「必要なのは」何?
ワシントン福音書写本は,イエスがご自分の親しい友人ラザロの姉妹マルタに対して語られた,ある言葉の翻訳の仕方に影響を及ぼしています。イエスがその家族を訪れた時,マルタはイエスをおいしい食事でもてなすのが一番重要なことだと思っていましたが,イエスは,足もとに座って話を聴いていたその姉妹マリアの模範に見倣うようマルタに親切に勧め,こう言われました。「ですが,必要なのはわずかなもの,というより一つだけです。マリアは良いものを選んだのであり,それが彼女から取り去られることはありません」― ルカ 10:42。
この言葉は,新世界訳の基礎となった,ウェストコットとホートの1881年版ギリシャ語本文の訳です。1985年版の「参照資料付き 新世界訳聖書」の脚注によると,これはシナイ写本(シナ写)とバチカン写本(バチ写)に基づく読み方で,どちらの写本も本文が同じ形になっている写本の代表例です。しかしアレクサンドリア写本(アレ写)では,「ですが,必要なのは一つのものだけです。マリアは……」となっています。脚注が示しているように,ワシントン写本は,西暦3世紀のものであるチェスター・ビーティー・パピルス(パピ写45)やボドメル・パピルス(パピ写75)と同様,アレクサンドリア写本の表現と一致しています。しかし,これらの写本はすべて,1881年にウェストコットとホートがその本文を刊行した後相当年月が経過してから明るみに出た写本なので,彼らには選択可能なこの表現を考慮する機会がありませんでした。しかし,今日わたしたちがこの本文のどちらの訳を正当なものとして認めるとしても,イエスがわたしたちに霊的な事柄を生活の中で第一にするようにと言っておられることは明らかであり,わたしたちはその助言に従うべきです。