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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 11/15 32ページ

それは不可能です!

「富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」。(マタイ 19:24)イエス・キリストはご自分の弟子たちに教訓を与えるためにそう言われました。それはちょうど,ある富んだ若い支配者が,イエスの追随者になって多くのすばらしい霊的な機会にあずかるようにという招待を辞退したばかりのときでした。その男性はメシアに従うよりも,自分の多くの資産を保持するほうを選びました。

イエスは,富んだ人が王国の取り決めの中で永遠の命を得るのは絶対に不可能だと言っておられたのではありません。幾人かの裕福な人々はイエスの追随者になっていたからです。(マタイ 27:57。ルカ 19:2,9)しかし,霊的な事柄よりも自分の資産のほうを愛している富んだ人には,それは不可能です。そういう人は自分の霊的な必要を自覚して神の助けを求めない限り,神が与えてくださる救いにあずかることはできません。―マタイ 5:3; 19:16-26。

らくだと針の穴の例えは文字通りに解釈すべきものではありません。イエスは誇張法を用いて,神を喜ばせようとしながら,一方では豊かで物質主義的な生活様式を維持する裕福な人々が直面する問題を強調しておられたのです。―テモテ第一 6:17-19。

この針の穴は,都市の城壁にあった,らくだが荷を降ろすとやっと通り抜けられる小さな門のことだったと言う人がいます。しかし,マタイ 19章24節およびマルコ 10章25節で「針」と訳されているギリシャ語ラフィスは,「縫う」という意味の動詞からきています。ルカ 18章25節にあるベロネーという語は縫い針を意味しており,新世界訳はその箇所を次のように訳しています。「実際,富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが縫い針の穴を通るほうが易しいのです」。多数の権威者がこの解釈を支持しています。W・E・バインは,「『針の穴』が小さな門を指しているとするのは,新しい考え方のようである。そうした考えが昔からあったことを示すものは何もない」と述べています。―「新約聖書用語解説辞典」。

大きならくだが小さな縫い針の穴を通り抜けようとするなど,「いかにも東洋の誇張表現らしい」と,ある参考文献には述べられています。また,非常に抜け目がなくて,不可能なこともやってのけそうな人たちについて,バビロニア・タルムードは,「彼らは象を針の穴に通す」というふうに述べています。イエスは不可能であることを強調するために,典型的な誇張法と鮮明な対照法をお用いになったのです。らくだや象が縫い針の穴を通るのは不可能です。しかし,神の助けによって,富んだ人は物質主義的な見方を捨てて永遠の命を心から探し求めることができます。また,至高の神エホバのご意志を学び,それを行なうことを心から願っている人々は,だれでもそうすることができるのです。

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