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戦 3–11ページ

聖書 ― 神の霊感を受けたものですか

1,2 多くの人が聖書に敬意を払うのはなぜですか。聖書の筆者たちはどんな主張をしていますか。

新ブリタニカ百科事典は聖書を評して,「人間の歴史の中で,これほど影響力のある本の集合体は,ほかにないであろう」と述べています。聖書はその古さのゆえに,多くの人から深い敬意を集めています。その中には,3,500年前に書かれた部分もあります。しかし,30億冊余りの聖書が配布され,その全体もしくは一部がほぼ2,000の言語に翻訳されて,世界の空前のベストセラーとなった理由の一つは,聖書が実際的で現代の生活に適した助言を述べているということです。

2 こうした要素はすべて聖書に対する敬意を抱かせますが,それらを別にしても,聖書を昔から非常に影響力の強い魅力的な本とならせてきた別の特色があります。それは,聖書は全能の神の霊感による啓示であるという聖書自体の主張です。トーラー(聖書の最初の五つの書)を編さんしたモーセは,創造の記述,ノアの時代の大洪水の記録,アブラハムの歴史や,モーセ自身と神との交渉の歴史などを含め,神がモーセに話されたことすべてを「書き記し」ました。(出エジプト記 24:3,4)ダビデ王は,「主の霊がわたしを通して語った。その音信はわたしの舌の上にある」と述べました。(サムエル第二 23:2)他の聖書筆者も神の導きについて,同様の主張をしています。これらすべての書物が一緒になって,歴史に関する神ご自身の説明 ― その歴史の真の意味,解釈,最終的な結末などに関する説明を構成しています。王,雇われた労働者,祭司など,聖書の筆者となった様々な大勢の人たちは皆,聖書の著者であられ,聖書の約束を保証しておられる神のお考えを記録するに当たって,秘書としての役目を果たしました。

3 神を信じることと科学を信じることが相いれないものではないことを,何が示していますか。

3 聖書は神が著者であると主張しているので,多くの人がまず最初に抱く疑問は,聖書の著者の存在そのものに関連した疑問かもしれません。神の存在を公然と否定する人は少なくありません。また,聡明な人なら例外なく神の概念や聖書に対する信仰を退けてきたという印象に基づき,「科学者たちが神を信じていないのはなぜか」と尋ねる人もいます。この印象は本当に正しいでしょうか。ニュー・サイエンティスト誌の一記事は,「科学者には信仰がないと決めつける見方は……甚だしく間違った見方である」2 と述べました。その記事の伝えるところによると,大学,研究団体,工場の研究室などを無作為に選んで調査した結果,「10人の科学者のうち何と8人までが,宗教的な信念に従ったり,“非科学的”原理を大目に見たりしている」ことが分かりました。そのようなわけで,信仰が科学や科学者と相いれないと言うのは正しいことではありません。(「進化 ― それは事実か」の囲み記事をご覧ください。)

進化 ― それは事実か

創造に関する創世記の記述は,すべての生物が『その種類にしたがって』,つまり基本的なグループにしたがって創造されたことを述べています。(創世記 1:12,24,25)多くの進化論者たちは自説を売り込むために聖書の記述を嘲笑してきました。しかし,異種交配や突然変異によって新種が実際に現われたという証拠はあるのでしょうか。e 有史以来,犬はやはり犬であり,猫も相変わらず猫のままです。最も古い昆虫の化石の中のゴキブリでさえ,現代のゴキブリとほとんど同じものです。

実際,ダーウィンの「種の起原」以来,優に100年を上回る期間にわたって科学界が集中的な調査を行なってきた結果,どんな証拠が得られたでしょうか。f ある専門家たちはどんな結論に達しましたか。

化石の記録: ある人々は化石の証拠を『最終の上訴の場』と呼んでいます。生命に関する確かな歴史の中で,科学者の手元にあるのは化石だけだからです。化石は何を示しているでしょうか。

自然科学の教授であるジョン・ムーアは,ロンドンの地理学協会とイングランドの古生物学会が行なった広範な研究の成果について報告しました。「専門家のみで成る120名ほどの科学者の集まりが,800ページを超える記念碑的著作の30の章を準備し,動物と植物……の化石の記録を提出した。……植物と動物の主要な種類や形態はいずれも,他のすべての種類や形態とは異なる,全く別個の歴史を持つことが示されているのである。植物についても動物についても,それぞれのグループが化石の記録の中に急に出現している。……共通の先祖の形跡などはなく,まして,さらにその先祖とされている爬虫類との間をつなぐものなどはない」―「進化論を教えるべきか」,1970年,9,14ページ。

