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  • 永遠に鼓動するよう作られている
    目ざめよ! 1979 | 5月8日
    • 永遠に鼓動するよう作られている

      あなたの胸郭の中では,握りこぶし大の実に驚くべき器官が鼓動しています。それは心臓です。この器官から絶え間なく送り出される血液は,体内の無数の細胞に命を支える養分を運びます。「あなたの心臓」と題する本の中で,医師たちはこのポンプについてこう述べています。「それは,人間がこれまでに考案したいかなる機械よりも効率的である」。

      心臓の造りとしくみに関連するさまざまな力は,人間の理解の及ばないものです。例えば,受胎の際に,心臓,そしてからだの他の部分の青写真ができ上がります。驚くべきことに,一人の人間を作り出すための指示すべてが,わずか数分の間に受精卵の中で定められるのです。これがどのように行なわれるかを知っている科学者は一人もいません。

      目に見える導きなしに,最初の受精卵はやがて細胞分裂をし始め,分裂前の細胞とは異なった細胞を形造ってゆきます。間もなく,数多くの異なった種類の細胞が存在するようになり,それらの細胞はさまざまな器官を形造ってゆきます。三週間目には部分的に発達した心臓が鼓動を開始します。それは,母親になろうとしている人が自分の妊娠したことにまだ気づかないうちかもしれません。

      当初,単なるまっすぐな管を形造っているにすぎないこれら心臓の細胞は,どのようにして律動的に収縮するようになるのでしょうか。「最終的な答えを見いだすまでの道のりはまだまだ遠い」と,この問題を幾年にもわたって研究しているロバート・L・デハーンは認めています。

      しかし,これまでにわかっている事柄は興味深いもので,畏敬の念を引き起こさせます。例えば,血液をからだ全体に押し出す,心臓のこの鼓動,つまり収縮について考えてみるとよいでしょう。心臓の鼓動を引き起こしているのは何であるかご存じですか。

      並みはずれた制御機構

      その原因となっているのは,電気的インパルスを起こす,心臓の驚くべき能力です。ですから,酸素が送られ,しかも乾燥しないような処置が取られるなら,心臓は体内から取り出された後も少しの間鼓動を続けます。心臓の内部には,電気的インパルスを引き起こし,それを調整するための複雑な機構が備わっています。この並みはずれた制御機構は,心臓の異なった部分に,グループになって集中している特別な細胞から成っています。

      この機構の主役は,洞房結節,あるいはS-A結節と呼ばれる,小さなコンマ形(,)の構造物です。これは,心筋と神経細胞の橋渡しをする特別な組織で,心臓の主要なペースメーカー(脈拍を調整する器官)となっているので,心臓の“スパークプラグ(点火プラグ)”と呼ばれています。ここで定期的な一連の電気律動<パルス>が起こり,それが心臓内に伝わり,鼓動を引き起こします。これら洞房結節細胞の引き起こす収縮の基本的な回数は,たいていの大人の正常な心拍数,つまり毎分70回ほどです。

      心臓の制御機構の別の部分を担っているのは,房室結節,またはA-V結節です。洞房結節から伝わる電気的律動<パルス>がこの部分に到達すると,そこで正確に間隔が定められ,調整されて,心臓のポンプ活動のつり合いの取れた協同作用が保証されます。そこから,これらの律動<パルス>は,ヒス束と呼ばれる組織を含む,他の特殊化した伝導組織を速やかに通って,心臓全体に伝わります。

      房室結節にも固有のリズムがありますが,それは毎分約50回と,洞房結節よりもいくらか遅くなっています。しかし,正常な状況下では,インパルスを引き起こす,この構造物の機能は活用されません。ところが緊急時になると,すなわち洞房結節が働かなくなった場合,房室結節は予備のペースメーカーとして役立ち得るのです。それに加えて,ヒス束やその他の特殊化した伝導組織が,守りを堅める最後の一線を成しています。それらの組織も,心臓のゆるやかな収縮を引き起こすことができます。それは毎分30ないし40回の収縮ですが,命をかろうじてつなぎとめておける回数です。

      この機構がからだの必要に対応する方法

      バスに乗り遅れないよう走ったり,階段を登ったり,それと同じほど激しい運動をしたりすれば,より多くの養分を求めるからだの要求に応じるために,当然心拍数は増えます。何が心臓に速度を上げるよう告げるのでしょうか。心臓はどのようにして,体のさまざまな必要に応じた拍動数を知るのでしょうか。

      からだの他の器官と接続する神経を通じて送られる信号が,とくにその役割を果たします。例えば,運動中,筋肉はいつもより多くの酸素を必要とするので,血液中からより多量の酸素供給を受けます。血液中の酸素量が減少すると,それが誘因となって動脈の受容器官は脳に信号を送ります。すると脳は,神経のインパルスを通して,鼓動をもっと速めるよう心臓に信号を送ります。こうして,酸素を運ぶ血液がより多く筋肉に供給されることになるのです。

