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“心”と“心臓”王国宣教 1971 | 6月
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“心”と“心臓”
1 一般に,また日本語の聖書の中で用いられている“心”ということばは,たいへん広い意味を持っており,その意味は胸郭内部の臓器としての心臓とその働きに限られてはいません。この理由で,わたしたちの翻訳者たちは“心”ということばを避け,もっぱら“心臓”ということばだけを用いるよう努めてきました。と同時に,わたしたちすべても文字どおりの心臓に注意を集中することにより有益な理解を得てきました。今回,この問題を扱った非常にすぐれた記事が6月15日号の「ものみの塔」誌に掲載されます。しかし,再び“心”という訳語が多くの箇所で用いられていることに気づかれるでしょう。これはなぜですか。
2 「ものみの塔」誌のその記事はこう述べています。「聖書の中で“心”ということばは,わずかな例外を除けば,……人間の心臓の働きに限って用いられています」。多くの聖句において“心臓”ということばが不自然に響き,“心”のほうが適切な理由がこれでわかります。なぜなら,“心臓”ということばでは,心臓という臓器の働きを十分に言い表わすことができないからです。この点と一致して,わたしたちの翻訳者たちはこれから“心”ということばを用いますが,その用法は文字どおりの“心臓”の感情面の働きに限るものとします。協会の出版物に“心”ということばが出てくる場合,それは常に心臓の機能をさします。
3 “心”という字は実際には“心臓”と関係があります。それは漢字そのものから,またはその象形からわかります。同様に,協会の出版物の中では,文字どおりの“心臓”に発する働きもしくは感情をさす場合にのみ“心”ということばを用います。ですが,わたしたちがなによりも心臓とそこから発する感情を守らねばならないという考えには少しも変わりがありません。(箴言 4:23)“心”ということばを使う時にはいつでも次のことを考えてみてください。この場合,文字どおりの“心臓”から出てくる感情のことをさしているのだろうか。そうであるなら,それは聖書的な用法,つまり「ものみの塔」の出版物と同様に,限られた意味でそのことばを用いていることになります。しかし,それより広い意味で,心臓の全く関係していないところで“心”をむやみに使わないようにしたいものです。
4 常に臓器としての心臓に関連している“心”とは対照的に,“思い”は,頭脳の働きに関して用いられます。この2つのことばの相違は日本語の新世界訳聖書がやがてはっきりと示してくれるでしょう。それまでは,日本語で聖句を引用する場合,英語の新世界訳聖書の中で“心”(heart)と“思い”(mind)のどちらが使われているかを確かめてから,“心”にするか“思い”にするかを決めることができます。現在用いられている日本語訳の聖書は“心”と“思い”を新世界訳聖書(英文)ほど厳密に区別してはいません。次の聖句をはじめ他の聖句に出てくる“心”は,新世界訳では“思い”となっています。ロマ
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「私が報告したのはそれだけだろうか」王国宣教 1971 | 6月
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「私が報告したのはそれだけだろうか」
1 前の月の自分の活動にかんする報告が全部でどれほどかを知って,あなたはこのように自問したことがありませんでしたか。そして,注意深く調べてみたら,自分の活動を全部は報告していなかったことに気づくという場合がよくあるのではありませんか。会衆のしもべの補佐は提出された報告を忠実に記録したのですが,それでも「とにかく私は確かにもっと多くの時間を奉仕に費やしたはずなのだが」と考えたことでしょう。
2 どうすれば報告のしかたを改善できますか。1つには,わたしたちは組織の一部であり,わたしたち個人個人の努力したことを正確に報告すれば,会衆の活動の記録を完全なものにするのに寄与するという総合的な見方を持つ必要があります。そうした報告はわたしたちすべてに励みとなり,霊的な援助の必要な人を助けるさいの指針として役だち,伝道のわざを秩序正しく監督するための助けにもなります。―使行 2:41; 4:4; 8:14。