突然変異は進化を引き起こすことができたか 突然変異が一般には有害なものであるため,アメリカーナ百科事典は次のことを認めています。「大部分の突然変異が生物体にとって害になるという事実は,突然変異が進化の原材料の源であるという見方と調和しにくいように思われる。実際のところ,生物学の教科書に例示される突然変異体は珍種や奇形の集まりであり,突然変異は建設的というより破壊的な過程のように思われる」― 1977年,第10巻,742ページ。

猿人についてはどうか サイエンス・ダイジェスト誌はこう述べました。「注目すべき事実を述べれば,人間の進化について知るために我々が持つ有形の証拠は,全部合わせても一つの棺の中に入ってしまい,なお場所が余るのである。……例えば,今日の類人猿はどこから出て来たものとも思えない。彼らの過去は不明であり,化石の記録はない。そして,今日の人間,すなわち,直立し,毛や羽毛やうろこがなく,道具を作り,脳の大きい人間の本当の起源についても,もし我々が自分に対して正直になるならば,同じようになぞであることを認めねばならない」― 1982年5月号,44ページ。

危機にひんする理論: 分子生物学者のマイケル・デントンの次の説明に注目してください。これはデントンの書いた「進化論: 危機にひんする理論」という本からの引用です。

「ダーウィンが進化に関する自説を確立するのに十分な証拠を欠いていたことに疑問の余地はない。……地上の生物はすべて,偶発的な突然変異が漸進的かつ継続的に集積されて生じた,またそのようにして進化したという趣旨のダーウィンの理論は,当時と同じように今もかなりの憶測を含む仮定であって,事実の直接的な裏づけが全くなく,自明の原理からは程遠い。その理論は,それをより積極的に唱道する一部の人たちが我々に信じ込ませようとしているものである。……文字通り世界を変えた理論,それほどに極めて重要な理論であれば,純粋哲学を超えたもの,神話を超えたものとなることを期待できたであろう」― 1986年版,69,77,358ページ。

e 漸進的な進展や適応,同一種類内での変化などを指す“小進化”と,一つの種類が別の種類に進化すると教える“大進化”とは,区別しなければなりません。進化を教える人たちは,たいてい後者の考えについて述べています。

f 詳しい論議を知りたい方は,「生命の起源 ― 5つの大切な質問」をご覧ください。

霊感を受けた証拠はあるか

4 今から数千年前,聖書の中にどんな科学的な真理が記されましたか。

4 創造者の存在に関する納得のゆく証拠がある,という結論に至るとしても,神が人間に霊感を与え,ご自分の考えや目的を聖書の中に書かせたかどうかについては疑問が残ります。神が人間に霊感を与えて聖書を書かせたことを確信できる理由はたくさんありますが,その一つは科学的な正確さです。(「『初めに神は創造された』……」の囲み記事をご覧ください。)例えば,今から3,000年以上前,ヨブは神が「地を無きものの上に懸けたもう」と述べました。(ヨブ 26:7,ユダヤ)今から2,700年ほど前に預言者イザヤは,神が「地の円の上に座したまう」と述べました。(イザヤ 40:22,ユダヤ)では,ヨブやイザヤはどうして,地球が空間に浮かんでおり,球体であるというこれらの科学的かつ基本的な真理を知ることができたのでしょうか。これらの真理は今日ではよく知られているかもしれませんが,ここに挙げた言葉は,そのような考えを聞いたこともない時代に書かれたのです。神からの啓示があったというのが,最も道理にかなった説明ではないでしょうか。

『初めに神は創造された』……

……『天と地を』。(創世記 1:1,ユダヤ)― 今日の科学者の大半は,宇宙に始まりがあったことに同意しています。天文学者のロバート・ジャストローはこう書きました。「いま我々には,天文学上の証拠が,世界の起源に関する聖書の見方と一致しているのが分かる。細かな点は異なるにしても,天文学上の説明と聖書の創世記にある記述との本質的な要素は同一である。すなわち,人間の出現にまで至る一連の出来事が,時の流れの特定の瞬間に,光とエネルギーのさく裂と共に,突然また急激に始まったということである」―「神と天文学者たち」,1978年,14ページ。