      しかし,心臓はそのような神経の結びつきだけに依存しているのではありません。その点は心臓移植の場合をみてもわかります。そのような手術の際に,迷走神経系と交感神経系はいちじるしく損なわれますが,移植された心臓はからだの変化する必要に応じて,自らの拍動をある程度調節します。心臓は,血液の流れを通して入って来る,アドレナリンのような化学物質に直接反応することが可能です。こうして,拍動を速めたり,遅くしたりする時期を“知る”のです。

      確かに,からだの変化する必要に応じて,体内に流れる血液の量をうまいぐあいに保てる心臓のしくみは実に驚嘆すべきものです。また,緊急時に代役を果たし,埋め合わせをする,数々の“予備”系統も目をみはらせます。医師たちが,心臓は「人間がこれまでに考案したいかなる機械よりも効率的である」,と言ったのもうなずけます。心臓の,仕事を行なう膨大な能力を一べつすれば,驚きはさらに深まるに違いありません。

      心臓の能力

      大人の体内にある血液の量は約67㍑で,血管の総延長は毛細血管を含めると9万6,500㌔に上ります。心拍数が毎分およそ70回の正常な時に,心臓は毎分約6㍑の血液を送り出します。考えてみてください。心臓は,60秒足らずの間に,血液の全量を送り出し,体内を一巡させるのです。普通の状態の下で,心臓は血管を通して,毎日10㌧にも上る血液を送り出します。それでも,この率では少しも無理な働きをしてはいないのです。

      定期的な運動で鍛えられた,身体的に健康な人の心臓は,毎分30㍑かそれ以上の血液を送り出す能力を備えています。この率だと,心臓はおよそ10秒ごとに血液の全量を送り出し,体内を一巡させることになります。そうです,心臓はきわめて規則的に,また力強く血液を送り出すので,血液が毎日体内を数千回循環することが可能になるのです。

      このように驚嘆すべきしくみになっている器官について考えると,次のような疑問が生じるでしょう。人間はもともと,わずか七,八十年ばかり生き,それから死んでゆくことになっていたのだろうか。心臓はいつまでも鼓動し続けることができますか。

      永遠に鼓動するよう意図されていた

      心臓は,からだの他の器官と同様,人間製の機械とは造りがかなり異なっています。人間の設計した機械は,長持ちのする部品で作られていますが,言うまでもなくそれらの部品はやがて摩耗してしまいます。しかし,人体の造りはそれとは相当異なっています。幾年も前,当時,米国原子力委員会アイソトープ部長だったパウル・C・エーバーソルド博士は次のように説明しました。

      「医学者たちは,人体をエンジンのようなものと考え,食物や空気や水分を摂取するのは,主に,動き続けるための燃料にするためだと考えていた。エンジンの消耗した部分を取り替えるために用いられるのはごくわずかであると考えられていた。ところが,アイソトープを使った実験の結果,人体はむしろ,非常に流動性に富んだ連隊によく似ていることが明らかになった。その連隊の規模や形態や構成などは変わることなく一定に保たれるが,その内部の個々の人は,入隊,異なった部署への移動,昇格,格下げ,予備役としての服役,そしてやがては種々の服役期間に続く除隊などで絶えず変化している。

      「追跡子<トレーサー>による研究の示すところによると,我々の体内における原子の入れ換わりはかなり迅速で,相当徹底している。一,二週間のうちに,ナトリウム原子の半数は別のナトリウム原子と入れ換わるが,水素やリンについても同じことが言える。炭素原子も半数は,一,二か月のうちに入れ換わる。そして,ほとんどすべての元素について同じことが言える。……現在我々のからだの中にある原子の約98%は,一年以内に,我々が空気,食物,そして飲み物を通して摂取した他の原子に取って代わられる」。

      ですから,人が20歳,80歳,800歳,あるいは永遠に生きたとしても,その年齢とは関係なく,その人のからだを構成している要素のほとんどは一年を経ていないことになります。理論的には,細胞の交代があれば,からだは永遠に生き続けるはずです。医学研究者たちは,人間の死ぬ理由を説明するよりも,人間が永遠に生きられる理由を説明するほうが容易である点を指摘して,永遠に生きる可能性に注意を引いたことがあります。

      しかしながら,時たつうちに心臓もからだの他の器官同様,自らの細胞に欠陥が生じ死滅しないうちにその細胞を系統的に取り替える能力を保てなくなるのです。なぜでしょうか。細胞生物学者たちはさまざまな説を立てていますが,実際のところ,はっきりしたことは分かっていません。細胞内部の働きが最終的に何らかの点でうまくゆかなくなることは明らかです。そして,使い古され,死滅してゆく細胞が必ずしも細胞分裂によって新しい細胞と入れ換わるとは限りません。こうして人間は年を取り,死んでいくのです。

      もし事態を正すことができ,細胞の交代と再生のバランスを正しく保つなら,人間は永遠に生きることも可能です。しかし,人間にはその機能不全を治す力がありません。人間は,驚嘆すべき心臓を含め,人体を設計したわけではないのです。人間が永遠に生きてゆけるよう調整を施すことのできるのは,創造者であられるエホバ神だけです。そして,神のみ言葉,聖書の約束するとおり,神はやがてその調整を実際に行なわれます。例えば,ローマ 6章23節は,『神の賜物は永遠の命です』と述べています。また,詩篇 37篇29節(新)は次のように予告しています。「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住まう」。

