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    ものみの塔 1967 | 11月15日
    • を崇拝する者とそうでない者とをわけるためであると率直に言われました。「地上に平和をもたらすために,わたしがきたと思うな。平和ではなく,つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは,人をその父と,娘をその母と……仲たがいさせるためである」― マタイ 10:34-36。

      現代に見られる事態

      さて現代ではいかがですか。優柔不断で妥協を好む精神が認められますか。包容あるいは普遍化がさかんで,信仰合同により一大融合宗教を作ろうと努め,聖書の真理を率直に語ることを好まない現代は,確かに妥協の時代であると言わざるを得ません! 「どんな犠牲を払っても平和を」という声が四方八方から聞こえます。妥協の種子は偽りの宗教の教理という風に乗って,世界中にまかれ,心の定まらない優柔不断な人々の精神の中に根をおろしています。

      ゆえに神を愛する人は警戒しなければなりません。悪影響を受けていないかどうか自分の心を吟味すべきです。エホバ神はご自分の真の崇拝者にとっては単なる漠然とした「主」ではありません。それで神の固有の御名を忘れたり,すべての人を喜ばせようとする人為的な宗教のために御名を背後に押しのけたりしてはなりません。矛盾した教理を持つさまざまの宗教や宗派の神ではありません。神のことば聖書の一部を否定したり,削除したりあるいはつけ加えたりするような人々の神でもなく,その崇拝に二心の者の神でもありません。アブラハム,モーセ,ヨシュア,ダニエル,ネヘミヤなどは,エホバがご自身のしもべとして喜んで受け入れられた崇拝者の一例です。

      現代が最も差し迫った時となっているのは,偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」に対する神のさばきの執行の時が間近かであることを神が明らかにされたからです。今は,二つの見地に迷うべき時ではありません。現代に関する天からの警告のことばは次のとおりです。「わたしの民よ。彼女から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないようにせよ」。(黙示 18:4)今はぐずぐずすべき時ではありません。神はかつて,エルサレムにソロモンが建立した輝かしい宮を惜しまれなかったと同様に,偽りの宗教の組織を決して惜しまれることはありません。

      しかし警戒しなければならないのは,大いなるバビロンの諸宗教を積極的に支持することに関連した大きな問題だけではなく,一見して無害と思える小さな事柄でも,あなたの心がどこにあるかを如実に示せるということです。ロトの妻は,ソドムの町を振り返って見ても大丈夫と考えたことでしょう。しかし彼女は滅ぼされました。―創世 19:26。ルカ 17:32。

      ある親は,バビロン的な教会制度からすでに脱退したにもかかわらず,その制度に属する教会の日曜学校に子供を出席させても大丈夫だと感じます。そこでどんな聖書の話を聞かされようが,子供は何の害も受けないだろうと想像しているのです。しかし,ある偽りの教理を受け入れる素地が幼い子供の心の中に作られ,また,バビロン的な儀式や宗教的義務に服する人々との交わりの悪影響にさらされる危険を見過ごしているのです。

      さらに,中には,教会のその後の様子を知るため,あるいはこの世的な考えを持つ親類や知人を喜ばせるために,キリスト教国の会の礼拝に出ても,構わないと考える人もいます。しかし,真の信仰に帰依したのち,使徒パウロは信仰合同の見解を公に非難しました。「不信者と,つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光[聖書の真の教え]とやみ[迷信や人間の言い伝え]となんの交わりがあるか……神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは[神のことばに従って生活している使徒パウロおよび油そそがれた仲間のクリスチャン],生ける神の宮である……だから,『彼らの間から出て行き,彼らと分離せよ。と〔エホバ〕は言われる。そして,汚れたものに触れてはならない』」― コリント第二 6:14-17,〔新世訳〕。

      また別の人々にとっては,バビロン的な偽りの宗教諸団体の出版した本を読んでも一向に構わないと思えるかもしれません。そして聖書の真理の立場から容易に動かされることはないと考えているかもしれません。しかしおそらく,真の神の崇拝に熱心な他の人々のいだいている明確な理解や積極的な態度をどうして自分は持てないのだろうかと思案することでしょう。実際のところそのような人は,エホバに喜ばれる専心の思いに欠けているため,神からの十分の祝福にあずかれません。つまり,ゆがんだ考え方の生じる危機に面しているのです。

      決定を下し行動すべき時

      エホバを喜ばせ,生命を得たいと願う人は,この「終りの時」の今,光とやみ,真理と偽り,神のしもべたちの会衆と敵対者たちの組織のいずれを選ぶかに関していつまでも決定をさし控えることはできません。「二心の者であって,そのすべての行動に安定がない」人間とならないように,二心を退けねばなりません。(ヤコブ 1:8)偽りの宗教の教えをほんの少しかじるだけでも,清い崇拝のための思いや力は悪影響を受けるのです。(ガラテヤ 5:9。マタイ 16:6,12)使徒パウロは,「あなたがたの足のために,まっすぐな道をつくりなさい」という強い助言を与えています。―ヘブル 12:13。

      ゆえに決して,大いなるバビロンの宗教が与える無価値な糧に好奇心を寄せたり,それを求めたりすべきではありません。聖書とその音信を熱心に研究し,自分の歩みを生命に通ずる道にしっかり保つのに,手持ちの時間をすべて用いなければならない今は特にそうです。命を救うその真理が,イエス・キリストの監督下にある,聖霊に満ちた組織を通してエホバから来ることを謙遜に認める人は,二つの見地に迷う危険を回避できます。(マタイ 24:45-47)二心をいだかぬ人は今,進歩と幸福という報いを得られます。

      それで重大な決定の時である今,必要なのは,決定を下し,行動することです。イエス・キリストが「羊」と「山羊」をわける偉大なわざを指示していられる今,手をこまねいて傍観することはできません。もし,王の恵みの右側に集められたいと願うなら,偽りの羊飼いに従うことを拒み,あるいは迷い出て,自分自身の貧弱な力に依存することを避けて,「羊」であることを示さねばなりません。(マタイ 25:31-40)かつてエリヤが挑戦した質問,「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか」ということばの中にある含蓄に富む熱烈な助言に耳を傾け,その助言に基づいて行動しなければなりません。―列王上 18:21。

  • 大いなるバビロンからのがれた牧師
    ものみの塔 1967 | 11月15日
    • 大いなるバビロンからのがれた牧師

      ● メキシコのある町で,10年間プロテスタントの牧師をしていた人がエホバの証人から「失楽園から復楽園まで」の本を入手しました。彼は証人に告白して,もはや教会で何を説教すべきかがわからないと言いました。この本を示された時,彼はそれが真理をとてもはっきりと教えていることに驚きました。研究が開始され,2か月のあいだ週に2回,司会されました。その結果,彼はその教会の牧師を辞任しました。3か月目に彼は以前の信徒たちを何人か訪問して「良いたより」について話し始めました。それらの人々との研究がいくつか司会されています。

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