……『生物を』。(創世記 1:20)― 物理学者のH・S・リプソンは,生命の自然発生という見方は分が悪いことを悟り,こう述べました。「受け入れうる唯一の説明は創造である。現にわたし自身にとってそうであるように,これが物理学者にとって禁句であることをわたしも知っているが,実験的証拠によって裏付けられている説を,自分たちが好まないという理由で退けるようなことをしてはならない」―「物理学ブルテン」,1980年,第31巻,138ページ。

自然発生説の分は悪いとしても,それはともかく起こり得ることではないでしょうか。物理学者で天文学者のフレッド・ホイルは,「生命が地上の有機物のスープの中で始まったという仮説を支持する客観的な証拠は少しも見られない」と述べ,さらにこう書いています。「生化学者が生命の畏怖すべき複雑さに関する発見を重ねている今,偶然に生命が発生した可能性は,全く排除できるほどにごく小さいと思われる。生命は偶然には生じ得ない」。ホイルは次のように付け加えています。「生物学者たちは明白極まりない事柄,つまり20万のアミノ酸連鎖が偶然には生じなかったこと,それゆえに生命が偶然には生じ得なかったことを否定しようとして,実質のない幻想にふけっている」。ホイルは要するに,『有機物の軟泥の中で化学物質が偶然に連結するだけで,生命に不可欠な2,000種類の酵素がどうしてできるのか』と問いかけているのです。ホイルは,その可能性を1040,000分の1,つまり「細工を加えていないさいころを用い,5万回続けて6を出す確率にほぼ等しい」としています。(F・ホイル著,「知的な宇宙」,1983年,11,12,17,23ページ)彼はさらに,「社会的信条や科学的訓練のために偏った見方を持ち,生命は地球上に[自然発生的に]生じたものであるとの信念を抱く人でないかぎり,この単純な計算を見ただけで,そのような概念を全く考慮に値しないものとみなすだろう」と付け加えています。―フレッド・ホイル,チャンドラ・ウィックラマシンゲ共著,「宇宙からの進化」,1981年,24ページ。

5,6 聖書筆者が神の霊感を受けていたことを,どんな預言の成就が証明していますか。

5 事前に書かれた歴史とも言うべき預言は,神の霊感によって書かれたという聖書自体の主張を実証する聖書の主要な特色と言えるかもしれません。例えば,預言者イザヤは,エルサレムがバビロンによって滅ぼされ,ユダヤ国民全体が捕囚になることだけでなく,やがてペルシャの将軍キュロスがバビロンを征服し,ユダヤ人を捕囚の状態から解放するということも予告しました。(イザヤ 13:17-19; 44:27–45:1)イザヤが200年も前もってキュロスの誕生とキュロスの名前,それにキュロスが行なう事柄をこと細かに正確に予言できた理由として,神の霊感以外にどんな方法が考えられるでしょうか。(「神 ― 預言を通して『秘密を明らかにされる方』」の囲み記事をご覧ください。)

神 ― 預言を通して『秘密を明らかにされる方』

預言者ダニエルは,ある古代の王に対して,このように述べました。「王が尋ねておられる秘密は,賢人,悪魔払いの祈禱師,魔術師,占い師も王に告げることができません。しかし,天に秘密を明らかにされる神がおられます」。(ダニエル 2:27,28)神が実際に預言を通して秘密を明らかにされる方であることを示す証拠はあるのでしょうか。次に挙げるのはそのうちの数例です。

バビロンの倒壊: 「主は,その油そそがれた者キュロスにこのように言われた。主はその右手を握り,彼の前に諸国民を踏みにじり,王たちの腰の帯を解き,彼の前に扉を開き,門を閉じたままにはさせなかった」― イザヤ 45:1。これは西暦前732年ごろに預言されました。西暦前625年よりも前に預言されたエレミヤ 50:35-38; 51:30-32もご覧ください。

成就 ― 西暦前539年: 歴史家のヘロドトスとクセノフォンの記述によると,ペルシャ人のキュロスはバビロンの中央を通っていたユーフラテス川の水の流れを迂回させ,川床に軍勢を送って,バビロニアの衛兵たちに不意打ちを食らわせ,一夜のうちに都市を占拠しました。キュロスがこの策略を用いたとしても,ユーフラテス川の岸にあった都市に通じる門が不注意にも開け放たれたままになっていなかったなら,都市に入ることはできなかったでしょう。預言が予告していたとおり,『門は閉じたままではなかった』のです。