      一方,驚くべく作られているわたしたちの心臓も,一般には,障害を起こしやすいものです。しかし,こうした病気の始まりを遅らせるため,またそれが起きたときにはその病気を抑えるために,打つべき手がたいていあるものです。

  • 心臓病に対処する
    目ざめよ! 1979 | 5月8日
    • 心臓病に対処する

      親族や友人や知人が心臓発作を起こした,という話を耳にするのは珍しくありません。米国だけでも,毎年,65万人ほどの人が心臓発作で死亡します。これは一分間に一人以上の割合です。そのうち,病院に担ぎ込まれる前に息を引き取る人が,35万人ほどいます。しかし,この病気にかかる人はほかの国々にもいます。西側諸国の男性のほぼ半数,そして女性の多くはこのわずか一つの病気 ― 心臓発作で ― 死んでいるのです。

      特に恐ろしいのは犠牲者の多くが,30代,40代,そして50代といった比較的若い人々であるということです。たいていの場合,それらの人たちの心臓には本質的に異状はないのです。では,どうして死が臨むのでしょうか。どこに問題があるのでしょうか。

      問題の根源

      問題の根源は,心臓の筋肉に血液が十分供給されない点にあります。『でも,どうしてそんなことがあるのでしょうか。心臓は文字通り血液に浸っているのではありませんか。毎日,何㌧もの血液が心臓内を通過するのではありませんか』とお尋ねになることでしょう。

      確かにそのとおりです。それで,問題の本質を知るために,心臓がどのようにして働くかをいくらか知る必要があります。心臓は中空の筋肉で,四つの房室,すなわち右心房と右心室,そして左心房と左心室に分かれています。酸素を取り入れた血液が肺から左心房に流れ込む間に,右心房はからだの各所から集まって来る,二酸化炭素をたくさん含む血液で満たされます。両心房が収縮すると,血液は弁を通って二つの心室へ押し出されます。それから,心臓の主なポンプ活動が起こります。両心室が力強く収縮し,酸素を取り入れた血液を大動脈を通してからだの各所へ送り,同時に,酸素の欠乏した血液を肺動脈を通して肺へ送ります。

      血液がこれらの房室の中を通るとき,心臓の筋肉そのものは,この生命を保たせる液体の恩恵には浴しません。これはガソリン輸送車と比べることができます。この輸送車は,顧客のところへ運ぶガソリンから動力を得ているのではありません。むしろ,ガソリンスタンドに立ち寄って給油した燃料で動いているのです。この燃料は,燃料管を通して輸送車のエンジンへ送られます。

      同様に,心臓に養分を与えているのは心臓の房室を通る血液ではありません。むしろ,心臓に養分を与えているのは,心臓から送り出され,別の経路で心臓に戻って来る血液なのです。心臓の発作という問題へのかぎは,この“燃料管”,つまり心臓に血液を送る経路にあるのです。

      心臓から出て行く血液は,大動脈へと送り出されます。しかし,ほとんどすぐにこの血液の多くは二本の冠状動脈へ送られます。こうして,酸素や養分になる化学物質が,体内でもきわめて重要なこの筋肉にくまなく運ばれるのです。では,冠状動脈の中に血液の流れを阻むものがあった場合,どんなことが起きますか。

      冠状動脈の詰まり

      このことは,送水管の内側に厚いさびの層ができた場合に起きる事柄を例にして説明できるでしょう。その管を通してポンプで水を送るなら,水の流れは制限されます。では,短時間に大量の水が必要とされるなら,どんなことが起きるでしょうか。水を送っているポンプは,普通以上の負担に耐えられなくなって不調をきたし,壊れてしまうかもしれません。

      これは,今日,幾百万もの人々の心臓内部で起きている事柄を理解するのに役立ちます。脂肪質がたまると冠状動脈の内側は狭くなってしまいます。こうした状態は,アテローム性硬化症と呼ばれます。では,心身いずれかの緊急事態に対応するため心臓がもっと血液を必要とする場合に,どんなことが起きるでしょうか。

      心臓のごくわずかな部分が一時的に血液の供給を受けなくなっただけでも,電気的な刺激の型がどうかして乱れることがあり,鼓動のリズムを狂わせます。すると,それに続いて,心臓は心室細動と呼ばれる状態に陥ります。これは,異常かつ重大な合併症で,心臓が不規則に,また力なくひきつり,推進力の欠如のために動かなくなってしまうものです。適正なポンプ活動が回復されない限り,数分以内に死が臨みます。

      同様に,心臓発作が冠状動脈内の血のかたまり,つまり血栓によって起きることもよくあります。アテローム性硬化症は血管を一様に狭くするわけではありません。むしろ血管のほかの部分の直径は正常であっても,血管にそって断続的に沈殿物がたまるのです。その結果,血管の狭められた箇所に血のかたまりができて,心臓の筋肉の一部への血の流れを妨げます。心臓の中の血管がこのように詰まってしまう状態は,冠状動脈血栓,あるいは冠状動脈閉塞と呼ばれています。こうして血液の流れが妨害された結果として起きるのが,心筋梗塞症,すなわち心臓発作です。

