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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 12/1 30ページ

読者からの質問

マタイ 28章17節は,復活させられたイエスが姿を現わされた後も,使徒たちの中に長い間疑いを抱いていた人がいたという意味ですか。

そうではありません。マタイ 28章16節と17節からそのような結論を下す必要はありません。そこにはこう書かれています。「十一人の弟子はガリラヤに赴き,イエスが彼らのために取り決めた山に行った。そして,イエスを見ると,彼らは敬意をささげた。しかし,ある者たちは疑った」。

それよりずっと以前に,イエスは「ご自分がエルサレムに行って年長者・祭司長・書士たちから多くの苦しみを受け,かつ殺され,三日目によみがえらされねばならないことを」弟子たちが理解するのを助けようとされました。(マタイ 16:21)ところが,イエスが捕縛され,処刑されると,弟子たちは落胆し,困惑してしまいました。イエスの復活は弟子たちにとって驚きだったようです。イエスが人間の姿で現われたとき,最初ある者たちは『全くの喜びのあまりなお信じられませんでした』。(ルカ 24:36-41)しかし,イエスが復活後に姿を現わされたことによって,イエスと親しかった追随者たちは,復活を事実として受け入れることができました。使徒トマスでさえイエスがよみがえらされたことを確信しました。―ヨハネ 20:24-29。

その後,11人の忠実な使徒は「ガリラヤに赴き」ました。(マタイ 28:16。ヨハネ 21:1)彼らがそこにいた間に,イエスは「一度に五百人以上の兄弟に現われました」。(コリント第一 15:6)「ある者たちは疑った」とマタイ 28章17節が述べているのは,この場面でのことです。ですから,まだ疑いを抱いていた人がその500人の追随者の中にいた可能性は十分にあります。

ものみの塔協会の初代会長C・T・ラッセルがこのことに関して述べた興味深い注解に注意を向けてください。

「11人の使徒たちのうちのだれかが疑いを抱いていたと考えるのは理屈に合わないことである。彼らは十分に納得し,確信しており,それをすでに言い表わしていたからである。疑いを抱いたのは,予定されていたこの集まりに出席していた『五百人の兄弟』の中の人たちだったに違いないと考えることができる。彼らはイエスの復活後,その時にいたるまでイエスと交わりを持っていなかった。また中には,使徒たちやすでに親しくイエスと会話を交わしていた特別の友たちよりも信仰においてずっと弱い人がいたと考えるのは筋が通ったことかもしれない。『ある者たちは疑った』という表現は,福音宣明者の残した記録の率直さの証拠である。それはまた,主の追随者たちが何でも軽々しく信じる人々ではなく,むしろ提出される証拠を綿密に調べて慎重に考慮する性向の人々であったことを示している。また,信じた人々がその後に示した熱意,活力,自己犠牲の精神は,我々の主の復活に対する彼らの確信の誠実さを強力に証拠づけるものとなる。彼らも我々も,主の復活が主に対する信仰のまさに中心であることを認めている。キリストがよみがえらなかったとすれば,我々の信仰はむなしいものとなり,我々はまだ罪のうちにあることになる。―コリント第一 15:17」―「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌,1901年5月1日号,152ページ。

同時に,マタイが聖書の信頼性と正直さの証拠を挙げるような仕方でこの点を述べていることにも気づくかもしれません。話をでっち上げる人は,自分の作り話をもっともらしく見せるために詳細な点を述べる傾向があります。詳細な点を書き落としたり,話が一見食い違っていたりすると,作り上げた話が疑われるのではないかと感じるものです。マタイについてはどうでしょうか。

マタイは「ある者たちは疑った」という言葉を詳細に説明する必要を感じませんでした。マルコやルカやヨハネはこの点について何も述べていないため,マタイの言葉だけを取り出して読むと,マタイを含む11人の使徒たちを意味しているように思えます。しかし,マタイはこの短い注解をしただけで,はっきりした説明は何もしていません。それから14年ほど後,使徒パウロはコリント第一の書を書きました。パウロがコリント第一 15章6節で述べた詳細な点に照らしてみると,疑いを抱いたのは使徒たちではなく,イエスがまだ姿を現わしておられなかったガリラヤの弟子たちだったのだろうと結論することができます。したがって,「ある者たちは疑った」というマタイの言葉には真実味があります。確かに,正直な筆者が詳細な点を逐一説明しようとすることなく,真実の出来事を述べているという印象を与えます。

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