ティルスの運命: 「主なる神はこのように言われた: ティルスよ,わたしはあなたを処置することになる。海が波を投げつけるように,わたしは多くの国民をあなたに投げつける。……そして,わたしは彼女からその土をこそげて,これを露出した岩とする。……そして彼らはあなたの石や木材や土を水の中に投げ込むであろう」― エゼキエル 26:3,4,12。これは西暦前613年ごろに預言されました。

成就 ― 西暦前332年: アレクサンドロス大王はティルスの本土から島の部分(約800㍍沖合い)に土手つまり突堤を築き,配下の兵士たちがその島の都市に行軍し,そこを攻撃できるようにしました。アメリカーナ百科事典は次のように伝えています。「彼は332年に,自分が粉砕したその都市の本土側の部分の残がいを用いて巨大な突堤を構築して,島と本土とをつないだ」。比較的短い攻囲の後,その島の都市は滅ぼされ,エゼキエルの預言はその詳細に至るまで,すべてが成就しました。ティルスの旧市街(都市の本土の部分)の『石や,木工物や,塵』でさえ,『水の中に置かれ』ました。

エルサレムの滅び: 「そこで,イザヤはヒゼキヤに言った。『全軍の主の言葉を聞きなさい。あなたの宮殿にあるすべてのもの,あなたの先祖が今日に至るまで蓄えてきたものがバビロンに運び去られる時が来ようとしている。何一つ後には残されないであろう』」― イザヤ 39:5,6。西暦前732年ごろに預言されました。イザヤ 24:1-3; 47:6もご覧ください。

預言者エレミヤはこう宣言しました。「わたしは……彼ら[バビロニア人]を来させてこの地とその住民を攻めさせる。……この地全体は荒れ廃れた廃虚となる。また,これらの国民はバビロンの王に70年間仕えることになる」― エレミヤ 25:9,11。これは西暦前625年よりも前に預言されました。

成就 ― 西暦前607年(大半の世俗の年代学によると,西暦前586年): バビロンは1年半に及ぶ攻囲の末,エルサレムを滅ぼしました。その都市と神殿は完全に破壊され,ユダヤ人自身はバビロンに連れ去られました。(歴代第二 36:6,7,12,13,17-21)エレミヤの予告どおり,70年にわたって国民全体が捕囚とされました。西暦前537年,バビロンを征服したキュロス大王によって彼らが奇跡的に解放されたことは,キュロスの名を挙げていたイザヤの預言の成就でした。(イザヤ 44:24-28)預言者ダニエルはバビロンで捕囚となっていた時,自分の民が解放される正確な時を計算しましたが,その結論の土台となったのはエレミヤの預言でした。―ダニエル 9:1,2。

6 最も際立った預言の中には,西暦前6世紀に生きていた預言者ダニエルが記した預言も含まれています。ダニエルはバビロンがメディア人とペルシャ人の手に落ちることを予告しただけでなく,当時をはるかに越えた遠い将来の出来事についても予言しました。例えばダニエルの預言は,ギリシャがアレクサンドロス大王の支配する世界強国として興り(西暦前336-323年),アレクサンドロスが早死にした後は彼の帝国が配下の4人の将軍の間で分割され,恐ろしい軍事力を持つローマ帝国が興ることを予告していました(西暦前1世紀)。(ダニエル 7:6; 8:21,22)これらすべての出来事は,今では動かし難い歴史の事実となっています。

7,8 (イ)ある人々は,聖書預言について,どんな非難をしてきましたか。(ロ)不正行為に関する非難には十分な根拠がないことを,何が証明していますか。

7 聖書の預言がたいへん正確なので,批評家たちは預言に欺きというレッテルを貼ってきました。つまり,預言は事後に預言を装って記された歴史だというのです。しかし,ユダヤ人の祭司たちがあえて預言を創作したと主張できるどんな合理的根拠があるでしょうか。また,預言には,祭司たちに向けられた想像を絶するほどの徹底した痛烈な批判が含まれているのに,どうして彼らがそうした預言を創作するでしょうか。(イザヤ 56:10,11。エレミヤ 8:10。ゼパニヤ 3:4)それに加え,最も神聖な書物として聖書があり,その聖書による訓練と教育を受けた教養のある国民全体が,どうしてそのようなでっち上げを真に受けることがあるでしょうか。―申命記 6:4-9。