      心臓発作が起きた場合どうすればそのことがわかるでしょうか。

      症状

      心臓発作の多くは見分けるのが困難です。事実,心臓病の専門医の推定によると,最初の発作の二割方は患者の自覚症状なしに起きると考えられます。これは,心臓の血管が,突然にではなく,数週間か数か月の期間を経て,徐々にふさがれてゆくからでしょう。

      また,その症状が心臓発作だということがわからない場合もあります。そうした症状が,例えば,消化不良のひどいものと間違われる場合もあります。また,疲労を伴う嘔吐が起こり,顔色が血の気を失ったようになるかもしれません。そのほかの徴候としては発汗や小刻みな息づかいなどもあります。しかし,心臓発作の最も一般的な症状は,胸の中央部に覚える不快な圧力,締め付けられるような感じ,または胸の詰まったような気分です。あるいは,激しい胸部の痛みかもしれません。それは必ずといってよいほど心臓発作の徴候です。

      多くの場合,心臓発作の後,場合によっては自分が心臓発作を起こしたことも自覚しないまま,満ち足りた生活を送り,長寿を全うする人がいます。一方,心臓にごくわずかな損傷しか与えない軽い発作でも,心室細動を引き起こし,意識を失い,数分を経ずして死亡することもあります。しかし,方法さえ知っていれば,発作を起こした人の命を救うことができるのです。

      心臓発作を起こした人の命を救う

      心臓が五分間ほども止まったという経験を持つ人の中には,現在健康で,心臓発作の前に行なっていた事柄をすべて行なえる人が大勢います。すぐ近くにいた人々の敏速な行動がそうした人々を救ったのです。命を救った人々は,その方法を知っていたのです。その方法を知りたいと思われますか。あなたは人の命を救えますか。

      それは思ったほど難しくはありません。土地によっては,一般大衆の多くに,心肺蘇生術,あるいは簡単にCPRと呼ばれる,非常に効果的な救命処置が教えられています。これは,外部からの心臓マッサージと人工呼吸を組み合わせたものです。もし機会があれば,この救命処置の指導を受けるとよいでしょう。しかし,以下に示す指示を注意深く検討すれば,心臓発作を起こした人の命を救えるかもしれません。その人が,あなたの深く愛する人であることもあり得るのです。

      倒れている人を見つけた場合,心肺蘇生術を始める前に従うべき一定の予備的な処置があります。とはいえ,機敏に行動しなければなりません。意識を失った人が呼吸をせずに生きていられるのはわずか四分ないし六分にすぎないからです。

      まず,その人が本当に意識を失っているかどうかを確かめます。単に眠っているにすぎない人に対して救命処置を講じ始めるほどきまりの悪いことはありません。ですから,その人の肩を軽くゆすって,「大丈夫ですか」と尋ねてみます。返事がなければ,息をしているかどうか確かめます。その人は気を失っているだけかもしれないからです。これは,倒れている人の胸の方向へ自分の顔を向け,その人の口元へ自分の耳を近づけることによって行なえます。息をしていれば,その人の息を耳で感じられるはずですし,胸が動くのが見えるかもしれません。

      息をしている気配がなければ,その人の気道を開くことが大切です。意識を失った人の舌は,時としてのどの方へ向かって逆向きに垂れ下がり,肺に至るこの重要な気道をしゃ断することがあるのです。息を吹き返させるのに必要なのは,単に気道を開くだけのことかもしれません。そして,そうするのはたいてい難しくはないのです。

      意識を失った人をあおむけに寝かせ,片方の手でその人の首を静かに持ち上げます。こうすると,頭が下向きに垂れ,首が伸びます。もう一方の手をその人の額に当て,その人の頭を動かなくなる所まで後ろへ押しつけます。完全に伸ばし切ると,頭がずい分後ろの方までゆくので驚かれることでしょう。こうすると,あごはほぼ真上を向いており,頭のてっぺんは床に接しているはずです。こうした姿勢を取らせると,あご骨と舌が前の方へ引き出されるので,のどの気道が開かれます。

      こうしてすばやく気道を開いても息を吹き返さないなら,すぐに人工呼吸を始めます。意識を失った人の額に当てていた手でその人の鼻をつまみ,同時に,頭を傾斜した状態に保てるような位置にその手のてのひらのつけねを固定します。もう一方の手はその人の首の下(あるいはあごの下)に添え,支えるようにします。それから,自分の口を大きく開け,意識を失った人の口に直接あてがい,目いっぱい吸い込んだ息をすばやく四回,続けさまに吹き込みます。肺がふくれると,その人の胸が持ち上がるのが見られるでしょう。

      次に,意識を失った人の脈をすばやく見ます。そうすれば,その人の心臓が動いているかどうかがわかります。脈を見るのにいちばんよい位置は,頸動脈,すなわち首の主な動脈です。それを見つけるために,首の後ろに当てていた手を離し,その手の人差し指と中指をのどぼとけの脇のくぼみへすべらせます。もし脈がないなら,心臓が止まっているのであり,その人を助けるためには,人工呼吸に加えて,人工的に血液を循環させねばなりません。

