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聖書に対する洞察,第1巻
洞-1 「アブ」

アブ

(Ab)

ユダヤ人の教暦の第5太陰月の流刑後の名称で,政暦の第11月。この月は7月後半と8月前半の期間に相当します。

アブという名称の意味は定かではありません。この月は聖書ではその名称で直接言及されてはおらず,ただ「第五の月」として出て来るだけです。しかし,その名称はミシュナ(タアニート 4:6)や流刑後のユダヤ人のほかの著作には確かに出て来ます。

アブは夏の暑い月で,イスラエルではこの時期にぶどうの収穫が始まりました。―「暦」を参照。

アロンがホル山で亡くなったのは,アブの第1日のことでした。(民 33:38)列王第二 25章8節によれば,バビロンの王の僕ネブザラダンが「エルサレムに来た」のはこの月の7日でした。ところが,エレミヤ 52章12節には,ネブザラダンが「エルサレムに入って来た」のは,この月の10日だったと記されています。ソンキノ版聖書はこの点に関してこう述べています。「この3日の差は,ネブザラダンが現場に到着した日と作戦を開始した日を表わしていると考えれば,説明がつくかもしれない」。(A・コーヘン編,ロンドン,1949年)ですから,ネブザラダンは7日にエルサレムに到着し,都の城壁の外の彼の陣営から調査を行ない,都の砦を破壊して財宝を略奪する指示を与え,ついにその月の10日に都とその聖なる神殿に入ったようです。ヨセフス(ユダヤ戦記,VI,250,268 [iv,5,8])によれば,ヘロデの神殿は第5の月の10日(西暦70年)にローマ人により焼かれました。ヨセフスは,この日付がバビロニア人により最初の神殿が焼かれたその同じ日と正確に対応していることについて注解しています。

その後,70年に及んだバビロンでの流刑の期間中,この第5の月は,ユダヤ人がエルサレムの神殿の滅亡を思い起こし,断食をして嘆き悲しむ時となりました。(ゼカ 7:3,5; 8:19)また,エズラがユダヤ人にエホバの律法を教え諭すため,復興したエルサレムに戻ったのも,アブの月のことでした。―エズ 7:8,9,25。

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