8 エドムやバビロンなどの文明全体が消滅したことに関連して,何らかの不正手段を講じることはできたでしょうか。そのような文明の消滅は,ヘブライ語聖書が完成してから幾世紀も後に生じています。(イザヤ 13:20-22。エレミヤ 49:17,18)たとえ,そうした預言は当の預言者自身の時代に書かれたのではないと主張する人がいるとしても,それらの預言は西暦前3世紀よりも前に記されたと言えるのです。すでにその時までに,そうした預言はセプトゥアギンタ訳として,ギリシャ語に翻訳されていたからです。それに,死海写本(聖書のすべての預言書の一部分を含んでいる)も西暦前2世紀および1世紀のものとされています。先に述べたように,多くの預言はその時期以降に初めて成就しました。

聖書は矛盾だらけの本か

9-12 (イ)聖書には矛盾があると言う人がいるのはなぜですか。(ロ)幾つかの“矛盾”はどのように解決できますか。

9 しかし,ある人々は,『聖書は矛盾だらけだ。つじつまの合わない箇所がたくさんある』と異議を唱えるかもしれません。そのように主張する人々は往々にして,自分で問題を調べたわけではなく,他の人たちから一つか二つの例とされるものを聞いているにすぎません。聖書筆者は自分の扱っている問題をわずかな言葉で要約する場合が多いということを思い起こすなら,つじつまが合わないとされる箇所の大部分は,実際には容易に解決されます。その一例が創造の記述の中にあります。創世記 1章1節と3節を創世記 1章14節から16節と比較して,神は創造の四日目に光体を『造って』いるのに,その同じ光体から出たと思われる光が創造の一日目に地球に届いたということがどうしてあり得るのか,と尋ねる人は少なくありません。この場合,筆者のヘブライ人は長々しい説明をしなくてすむように,注意深く言葉を選んだのです。創世記 1章1節が「創造する」となっているのに対し,14節から16節では「造る」となっていること,また創世記 1章3節が「光」であるのに対して,14節から16節では「もろもろの光」となっていることに注目してください。こうした点は,すでに存在していた太陽と月が,創造の四日目に地球の密な大気を通してはっきり見えるようになったことを示しています。a

10 系図も幾らかの混乱を引き起こしてきました。例えば,エズラは歴代第一 5章29節から40節(6:3-14,新世)で自分の祭司としての系図に23人の名前を挙げていますが,エズラ 7章1節から5節で自分自身の系図を示した際には,同じ期間であるのに16人の名前しか挙げていません。これはつじつまの合わないことではなく,単なる簡略化です。それに加え,ある筆者は何らかの意図をもってある出来事を記し,その意図に沿って詳細な事柄を強調したり控え目にしたり,含めたり割愛したりしていますが,他の聖書筆者は同じ出来事を記す際に異なった方法で詳細な事柄を表現しました。そのようなことは矛盾ではありません。むしろそれらの記述の相違は,筆者の観点や想定している読者の違いを反映しているのです。b

11 矛盾と思える点も,文脈を見るだけで解決できる場合が少なくありません。例えば,聖書の記述がつじつまの合わないものであることはこれではっきりするという考えを強調するものとして,「カインはどこで妻を得たのか」という質問をよく耳にします。アダムとエバにはカインとアベルという二人の息子しかいなかったという思い込みがあるのです。その後を読んでゆけば,問題は簡単に解決されます。創世記 5章4節には,「セツの誕生後,アダムは800年生きて,息子や娘をもうけた」とあります。ですから,カインは妹か,場合によっては姪の一人と結婚したのです。それは,人間を増やすという神の当初の意図と十分に調和したことだったでしょう。―創世記 1:28。

12 言うまでもなく,人間の歴史に関する詳細な事柄の多くは,聖書の中に記されていません。しかし,聖書を最初に読んだ人たちにとっても今日のわたしたちにとっても必要な詳細な点はすべて聖書の中に含められており,そのために聖書が膨大な量になって読めないということはありません。

学者だけが理解できればよいのか

13-15 (イ)聖書は難しすぎて理解できないと考える人がいるのはなぜですか。(ロ)み言葉が理解されることを神が意図しておられたと,どうして分かりますか。

13 あなたは「聖書の矛盾する解釈がこれほど多いのはなぜか」と考えたことがありますか。誠実な人の中には,宗教の権威者たちが互いに矛盾する意見を述べるのを聞いて,当惑したり落胆したりする人々もいます。聖書は不明瞭で矛盾しているというのが,多くの人の到達した結論です。その結果,聖書は難しすぎて読むことも理解することもできないと考え,聖書を公然と退ける人も少なくありません。宗教上の解釈がこのように多岐にわたっているのを見て,真剣に聖書を調べることを嫌がるようになった人もいます。中には,「教育のある人たちは何年も神学校で研究を続けてきた。そういう人が教えることに疑問を差し挟める理由がどこにあるだろうか」と言う人もいます。しかし,神はそのように問題を見ておられるのでしょうか。