      人工的な血液循環は,閉胸式心臓マッサージによって行なえます。これは,胸を押さえつける比較的簡単な処置です。こうして押さえつけると,実際に心臓から血液が送り出されることになります。このようなマッサージによって,心臓が自らの力で再び鼓動を始める場合は少なくありません。しかし,言うまでもなく,酸素は引き続き供給されねばなりません。もし血液が肺から酸素を運ばないなら,血液が循環しても役にたたないからです。

      ですから,命を救おうとする人のなすべき事は,発作を起こした人が呼吸という肝要な機能を続けられるようにし,同時に,その人の心臓が血液を送り出せるようにすることです。たとえ心臓が自らの力で動き出さなくても,医師が到着するまで心肺蘇生術を続けるなら,助かる見込みはあります。人工呼吸や心臓マッサージを幾時間も行なった後,発作を起こした人のからだがそうした機能を果たすようになった例はこれまでにもありました。

      予防策

      心臓発作を起こした人を助けるための備えをするほかに,どんなことができるでしょうか。動脈内の沈着物の形成 ― 心臓発作の主な原因 ― を未然に防ぐか,さもなくば遅らせる方法があるでしょうか。

      こうした沈着物の形成には,コレステロールと脂肪(グリセリド)が何らかの形で関係しているという点で,おおかたの意見は一致を見ています。ですから,食事に注意し,ぜい肉をつけないようにするのは賢明な策と言えます。見えるところに脂肪がついていれば,体内でも動脈の中に脂肪がたまって血管が狭くなっていることが予想されるからです。また,動物性の油をたっぷり使った揚げ物は,控え目にするか,食べないほうがよいでしょう。同時に,栄養のある野菜,果物,メロン,そして穀物食<セリアル>などを十分摂るようにします。

      今日の目まぐるしく,緊張することの多い生活様式も,動脈内に脂肪を蓄積させる別の要素となっているようです。短時間に余りにも多くを成し遂げようと絶えずあくせくしている人は心臓発作を起こしやすいので,そうした,いつも時間に追われているような感覚を避けたいと思われるでしょう。

      十分に運動することも,動脈内に脂肪が蓄積して生じ得る致命的な影響を防ぐための大切な手段です。事実,バーモント大学の心臓・血管研究の主任である,ウイルヘルム・ラーブ博士は,「冠状動脈関係の心臓病の主な原因は運動不足にある」と述べました。どうしてそう言えるのでしょうか。

      ご存じのとおり,心臓は筋肉です。そして,筋肉は十分の運動をしないと弱くなってしまいます。事実,運動不足は循環器系全体に悪影響を及ぼします。筋肉に血液を供給する動脈は細くなり,多くの小さな血管は消え失せてしまうことさえあります。一方,定期的に運動すれば,動脈は太くなり,より多くの血液を運べるようになります。また,筋肉組織の内部により多くの血管が開かれ,より多くの酸素を送り込むための新しい経路が備えられます。こうして,心臓発作の可能性が最小限に抑えられます。

      定期的な肉体活動も,心臓のポンプとしての働きを強化します。その結果,同じ量の仕事を片付けるのに必要とされる拍動数は少なくなってゆきます。それで健康な心臓は,鍛えられていない心臓とは異なり,緊急事態に対応するに当たって無理な働きをする必要がないのです。ですから,心臓を守るために,定期的に運動することを習慣にするとよいでしょう。一人の医師は次のように語りました。「力強い足取りの散歩を若いころから習慣にしていれば,それだけでも,冠状動脈関係の心臓病による身体障害や早死にを著しく減少させることになる」。

      しかし,心臓障害のすべてが,冠状動脈の内部を狭める脂肪の蓄積によって生じるわけではありません。中には,心臓の電気系統の不調が原因で起きる心臓障害もあります。

      心臓ブロック

      前述のとおり,心臓には特殊化された細胞の複雑な体系があり,それが電気的なインパルスを起こして心臓全体に伝え,律動的な拍動を引き起こします。心臓ブロックとは,この電気的なインパルスの伝導における異常を言います。そのインパルスが正しく伝わらず,心臓のポンプ活動に悪影響が及ぶのです。

      心臓ブロックの程度には差があります。部分的なブロックであれば,インパルスの伝達が遅れる程度で,心臓の機能に重大な異常はないかもしれません。しかし,重大な障害が生じる場合もあります。心房から心室へのインパルスが全く阻まれてしまうなら,心臓の房室は各々別個に鼓動することになります。その結果,心臓の拍動は役立たなくなり,適切な血液の流れが見られなくなります。もし心臓ブロックが持続し,血液の流れがひどく不適当な場合,命は危うくなります。

      ところが,何年か前には死線をさまよっていた人々が今まで生きながらえており,しかもほとんど正常ともいえる生活をしているのです。これは,人工的な心臓脈拍調整器<ペースメーカー>が開発された結果です。この脈拍調整器<ペースメーカー>の最初のものは,1960年前後に患者の体内に埋め込まれました。それらが非常に有用であったため,今日では,文字通り幾十万もの人々がこの脈拍調整器<ペースメーカー>を体内に入れて生活しています。一人の人の人生に脈拍調整器<ペースメーカー>がもたらした大きな変化に関する次の記事は,有益であるばかりか,心温まるものがあります。