3 報告する回数もたいせつな事柄です。なかには,月末まで待って,それから自分のしたことを思い出して書こうとする人がいます。問題の解決策は毎週報告することです。あなたは野外奉仕から戻ったらすぐ,自分の活動の記録を決まったところにつけますか。なかにはカレンダーや日誌に記入する人もいます。また,報告用紙を歌の本や聖書にはさんで携帯し,氏名を書き込み行なった事柄を記入したなら,集会に出席するさい,王国会館でその用紙をすぐに提出できるようにしている人もいます。事実,集会に来たとき,あるいは集会が終わったとき,まっ先に報告入れのもとに行き,忘れずに報告を出すようにしている伝道者は少なくありません。
4 ある書籍研究のしもべたちは,自分たちの活動の報告の一部をとかく出し忘れる人々をたいへんよく助けています。それらのしもべたちは書籍研究の場所に何枚かの用紙を備えて置き,用紙の必要な人すべてがそれを入手できるようにしています。それに,報告用紙を王国会館で提出するよう,みんなに思い起こさせてくれます。正確な報告をまとめるのはたいせつなことであり,あなたがたすべてはそうするのを助けたいと願っておられるに違いありません。ですから,以上のような提案を述べたのです。
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毎週奉仕する伝道者でありなさい
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彼らは知っていますか?王国宣教 1971 | 6月
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彼らは知っていますか?
1 非常に多くの人々がわたしたちの会衆の集会に出席し,エホバの奉仕に参加しているのはすばらしいことです。彼らがエホバの備えてくださるすぐれた霊的な宴から,わたしたちとともに益を受けているのは喜びです。また,わたしたちはそうした人たちの多くを近くで催される巡回大会に出席するよう励ましたり援助したりしてきました。そして,その機会も彼らの霊的な成長に資するものとなりました。しかし,地域大会に出席する喜びを味わったことのない人々が,まだ何千人もいます。今年の夏に開かれる「神のお名前」地域大会に多くの人が出席するよう援助できますか。彼らはどんな準備をすればよいか知っていますか。
2 わたしたちみんなが知っているように,地域大会に出席するには,近くの巡回大会に出席する場合よりもしなければならないことが多いのが普通です。大会開催地の近辺に住んでいるのでないかぎり,宿泊の取り決めをしなければなりません。何をすべきか,どこで宿舎請求書を入手するか,どのように記入するか,どこに送るかなどを彼らは知っていますか。会衆に宿舎請求書が届きしだい,この点で援助してあげることができます。
3 それに,大会への往復はどのようにしますか。自動車のない人はどのように交通機関を利用すればよいか知っていますか。わたしたちはいろいろな大会に出席したことがありますから,旅行はたいてい慣れています。しかし多くの人は旅行には不慣れで,励ましや,時には援助を受けないかぎり,しりごみして旅行の準備をしようとしません。その人たちもいっしょに含めて,旅行の計画を立てることさえできるでしょう。
4 多くの新しい伝道者はこの地域大会でバプテスマを受けるのを待ち望んでいます。彼らは何をすべきか知っていますか。「ともしび」の本の質問を調べるほかに,バプテスマを受ける当日,水着とタオルが必要なことを知っていますか。自発奉仕の取り決めについて,そして,希望するなら,どのようにその奉仕にあずかれるかを知っていますか。また,大会では適当な価格の食事が用意されているので,食事をするために大会会場を出ることなく,すべての人がその場でクリスチャンの交わりを楽しみ,プログラム全部の益を受けられることを知っていますか。
5 新しく交わりはじめたかたがたを「神のお名前」地域大会に出席するよう励ますため,少しの時間を割いて上記の点や,有益と思われる他の点を話し合ってみてはいかがですか。そうするなら,確かに彼らは何をすべきかがわかるでしょうし,また,それこそ彼らが出席するのに必要な励ましかもしれません。
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