14 神はイスラエル国民に律法をお与えになった時,人々が理解できない崇拝の方式,つまり神学に造詣の深い賢人や“学者たち”の手に委ねなければならないような崇拝の方式を与えるとは言われませんでした。神はモーセを通して,申命記 30章11節と14節で,このように宣言されました。「確かに,この日にわたしがあなたに命じるこの教えは,あなたにとって余りに不可解なものでも,手の届かないものでもない。いや,このことはあなたの非常に近く,あなたの口の中,あなたの心の中にある。それを守り行なうためである」。指導者だけではなく,すべての国民に対して,次のことが告げられました。「この日にわたしがあなたに課するこれらの教えを心に留めなさい。それをあなたの子供たちに銘記させなさい。あなたが家にいる時も,外に出ている時も,横になる時も,起きる時も,それらを復唱しなさい」。(申命記 6:6,7)神のおきてはすべて書き記されました。それらのおきては国民全体にとって,親と子の両方にとって,従いやすい十分に明快なものでした。c

15 古くイザヤの時代に,宗教指導者たちは差し出がましくも神の律法に付け加えたり神の律法を解釈したりして,神からの非難を身に招きました。預言者イザヤはこう書きました。「その民は口でわたしに近づき,唇でわたしを敬っているが,その心をわたしから遠く離しており,わたしに関するその崇拝は,丸暗記した,人間のおきてになっている」。(イザヤ 29:13)彼らの崇拝は神のおきてではなく,人間のおきてになっていました。(申命記 4:2)矛盾をきたしていたのは,それらの「人間のおきて」であり,彼ら自身の解釈と説明でした。神の言葉はそうではありませんでした。それは今日でも同じです。

口伝トーラーには何らかの聖書的な根拠があるか

16,17 (イ)口伝律法について,ある人々はどんなことを信じていますか。(ロ)口伝律法について,聖書はどんなことを示していますか。

16 モーセは“成文トーラー”だけでなく“口伝トーラー”も与えられたと信じる人々がいます。この信条によると,神は特定の命令に関しては,それが書き記されるのではなく,むしろ代々口頭で伝えられ,口頭伝承によってのみ保存されるように指示されたことになります。(「トーラーには『70の顔』があるか」の囲み記事をご覧ください。)しかし聖書の記述は,口伝律法を伝えるようにという命令がモーセに下されたことは全くなかったことをはっきり示しています。出エジプト記 24章3節と4節はこう述べています。「モーセは出て行き,主のすべての命令とすべての規則を民に繰り返して述べた。すると,民は皆,声を一つにして答えて言った。『主の命じた事柄すべてをわたしたちは行ないます』」。その後モーセは「主の命令をすべて書き記し」ました。さらに,出エジプト記 34章27節には,次のように記されています。「また,主はモーセに言われた。これらのおきてを書き記しなさい。これらのおきてにしたがって,わたしはあなたと,またイスラエルと契約を結ぶからである」。神がイスラエルと結ばれた契約において,文字によらない口伝律法の占める場はありませんでした。(「口伝律法はどこにあったか」の囲み記事をご覧ください。)聖書の中には,口伝律法の存在に言及する箇所は全くありません。d さらに重要な点として,口伝律法の教えは聖書と矛盾しており,聖書が自己矛盾をきたす本であるという誤った印象を与えています。(「死と魂 ― それは何を意味するか」の囲み記事をご覧ください。)しかし,この混乱を引き起こしているのは神ではなく,人間です。―イザヤ 29:13。(「神のみ名に敬意を払う」の囲み記事をご覧ください。)

トーラーには「70の顔」があるか

今日のイスラエルでは珍しいことではありませんが,人々はよく,「トーラーには70の顔がある」という言葉を引用します。この有名なユダヤ人独特の言い回しは,聖書には多くの異なった解釈があり得る,また矛盾した解釈もあり得るという彼らの考えを示唆しています。この言葉は成文律法にも,いわゆる口伝律法にも当てはまるとみなされています。ユダヤ教百科事典は次のように注解しています。「口伝律法は決定的な法典ではない。そこには,数々の異なった意見,互いに相いれない意見さえ含まれている。賢人たちはそれらの意見について,『それらはすべて,生ける神の言葉である』と語った」。(532ページ)しかし,互いに相いれない異なった意見を神が吹き込むと考えるのは道理にかなったことでしょうか。どうしてそのような矛盾を容認するようになってしまったのでしょうか。