      [9ページの囲み記事/図版]

      どのようにして心肺蘇生術(CPR)を正しく行なえますか。アメリカ心臓学会の出したパンフレットには,次のような簡明な指示が載せられています。

      「発作を起こした人の横の胸に近い所にひざをつく。胸骨[あばら骨をつないでいる骨]のいちばん下の部分を探す。……その先端から2.5ないし4センチ離れた[すなわち,上部の]ところに片方の手のてのひらのつけねを置く。もう一方の手を,固定した方の手の上に置く。胸郭に決して指が触れないようにする。指を組み合わせておけば,そうするのがもっと容易かもしれない。

      「自分の肩を発作を起こした人の胸骨の真上に持ってゆき,腕を曲げずに押し付ける。発作を起こした人が大人であれば,胸骨を4ないし5センチ押し下げる。押し下げた後,すぐに同じほどの時間,力を抜かなければならない。リズミカルで揺するような動作は力を抜く適切な間隔を保つのに役立つ。力を抜いて,胸が元の位置に戻るまでは,その人の胸骨から手を離してはいけない。この点を忘れないようにする。

      「救助者が一人の場合には,人工呼吸と心臓マッサージの両方を行なわねばならない。15回胸を押すごとに,2回すばやく人工呼吸を施すのが,適切な割合である。独りで行なっている場合,毎分80回の割合で押さえ付けねばならない。途中で,人工呼吸を施すたびに,マッサージのほうがお留守になるからである。

      「もう一人の救助者に手伝ってもらえる場合には,発作を起こした人の両側に向かい合うようにする。5回胸が押し付けられるごとに,一回息を吹き込む仕事を二人のうちのどちらかが受け持つ。胸を押さえ付ける,もう一方の救助者は,毎分60回の割合で押さえる」。

  • 私には脈拍調整器が役立った
    目ざめよ! 1979 | 5月8日
    • 私には脈拍調整器が役立った

      医師はかがみ込んで,まだ生まれていない子供の心臓の鼓動に耳をすませ,これはただ事ではないとすぐに悟ったそうです。胎児の鼓動はふつう毎分120回なのに,この場合,毎分48回ほどに低下したのです。問題の原因をつきとめるため,医師は直ちに他の医師たちを呼びました。診断がつかないうちに私は予定より一か月早く1944年9月11日に生まれました。私の心臓の鼓動は確かに毎分わずか48回から60回でした。その原因ですか。心室性心臓ブロックです。

      心室性心臓ブロックと言うと,実際よりは大変な病気のように聞こえます。私の場合,これは,心房の鼓動が正常なのに心室に信号の伝わらない場合があるという事なのです。このため心室の鼓動は非常におそく,毎分30回から40回に過ぎません。他方,心房は毎分60回から80回鼓動しています。心臓の循環機能を実際に果たしているのは心室であるため,私のからだをめぐる血液の量は普通の人の半分に過ぎませんでした。医師の話によれば,この心臓病が出生前に発見された例は,記録されている限り私が最初であるという事です。母は私が長生きできないだろうと医者に言われました。医学はこの病気に対して施すすべがなかったからです。

      生後一年間の非常に困難な時期を経て私はしっかりし始め,次第に丈夫になりました。幼年時代の私は運動を厳重に制限することが必要でした。しばしば午睡をとる必要があり,学校の体育やスポーツには参加できませんでした。私の交友の範囲はほとんどエホバの証人に限られていましたが,彼らは私の特殊な限界を常に理解して思いやりを示し,しかも彼らの活動に私を加えてくれました。私が次に医者にみてもらったのは10代の終わりごろになってからですが,別に方法は無いとのことでした。

      生活にいろいろな制限を課せられるのも生きるために仕方のないことと考えて,私はからだの弱いことをあきらめるようになりました。高校卒業後,パートの仕事ができることがわかり,家に自分の生活費を入れることができるようになりました。約一年半の間,私は一か月おきに“開拓”し,クリスチャンの信仰を他の人々に分かつ活動に少なくとも一か月75時間を費やすことができました。これは若き日のハイライトです。

      脈拍調整器を得る

      1965年の終わりごろ,看護婦であるおばが,脈拍調整器<ペースメーカー>と呼ばれる医療器具の普及に深い関心を持つ心臓血管医に接しました。おばは私の特異な病状を説明して,脈拍調整器が助けになるかどうか尋ねました。最初の診察が取り決められ,予備的な検査の後,このまれに見る親切な医師は,脈拍調整器によって私の症状はきっといちじるしく改善されると思うと語りました。

      医師の説明によると,脈拍調整器は電池を電源とする小型の電子器具で,普通はプラスチックの固いケースに完全に収められており,心筋に通ずる電線の差し込みが取りつけられています。これは心筋の電荷極性を逆にして筋肉を収縮させ,血液の循環を促す装置です。規則正しい電気的刺激を心筋に与えることによって毎回の拍動が促され,心臓はかなり正常に鼓動するようになります。

      使用されている脈拍調整器は数種類あります。初期のものは拍動数の固定した装置で,普通は毎分72回の割合で変化なしに作動するよう,あらかじめセットされています。しかし最も一般的なのは必要に応じて働くもので,心臓の拍動が不整になると,この装置がそれを感知して肩代わりします。しかし心臓の拍動が正常に戻ると,この装置はやはりこれを感知して働きを止めるのです。

