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神の関心事ものみの塔 1956 | 10月15日
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この時代に行われるハルマゲドンで御自分の御名を立証することにより,至上の支配権を証明するのは神の大いなる御意です。ハルマゲドンのときに,神はサタンの見える制度も,見えない制度も,そのすべてを亡しつくしてしまうでしよう。―黙示 16:16。
10,11 (イ)神の関心事は,なぜ優先的なものですか。(ロ)これらの神の関心事は,どのように私たちに関係しますか。
10 ヱホバ神は至上支配者であられる故に,御自分の関心事をことごとく合法に認められています。前に学んで知るごとく,政府によつて関心事が認められると,権利が生じます。すると,こういうことになります。宇宙内の最高合法の権利,永久的の権利は,至上のよろこびである関心事を果される神に属している,ということです。そのわけで,神の関心事は,最優先のものであります。―マタイ 6:33。
11 これらの神の関心事は,私たちとどのような関係を持ちますか。きわめて肝要な関係を持つのです。イエスは,ヱホバの御意を行うために自分の生命を献身し,神のすべての関心事と一致調和する生活を続けたとき,模範を残されました。イエスについては,聖書にこう書かれています,『見よ,御旨を行うためにまいりました。』(ヘブル 10:7,新口)私たちも神の御意と全く一致し,神の関心事に常に調和しなければなりません。こうするために,私たち各人はヱホバの御意を行うために生命を献身し,それから水のバプテスマによつて献身を象徴しなければならないのです。神の関心事について消極的な態度を取ることはできません。私たちは形勢を傍観していて,この宇宙的な関心事について優柔不断な態度を取ることはできません。私たちは,これら神の関心事と,それについての私たちの関係というものを認識し,活潑にならねばなりません。(歴代誌略上 26:30,モハット訳)本当に私たちの現在と将来の救は,私たちがこの地についての神のあらゆる関心事と一致調和しているか否か,に依存しているのです。神の善は,神の関心事に常に表わし示されています。それで,神の関心事を他の関心事と適宜な釣合に保つならば,私たちは最高の幸福を得ることができるでしよう。
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人間各自の関心事ものみの塔 1956 | 10月15日
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人間各自の関心事
『おのおの,自分のことばかりでなく,他人のことも考えなさい。』― ピリピ 2:4,新口。
1 関心事を行うということについて,人間は下等動物とどのように違いますか。
神は,食すること,配偶者を選ぶこと,巣をつくること,そして子孫を育てるという関心事を地上の動物や,空飛ぶ生物や,海の生物のような下等動物に与えられました。本能を持つ彼らは,限りのある十分な寿命の中に,これらの関心事を行います。彼らは,神の備えられたものを食します。神は食べる権利を彼らに与えられたのです。『空の鳥を見るがよい。まくことも,刈ることもせず,倉に取り入れることもしない。それだのに,あなた方の天の父は彼らを養つていて下さる。』(マタイ 6:26,新口)しかし,人間は,不随意な本能の法則に導かれる下等動物とは違います。創造された人間には高度な叡智を与えられたのです。人間には,自由意志という驚くべき賜物が与えられました。人間は,これらの能力を用いることにより,創造主を讃美する,死ぬことのない幸福な生活中に広範囲な関心事を行つたり,発展させたり,また感謝したりする目的のために最初つくられたのです。
2 人間の基礎的な関心事は地上に住む場所によつてなぜ違わないのですか。
2 創造主により定められた人間本性の故に,どの男にも,またどの女にも,特定で基礎的な関心事の種子が与えられています。人間の自由意志により,これらの種子は賢明に生長するか,あるいは愚かな生長をします。この地上の何処にいようと,生まれながらの人はみな同じ基礎的な関心事を持つています。なぜなら,すべての人は共通の先祖アダムの子孫だからです。神が基礎的に定め給うたそのような関心事は,神より与えられた権利として神より正しく認められるものです。人間に与えられた権利は,神御自身の持つ権利よりはすくないものです。故に,この事実から,神の関心事とその実施が最優先のものであることが分ります。