ヘブライ語聖書が書き記された全期間にわたって(西暦前1513年ごろ–443年ごろ),神の任命された代表者たちは論議の対象となっている問題をはっきり説明しましたが,ほとんどの場合に,神自らご自身の力を示したり,彼らに語らせるためにお与えになった預言を成就させたりすることによって,それらの代表者たちを支援されました。(出エジプト記 28:30。民数記 16:1–17:15[16:1-50,新世]; 27:18-21。申命記 18:20-22)その当時,矛盾した説明や解釈を教えた者は,学者としてではなく,背教者として見られました。神は国民全体にこのように警告されました。「わたしがあなたに命じることだけを注意して守り行ないなさい。それに付け加えてはならず,それから減らしてもならない」―申命記 13:1(12:32,新世)。

しかし,イスラエル国民の考え方はやがて根本的に変化しました。西暦1世紀にユダヤ教の中で顕著な立場を占めるようになったパリサイ人は,自分たちが2世紀前に作り上げた“口伝トーラー”の教えを信奉しました。神はシナイ山で成文律法をイスラエル国民に与えただけでなく,同時に口伝律法も授けられたと彼らは教えました。その信条によると,霊感によるこの口伝律法は成文律法の詳細な点,つまり,神がモーセに書き記してはならないと意図的にお告げになった詳細な点を解釈し,明確にしたものです。口伝律法は書き記すべきものではなく,師から弟子に,世代から世代へ,もっぱら口頭で伝えるべきものでした。こうして,この口頭伝承の保護者を自任していたパリサイ人は特別な権威を得ることになりました。g

西暦70年に第二の神殿が破壊された後,パリサイ人の見解は勝利を収め,ユダヤ教はそれ以前の状況とは異なって,ラビの支配する形態の宗教になりました。h 祭司や預言者よりもラビが顕著な存在になったことに伴って,口伝律法がユダヤ教の新たな中心となりました。ユダヤ教百科事典が述べているとおりです。「口伝トーラーは成文トーラーよりも重要なものとみなされるようになった。後者に関する説明と理解は前者に依存していたからである」― 1989年,710ページ。

ラビの威信が高まり,伝承が増えるにつれ,この口伝律法を書き記してはならないという禁令は解除されました。2世紀後半から3世紀初頭にかけて,ユダ・ハナシー(西暦135-219年)がラビによるそれらの口頭伝承を体系的に書き記しましたが,その著作はミシュナと呼ばれました。後に追加された部分はトセフタと呼ばれました。次にラビたちはミシュナに注解を加える必要を見て取り,口頭伝承のそうした解釈が,ゲマラ(西暦3世紀から5世紀にかけて編さんされた)として知られる,数多くの書の集まりの基盤となりました。それらの著作を合わせたものがタルムードとして知られるようになりました。ラビによるこうした見解すべてに関する注解は,すべて現代に至るまで続いています。大幅に異なるこれら様々な見解をすべて調和させることは不可能ですから,『トーラーに70の顔』を見ようとする人が多いとしても,何の不思議があるでしょうか。

g この教えは当初パリサイ人が奨励したものですが,当時のユダヤ国民の多くはこの教えを退けました。大勢の祭司を擁していたサドカイ人も,1世紀のエッセネ派も,パリサイ人のこの考えを退けました。今日でも,ユダヤ教のカライ派(西暦8世紀以降)だけでなく,改革派ユダヤ教も保守派ユダヤ教も,そのような口伝律法を神の霊感を受けたものとはみなしていません。しかし,今日の正統派ユダヤ教は,それらの伝統を霊感を受けたもの,遵守すべきものとみなしています。

h ユダヤ大百科事典はこう述べています。「ラビという称号は,聖書のヘブライ語では“偉大な”を意味する名詞ラヴから派生したもので,[ヘブライ語]聖書の中にこの名詞は出てこない」。

口伝律法はどこにあったか

モーセが神のすべての命令をイスラエル国民全体に繰り返した時,口伝律法はどこにあったのでしょうか。当時の国民がモーセの繰り返した事柄を行なうことに同意した後,モーセは「主の命令をすべて書き記した」のです。―出エジプト記 24:3,4,下線付加。