      特殊な検査を受けるため病院に来てほしいと医師から言われました。この検査の中には心臓カテーテルも含まれていましたが,これは腕を小さく切開し,管を静脈に挿入して心臓にまで達するようにするものでした。その間中,私には意識があり,何をされているかがわかりました。

      ある時は,両腕に二本ずつ,同時に四本のカテーテルを挿入されたこともあります。これによって医師は心臓の壁と室に穴や欠陥がないかどうかを調べることができるのです。医師は脈拍調整器のコードをちょうど心筋に達するまで挿入して,脈拍調整器が私の心臓の場合に役立つかどうかをためすことさえできました。その結果,脈拍調整器は心臓拍動の不整を無くし,脈拍調整器にあらかじめセットされた正常な数にまで心臓の拍動数を高めることがわかりました。私の心臓は他には欠陥のないことが判明しました。

      一か月後の1966年1月23日が,脈拍調整器を体内に埋め込む手術の日ときまりました。腹部が切開されて,取り替えのできる脈拍調整器が埋め込まれました。腹部にこれを埋め込んだのは,当時,体重が95ポンド(43キロ)しかなく,体の中でいちばん太ったところと言えばおなかだったからです。さらに真ん中の肋骨の間が切開されました。これは脈拍調整器のコードを心臓に取り付けるために必要でした。脈拍調整器からの電気的刺激をよく伝えるため,コードは心室の心臓組織に実際に縫いつけられました。

      新しい生活の始まり

      私は順調に回復し,10日で退院できました。以前よりも多くの血液が血管を流れるようになったので,私の血色が大そう良くなったことに家族も友人も気づきました。六週間の静養後,仕事に戻ることができましたが,休んでいた間に私の仕事は無くなってしまっていました。程なくして私は別の勤め口を見つけることができました。仕事が早く見つかったことは幸いでした。私はあらたな目標と心構えを持ち始めていたからです。

      まず変化したのは,「それは私にはできない」と言うのをやめて「私にもできる」という態度をとるようになった事です。もちろん,まだ何でもできるわけではありませんが,それでも私は特に身体的な活動の分野でそのわくを広げるようになりました。私はもう全時間働くことができるのです。やがて私は自分自身のアパートに引越し,生まれて初めて結婚のことを考えました。

      私は最初の植え込み手術の前の晩に将来の妻に初めて会いました。この青年の話は大げさだと思ったのが,後で全部,本当だったことを知ったという話を,彼女は今でもします。私はさまざまな医療費の負債2,000ドルを返済するため,また結婚後に新居をかまえるため,けん命に働き始めました。私は妻と家族を扶養する体力があることを,家族や友人に証明できたのです。

      私たちは1967年に結婚しました。最初の子供が生まれることになった時,私たちは少なからず心配しました。心臓の欠陥が子供に遺伝することを恐れたのです。医師の話ではその可能性はごくわずかだから心配する必要はないとのことでしたがそれでも私たちは心配でした。生まれた女の子の心臓は健全であり,私たちは大いに安どしました。

      脈拍調整器の取り替え

      私の脈拍調整器<ペースメーカー>は24か月型で電池の寿命がそれだけしかありません。その二年間はとても短いように思われました。そして病院で脈拍調整器を取り替えることが必要になりました。こんどの手術はずっと簡単でした。体を切開して脈拍調整器を筋肉から離し,コードの接続をはずし,新しいものに替えて接続し直すだけのことでした。それから縫合が行なわれました。手術は全身麻酔で行なわれ,約一時間かかりました。三日間入院し,一週間もしないうちに仕事に戻ることができました。

      最初の脈拍調整器は,腰の周りに大きなベルトのバックルを着けたような感じで,腹部からやや出っぱっていました。そのうち体重が95ポンド(約43㌔)から130ポンド(約59㌔)に増えたので,医師は二度目のものをやや深く埋め込むことができ,したがってそれほど目立たなくなりました。

      次の取り替えも基本的には前回のものと同じでした。しかし1972年に医師は新しい方法を採用しました。私は外来患者として病院に行き,目ざめている状態で手術を受けました。私はそれを見ることができたのです。まず局部麻酔が施され,次いで切開して古い装置を新しいものに取り替えました。手術は一時間近くかかりましたが,最初の切開と麻酔の注射を別にすれば,たいして不快感はありませんでした。とはいえ,目ざめている状態での手術は明らかに緊張を生みます。

      私は手に触れたものにしがみつき,強く握りしめていたので後になっても手が痛いほどでした。私は手術の間中,絶えずしゃべることによって手術のことを考えないように努めました。医師のわずかな動きはすべて私のからだの中で拡大され,実際にはほとんど触れていないのに内臓をかき回されているように感じました。手術がすむと,私たちは冗談を言い,笑い合いました。私は服を着ると,車のところまで歩き,家に帰りました。

      この新しい方法は入院を必要としないので,費用がずっと少なくてすみます。また全身麻酔をしないのでからだがその影響を脱する必要もなく,回復の時間も早められます。私は3日もしないうちに仕事に戻ることができました。