3,4 法律権威者は,『自然の法則』についてなんと述べていますか。
3 この理由のために,或る法律権威者は,人間の持つこれらの自然の権利を自然の法則と呼んでいます。『人間はすべてのことを,造り主に絶対的に依存している。この故に,人間はあらゆる点で造り主の御旨に沿うことが必要である。この造り主の御旨は,自然の法則と呼ばれる。神は人間を創造して人間に生活するための自由意志を与えた。その時に神は人間性に関する特定な変らざる法則を定められたのである。なお,その自由意志は或る程度まで抑制され,制束される。神はまたそれらの法則の趣旨を発見するための理性の力を人間に与えられた。a』
4 別の法律権威者は,自然の法則を次のように定義しています,『宇宙の至上者なる神は,すべての人にその法則を制定した。それは公式に発表したのでなく,内部的な理性だけの指示によるのである。……原始的な自然の法則は,6つにまとめることができる。すなわち,(1)比較的な賢明さ,或は理性,(2)自愛,(3)異性の誘引,(4)子供に対する両親の愛,(5)宗教的な感情,(6)社交性。b』
5 本来,理性を持つて賢明につくられている人間は,どんな個人的な関心事を得ますか。
5 前述の自然法則の最初のものから,どんな人間の関心事が示されてきますか。人間は動物とはちがつていて,高度の賢明さを持つています。つまり人間は叡智を持つ生物です。人間は物事を考究することができます。人間は良い道徳と悪い道徳を区別することができます。人間は又自分の行為と,自分の関心事の使用法に対して責任を取ることができます。人間は幸福と不幸によつて影響されます。故に,生まれながらの人間は,見聞と知識を得たり,事実を掘り下げ,証拠を考え,そして決定を為すという生来の関心事を持つているのです。人間は,正しく導かれるなら,これらの関心事を良い道に用いるという自然の傾向を持つています。かくして,良い価値の記録はつくり上げられ,幸福の報いが与えられます。
6,7 真理を知りたいという人間の自然の関心事についてヱホバの証者は何をしますか。
6 ヱホバ神は,人間をつくるに当つて,真理を知るという健全で自然な関心を人間に与えました。この自然の衝動は或る程度悪に外れ,人間の賢明さは悪の道を行いました。そのような悪は,不幸をもたらす過失の記録をつくります。長年にわたるサタンの悪い支配下にあつて,これらの関心事がどれ程鈍くなろうとも,自然の権利と共々に,今日かなりの程度の自然の関心事は存在しているのです。
7 この理由の故に,ヱホバの証者はこれらの自然の関心事を刺戟しようと,常に努めているのです。第1に,ヱホバの証者自身について言うならば,彼らは神権的な知識を保ち,また神の言葉の真理の中に賢明に進歩しようと努めています。第2番目に,親しい友人として彼らは,できるだけ多くの人々を個人的に訪問しようと努めます。かくして,この終の時におけるヱホバの啓示した目的についての真理を人々が公平に,しかも叡智をもつて考えるようにいたします。ヱホバの証者は,イエスや使徒たちの残した模範に従います。彼らは,人間の関心事のこの分野に一致して,家から家の訪問を行いました。
8 『自愛』からどんな個人的な関心事が起りますか。
8 自然の第2番目の法則は,自愛という事柄です。聖書は,人間の本性の中にあるこの基礎的な原則の存在を確証しています。神が人間に与え給うたものだからです。こう書かれています,『己のごとく汝の隣を愛すべし。我はヱホバなり。』(レビ 19:18),人はみな自愛という強い権利を持つている故に,自分の保護を図り,生命と体を害から守り,有害なものを避け,そして存在を続けるのに必要なものをみな供給します。これらの自己関心事は,広い分野に及び,人間の関心事の他の多くの分野にも関係を持ちます。
9,10 自己関心事は悪いものですか。それはどの程度まで発展することができますか。
9 丁度良い程度まで発展する健全な自愛,もしくは自己関心事は,正しい良い事柄であつて,幸福の報いをもたらす良い価値の道に導きます。しかし,自愛,もしくは自己関心事が隣人や仲間の者を押除ける程までに発展するなら,悪の道が始まります。そのような場合,自愛は極端な利己主義に変ります。この結果,問題や過失がひき起され,人はその責任を取らねばなりません。その人は患難をこうむり,不幸をもたらす刑罰を受けねばなりません。―テモテ後 3:2-5。
10 人が自分の肉体的な福祉や霊的な福祉に関心を持つことは決して悪いことで
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