ヨシュアが約束の地に入ってからイスラエル国民を集め,彼らが行なうことに同意したすべての言葉を彼らにもう一度読んだ時,口伝律法はどこにあったでしょうか。「モーセが命じたすべての事のうち,ヨシュアがイスラエルの集会全体の前で読まなかった言葉は一つもなかった」のです。―ヨシュア 8:35,下線付加。

ヨシヤ王の時代,行方不明になっていた『モーセの律法の書』が神殿の修理の最中に発見された時,口伝律法はどこにあったでしょうか。ヨシヤは書の内容が自分に読まれるのを聞き,悲しみのあまり自分の衣を引き裂きました。幾世代もの間律法が書かれている通りに守られてこなかったことを知ったからです。それで王は過ぎ越しの祭りを祝う取り決めを設けました。王たちとそれ以前の裁き人たちの時代を通じて,過ぎ越しはいつも正式に祝われていたわけではありませんでした。その数百年間,『忠実に伝えられた』口伝律法はどこにあったのでしょうか。もし口伝律法が存在したのであれば,その情報が忘れられることは決してなかったでしょう。イスラエル国民が立ち返って神のご意志を正しく行なうことを可能にしたのは,正確に保存された書き記された記録だけでした。―列王第二 22:8–23:25。

預言者エレミヤが,「彼らは最も小さい者から最も大きな者に至るまで皆,すべて利得に対して貪欲である。彼らは祭司も預言者も皆,偽って行動する」と宣言した時,口伝律法はどこにあったでしょうか。(エレミヤ 6:13)イスラエル国民の指導者たち,とりわけ律法を教える責任を担っていた祭司たちは,同国民の歴史の大半を通じて,霊的に上記のような状態にありました。(マラキ 2:7,8)書き記された記録はそれ自体が雄弁に語りますが,それほど不忠実な者たちに対しては,口頭伝承を忠実に守ることなど期待できたでしょうか。

ヘブライ語聖書が記された1,000年余りの間,口伝律法はどこにあったでしょうか。モーセからマラキまで,そのような口伝律法が存在することには一言も触れられていません。そのような考えが登場するのは,数百年後,対立する宗派がユダヤ国民に対する支配と権威を求めて闘ったラビの時代になってからです。この問題に関する沈黙の時代が数百年続いたことと,霊感による聖書の証言から,霊感を受けたそうした口伝律法が実際に存在したという主張は否定されるのではないでしょうか。

17 人間による解釈が矛盾をきたすのとは対照的に,聖書そのものは明快で信頼に値します。神は,イザヤ 2章2節から4節に描かれている平和な世界が単なる夢ではなく,間もなく現実になることの証拠を,み言葉の中に豊かに備えてくださいました。預言の神,聖書の神である神ご自身以外のだれも,そのような状態を実現させることはできません。

死海写本

死海写本

西暦紀元前の時代のものであるこれらの写本は,聖書が幾世紀にもわたって正確に伝えられてきたことを明らかにしています。また,預言が書き記されたのは,預言の成就する前であることも確証しています

a 創造の六「日」間には,天体の創造に言及した創世記 1章1節の記述が含まれないことに注目すべきです。さらに,「日」と訳されているヘブライ語からすると,創世記 1章3節から31節で描写されている出来事は,各々の長さが何千年にも及ぶと見られる六つの『期間』にわたって生じたと考えることもできます。―創世記 2:4と比較してください。

b 例えば,「聖書には矛盾がありますか」をご覧ください。

c 訴訟に関する難しい問題は,明確に大筋が述べられた司法上の取り決めによって扱われました。(申命記 17:8-11)明確でないように思える他の重要な問題に関しては,どんな場合であれ,神からの答えを得るため,口伝律法ではなく,むしろ祭司たちの手にあったウリムとトンミムに国民の注意が向けられました。―出エジプト記 28:30。レビ記 8:8。民数記 27:18-21。申命記 33:8-10。

d 申命記 17章8-11節の聖句には,霊感による口頭伝承のことが言外に含まれていると理解する人もいます。しかし,14節の脚注にあるように,この聖句は訴訟における裁きの手順を示しているにすぎません。ここで問題になっているのは,様々な習慣や伝統が幾世紀にもわたって伝えられてきたかどうかという点ではなかったことに注目してください。律法の特定の面を具体的に実施する方法について,ある種の伝統が伝えられてきたことは確かです。しかし,伝統が長く続いてきたという事実は,それが霊感を受けていることの証拠ではありません。例えば,青銅の蛇に関して生まれた伝統に注目してください。―民数記 21:8,9。列王第二 18:4。

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