      新しい脈拍調整器の別の利点は,医師の手でからだの外から一定の調節ができるという事です。例えば,毎分60,70,80あるいは90など,必要とされる拍動数を,小型の電子ボックスの使用によってセットできます。また電気的刺激の強さを強中弱のいずれかに調節できます。それでからだのぐあいや,特に活動の多い時期などのために調節を必要とする時,病院に行って拍動数を変えてもらえるのです。1973年に私は「ものみの塔聖書冊子協会」の企画したイスラエル旅行に行くことができました。医師は私の拍動数を毎分80にふやしました。そして非常にぐあいの良いことがわかったので,以来ずっとそのままにしています。

      祝福,その後に続いた悲劇

      それは生涯の非常に幸福な時期でした。申し分のない妻と二人の美しい娘に恵まれ,快適な住居と,クリスチャン活動に十分の時間をとることのできる職業がありました。またクリスチャン会衆内の長老としても奉仕していました。クリスチャン兄弟姉妹の多くは,私が以前虚弱だったことや,脈拍調整器で心臓を制御していることなど少しも気づきませんでした。

      もちろん,私は自分が欲しいと思うだけの体力に恵まれていたわけではありません。それでさまざまの活動 ― 世俗の仕事,家族の団らん,クリスチャンの集会,話の準備,仲間の証人たちと行なう戸別訪問の伝道 ― にそれぞれ幾らかずつ体力を配分することが必要でした。そのため,仕事を終えて家に帰ってから集会に行く前に,普通少しの時間,寝ることが必要でした。私は普通の人と違って,過労時の支え,つまり余力がありません。それでも物の見方と活動の点で平衡を保つため,必要な精神的調整を行ないました。

      そして1975年夏のある日曜日の午後,妻と私は義理の母の家にいる子供たちを車で迎えに行きました。子供たちは一晩をそこで過ごしたのです。迎えに行く途中,カーブにさしかかった際,居眠り運転をしていた少年の車が私たちの車と正面衝突しました。奇跡的に命は助かったものの,私たちは二人とも重傷を負いました。衝突した時にもブレーキペダルを踏み続けていたため,私の足首は砕けました。

      救急隊員の手で私たちは近くの病院に運ばれました。救急診療室の医師にまず脈拍調整器を点検してもらったところ,それは事故の影響もなく正常に働いていました。医師は私のくちびるを縫い,足のレントゲン写真をとりました。足を診察するために来た整形外科医に私は尋ねました,「この足は直りますか」。

      「直ると思います」と医師は答えました。

      「歩けるようになるでしょうか」。私はそれが気がかりでした。

      「それは今は何とも言えません」。

      「私はエホバの証人ですので,輸血なしの手術をしていただけますか」。

      「それはできません」と医師は答えました。

      「輸血なしで手術をする医師を紹介していただけませんか」。

      私のかかりつけの医師には心あたりがありました。その医師に今述べた同じ質問をすると,三番目以外は同じ答えが返ってきました。「輸血なしでは少し危ないですが,あなたさえ,その点をご承知ならば輸血なしでやりましょう」と,その医師は答えました。それで私は「お願いします」と言いました。

      脈拍調整器の調整された規則正しい拍動数に異常の生ずる恐れが少なくなったため,医師は手術に余分の時間をかけることができました。手術は約四時間かかり,足首を接合するのに二本のねじと二本の金属製のピンが必要でした。家族だけでなく,私たちの土地の会衆の皆さんが親切にも家事や料理をしてくださったので,私たちは順調に回復しました。再び歩けるようになったことを私は喜んでいます。

      幸福な前途

      その時,私たちはカリフォルニア州の南部に住んでいました。しかしその地方を旅行するエホバの証人の代表者と話し合い,また祈りによって考慮した後,私たちはエホバの証人の伝道活動を推進する上で私たちがいっそう役に立つと思われるアリゾナ州北部の田舎に移ることを決めました。過ぐる二年間に私は時おり「開拓者」のわざに参加できましたし,妻も同様でした。私たちは聖書の音信を隣人に分かち,クリスチャン兄弟姉妹と共に働くことにおいて多くの祝福を味わいました。

      人工の脈拍調整器は疑いなく私の寿命を延ばし,またそのおかげで生活を改善できたことは確かです。心臓に障害があったため,私はおそらくたいていの人よりも心臓手術のことに詳しいでしょう。今のところ,心臓に生じ得る,そして実際に生ずる故障は確かに数多くあり,人工的な脈拍調整器はある種の故障を一時的に直すに過ぎません。それでも心臓の驚異が研究されるにつれて,心臓は永久に拍動を続ける可能性のあることが明らかになっています。

      この可能性は,人間が地上で幸福のうちに永遠に生きるようにされた,創造者エホバ神の最初のお目的ゆえに存在するのです。そしてこのお目的は聖書に約束されている通り,必ず成就します。「神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。(啓示 21:3,4)ですからわたしたちは本当にすばらしい前途を待ち望むことができます。心臓にもからだの他の部分にも悪いところの全く無い,完全な健康をすべての人が享受する新しい体制は間近いのです。―寄稿

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