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門戸を開きはじめた中国目ざめよ! 1974 | 9月22日
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こそ,あらゆる場所の誠実な人々が学ぶ必要のある事柄なのです。中国の人々もやはりそれを学ぶ必要があります。
最近,中国は社会,経済そして政治上の事柄においてさえその門戸を諸外国に開いてきましたが,真の崇拝の導入を許すほどにその門戸を広く開放するでしょうか。神の義の新秩序で永遠の命を享受するという驚くべき希望にあずかることを中国の人々に許すほどに広く門戸が開かれるでしょうか。私たちはそうなることを祈っていますが,どうなるかは,世界じゅうの人々にとって今後なお待った上でなければわかりません。
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衰えゆくイエズス会目ざめよ! 1974 | 9月22日
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衰えゆくイエズス会
イエズス会のことがニュースに載るのは特に目新しいことではありません。イエズス会は永年の間,『第一軍団』とか『教会の先兵』とか呼ばれてきました。しかし,ローマ・カトリック教会の幾つもの修道会の中で特に強力で,多くの部外者からも非常な関心を集めてきたイエズス会は,今や異なった見出しのもとでニュースとなりつつあります。
今日では,イエズス会士の中にさえ,同修道会が消滅するのではないかとの懸念を表明する人が少なからずいます。いったい何が原因でそのように感じるのでしょうか。
その一つは,イエズス会士の数が減っているからです。1966年には,全世界で3万5,000人を超すイエズス会の助修士,修学修士,司祭がいましたが,現在では3万1,000人ほどにすぎません。その会をやめた人の中には,イエズス会の高位者もいます。しかもあらゆる徴候からすると,会士の数は今後も急速に減少していくものと思われます。事実,米国イエズス会は,神学生の不足から,五つある同会の神学校を最近になって三つに減らしました。
イエズス会の歴史を振り返る
イエズス会は1540年にイグナチウス・ロヨラによって創立されました。創立当初から,同会は数々の修道会の中でも特異な存在でした。それ以前の修道会ではおおむね,祈りとめい想を中心にした修道院生活に重きが置かれていました。しかし,イグナチウスの会はきわめて行動的なものとなるはずでした。こうして同会は,教皇が考えるどんな特別な業をも行なうべく教皇に対して特別にささげられた最初の修道会となりました。ですからイエズス会士は,清貧と貞潔を誓うだけでなく,教皇に対する従順を特に強く誓います。イグナチウスは,外国での務めを行なうにあたり,ほかにも必要な点があることを知っていました。それは融通を働かせることでした。
イエズス会士は世界じゅうに出かけて行き,どんな仕事でも行なうことになっていました。彼らは,自分たちの仕事が『司祭の務め』だけに限られてはいないと考えていました。そして種々の状況に適応するため,他の修道会の修道士が着る特徴のある服をめったに着なくなりました。時たつうちに,イエズス会士の姿は,商業,芸術,社会事業など数多くの職種に見られるようになりました。しかし彼らは,特に二つの分野で広く知られました。
アジア,アフリカ,および南北アメリカにおけるイエズス会士の宣教活動は,ほとんど伝説化されるまでになっています。別の点は,彼らが知識
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