する者の選択について知恵が与えられるようにとエホバ神に願ったのである。
注意深く十分に考慮して後,二つの法人の会長として,ナタン・エッチ・ノアが副会長としてハイデン・シー・カビントンが全員一致で選出された。同日ブルックリンのベテルの家族が集まったとき,理事委員会の秘書は選挙の結果を発表し,兄弟たちは熱烈な拍手でもってその発表にこたえた。
世界の多くの場所から,会長がこのように選ばれたことに祝意を表する手紙や電報が送られてきました。その全部は,新しい責任の地位についた彼を援助し,彼に協力すると述べていました。
いよいよものみの塔協会の3番目の管理が始まりました。第2番目の管理の時と同じく,この変化は世界大戦の真只中で起きました。欧州における第二次世界大戦はすでにたけなわとなっており,ルサフォード兄弟の死ぬ1カ月前の1941年12月7日,日本は真珠湾を奇襲して,アメリカ合衆国も戦争に突入しました。世界の大強国はみな,主権を狙うこの戦争のどちらかの側についていました。しかし,新しい世の社会に関して,いま読んだばかりの1942年2月15日号の「ものみの塔」は,次のような意味ぶかい注をのせました。
最後のハルマゲドンの戦争が来る前に主は大きなわざの達成を考えておられる。そのことを示す徴候はいくつかあり,そのため主の民がひとつになって戦うため正しい状態にいることが必要である。
彼らの武器はこの世の武器ではありません。しかし,彼らの武器が効果を収めるものであることは,すでに良く示されていました。死の直前の1941年10月24日付の手紙でルサフォード兄弟が述べていて,彼自身も経験した制度内の進歩と一致は,個人的な奉仕教育計画による将来の進歩と一致から見ると,序の口に過ぎませんでした。
[脚注]
a (ソ)1932年の「年鑑」(英文)56-63頁。
b (ツ)1938年の「年鑑」(英文)51頁。
[412ページの図版]
1940年英国エセックス郡チリンガムで蓄音機を用いる戸口証言