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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
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読者からの質問

■ イエスはピラトに,「このゆえに,わたしをあなたに引き渡した人にはさらに大きな罪があります」と言われましたが,ユダを指してそう言われたのでしょうか。―ヨハネ 19:11。

イエスがここで言及しておられたのは,ユダでも,だれか他の特定の個人でもないようです。イエスがピラトの前に連れ出されて死に直面するまでの出来事には,責められるべき多くの人がかかわっていました。

恐らくユダのことがまず念頭に浮かぶでしょう。心の曲がったその使徒は裏切り者になったからです。(ヨハネ 6:64,71; 12:4-6)ユダは,イエスを『除き去り』たいと思っていた祭司長たちに会い,イエスを裏切るために銀30枚を受け取りました。(ルカ 22:2-6)ですから,イエスの死に関してユダに大きな罪があったことは確かです。

しかし,イエスの死を生じさせたのは,ユダ一人ではありませんでした。大祭司カヤファはイエスを殺させようと他の人たちを扇動していました。(ヨハネ 11:49,50)マタイの説明によると,「祭司長たちおよびサンヘドリン全体」は,いったんイエスに有罪を宣告すると,一つのグループとして行動しました。「祭司長と民の年長者たち全員は,イエスを死刑にしようと協議した。そして,彼を縛ってから,引いて行って,総督ピラトに引き渡した」と述べられているとおりです。(マタイ 26:59-65; 27:1,2)さらに,ピラトがイエスの無実に気づいた後,「群衆」はバラバを釈放するよう求め,それとは対照的にイエスに関しては,「杭につけろ!」と叫びました。―マタイ 27:20-23。ヨハネ 18:40。

ですから,イエスは,「わたしをあなたに引き渡した人にはさらに大きな罪があります」とピラトに言われたとき,特定の個人について話しておられたのではないようです。(ヨハネ 19:11)「滅びの子」ユダの罪は特に重いとはいえ,イエス殺害の罪に関して有罪とされる人はほかにも大勢いました。(ヨハネ 17:12)それで使徒ペテロは,ペンテコステの日に,神のみ子に対する重大な罪を悔い改めるようユダヤ人に呼びかけたのです。(使徒 2:36-38)それらのユダヤ人は,イエスの神エホバに献身した国民の一部であり,メシアとしてのイエスの実体を明らかにする数々の預言を読むことができました。それに,イエスの行なわれた数々の奇跡を見た人も少なくありませんでした。そのようなわけで,彼らの罪は,イエスを無罪と宣言した非ユダヤ人の役人の罪より確かに重かったのです。―ヨハネ 18:38。

■ エホバはエゼキエルの顔をユダヤ人の顔のように固くすると言われましたが,それはどういう意味ですか。

エゼキエルは,バビロンに捕らわれの身となっていたユダヤ人の間で奉仕した,神の預言者でした。それら捕らわれの身となっていた人々は,自分たちは神の選ばれた民であるからエホバは何とかしてすぐに救助に来てくださる,と考えたようです。彼らは,自分たちに臨んだ事柄は自分たちが神の不興に値したために生じたという事実を受け入れませんでした。

ですから,エホバがエゼキエルに,『わたしの言葉をもって彼らに話す』よう指示されたとき,それは容易な割り当てではありませんでした。神は,預言者に心の準備をさせるため,「彼らはあなたの言うことを聴くことを望まない。わたしの言うことを聴くことを望んでいないからである。イスラエルの家の者はみな頭が固く,心が固いからである」という警告をお与えになりました。―エゼキエル 3:4,7。

この時,神はエゼキエルに次のようにお告げになりました。「見よ,わたしはあなたの顔を彼らの顔と全く同じように固くし,あなたの額を彼らの額と全く同じように固くした。わたしはあなたの額を金剛石のようにし,火打ち石よりも固くした。あなたは彼らを恐れてはならない」― エゼキエル 3:8,9。

人々はかたくなで反逆的でした。(エゼキエル 2:6)彼らは神の使者を打ち負かしたりおじけづかせたりすることができるでしょうか。いいえ,できません。エゼキエルは神の後ろ盾を得ていたので,彼らより弱くなるということはありませんでした。火打ち石は非常に固く,鋼鉄よりも硬度があります。かたくなで受け入れる力のないユダヤ人を火打ち石にたとえることができるとしたら,エゼキエルもそれにたとえることができるでしょう。エゼキエルは火打ち石どころか,鉱物のうちで最も固い金剛石(ダイヤモンド)のようになることになっていました。金剛石は火打ち石にかき傷を付けることができるほど固いのです。―エレミヤ 17:1,2。

これは,今日の神の民が,他の人の感情に動じず無感覚になり,場合によっては情け容赦なく自分の正しいと思う事柄を行なうことを望ましいとみなすべきであるという意味では決してありません。対人関係に関する使徒ペテロの勧めに注意を払ってください。「あなた方はみな同じ思いを持ち,思いやりを示し合い,兄弟の愛情を抱き,優しい同情心に富み,謙遜な思いを抱きなさい。危害に危害,ののしりにののしりを返すことなく,かえって祝福を与えなさい」と,ペテロは述べました。―ペテロ第一 3:8,9。

同情心も,わたしたちが人に王国の良いたよりを伝える際の基本的な動機の一つです。(マタイ 9:36-38)しかし,無関心,拒絶,あからさまな反対などに遭っても,この時代に対する神の音信をふれ告げることはやめません。その活動には,間もなく神が,「神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復を」されるということをふれ告げる業も含まれています。(テサロニケ第二 1:6-9)おじけづいたり,しりごみしたりしてはなりません。そのような意味で,わたしたちはエゼキエルがならねばならなかったのと同様,金剛石のように固くなることができます。

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