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輸血: 多くの人々が見解を新たにしつつある理由目ざめよ! 1978 | 12月8日
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た。私はこれらの本すべて[自分の法律関係の蔵書を指しながら]を研究するためにほとんど一生を費やしてきましたが,まだ遅すぎることはないと意を決しました。私は聖書を研究します」。
訪問していたエホバの証人は,エホバの証人の勧めている聖書研究の奉仕について説明しました。弁護士は,自分の妻も関心を抱いていると答え,自分たち二人と研究するために自宅へ来るようそのエホバの証人を招待しました。
弁護士と裁判官
法律関係の職業に従事する人で,この運動および「血」の小冊子に含まれる情報に好意的な反応を示した人は,ほかにも少なくありませんでした。
グレゴリー・キングは,ニューヨーク州最高裁判所で働く事務官です。エホバの証人であるこの人は,同裁判所の判事の一人に小冊子を渡しました。後ほど,その判事は血について詳しく質問しました。最後に判事は,エホバの証人が血液を含まない代用物を受け入れることは全く知らなかったし,エホバの証人は「死ぬ権利」のようなもののために闘っていると誤解していたと述べ,驚きを表わしました。その裁判官は,法廷での問題提起は大抵の場合一方的なものだ,と述べました。この裁判官は,他の判事たちもエホバの証人の側の意見を聞きたいだろうと考え,すべての判事に届くよう所内郵便制度を利用する許可を与えました。
カリフォルニア州パサデナでも同様の事が起きました。小冊子の内容がどんなものであるか聞いた後,一判事はこう語りました。「エホバの証人がなぜ輸血を受けようとしないのか,いつも不思議に思っていました。でも,これで理解できそうです」。訪問したエホバの証人は二,三分だけ会わせてほしいと求めたにすぎませんでしたが,判事はその問題を一時間以上話し合い,さらに自分の配下の判事全員に小冊子を行き渡るよう取り計らいました。
米国ワシントン特別区郊外の裕福な住宅地で一弁護士に小冊子を渡した後,グラディス・クレモンズは,次のような手紙を受け取りました。
「エホバの証人が輸血に反対する理由を説明する,あなたの置いてゆかれたブロシュアーを実に興味深く読ませていただきました。それは非常に興味深い記事で,その説明は納得のゆくものであったと思います」。
同様に,米国弁護士事務所の一弁護士は次のように書いています。
『わたしは1977年10月7日,金曜日に貴殿からいただいたパンフレットを多大の熱意を持って読ませていただきました。その中で提起され,答えられている,医学-法律上の問題を通して,エホバの証人にはその会員に輸血を施すべきかどうかに関する最終的な決定を下すあらゆる機会が与えられて然るべきだ,と得心するに至りました。それは,憲法によって保障されている,基本的な特権であると信じます』。
米国フロリダ州オルランドの裁判所未成年者部門の一判事はこう語りました。「私は信教の自由の熱烈な信奉者です。この小冊子は,輸血に対するあなたがたの見解を理解する上で,大いに役立つでしょう」。オルランドのもう一人のそうした判事は次のように述べました。「この小冊子を私のためにもって来てくださり,とてもうれしく思います。エホバの証人がどうして血を受け付けないのか,不思議に思うことがしばしばあったからです。実際,聖書から示すよう私の教会の牧師に尋ねたのですが,牧師はその聖句がどこにあるか知りませんでした」。
カリフォルニア州の一判事は,ラルフ・ハインスワースに次のように語りました。
『これまで,エホバの証人がなぜ血を拒むのか一度も理解できませんでした。この小冊子を読み,聖句を調べて,それが純粋また単純に宗教的な理由であることが分かりました』。この判事は,輸血を強制する命令を出すでしょうか。『絶対にしません。この問題は法廷で扱われるようなものではありません。これは宗教の問題であり,法廷は介入すべきではないのです』。未成年者の場合はどうですか。『難しい問題です。が,やはりあの小冊子を読んだ後は,親が身体的にも,霊的にも子供に対して責任があると思います。私はこの小冊子を自分のファイルに入れておきます。血の問題が主に宗教上の争点で,医学的なものではない,という点に最も感銘を受けました』。
優れた教材
血に関するこの資料は多くの場所で,医学生や法学生を教えるのに用いられることになるでしょう。
カミーロ・イアコボニは,米国メリーランド州のタウソン州立大学で看護学の主任を務める医師に小冊子を二冊渡しました。翌週もう一度訪ねると,イアコボニ氏は,学部の職員がその資料を詳しく調べた結果,看護学生と教職員各人に一冊ずつ,計175冊欲しい,との意向を告げられました。その医師は,「この小冊子は,治療に影響を及ぼす宗教信条を扱う講座で,そこに出席する各学生のための補助教材として用いられるでしょう」と述べました。
医師や弁護士はどうですか。テキサス州ラバックの大学では,医学部の研究主任を務める医師が検査のため小冊子を一冊求めました。L・セントクレアー氏が再び訪問すると,その医師は学部長と小冊子を検討しており,毎年,医学生はこの小冊子を研究すべきであるとの結論に達していました。彼らは手始めに185冊の小冊子を注文し,医師の卵に聖書の立場を説明するために,土地のエホバの証人の奉仕者を顧問の名簿に加えました。セントクレアー氏は法学部の学部長にも会い,その結果,法学部長は次のように決定しました。「この小冊子を供給してくださるのなら,これを私たちの研究題目の中に組み込むことにしましょう。その場合,465冊必要になります」。
テキサス州サンアントニオで小冊子の運動を組織した奉仕者は,次のように結論付けています。「私はエホバの証人と交わるようになって60年になりますが,この運動は,大きな活動を遂行する上での熱意と協力の最も優れた表示となりました」。
血に関する有益な資料を受け取った,大勢の知的職業に従事する人々はどうですか。ニューヨークの一内科医は次のような手紙を寄せました。
「医療に携わる我々は,エホバの証人がその考えを普及させるために行なっている重要な業に気付いております。それは,医学的な考えに造詣の深い影響を及ぼしました」。
確かに,世界的な規模で行なわれたこの教育的な運動は,様々な面で,極めて報いの多いものとなりました。
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真理に“アイロンをかけて”のばす目ざめよ! 1978 | 12月8日
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真理に“アイロンをかけて”のばす
イタリアに住むある婦人は,南イタリアのマンフレドニアにある一診療所で,尼僧のグループと一緒に働いていました。そして次のような話をしました。「ある日私が台所にいると,女子修道院長が,洗濯場へ行って,数日間水につけておいた本を捨ててくるようにと命じました」。婦人は本を取りに行きましたが,捨てる前ちょっとのぞいてみることにしました。その本は元のオレンジ色を失っていませんでした。それは,「失楽園から復楽園まで」という本でした。
婦人はさらにこう語りました。「私はその本をそっとつかみ,家へ持ち帰れるように,テラスへ持って行って乾かしました。私は各ページにていねいにアイロンをあて,母にもそれを見せました。私たちは毎晩数ページずつその本を読みました。幾度もエホバという名を見かけましたが,それが神のみ名だとは分かりませんでした。それから少ししてから,赤ちゃんを連れた婦人が,聖書について話すために我が家へやって来ました。私はその婦人に,『エホバとはどういう意味か教えていただけますか』と尋ねました」。
この誠実な婦人はすぐに聖書研究に応じ,エホバの証人の集会に出席するようになりました。
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